おぴにおん0号

反論、質問受け付けますが、何せ思いつくままなので

国際・戦争

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またか! と思わせるブッシュの演説である。テロとの戦いを、かつての日本の軍国主義との戦いになぞらえる、あの稚拙な主張である。
この主張の根幹は、もちろん、アメリカが日本の軍国主義を倒し、民主主義が機能するように助力したからこそ、いまの日本の繁栄がある、そして「米国の敵から、最も強力な同盟国に変わった」ということだ。
アメリカにとっての成功体験であり、このやり方は間違っていないという自負であり、イラクなどにおいても、同様な政策を推進すべきとの論拠となる。

この主張は以前から繰り返されてきた。イラクの旧政権を崩壊させた後、大量破壊兵器が見つからず、苦境に陥っているときにも持ち出された。イラクに侵攻することの根拠がこの大量破壊兵器疑惑だったから、無いとなれば侵攻の正当性が失われる。それを糊塗するための苦し紛れの言い訳だった。

その後、イラクではテロが頻発する。旧政権との戦いは終わり、治安維持の権限も新政権に渡す段取りをつけたが、いっこうにテロ行為は収まらない。駐留する米軍の死者も増えるばかりである。民主主義だっていつ根付くことやら・・・。

イラクの戦後政策は明らかに失敗である。同盟国の多くは撤退し、アメリカ国内でも撤退論が強くなっている。根本的な疑義、すなわち旧政権を崩壊させたことは拙速だったのではないか、という意見も出てきて、ブッシュ政権の苦境の度合いは深まるばかりだ。テロとの戦いの一環だったというが、イラク旧政権の崩壊後、むしろテロ行為は増えてしまった。アルカイダとフセイン政権はむしろ対立していたとの報道もあった。

そんな苦境を打開したいのだろう。自分の政策を正当化したいのだろう。国際社会でも孤立無援に陥りつつあるから、過去の成功体験にすがるしかないのだろう。
韓国の例も持ち出すようになった。先ごろ、韓国の経済発展もアメリカがバックアップしてきたからだ、と言わんばかりの発言があった。当然、北朝鮮との対比だろうし、北朝鮮はアメリカに敵対するから国力が疲弊したままだというわけだ。

なんとも粗雑な考え方だ。テロ組織も、北朝鮮も、かつての日本の軍国主義も、共通項はアメリカに敵対しているということだけだ。にもかかわらず、同じように扱い、同じように対処すれば、すべて同じような結果が得られる、との論理を振りまく。そんな単純な論理で外交政策をやっていては成功するはずがない。

それにしても、ブッシュは、本当に信じているのだろうか。アメリカによる日本の占領政策や、韓国の同盟政策が、中東でもそのまま適用できると。そして、そんな稚拙な論理が、世界、そしてアメリカ国民に通用すると、本当に思っているのだろうか。

単純さを好む人はいる。敵と味方を色分けしないとすっきりしない。悪か善か、正しいか正しくないかを明確にしてもらわないと前に進めない。日常でも、好きか嫌いかの判断に迷う相手にいらだったりする。

多くの大衆は単純である、という理由でこうした主張を展開する戦略的部分もあるに違いない。大統領スピーチともなれば、側近やら政府幹部のチェックを経ている。日本の軍国主義になぞらえる主張は、スピーチライターのアイデアであったかもしれないが、この主張が有効であると多くの側近が考えたからこそ、演説草稿として採用されたはずだ。

でも、ブッシュも単純なのだろうな。演説草稿を最終的に決めるのは大統領だ。自分の口で述べると決断をするのは大統領本人である。この主張が通用するとの判断が大統領にもあったはずだ。
人は自分を基準に考えがちだ。こうした単純な論理が通用するとの思い込みは、自分の思考回路がそれに近いから生じるのだろう。ブッシュ本人が、この主張を信じている可能性は高い。

アメリカの大統領には、単純思考のカウボーイタイプが似つかわしい・・・というだけの話しか?

経済のグローバル化は、途上国の経済発展につながる面もあるが、先進国では格差を生じさせている。
ロバート・ライシュ氏(元米労働長官)は、IT化やグローバル化などによる構造変化を“スーパー資本主義”と呼ぶ。投資家と消費者の利益が優先され、労働者や市民の価値観が後退することで、雇用と賃金の不安定さが増している、とする。(070414)
日本もこうした現象が進行中といえるだろう。
ただ、この現象にも、世界的格差縮小における必然という側面があるような気がする。

消費者としての我々は、かなり恵まれていると言ってよい。特に工業製品は安価に手に入る。グローバル企業の、世界を股に掛けたコスト削減努力よるところが大きい。
日本でも、農村から安価な労働力が得られた時代は過ぎ、途上国に労働力を求める時代となった。その歩みは、「Made in タイワン」から始まり、「Made in コリア」「Made in チャイナ」と移り、「Made in タイランド」「Made in ベトナム」へと広がっている。安ければどこでもよいのだ。
設備投資が低額で済む軽工業では、とりわけ顕著だ。スニーカーなどは、有名ブランドでも「Made in カンボジア」なんてのが当たり前のようにある。工場移転のフットワークは軽い。

そのおかげで、我々は、服も靴も安価に手に入れることができる。家電品の値段も、“永遠のデフレ”を思わせるほど低落傾向にある。機能向上も図られるが、それに比例して価格が上昇することはない。
最近は、生鮮食品でさえ輸入されるようになった。

賃金上昇は抑えられているが、物価の上昇もないから、我々は生活水準を落とさずに済んでいる。国内において生産性が向上しなくても、経済グローバル化のおかげで安い製品を買うことができる。技術革新がなくても、コストを下げる手段はいくらでもある。

消費者としての立場はまことに快適だが、投資家としても先進国としての恩恵に浴する。潤沢な資本のおかげである。戦後の経済発展のよって蓄積したストックが、購買力と投資を支えている。グローバル企業の活動だって、それを支えるのは巨大な資本力だ。
海外投資の配当、外国債券の利子収入などによって、日本全体の所得収支の黒字は巨額になり、ついに貿易黒字を上回ようになった。一昨年からそうなった。円安効果も大きいが、それをいうなら貿易黒字にも円安は貢献している。

ところが労働者としての立場は危うい。熟練を必要としない労働はどんどん海外に移転するため、雇用不安が生じている。所得格差は、勝者と敗者という色彩にまで広がる気配である。ストックを食いつぶせるから、放蕩息子みたいに労働意欲を喪失している側面もないではないが、先進国の多くの労働者は、他国の低賃金労働者との競争にさらされおり、過酷な状況に立たされていることは否めない。

労働力を単なる流動経費としかみないグローバル企業の冷酷さは、糾弾されてしかるべきだ。その弊害などは前に書いた。

ただ、途上国の労働者も同じ労働者である。そうした観点から考えるとどうか。
彼らが低賃金に甘んじるのは、それでも以前より生活が豊かになるからだ。現金収入がほとんどない貧困層を考えて見れば明らかだ。彼らは、先進国の市民が享受している豊かさを目標に、日夜仕事に精を出しているともいえる。
グローバル化は、情報においても進行しているから、先進国並みの豊かさにあこがれる途上国の民衆は増えるいっぽうである。同じ生活水準に達するまで、彼らは、先進国の労働者の仕事を奪い続けるといってもいいだろう。

消費者の立場としては、彼らのそうした貪欲さや向上心のおかげで、安価な工業製品を手にすることができているが、「便利な生活が低賃金労働の存在に依存しているならば、私たちが持つべき正しい感情は、恥だ」と表現をする人もいる。(B.エーレンライク『ニッケル・アンド・ダイムズ』)
刺激的な表現だ。とはいえ、この思想は、フェアトレード運動を実践する人たちには認知されている。途上国の産品を適正価格で購入することで、途上国の自立を支援するという運動である。
そうした運動に積極的に参加すべきとは言わないが、こうした背景は自覚するべきだろう。

いずれにしても、国際社会の格差縮小は、個々の民衆の生活水準の平準化にまで突き進まざるを得ない。この動向も押しとどめようがない。
格差は、国内だけでなく国際問題でもある。先進国は、当然のように豊かな生活を享受しているが、途上国には、貧困に苦しむ民衆が多数存在する。
かつては南北問題といわれた。北の先進国が、南の途上国から富を搾取していると糾弾された。
だが国際社会の格差は縮小に向かっているように見える。

先進国が生み出した各種産業は、途上国にも導入されつつある。産業社会は徐々に世界を覆いつくす方向にある。
アジアの発展が特に著しい。日本に続いて台湾や香港、シンガポールが国民所得を向上させた。韓国はいまや世界的企業を輩出する国となり、中国は世界の成長センターの趣きである。
ASEAN諸国も、政情が安定した国から順次発展している。
21世紀は、アジアの世紀といわれるゆえんである。

BRICsという言い方で、南米のブラジル、北のロシア、南アジアのインドも経済成長の高い国として注目されている。これらの地域でも経済発展は間違いない。

結局、人間の能力は、人種が違っても大きな差はないということだろう。先の旅行で、台北市内を歩いていても、同じアジア人ということもあるが、どこが違うのかと思う。交通網を構築し、巨大なビルを建築し、広大な工場で工業生産に取り組む。
文化などは、気候や地域環境によって左右される部分があり、ときに大きく異なるが、産業を発展させる方法論などは簡単に伝播する。支配層が既得権を保持するために国際交流を制限するから伝播する速度が遅くなるだけで、開放政策を取り入れれば、遅かれ早かれ、すべての民族は産業社会を構築することができる。

生物学的にも、そのバックボーンがあるようだ。
人類は、地球上の隅々に散らばって生活を営んでいるが、遺伝的には均一性を保っているという。肌の色が違ったり、平均身長が違ったりするが、他の生物に比べれば差はないに等しい。
身近な動物である犬を見てみればすぐ分かる。種類によって大きさは10倍以上も違う。形質も大きく異なり、顔などは千差万別だ。毛並みや毛色も多種多様。ペット種などは人工的操作が加わっているものが多いが、ともかく、ここまでの違いは人類では見られない。
昆虫だって、魚類だって、住む地方で形質は大いに異なる。

それらの生物と比べれば、人種間の遺伝的差などないに等しい。
人類の共通祖先は、20万年ほど前の東アフリカに誕生した。生物の歴史としては極めて浅いといえるようだ。これが遺伝的差がないことの理由となる。
加えて、男性だけに伝わるY染色体遺伝子のルーツを辿ると、なんと5万年前に出アフリカを果たした少数の「アダム」に行き着くという。(スペンサー・ウェルズ著『アダムの旅』)

遺伝的な多様化が起こるにはまだまだ浅い歴史しかないのが人類らしい。
だから能力もほとんど同じといっていいだろう。
先進国なんていう立場を謳歌する白人の天下も、あと数十年かもしれないわけだ。知恵や科学的知見の伝播速度は非常に速くなっている。それも先進国が作りあげた科学が土台になっているのだから自業自得。

というわけで、日本だって、先進国気取りができるのもあと数十年と考えていいだろう。
それとも、もっと早くに終わる?
温首相の国会演説に、次のようなぐだりがあった。
「侵略戦争の責任は、ごく少数の軍国主義者が負うべきであり、一般の日本国民も被害者であり、中国人民は日本国民と仲良く付き合わなければならない」(070412夕)

「一般の日本国民も被害者である」という考え方は、1972年の日中国交正常化以来のものである。軍国主義者が去ったあとの日本人とは、平和的に共存できるはずという理屈につながる。
この説明は、主に中国の人民大衆を意識したものであった。このときの中国にとって、国交を回復する意義は大きく、反日感情をなだめる必要があった。円借款などは、内戦で疲弊した経済を立て直すことに役立つ。
冷戦構造の中に単純に身を置いているだけでは近代化を成し遂げることはできない、という判断が働いていたのだろう。日本との前にアメリカと関係を正常化したが、その時点で方針転換は明らかであった。日中国交回復も規定路線であったと思われる。

このときの考え方をいまも持ち出すのは、どうしてか。それは、状況は変わっていないという意識があってのことだろう。近代化の途上にある以上、日本との関係も穏便な方がメリットがある。国力はまだ向上させる必要がある。だから、反日感情も依然として抑えておく必要がある。
今回の国会演説は、中国でも実況中継されたという。この発言は、中国人民へのメッセージであろう。

ただ、これは日本の国会議員に向けての演説である以上、直接的な意味合いは、中国の指導層は、中国人民に友好感情を奨励しています、ということになる。謙虚である。江沢民とは大違いだ。

当然、友好関係に実利があるとの見立てから出てくる考え方であるが、ここまではっきりと低姿勢を示せる謙虚さは認めるべきだろう。世界には、対外関係を緊張させることで、国内をまとめようとする権力者は多い。

謙虚さは、裏返せば向上心である。個人においても謙虚な人間は成長していく。高い目標があるからこそ、現在の状態に謙虚になれる。
中国も、謙虚であるかぎり、経済成長などの成果を、引き続き得ることができるだろう。

そうした意味では、日本にとって、ますます侮れない存在になりつつあると考えるべきだ。一人当たりの所得などの指標では、しばらく優越は保たれるだろう。
しかし、中国は、GDPなどでは確実にトップへの道を歩んでいる。国力全体では、すでに日本を脅かす存在である。
日本は、友好と競合の兼ね合いを十分吟味して、慎重に対応しなければならない。

中国は、近代化が進めば進むほど、日本の技術力の強さや社会的仕組みの合理性を知るようになったのかもしれない。江沢民のときとの違いはそんなところにあるのかも知れない。欧州との友好にもっとも積極的と見えた時期もあったが、たとえば、欧州の技術者から「その技術は日本が一番進んでいる」なんて発言をたびたび聞けば、日本を再度見直すことになる。勝手な想像だが。

しかし、一端、産業構造が確立すれば追いつくのは早い。
中国の謙虚さに見習うべき部分はある。そこに潜む、したたかさも決して侮れない。
朝日新聞の調査によると、「外国の軍隊が攻めてきたらどうするか」という質問に、「戦う」と答えた男性は52%と半数を上回った。(070125)
これは多いのか少ないのか。ただ、「戦う」女性は少ない(17%)から、男性の特徴であることだけははっきりしている。

北朝鮮やアメリカなどは日本より多いだろう。イスラエルや中東イスラム諸国も多いに違いない。
ただ、イラクで顕著なように、男の「戦い」は必ずしも国家間ではない。イラクではクルド、イスラムシーア派、スンニ派が互いに敵対心をあらわにしている。アフリカでは部族対立で殺戮が繰り返されている。ヨーロッパでもバルカン半島の民族分布は複雑で、旧ユーゴの国家分裂はまだ収束していない。

戦乱の渦中にある諸国では、「やられたらやり返す」が常態化する。少なくとも「やったらやり返すぞ」という姿勢を見せていないと蹂躙されてしまう。「攻められれば戦う」という意識はいやがおうでも高まる。

その点、今の日本は平和である。外国が攻めてくるという危機が目前に迫っているわけではない。「戦う」という姿勢も過去の日本から比べれば少ないと思われる。
年代別にみると、高齢者の方が「戦う」という回答が多いが、これは戦争という過去を知っていることに起因しているのだろうか。70歳以上の「戦う」は60%、60代も62%である。60代などは戦後生まれだが、戦争の記憶がまだ濃い時期に育ったからだろうか。
20代の「戦う」は45%、30代は40%である。「逃げる」と「降参する」を合わせると、それぞれ48%、49%だから、多数派は「戦わない」となる。

祖国のために戦う、というイメージは男にとって魅力的に響く。「逃げ」たり「降参する」やつは、腰抜けだ。みじめな境遇に甘んじる弱い男だ。男として劣等な部類とまで見られかねない。
この調査で、女性は約7割が「逃げる」か「降参する」を選択しているが、彼女たちにしても、男たちは「戦う」べきと考えている可能性がある。

男は「戦う」役割を担うべき、という考え方は、女性との比較では当然視される。腕力がより強い人間が、「戦う」べきという考え方も一般的だ。
日常では、多くの男は、暴漢などから家族を守るために戦う。これは、弱い立場の人間を助けることと同じくらい、ひとつの倫理になっている。

そこから、祖国を守るのは男の役目だというイメージが喚起される。愛する者のために戦うことと同じ感覚で、「外国が攻めてきたら戦う」と回答した男は大いに違いない。

だが、これはひとつの飛躍である。
目の前に、戦いを挑んでくる敵がいれば「戦う」を選択することは必ずしも間違いではない。逃げ場を失い、戦わなければ殺される状況ならば、戦うことは必然である。殺されそうになっているのが自分の家族であっても同様だ。
しかし、国家間の戦争は本来は殺しあうことが目的ではない。ハンナ・アーレントの著書を思い出すまでもなく、政治的手段に過ぎない。こちらが降参すれば終結する。
目的は、あくまでも国家的意志の貫徹、たとえば国家的権益を確保することであったり、国家的メンツを維持するためである。個人の利益が実現するものでは必ずしもないばかりか、疎外する場合も多い。
領土や資源の暴力的強奪の場合は、構成員=国民に利益をもたらすと考えてもいいが、それには多くの人的損失がともなう。個人の命を犠牲にすることで得る、少しばかりの資源ということにもなる。

かつてケネディ大統領は「国のために何をなしうるかを問え」と演説した。民族の混在を許容するアメリカにとって、そうした誘導なくして国家という意識を維持できない。国軍の維持にもさまざまな報酬提供を伴う。アメリカでは、奨学金を得るため、市民権を得るために軍人になる若者は少なくない。
人工国家ならではの施策ともいえるが、多かれ少なかれ国家というものは人工的なものである。国家や国民という意識を常に喚起していないと、国に貢献するという意識は希薄になる。

だから、「祖国のために戦う」ことと「愛する家族を守る」ことは時に断絶する。
国家も人間が作り出したものであり、暴走することがある。国民は冷静に見つめていないといけない。家族愛や郷土愛を「国家のために戦う」ことに結び付けようとする為政者の思惑には気をつけないといけない。

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