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政治・政策

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「政治的であることをタブー視したまま投票率を上げることだけを目的にしてしまえば、与党の票が増えるだけでしょう」とは、吉田徹・北海道大学教授の言。(190717)
そうかもしれませんね。政治的話題を避け、政治活動に無関心な人は、現状に甘んじる傾向が強い。

そのような人に、ボーっと生きてるんじゃねー!と意見しても意味はない。ボーっと生きるのって最高ですしね。個人的な楽しみだけに没頭していられる人生こそ、だれもがうらやむ境遇です。

私も偉そうなことは言えない。我々のほとんどは、大した努力をすることなく豊かさを手にしている。いつのまにか、不正を許しても、不快は許さなくなった。不道徳を見逃しても、不愉快は見逃さない。面倒を嫌い、ボーっとしていても生きられる権利を欲するようになった。

政治家たちも、我々の権利を認めてくれている。選挙のたびに「ボーっとしていても生きられるようにします」と訴えている。充分でないにしても、日銀に借金を肩代わりさせて、豊かさの維持に努めてくれている。

ただ財政破綻が怖いので、消費税の税率は上げさせてくれと政府は言う。人手不足が加速するので、高齢者もなるべく働いてくれと言う。甘い言葉にはウソがある。当面はボーっとして生きるのは無理なようです。

「消費税は低所得者の負担感が大きい。企業減税しなければいい。所得税の累進率を高くしろ」(某野党)
「高齢者就業を促進するのは、少子高齢化社会を作った“つけ”を国民にまわしているだけ」(71歳・男)

政府批判は許される。国家財政の赤字は運営者たる国家に責任がある。でも国家に予算を要求したのはだれでしょう。私は消費税率を上げることに賛成です。一方、累進課税を強めることにも賛成です。

政府が少子高齢化を防ぐための有効な手立てを打てなかったのは事実です。でも「少子高齢化社会を政府が作った」は言いすぎでしょう。セックスが面倒と思う人はまだ少ないが、結婚が面倒と思う若者は着実に増えている。便利で快適な生活の中、唯一残っている面倒が子育て、ということかもしれませんよ。

税金は少ない方がいい。だれもが願うことだが、そのためにはどうすればよいのか。

減税を求めるならば、政府に無駄遣いをさせないという発想が必要だ。無駄が多いから予算額が積み上がる。あなたが自分の利益に執着するのならば、なおさら無駄遣いチェックという政治的関心を持つべきだ。

政策の不手際により、国家賠償の支払いを余儀なくされることがある。これも国家予算からの支出であり、税金が使われる。謝罪する首相を冷やかしている場合ではない。国が不手際を犯さないよう監視することも、増税圧力の緩和につながる。
そして、国に戦争という判断をさせてはいけない。厖大な軍事費が国民にのしかかる。

国にできることは限られるとの“あきらめ”も重要だ。施策充実や予算要求だけが政治活動ではない。政府への要求を減らす運動もりっぱな政治活動である。減税につながるならば、他の有権者も動かせる。

助成金の使い方では怪しいものがたくさんある。たとえば商店街への助成では、結果的にシャッター街となってしまった例が多い。高度成長期には、なんとなく店開きして、言われるままに仕入れて、売ってやるみたいな態度でも商売が成り立った。
他にも、就業時間の半分はボーっとしていられる職場の延命に手を貸してきた。

社会全体は豊かになったが、それなりの職を得なければ「豊かな社会」に参加できない時代になった。高給を得るには才覚が必要なのは昔と変わらないが、充分な収入を得るにもそれなりのしたたかさが必要となった。ボーっとしていてもそこそこの収入が得られた高度成長期とは違う。

もしかしたら、社会が発達すればするほど格差が広がるのかもしれない。才覚の差が明瞭に判別できるようになり、ストレートに収入に反映、凡人はすべからく低所得に甘んじなければならなくなる。

であるならば、凡人としては、社会の発達を止めなければならない。もっと言えば、発達しすぎた社会を破壊することで、凡人たちが活躍する世界が復活する。ボーっとしていても生きていける時代の復活は難しいが、少なくとも格差は縮小する。

機械化・自動化を不能にしてしまえば“知性は平均以下だが、体力だけには自信がある”人たちが活躍できる。
医療の高度化を阻止すれば、“知性では劣るが生命力に優れる”人たちが生き延びる。
社会秩序が崩壊すれば、争いの絶えない世の中になり、身体の頑強さが尊重されるようになる。

ポピュリズムの台頭には、そんな気分が隠されているのかもしれない。

おっと、話の方向が急カーブして選挙から離れてしまった。ただ、どうでしょう。社会制度が発達し、科学が進歩して便利で快適となり、面倒が少なくなっても、同時に格差が拡大するならば、そんな未来は拒否するという政治判断があり得ます。

科学技術に予算を投じるな! 医療なんか高度化しなくてもいい! 社会福祉なんか最低限でいい! そんなことよりも、所得格差の縮小や、生活水準の平等が実現される方がよい――といった考え方もりっぱな思想でしょうし、政治的意見ですよね。

人間本来の欲求である豊かさの実現を否定するような思想がなぜありえるか。“みんなといっしょ”が大好きだからです。豊かさよりも平等を好む人が多数派だからです。劣等は屈辱であり、格差は苦痛であり、疎外は最大の苦悩だからです。

ともかく、政治は自分の利益に直結し、選挙は生き方の選択を迫るものである。

「立法府の力が衰え、行政府と官僚が力をもつにつれて、デモクラシー国家の議場の中での討論は不愉快で意味のないものになる」とは、マイケル・イグナティエフ氏の言。
日本の国会を評したわけではない。ひと頃のカナダ政界の話である。どの国でも起こり得る事態のようです。

イグナティエフ氏は政治学者から下院議員に転身し、カナダ自由党の党首にまで昇り詰めた人だ。だが2011年に落選し、政界を引退。
上の発言は、その顛末を克明に記した『火と灰 アマチュア政治家の成功と失敗』の中の一節である。カナダ政界の動きを詳述する部分は退屈だが、学者らしい鋭い分析がちりばめられている。

強力な行政府を作り出したのは、もちろん有権者だ。国民すべてに選挙権を与える民主主義国家であれば、“国民の仕業”と表現してよい。行政府が強くなりやすい選挙制度というものはあるが、いずれにしろ、国民が与えた力であることに変わりはない。

ではその選挙の様子を、イグナティエフ氏はどう見たか。
「政治の世界では、本当のメッセージは身体的であり、瞳や手によって伝達される。何を言おうとも、身体がメッセージを、すなわち あなたは私を信頼できるというメッセージを伝達しなければならない」

地元に足繫く通い、寄合いのような小さな会合にも顔を出し、有権者との接触を重ねる人こそ選挙で勝つ。そんなドブ板選挙が通じるのは日本だけではないようだ。人柄が分かる近しい人間、つまり仲間こそが自分たちの代表にふさわしいと感じる。そんな投票行動が一般的なのは万国共通。

カナダの有権者は「誰もが、どの人間が信頼に値するかどうかを決定する能力については、それなりの自信を持っている」らしいが、日本とも共通する部分があろう。

有権者の多くは、個々の政策について意見や感想を述べつつ、正確な評価を下す自信がない。専門家に任せるしかないと思っている。そこで、選挙では人物そのものに目を向けることになる。
身体的メッセージに頼る人物評価は、多分に感覚的なものとなる。しかし有権者は感覚だけの判断を卑下しない。感覚は絶対であり、感覚を疑うことは自分への裏切りとなるからだ。

そんな有権者たちは、立法府の力が衰えることに危機感を抱かない。国会で不愉快な言葉が飛び交い、議員たちが意味のない論争に終始しようとも嘆くことはない。政策に無関心というより、関心の向け方が人物本位なのだ。だれが雄弁だったか、だれが攻められたか。だれが優位か、だれが劣勢かなどに、より関心が向く。

そして、強い政治家にあこがれに近い好意を示す。イグナティエフ氏は次のように解説する。
「人々は、自分の守り方も分からないような人物を支持しようとは思わない」

プロスポーツの世界で常勝チームが人気を博すのとほぼ同じ。高齢者たちの青春時代は「巨人、大鵬、卵焼き」だった。今も、強いチームが観客を増やし、強い選手の出場する試合が高視聴率をとる。

政治を勝ち負けという観点でながめているだけの有権者にとっては、攻められて謝罪を繰り返す行政府は好きになれない。責められる場面の多い内閣は支持率が上がらない。

ただ、政治での勝敗はスポーツと異なり、仲間の数で決せられることが多い。政治の世界は“数は力”が基本である。自分を守るためには言い訳に説得力を持たせる必要があるが、それ以上に重要なのは、味方となってくれる仲間を増やすことである。従わせる能力と言ってもよい。

多数派政党に所属していた方が自分を守りやすい。なので多数派政党に所属したがる議員が増える。有権者も党員になりたがる。ますます選挙に強い政党となる。有権者の人気も増大していく。こうして多数派政党に支えられた行政府は絶大な力を持つようになる。

こうような循環が続けば、いずれ絶対権力が形成されるが、普通、絶対権力は永続しない。権力を手にした人間が腐敗するだけでなく、内部分裂しやすくなるからだ。絶対多数となればなったで、今度は、内部での多数派工作が始まる。結局、同じことの繰り返しだ。

イグナティエフ氏も、党派内での主導権争いを経験した。そこで得た教訓とは…
「真の政治家には、永遠の敵を作ることなどできないのだ。デモクラシーが要求する仕事をしようとすれば、対抗者を仲間に引き入れる必要もあるのだ」

思うに、多数派を形成するという行為は単純なものではない。多くの人が持つ感性や価値観に合わせていればよいというものではない。感性や価値観は移ろいやすく、求められるリーダー像も状況によって変化する。また、情勢が安定するほどに変化を求める人が増え、権力争いにうつつを抜かす輩が出現しやすくなる。

豊かさの実現も、人々を良識ある有権者に導かない。生活が快適になるほどに、不快を嫌う人間を増やす。不快除去が最優先という価値観は政治にも反映され、“不正は許しても不快は許さない”という投票行動になる。

民主主義が成熟すれば政策に対する見識を備える人が増える―なんて期待も幻想に終わる。良心的な官僚が懸案事項を半分に減らし、実行力のある政治家が重症の問題を軽症に抑え込んだとしても、対抗者は「何も解決していない」と叫ぶ。識者やマスコミも「すべてが解決したわけではない」とくさす。庶民の味方を気取りながら…

一方、無責任で判断力に欠けるリーダーが問題を悪化させても、リーダーは「原因は外にある」と強弁することで地位を守る。有権者も判断力に欠けるから、リーダーの強弁に呼応してしまう。

仲間を増やし、多数派を形成する能力は、政治家の生命線であることは認める。しかし、それが単なる感覚的な誘導というテクニックでしかないのなら、政治ゴッコの域を出ない。願わくば、多数派形成のためには、真摯な姿勢から生まれる“高度な説得力”が最も重要と言われるようにならんことを。

2,000万円騒ぎがうるさい! 年金だけでは老後の生活費がまかなえないから自己資金として2,000万円ぐらい必要、というアレである。
メディアは、生活に困る高齢者世帯が増えるというニュアンスで、連日、騒ぎ立てる。
野党は、年金制度は「100年安心」ではなかったのか!ウソだったのか!と政府を責め立てる。

ホントに世話が焼ける日本人だぜ。いつから老後の生活まで国に依存するようになったんだ。情けない。

私の友人も、おまえの老後は大丈夫なのか?というニュアンスでこの話題を振ってくる。たしかに関心の高いテーマであろう。以前、会社員生活からドロップアウトした別の友人からも、どのくらい貯めておけばいいと思う?と尋ねられたことがある。

週刊誌が定期的に取り上げる話題でもある。その友人が、「老後資金は5,000万必要らしい」との情報を仕入れてきたのは何年も前の話。出費の内訳は説明してくれなかった。高級老人ホームにでも入るつもりかと思った。このときも、金額だけがひとり歩きしていた。

1,000万円ぐらいあれば十分な人もいるはずだ。生活費は人それぞれ。生活の仕方で平均の二倍にもなるし、半額にもなる。
そんなに心配なら、生活費を洗い直し、節約に努めることだ。金を貯めることを最大の目的に生きればよい。

しかし、2,000万円騒ぎに過剰反応する人に限って家計簿さえつけていない。しかも普段の出費はルーズ。
その友人は、私に数百円おごってもらうだけで狂喜するが、持て余すような家を買ってみたり、見栄でクルマを所持してみたり…。自炊せずにファミレスに通い、趣味はパチスロだとさ。

親類にも、子供の教育費などに苦労している割に計画的な支出という考えに欠ける人がいる。専業主婦なのに家計簿をつけていない。住宅ローンを抱え、旦那に70歳まで働いてもらわないといけないと言いつつノンキだ。

住宅ローンといえば、前の職場の上司に、バブル期にあわてて持ち家を購入した人がいた。当然、高値づかみで長期ローン。でもクルマはプリウス。テレビは4K40型。それでいて後輩に飲食代を余計に払わせようとする。

計画性のない人たちは、見栄っ張りで無駄遣いするくせに、他人より得することが大好きだ。

それでなんとかなってきた。家計のことをあまり考えなくても、それなりに生活できた。だから、将来設計を立てるという発想が湧かない。年金があればなんとかなるだろうという気分のまま、老後を迎えることになる。

もちろん、老後の費用を正確に想定することは難しい。医療や介護にどのくらい出費することになるのか。何歳まで生きるのか。だれも答えることはできない。
想定し得ることすべてに備えるなんてことになったら、資金はいくらあっても足りない、という思いも正しい。

しかし、だからこそ、ある程度の計画を立てることに意義が出てくる。生活費は世の中の平均ではなく、あくまでも自分にとって必要な出費を思い描いてみる。現在の生活費を把握すると同時に、節約できる部分を見極める。そこから、抑えたくない支出だって浮かび上がってくる。

そんな計画的思考を経て、万が一の出費は他人に頼るしかないとの諦めが成立する。親類縁者に頼る、保険に頼る、行政に頼る…。事態によって頼る先は違ってくる。

年金も実は保険である。年金給付金は現役世代に頼ることになる。あなたが納付した年金保険料は、上の世代に使われてもう無いのである。
ご存じのように積立金はある。そこからの充当はある。だが制度としては、あくまでも仕送り方式なのである。

年金制度は、計画性のない人が最も必要とするものであろう。計画性のない人は目先の欲望をかなえるために散財しがちだ。老後資金を貯めておくことができない。だから保険料納付を法的に義務付けることによって、老後の資金を確保するよう仕向けるしかない。

貧乏人には保険料納付はつらい。でも年金給付には国庫負担があるから、低所得者には比較的有利な制度と言える。国庫の原資は税金である。つまり、納税額が低い人の年金には、他の国民が収めた税金が充当されている。早死にしなければ、収めた保険料以上の給付金が得られるのはこのためである。
(ただし、少子高齢化が今より進んだ未来は、少しヤバいことになりそうだが…)

制度のことはともかく、年金だけで老後が過ごせると思っていた人なんて、無計画な人生を歩んでいる人たちだけだろう。
弱者に寄り添うことを使命とするマスメディアが騒ぎ立てるのは分からないでもないが、計画性の無さによって窮地に陥る人というのは、本当に弱者と言えるのか。少なくとも生活者としては低レベルだ。そうした人たちをも救済しろとの論調は、一般の人たちを低レベルな生活者に誘導することにならないか。

政治にも似たような誘導がある。弱者救済は政府の義務であるが、“頼りになる国”を演出したいあまり、怠惰な人たちさえも守りますといったポーズをとりがちだ。与野党の政策合戦でも、“こちらの水の方が甘いですよ”といった競い合いになりがち。

こうして、国の施策に頼り、政府に甘える国民ばかりとなる。計画性の無さを反省する機会を失い、面倒なことは考えない方向に進んでいく。低い保険料で充分な給付水準を実現しろ!などと言いだす国民が増えていく。
もちろん理想は追求すべきだ。だがそれが無謀な要求であるならば、それを知らしめ、説得するのが政府だけでなく、マスメディアの役目だろう。

無計画に散財する人が増えることでGDPが増えていく…とでも思っているのか、どうも国民を愚鈍にさせる機能が民主主義には備わっているような気がする。我々は、そのことに自覚的でなければならない。

「決断するのは性格に合わず、裁判官ではなく弁護士になった」とドイツの政治家グレゴール・ギジは言う(201803glove)。…なるほど、そんな考え方もあったか。

ギジ氏は、弁護士活動を経て、ドイツ統一後に政治家になった人だ。政治家には決断がつきもの、決して他人の判断に身を任せるタイプではないはずだ。ここで言う「決断する」とは、罪科を決めたり、正否の判定を下すぐらいの意味だろう。他者を裁くよりも、他者を弁護する方が性に合っていた。

ということは、他者を裁く方が性に合う人が裁判官を目指すのだろうか。ただ、そのような自覚を持つ職業裁判官は少ないように思うがどうだろう。裁判官の知人がいれば尋ねてみたいが、あいにくいない。

思想信条が明確な人はいる。自分の価値観に絶対的な自信を持つ人はいる。そうした人たちは、使命であるかのように他者を裁くだろう。実際、しばしば他者を断罪する。反対に他者を称賛するときも手放しだ。その判断は揺るぎない。
しかし、そうした人たちが、公平な判断が求められる裁判官を目指すとは思えない。

自分の判断を広めたり、従う人間を増やすことが好きな人はいる。裁判官が性に合っているように見える。しかしこの性格も、裁判官になる意志に直結しない。裁判官は、判定を下す立場であると同時に、自身も公平なジャッジをしているかどうかを世間に判定される立場でもあるからだ。

欧米の裁判では、一般市民が審理に参加する。特にアメリカの陪審制では、陪審員となった一般市民だけで審理が行われる。職業裁判官は、有罪と評決された被告の量刑を決めるだけである。ここで期待される裁判官の職能とは、過去の判例を参照しながら、罪状に見合う量刑を導き出すことである。

日本でも十年前に、無作為に選出された一般市民が審理に参加する裁判員制度が始まった。量刑も裁判官と合議で決める。対象となるのは刑事裁判の一部に限られ、二審は裁判官だけの審理になるが、一部とはいえ市民感覚を裁判に反映させることが可能になった。他者を裁く権限は裁判官が独占するものではなくなった。

裁判員制度の運用上の問題として、栽培員を辞退する人の増加が挙げられる。今や、三分の二が辞退を申し出るという。無断欠席者もかなりいるようだ。世論調査では約8割が「審理に参加したくない」と答える。

ほとんどの市民は「判断する自信がない」のである。他者を裁くことが性に合う人というのは、一般市民の間では異質な存在と言ってよい。

日常生活でも、独自に判断して行動する人というのは少数派ではないか。
2月に新聞で見た投稿には笑った。
<会社の先輩は長女。上手に仕事を教えるのに、他人に指示されるとイラっとするらしい。次女の私は、指示されると安心する。履歴書にきょうだい構成の記入欄があればいいのに、と思います>

他者の判断に身をゆだねることが性に合う人がいることで、世の中は上手く回っている。
人に任せて文句を言うだけの受け身な有権者が多数いることで、政治的混乱は抑制される。
他者の願いをかなえたり、施しを与えることに愉悦を覚える人いてこそ人間関係が育まれる。

「判断できない」とか「主体性がない」と非難するのは簡単だが、人間集団の形成には、そのような人たちが不可欠である。社会を成り立たせるための役割分担とさえ言える。

裁判員制度は司法を民主的なものにする。しかし、裁判官が性に合わない法律家がいるように、一般市民すべてに公平な判断を下す立場を求めるのは無理がある。

司法を「民主化」してはならないと主張する学者がいます。
<裁判員制度は国民の司法参加によって、司法を法の支配ではなく、多数の支配のための機関に変えてしまいました。これでは、三権がいずれも多数支配の原理によって運用されることになり、権力の抑制・均衡が働く余地がありません>(斎藤文男『ポピュリズムと司法の役割』)

判断を下す自信がない一般市民が裁判員になったとき、頼るのは世相です。世の中の多数派が納得するような判定を下すしかない。いきおい情緒に流されることが増える。情緒こそ市民感覚のもっともたるものだからだ。裁判員制度を導入する意図と矛盾しないが、多数派による断罪となる恐れは強い。

もちろん職業裁判官の判断にも世相が反映される。市民感覚を無視するようでは裁判官失格である。法律が改正されるように、判例も時代と共に変容してよい。ただし、より正義に近づくよう変容する必要がある。

裁判官は、永続性のある正義に基づき公平な判断をする義務がある。その上で、己の名誉にかけて判決を下す。それでこそ、裁判官としての地位が約束される。
そんな覚悟は裁判員にはないだろうから、自分の判断が将来あるいは二審で覆されても傷つくことはない。裁判官と違って、永遠に匿名の判事のままでいられる。

アメリカの陪審だって問題を抱える。以前、有名なプロスポーツ選手の犯罪審理で、刑事と民事の評決が異なることがあった。一方で有罪、片や無罪。なぜ逆転したか。弁護士の力量ということらしい。陪審員は自分の心情に重きを置いて判断するから、いかに彼らの情緒に訴えるかが勝負となる。事実よりもプレゼン力!

人間の判断から情緒を排除しろと言っても無理だ。裁判官だって人の子、一般市民に劣らず情緒が判定に影響する。日本の民事では“公序良俗”というあいまいな概念で判定されることがあるし、“社会通念”なんて言葉も多用される。それでもなお、裁判官は冷静さを失わず、ときには多数派に対峙する覚悟で、時間の経過に耐えうる判決を下そうと努力する職業意識を持つ、と思いたい。

司法を「民主化」してはならないとの意見に、私は賛同する。

消費税の増税を再々延期するのではないかとの憶測が流れる。政治部の記者たちが描くシナリオは、安倍首相が再々延期の是非を国民に問うとして衆議院を解散し、7月に衆参同日選挙を行うというもの。
記者たちは、まるで延期を煽るかのように、首相や官房長官に、予定通り増税するのかと再三尋ねる。

記者たちの思いは分からないでもない。政府は、リーマンショック級の事態が起こらない限り再延期はないとの約束をあっさり反故にしている。「新しい判断」だと称し、国政選挙で国民に判断を仰げば公約違反も許されるとの理屈だった。二度あることは三度あるである。

民主主義を絶対視するならば増税はなしだ。増税を喜ぶ国民なんていない。野党もそれを知るから、我が党こそ国民の味方だとばかりに、こぞって「増税したら大変なことになる」などと主張する。

政府は今回、増税後の消費減退を緩和すべく、さまざまな対策を準備している。食料品に対する軽減税率導入だけでなく、商品購入代金の2%分をポイント還元するだの、商品券を配るだの、住宅ローン減税を拡充するだの…。経過措置もたくさんあり、行政経費の増大が心配になるほどだ。

増収分の使い道もすでに決まっている。社会保障の充実に使うのは前回同様だが、今回は保育費や高等教育の無償化が加わる。恩恵を受ける国民は少ないが、金額は大きい。いきおい、財政赤字を減らすという本来の目的から遠ざかる。
軽減税率によって当初の見込み額から1兆円程度減ることを考え合わせると、心もとない増収効果である。

なんか、計画性のない家計を見ているようだ。浪費癖のある家人は、後先考えずに、金を使ってしまう。おかげで収支は赤字だが、そんなことも忘れ、収入が増える見込みの段階で、早々に新たな使い道を考え始める。初めてこずかいをもらう小学生じゃあるまいし、自制心というものがまるでない。

増税延期となれば、滑稽さはさらに増す。商品やサービスを物色し、購入を通知し、支払いを約し、後戻りできなくなったところで収入が消える! 小学生なら泣いて許されるかもしれないが、そうはいかない。

支出への執着あるいは無駄遣いは、民主国家の宿痾かもしれない。人間集団特有の問題でもあろう。人はしばしば、集団となった途端に幼稚で無責任になる。恥ずべき幼稚な振る舞いも、みんなといっしょだと臆することがない。集団の一員としてなら無責任な行動も平気になる。不良少年はたいてい集団で悪さをする。

<赤信号 みんなで渡れば怖くない>である。赤字に鈍感になった国民は、財政の赤信号を無視して、遠慮なく集団使い込みに走る。みんなのお金となった税収に、オレもわずかだが拠出したとの言い分を掲げ、寄ってたかって食らいつく。他の納税者に対する感謝はなく、使う権利ばかりを主張することになる。

ところで税金の使い道となると、なぜだか“政府に要求する”という構図ばかりが強調されるが、とても違和感がある。たしかに政府は予算を差配する権限を持っている。しかし国家予算を決めるのは国会だ。国会議員は国民の代表であり、国民の意向を忖度して議事に反映させる役割を担う。つまり税金を使いたければ、本来は国民の理解を得ることの方が大事だ。

たとえば著名な学者たちが、基礎研究に予算を投じるよう訴えている。しかし、実需に結びつくかどうか分からない基礎研究なんて、借金大国が無理してやることではないと、国民の大半から言われれば引き下がるべきだ。
芸術分野への助成も同じ。
日本人がノーベル賞を受賞したり国際映画祭で優秀賞を獲得するのは誇らしいが、受賞は助成の目的ではない。
納税者に対する認識に欠けるから、国の助成=国のおかげのようなすり替わりが起きる。

国のおかげなどとは口が裂けても言わない是枝祐和監督の認識も似たようなものだ。
昨年、カンヌ映画祭でパルムドールを受賞した『万引き家族』に対し、ネット投稿者などから「文化庁の補助金を受けていながら日本の恥部を描く反日映画を作った」との非難があった。

これに対する是枝監督の主張は明快である。「補助金をもらって政府を批判するのは真っ当な態度なんだ」という価値観を定着させたいとし、「公金を入れると公権力に従わなければならない、ということになったら、文化は死にます」と訴える。(180625)

私は是枝監督に賛同するが、この主張も、国民の大半から否定されれば「死にます」。補助金の原資が税金である以上、文化に公金を投じることの是非も国民の意向を無視できない。

でもまぁ、なんだなぁ〜、国民の意向を尊重しすぎたばかりに、日本は借金超大国をなってしまったわけで…。「原資は税金である」と書いたが、日本はこの論拠を失いつつある。
近い将来、国民に問うまでもなく、基礎研究や文化に公金を投じる原資がありませ〜んとなりそうだ。
すでに、労働力を確保しないと経済が維持できない、あるいは子育て環境を改善して出生率を高めないと国家の存続があやぶまれるといった危機感が漂う。
戦争論を唱える人たちも危機感を持つべきだ。借金超大国のままでは、戦費がありませ〜んとなりかねない。

ところがどっこい、海の向こうからヘンテコな経済理論が舞い込む。現代金融理論(MMT)と称し、「インフレを招かない限り、財政赤字は心配ない」と説く。アメリカの経済学者の間で一つの勢力になっており、なんと、その実例として日本の財政が挙げられているそうだ。
これには積極財政論者のポール・クルーグマンもビックリ。IMFが否定し、主流の学説にはなりそうもないが、財政赤字の擁護に使われかねないし、危機感を緩和させる効果がある。いやはや恐ろしい。

人間は集団になると経済政策でも間違える。このことを理路整然と説く経済学者が増えてほしいものだ。広く集めた金を集団で使うとなると、途端に幼稚さが露出し無責任がはびこる。そうした実例は古今東西いくらでもあるではないか。
借金による積極財政も超低金利政策も、一時しのぎのカンフル剤でしかない。カンフル剤は常用によって耐性がつき、麻薬と化す。身体がボロボロになろうとも、麻薬は死ぬまでやめられない。

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