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反論、質問受け付けますが、何せ思いつくままなので

政治・政策

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首相が「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と叫んだ7月の都議選では、自民党は負けてしまった。でも今月の総選挙では、「こんな人たち」に勝つことができました。

首相は「安部やめろ!」などと誹謗する人たちを、「こんな人たち」と指弾しました。たしかに首相個人や自民党政権への批判活動が本業のような人たちがいます。生き甲斐のように情熱を燃やす人たちがいます。首相が「こんな人たち」と表現したくなる気持ちも分かります。

対する首相も情熱的です。ときに、批判は一切受け付けない!ぐらいの勢いで反駁する。きっと、批判がましいことを公言する人たちすべてを「こんな人たち」と思っている。

首相は以前、特定のメディアを取り上げて、報道の仕方が公平でないと苦情を述べたことがあります。首相からすれば、それらのメディアは政権批判に情熱を燃やしているようにしか見えない。「こんなマスコミ」にも負けるわけにはいかない。

マスコミは、権力監視への役割意識が強く、常に批判的です。政策のデメリットを言い立て、副作用を書き連ねます。運用上の危惧も示す。権力者を疑い、性悪説を前提とした論を振りかざす。

国民の中にも、社会のマイナス面をすべて政治にせいにする人たちがいます。経済の不振も、福祉の不足も、財政の危機も、治安の悪化もすべて政治のせいというわけです。個人的な不幸さえ政治のせいにしかねない。

「すべては政治が原因」と考える人たちと、批判的なマスコミが呼応し合うと、政権批判のうねりは大きくなります。首相にとって、批判的マスコミに同調する国民も「こんな人たち」の範疇に入るはずです。

一方、内閣を支える官僚たちはどう思っているのでしょう。その心境は少し複雑です。政府の努力を一顧だにしない我がままで無責任な国民、あるいは主体性のない国民との見立てがある反面、従属させやすい国民とも映ります。主体性がないからこそ、社会情勢の好転を政府のおかげと思わせることができる。

官僚たちはまた、すべての国民を満足させる政策はありえず、あちら立てればこちら立たずとなりやすいことを承知している。法案は、デメリットや副作用などを勘案した上で、便益の方が大きいと判断して作成している。だから、ほとんどの批判は想定内。批判が大きくならないことに腐心するだけのことです。

首相をはじめ行政府内で働く政治家たちは、これまで、そんな心境の官僚たちと一体化しながら政府を運営してきたが、どうも最近は違うようだ。批判を鷹揚に受け止められない。マスコミは批判活動が本業だから仕方ないとはならない。どうしてだろう。

子供っぽい性格だからでしょうか。一つの解答ではありましょう。子供は自分に自信がなく、批判に対してとても敏感です。自意識過剰な青少年にとって、自分への批判は人格の否定のように聞こえる。だから感情的に反発するばかりで、冷静に反論できない。

面白いのが、そんな子供っぽさを国民の多くは否定的に見ないこと。感情がすぐに表に出るのは素直である証であり、隠し事ができない好ましい人間性と捉える。
なぜ好ましいのかというと、自分と似ているから。自分と似ている人間がリーダーに就く、それは自分自身への肯定につながります。

豊かになればなるほど子供っぽいままでいることが許される社会になる。そこで普通選挙をやれば、幼稚なリーダーが選出されやすくなる。海の向こうでは、粗野で気まぐれで無責任に見える人物が大統領になったが、有権者の人間性を反映していると言えそうです。

政治家が情実で制度を捻じ曲げ、返答に窮する場面に追い込まれ、言い逃れを繰り返しても、イメージはマスコミが思うほど悪化しない。これも同じ理由です。国民の多くがやりがちなことだからです。

なお、子供っぽさが肯定される社会では、人間的に成長することは“悪”です。「お前は変わった」と非難されます。狡猾になったとさえ思われますので注意しましょう。

庶民はエリート官僚が嫌いです。自分と違うからです。その人間性が理解できないからです。頭の良さを使って自分が有利になる事ばかりを画策している、と想像しています。

実際、バブル時代には官官接待が横行し、天下りが拡充しました。贈収賄事件などもありました。これらの不祥事を経て、公務員制度改革の必要性が政治課題となっていきます。しかし官僚内閣制と揶揄されるくらい政治に介入してきた官僚たちの抵抗は激しく、公務員制度改革は簡単には進まなかった。

でも安倍政権が実現します。内閣人事局が2014年5月に設置され、官僚の幹部人事を政治主導で決められるようになった。内閣人事局長は内閣官房副長官が務めますので、事実上、首相官邸が人事権を掌握する制度です。官邸に逆らう官僚は降格されます。

人事権の掌握は強力です。官邸機能は強化されました。首相が強気になる下地となった。「批判を鷹揚に受け止められないのはどうして?」の解答のひとつに、この人事権掌握があるような気がしてならない。

官僚は首相の意向を忖度(そんたく)しながら仕事するようになる。首相の情実に手を貸す。その一つが「もり・かけ疑惑」というわけです。

公平性に欠く国有財産の引き渡しや許認可は大きな政治問題ですが、国民の多くは驚きませんでした。実際、選挙にあまり影響しなかった。自分たちも人情を尊重する生活をしているからでしょう。

選挙で議席数を確保し、官僚も牛耳れるようになった。逆らうのは在野の活動家だけ…。こうして首相の頭の中では、批判者は、「こんな人たち」と指弾できるくらい小さな存在になった。

ある女性(24歳)の「その一票、いらないなら私にくれと言いたくなるぐらいだ」との嘆きに思わず笑ってしまった。家族が政治にも選挙にも無関心らしい。

<18歳になった弟はまるで興味なし。母も「こんな選挙は行きたくない」といい、番組が政治関連になるとテレビを消す。私が父に「自民党と希望の党は同類ではないか」と問いかけても笑って受け流される>20171016

日本では選挙権行使は義務ではない。選挙権を放棄することは許される。「どうせ投票したって大勢に影響がない。投票所に足を運ぶだけ労力の無駄」と考える人を説得するのは難しい。政治に興味がない人は、自分の政治判断に自信がないから、なおさら腰が重くなる。

もしかしたら「間違った判断の基に投票したら、政治に悪影響を与える」と思っているのかもしれない。

実際、投票する際の判断がおかしな人は多い。たとえば有名なスポーツ選手やテレビタレントに投票する人たち。政治経験のない彼らがいきなり代議士になって、どんな政治活動を期待できるというのか。

過去には、政治家としてそれなりに活躍した俳優などはいますが、ほとんどのタレントは、人気投票のような集票力を政党に利用されているだけ。満足に国会質問もできず、党議拘束に従うだけの議員になる。

あるいは世襲議員。親の地盤を引き継ぐ二世三世も知名度だけで当選してくる。事前に議員活動の予習を済ませているので、振る舞いこそそつがないが、能力に疑問符がつく議員が少なくない。

ルックス重視で選ぶ有権者もかなりいる。ミーハーな女性の選択眼は、まず容姿から入る。ほとんど無意識に若々しく整った顔立ちに目が行く。その笑顔に魅了され、渋面のりりしさに心奪われる。好みの歌手への視線と重なり、その評価において楽曲が二の次であるように、政治家が掲げる公約などには無頓着。

男性にとってもイメージは重要で、美人候補者への評価は甘くなる。一方で、威勢のいい男こそ代議士にふさわしいなんて発想を抱きがち。

>そんな幼稚な判断ばかりしていると、選挙権を取り上げるぞ! 
>国家運営を任せる人物を選ぶための投票権であることを忘れるな!

――と言いたいところですが、国民主権を否定することになるので口にできません。考えてもいけません。

思えば、戦前は女性に選挙権はなかった。男性の選挙権も長らく条件付きだった。1925年以前は、一定額以上の税金を収めた25歳以上の男性のみに選挙権が与えられた。戦後(1945年)になって初めて、満20歳以上の男女全てが選挙権を得る。つまり、戦後72年とは、男女平等の普通選挙になって72年ともなるわけです。

普通選挙といっても制度の内容によって民意の反映の仕方は変わります。一票の格差が今以上に大きかった昔は、人口の少ない農村地帯の民意が反映しやすかった。小選挙区制を取り入れて以降は、政党や党首の評価が議席数に反映しやすくなった。

世界を見渡しても選挙制度は多様で、民主的と言われる国家でも違いが大きい。一党独裁になりやすい国もあれば、多党連立が常態の国もある。それぞれに一長一短があり、正解はない。

とはいえ、すべての国民が意思表示できることに変わりはない。日本は小選挙区制と比例代表制を合わせた制度だから、政党別の得票数がそのまま当選者数に比例するわけではないが、それでも政党や候補者への支持をはっきりと示せる。落選した候補者の獲得票も、明確な数値として公表される。

白票や棄権もそれなりの意思表示だ。支持したい人や政党がないことを伝えるためだったり、判断は他の人たちにお任せしますだったり…。選挙制度そのものへの疑義からの棄権もあるでしょう。

選挙制度そのものが選挙の争点になってもよいわけですが、最近はあまり話題にならない。一票の格差を是正するように裁判所に勧告されているが、中選挙区制に戻そうなどの声は小さい。

民主主義である以上、選挙を棄権する有権者も責任の一端を担うことになります。いじめ問題における傍観者に近い。政治が暴走するなら、傍観姿勢の有権者がそれを助長していることになる。

でもまぁ、ほとんどの有権者は責任を負うつもりはないでしょうね。うまく国家運営してくれと委任しているだけとの意識。できれば自分に有利に運営してくれればありがたい、といったところでしょう。

政治に無関心な人は、特に依存心が強いはずだ。日常生活でも責任を取るという立場に慣れていない。凡人であるとの自覚ゆえでしょうし、その謙虚さは優れた人間性のひとつですが、“子供の無責任”にも通じる。

そういう人は、自分の愚かな判断を反映させないとの思いとともに、政治が犯す間違いの被害者になることを受忍するつもりなのでしょう。人間社会は、こうした受け身の姿勢を頭から否定することはない。

間違いを繰り返す政権をつくった責任を、有権者が完全に引き受けることになった先には、本当に「選挙権を取り上げる」という事態がやってくるかもしれません。民主主義の実現によって、やっと手にした選挙権ではあるが、間違った判断ばかりの有権者は排除しなければならないという風潮になるかもしれません。

たとえば、第三次世界大戦が勃発したり、核戦争が頻発したり、民族間の虐殺が横行したらどうでしょう。それらを主導するのが民主主義国家だったらどうでしょう。普通選挙が巻き起こした混乱であると解釈されれば、凡人に選挙権を与えることの是非が問われることになる。

政治家を養成する学校を優秀な成績で卒業した者だけが立候補でき、政治検定試験をパスした者だけが選挙権を得る――そんな世の中を、冒頭の女性の家族は、きっと受け入れる。

また選挙かよ〜…と思わずにはいられない。そんなに森友・加計疑惑を追及されるのが嫌なのか。さすがお坊ちゃま。非難される立場が大嫌い。ならなんで首相になんかなったのか。

でも、選挙が終われば国会は開かれ、再び追求される。野党が消滅しない限り、逃げることはできない。嫌なことは先延ばしという対処は心の弱い人間の常套手段ではありますが、普通、状況は悪化する。首相の思惑としては、選挙で大勝すれば追求を蹴散らすことができるということなんでしょうが…

そんな首相のことより気になるのが、なんか、みんな楽しそうなこと。「また選挙かよ〜」とは思っていないようだ。「必然性のない解散」と知りつつ、選挙という行事を歓迎している。

役者がそろっているからだろう。強権を手にする首相、首都を牛耳る党首、リベラルを象徴する党首。他にも、大阪で地位を築いた政党、老舗の左翼政党が勢力拡大を模索している。

まるで三国志、あるいは戦国絵巻…。大衆は好きですよね、こうした勢力争いを見るのが。私も若い頃、吉川英治版三国志を熱心に読んだ口です。誰が勝つのか、誰が強いのか、どんな戦法が繰り出されるのか、どんな戦略が勝利に導くのか。そしてなにより、傑出した人物の活躍に心を踊らせた。

みんなが選挙を楽しんでいることに共感できる私ですが、そんなんでいいのか、という思いも強い。

選挙は主に政策を争うものだが、争点がはっきりしているから選挙が盛り上がっているとは思えない。一応、各政党とも自分たちの政策を強調する。選挙で政党の武器となるのが政策であり、マスメディアが盛んに取り上げるのも各党の政策である。その違いを解説することに力点を置く。

ただマスメディアも分かっている。有権者は解説などより党首の演説風景を見たがることを。顔の売れた議員の選挙報道の方が視聴者や読者の関心を呼ぶことを。

国家の行く末を占う重要な選挙である。今回は新たな政党が注目を集め、一定数の議席を獲得しそうである。報道機関が熱心に伝えることに異存はない。ただそれは、大衆の盛り上がりに同調しているだけで、マスメディアの姿勢が伝わったからではない。

大衆は政策に関心がないわけではない。むしろ関心を寄せている。ただ戦国絵巻を楽しむ上での関心、つまり、どういった政策が有権者の心をつかみ、有力な武器となっているかであって、決して、主体的に政策を選び取ろうという意志を持つ関心ではない。

言葉の応酬、非難合戦という構図は傍から見てる分には楽しいものです。さわやかな弁舌で聴衆を惹きつける弁士もいれば、激しい口調と表現の巧みさで魅了する演者もいる。劇場型選挙とはよくいったもので、有権者は候補者という役者たちの口舌、表情、立ち居振る舞いを観劇の気分で見つめている。

そうなんです。実は、有権者が劇場型選挙を望んでいる。識者たちは劇場型選挙に誘導する政治家たちを非難するが、有権者の欲求に沿うものなのです。

国政選挙の費用は600億円ぐらいらしい。ということは、総選挙とは、一億人が600円の観劇料を払って楽しむ大衆娯楽なのかもしれない。

もちろん政策について真剣に考えている有権者はいます。デモに参加するなど積極的に行動する有権者もいます。「デモしても主張を勝ち取れない」と嘆く人もいるようですが、それくらい情熱を傾けている。

でもそういった人の話を聞いていて気になるのは、いつも政治家批判であり、政権批判であることだ。それだけではいつまでたっても主張は勝ち取れない。政治家や政権を支えている土台に矛先を向けなければだめだ。つまり有権者です。大衆です。

大衆を扇動する。有権者を説得する。ときには政権を支持する有権者を非難するぐらいの気持ちで運動しないことには道は開かれません。政治家批判や政権批判なんてだれにでもできる。主体性のない人間ほど政治批判を繰り返します。かっこうの暇つぶしになるからです。気楽に、無責任にできるからです。

大衆を扇動したり説得することは極めて政治的な行為です。政治家にとって大衆は自分の地位を支える土台ゆえ、どう大衆を惹きつけるかが最大の課題です。だからこそ、政治家の行為を押しとどめ、政策を変更させるには、そこを突くしかない。

目には目をという戦略になりますが、政権を握っている者がもっとも嫌がる行為でもあります。だから強力な扇動者が現れると叩き潰そうとする。政権を維持するための必要条件とさえ言えます。その点、受け売りの政治批判に終始する人間は脅威ではない。仲間とデモするだけなら見逃してもらえます。

もっと言えば、「デモしても主張を勝ち取れない」と嘆く人も劇場型政治の一員でしかない。単なる観客では物足りなくて、“ちょっとだけ舞台に上がってみました”ぐらいの人です。

真剣に扇動家をめざすなら命がけです。「愚かな大衆よ、目を覚ませ」なんて演説したら、大衆を敵に回しかねません。卓越した説得力で大衆を味方につけたら、今度は政権側から目の敵にされます。

正義の味方でいられる心地良い立場が、政治家や政権を批判するだけの政治運動です。

ちょっと言い過ぎました。であるなら、政権批判だけの政党は信用してはいけないということになりかねない。選挙では、ある政党の政権批判に説得力があれば、その主張を受け入れてよい。政権の暴走を食い止めるとか、お灸をすえるぐらいの意味で野党に投票するのも有効な判断のひとつです。

なお私の関心事は「秘密保護法」の廃止。共謀罪や安保法を恣意的な運用に導く土台となる法だからです。

なぜ世界は右傾化するのか?についての識者たちの議論はとても参考になりますが、「人類の基本形は右翼」という視点が欠けているように感じます。

それに「世界は」となっていますが、実質的な主語は先進国です。ヨーロッパの西側諸国とアメリカなどです。日本も含みますが、他のアジア諸国や中東、南米、アフリカなどの諸国は眼中にない。東西冷戦時代に西側陣営に属していた先進国だけを念頭に置いて「右傾化している」と論じている。

でも考えてみれば、おかしい。西側諸国は元々、右に傾いている。本来なら、左翼政党が支配する国で、右翼的な政策が採用されたときにこそ、「右傾化」と呼ぶべきです。

西側諸国の場合は「右傾化が強まる」とすべきですが、単に「右傾化」と表現したくなるのは、先進国には、右翼政治の欠点を修正してきた自負があるからです。それくらい、これまでの政治的成熟とは逆行する傾向なのです。だから識者の多くは、極右の台頭を政治的退行であるかのように否定的に見る。

かといって、識者たちは「左傾化」を望んでいるわけではない。右翼政治の修正とは左翼的政策を取り入れることではない。昔は、福祉政策や生活支援策を左翼的政策のようにとらえる向きもありましたが、今日では、基本的人権を守ることであったり、国民主権の実現と解釈します。

そういえば「左傾化」という表現は耳にしないですね。純粋な左翼思想が人類になじまないことが判明したからでしょう。かつての東側陣営は計画経済を標榜していましたが、内実は統制経済であり、統制を強めるには強権政治にならざるを得なかった。強権政治は市民の心身を疲弊させる。

中東や南米の資源国の中には、統制経済に近い政治体制を敷いている国がありますが、それは巨額の貿易黒字があるから実現できているのであって、左翼思想によってもたらされた政治体制ではない。ただ強権政治となっている点は同じです。資源を管理するために強権が必要なのです。

結局、各国の政治体制の今日的な区別は、民主政治か強権政治かということになりそうです。政治環境の変化を指摘する際は、「民主化が進んでいる」「強権に傾いている」といった表現になる。左傾化という表現が死語になりつつあるように、右傾化という言葉も消えていく運命でしょうね。

後進国で経済的混乱や社会的不安が大きくなったときでも、権力体制への批判は、右傾・左傾という次元で語られることはない。先進国を含め、政治制度の欠陥は単なる右傾化が引き起こすわけではなく、左傾化によって修正されるわけでもない。

近年の右傾化論は、先進国での極右政党の台頭に基づいている。つまり、民主国家において民衆が右傾化しているという使い方ですが、実態を表していると言えるのかどうか…。私も同じ使い方をしてきましたが…

今日の極右政党は、左翼政党を攻撃することに情熱を燃やしていない。それよりも他国を敵視するケースが多い。グローバル企業もターゲットになりやすい。そういえば左翼政党も多国籍企業が嫌いです(笑)

日本の保守政党には「この左翼めが!」という罵声を発する風土がまだありますが、ほとんど慣用句のような使い方になっています。自分たちに逆らう政党や政治家を非難する際の記号のようなもの。左翼政党に拒否反応を示す政治家でもイデオロギー論争を仕掛けることはない。

極右政党の主張の根幹はナショナリズムです。右傾化と言いつつ、実態はナショナリズムの台頭なのです。ナショナリズムは集団エゴイズムです。そしてエゴイズムは人間の本性です。

この人間の本性に着目したとき、「万人による万人の戦い」のような政治思想が生まれるわけですが、エゴイズムを互いに抑制しようという思想は古来からある。集団の利益を増加させるには個人のエゴイズムを抑制することが欠かせないからです。

近年の右傾化はエゴイズムの解放をめざす運動と、私は見なしている。本性に基づくものだから浸透しやすい。いや、誘惑されやすいと言うべきだ。しかし本性だけで生きていればいいのは乳幼児だけです。

エゴイズムを抑制しない方向に進むのは幼稚化であり、人間性の退化と言ってよい。

子供はみな右翼みたいなものです。自分中心の考え方が基本です。子供時代を振り返ってみてください。欲しいものを独占したがるし、他人より多くのものを持ちたがる。自分は強いとか優れていると示したがる。自分は正しいと、とことん思いたがる。

右翼思想=ナショナリズムと子供の思考はそっくりです。富を独占したり、他国より裕福になることを目指す。自国の軍隊は強力で、自国民は優秀であると主張したがる。自分たちだけに正義があると論じたがる。

右翼思想はとても気持ちの良いものなのです。自分はすごいと思えなくても「自分たちはすごい」にすがることができる。寂しい人にとっては仲間づくりの核となる。戦隊ヒーローものに憧れていた頃の感覚のままで理解できるし、生きる上での指針さえ与えてくれる。

だから、右翼思想に感化されるという言い方は正しくない。本性を解放し、気持ち良さに従っていれば自然と導かれる思想領域なわけです。それを修正することが大人になることだと教わるが、本性の抑制には苦痛が伴う。むしろ人々は右翼思想に感化されたいのです。感化されることで苦痛から逃れようとする。

このように人類の基本形が右翼である以上、右翼思想を広めるのはいつの時代でも簡単なのです。わざわざ教育するまでもない。反面、本性の抑制は教育しないことには身に着かない。なのにその種の教育を成長への導きと見なさず、左翼に感化されたと見なす政治家やネトウヨがたくさんいます。

雑駁な話になりましたが、以上のような観点から近年の右傾化を考えてみるのも有効かと存じます。

トランプ大統領は、萩生田官房副長官が言うとおり「不良」だったようです。

トランプ大統領は、5月にコミーFBI長官を突然解任した後、コミー氏への圧力として「我々の会話の録音テープがないと願っていればいいさ」とツイートしたが、6月22日になって「録音は持っていない」と前言を翻した。同じくツイッターでの証言である。つまり前言は“はったり”だった。

今までさんざん噓つき呼ばわりされてきた。それに攻撃的な反論を加えてきた。なのに、自ら平気で噓をつく人であることを認めてしまった。すごい人だ。

さらにすごいのが、その理由だ。23日にFOXテレビのインタビューを受け、「(コミー氏は)テープが存在する可能性を知ったとき、ストーリーを変えたかもしれない」と語ったという。コミー氏の偽証を食い止めるためだったとでも言いたげな身勝手な理屈だ。噓をつくことは、必要に応じて許されると示唆したに等しい。

こうなると、もはや「大統領としてどうなの?」を通り越し、「人間としてどうなの?」のレベルだ。前回、安倍首相は規範意識が低いとしたが、器(うつわ)が違う。あちらは道徳意識さえ低いようだ。

でも質的には同じか。似た者同士だから気が合うのかもしれない。どちらも規範や道徳を破ることに痛痒を感じていない。人間性が疑われているとの認識がない。

過去には、「バカでも務まる大統領」と陰口をたたかれた人がいた。裏で悪徳を働く大統領もいた。しかし、道徳心に欠けることを自ら認めてしまう大統領はいなかったのではないか。

大統領選の遊説で吐き出される数々の悪態と罵り言葉に、「子供の教育上、良くない」と困り顔の母親がいたが、今はどんな心境だろう。社会の健全性を脅す大統領だと深刻な気持ちになっているかもしない。

まぁ世の中には、子供から見て「人間としてどうなの?」と思わせる親もたくさんいるわけで、大統領だからといって徳の高さを期待してはいけないのでしょうが…。そういえばある学者は、死ぬまで改心しなかった母親を嘆いていました。いずれにしても、人間、齢(よわい)を重ねたからといって徳が備わるわけでない。

トランプ大統領も高齢だが、一生、「“徳”なんてクソくらえ!」という生き方をしていくんでしょうね。改心することはない。噓つきと罵られても罪悪感を抱くことはない。

先日、ニューヨーク・タイムズが《トランプ大統領が就任以降についた100の嘘》と題して大きく掲載したが、“蛙の面に小便”でしょうね。今後、噓の数が200、300と増えていくことになっても、「それがどうした。オレの噓にはすべて正当な目的がある!」と開き直るだけだろう。

いや、もはや“噓”はニュースにならなくなるのではないか。《今週の噓》という小さなコラムが連載されるだけで、噓そのものは大きな話題にならない。噓が重大事を招いたときにだけニュースになる。それ以外の噓は、読者も国民もよくある事と受け流し、微かな笑みを誘う程度の日常風景となる。

重大事を招いたとしても、原因は他にあると取り繕うに違いない。誤魔化すためにさらに噓を重ねるかもしれない。ところが本人には噓をついているとの意識はない。

失敗を失敗と認識できない人間は実際にいるものだ。私の友人にもいました。自分は悪くないという立場を決して離さない。時間が経てば反省するかもと期待したが無駄だった。そこで、とことん追求してみたら逆ギレ。ついには、他の人だって同じようなものでしょ!と開き直った。

トランプ大統領も、自己を正当化するのは人間として当たり前のことと思っているに違いない。つまり“自分ファースト”です。だから身内ファーストにもなり、アメリカ・ファーストにつながっていく。

利己主義の人間ばかりでは社会は成り立たない、という教育は無効になったか。信頼されない人が淘汰された時代は過ぎ去ったか。豊かな国の豊かな人には通じない貧民の道徳でしかないのか。

そういえば、本邦の防衛大臣も以前、「私の記憶に基づいた答弁であって、虚偽の答弁をした認識はない」と強弁してましたね。先日の会見では「意図してないから違法性はない」との趣旨の発言もありました。

防衛大臣は弁護士ですよね。故意でなければ許されるという法理でいいのでしょうか。過失に対する損害賠償請求はすべて無効なのでしょうか。過失致死傷はすべて無罪と弁護するつもりでしょうか。
弱い人間ほど記憶を作り変えるという人間理解もないようだ。そんなんでよく人を裁く法廷に立てたものだ。

トランプ大統領も弱い人間なんでしょうね。批判されるとすぐに傷つくから、反論なしに済ますことができない。その反論も論理性に欠け、駄々っ子の言い分でしかない。中学生並みのメンタルだからそうなる。

強弁していればなんとかなる政治でいいのでしょうか。情けないと思うのは私だけでしょうか。気の利いた高校生たちも「ディベートしたら、高校生にも負ける」と思っていると思うんですが…

普通は、自分ファーストという自閉的な殻をやぶることによって大人になっていく。世の中のことを感情以外の側面から理解できるようになっていく。それが人間の成長の姿でした。

でも人間社会は豊かになり、余裕ができた。自分のことが大好きで、感情のおもむくままに行動する子供のような大人にも生きる場が与えられている。しかも自由奔放で愛嬌があると好かれたりする。そんな子供のような大人を助けたり、支えることを生き甲斐にする人さえ現れる。

失敗しても誰かが埋め合わせてくれ、道徳よりも自分の利益を優先しても許してもらえ、都合よく記憶を作り変えても責められずに来た。そんな甘えん坊でも大統領になれる時代が来た? 大臣にもなれる? 甘えん坊でも務まる大統領職? 中学生レベルの政治?… あ〜悪態が止まらない。


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