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反論、質問受け付けますが、何せ思いつくままなので

政治・政策

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今話題の萩生田官房副長官は、安部首相を「お坊ちゃま育ちのわりには、不良と付き合うのがものすごく上手だ」と論評したことがあるそうだ。「不良」とはプーチン大統領やトランプ大統領のことというから恐れ入る。

昨年11月23日に開催された、櫻井よしこ氏が理事長を務める「国家基本問題研究所」主催のシンポジウムでの発言とのこと。フィリピンのドゥテルテ大統領やトルコのエルドアン大統領の名も上げ、「荒っぽい政治家と堂々と話すことができる」と続けたらしい。

仲間内での軽口であり、安倍首相を持ち上げることが主眼とはいえ、他国の大統領をつかまえて「不良」はない。与党幹部としては失格だ。本人こそ不良国会議員だ。

確かに強権を発動するタイプの大統領たちである。トランプ大統領などは口汚い罵り言葉を平気で口にする。戯画化するなら「不良」として描きたくなる。私も「幼稚」と批判してきた。しかし、首相側近の立場の人間が、公の席で発言してしまう神経はどうかしている。国民の代表たる国会議員としてふさわしくない。

結局、緊張感がないんだよな〜。「お坊ちゃま育ち」も含めて、聴衆へのサービス、受け狙いの言葉遊びである。加えて、安部首相とは、お坊ちゃま育ちと揶揄しても許される関係だと伝えたかったに違いない。

この手のタイプの政治家は、国民にとって危険である。他国の権力者を「不良」と呼ぶ感性は、当然、国民にも向けられる。言うことを聞かない国民は「不良」であり、反政府デモをする「荒っぽい」国民と堂々と渡り合える権力者こそ優れている、となる。

さらに、権力を保持する立場を当然視するようになると、権力行使はどんどん遊戯化する。腐敗したり尊大になるだけでなく、遊びのような無責任な権力行使が増えていく。絶対的権力の権力行使は絶対的に遊戯化する!

特に、萩生田氏のような側近や幹部クラスが危ない。権力機構に長くいる彼らは、世の中には権力者と権力に従う者の二種類しかいないという考えに染まる。国民を権力に従うべき存在としか見なくなる。

そんな彼らの権力行使は強引なものになりやすい。一般国民は“下々の者”扱いとなり、ときに無謀な要求を強いる。国民をコントロールすることに使命感を持ち、やがて優越意識となり、愉悦を覚え、果てに権力を弄(もてあそ)ぶようになっていく。

先の大戦では、司令官クラスが無謀な作戦を進言したり実行しました。ノモンハン、インパール、ガダルカナル…。ていうか開戦そのもの無謀かぁ…。特攻隊という無謀な戦術もあったし…。沖縄戦での抵抗も無謀だったし、挙げればキリがない。でも今日の政治批判の例として用いる私の行為も無謀か? 時代が違う?

国民主権の国になったのだから、戦前戦中のようなことは起こらない、と私も思いたい。ただ、権力機構というのはどうしても、権力を弄ぶ人間を産み出す。権力側に都合の良い遊戯のような命令が発せられることを防げない。その辺は、時代が変わっても、権力の変わらぬ傾向であるように思います。

だから、そうした不良政治家を監視することを国民は怠ってはいけない、主権を行使することをためらってはいけない!という話になりますが、それはさておき、萩生田発言にはもう一つの感想がある。それは、「安倍首相は外交が上手」という評価が政府与党内に浸透している様子がうかがえることです。

外交のシナリオは外務官僚が描くことが多いが、その成否は政治家の力量に頼る部分が大きい。安部政権による外交政策はそれなりの進展を見せている。

一昨年末の日韓合意やTPP成立は、その後、相手国の政権交代によって頓挫したとはいえ、外交成果として認められる。北方領土問題がらみのロシアとの経済協力も危うくなったが、一旦は前進を見た。頓挫しても停滞しても安部首相ならば新たな合意を模索できるのではないか、という気運が政府内に漂っているように感じる。

萩生田氏が褒めるように、相手に取り入る資質が安倍首相に備わっていることは、トランプ大統領への対応で証明された。少なくとも政府内の評価は高い。友好ムードを演出できる能力が国益に結びつくとは限らないが、国際社会で生き延びていくための重要な要素である。

安部首相のこうした資質が高評価になるのは、多くの日本人が異質な人との関係構築が下手だからだ。異国人に物怖(ものお)じしやすく、親しい関係になるのに時間がかかる。内弁慶は日本人の特徴だ。

与党内に「首相は安部しかいない」みたいなムードがあるのは、外交的資質を持つ政治家が少ないからだろう。だから外交的資質が尊重され、首相になる要件としても重要視し過ぎることになる。

でも、規範意識が低い人ほど社交性があるんですよね〜。前例を破ることに躊躇がなく、基本的に融通無碍だから、相手には外連味(けれんみ)がないと映る。偉そうに振る舞うことへの欲求が薄いから、アクの強い他国の大統領に好かれたりする。

妥協することにも躊躇がない。それは日韓合意に表れている。実質的に謝罪しているのだから。この問題については、蒸し返す韓国側に非がある。明らかに図に乗っている。

とはいえ内政では強弁しがちだ。それは攻められる立場だからだ。偉そうに振る舞う欲求が薄い一方で、褒められることに無上の喜びを感じるタイプだから、持ち上げてくれる人に「お坊ちゃま育ち」と揶揄されても気にしないが、反対に、責め立てる人への嫌悪はひとしおである。

外交は基本的に駆け引きであり、罵り合う場面は少ない。敵国でなければ、丁重に扱うのが相手国の立場である。安部首相の場合は、異国人への違和感より、主要国のトップとして遇される気持ち良さの方が勝る。

強弁しがちなのも、実は規範意識の低さと関係がある。強弁すれば押し通せると思うのは、規範や原則への配慮に欠けるからである。物事は規範や原則に従って動いているわけではないと思っているからである。

逮捕状の請求理由;国民に命令を下す権力機関の活動として、自由を愛し主体性を持って生きたいと願う国民に対し、その生活を脅かす法を共同して立案し、強行成立させることで法執行の準備を整えた――なんて、おどけてみたくなるような先週の国会劇でした。

一部の野党やマスメディアは悪法だと騒ぎ立てるが、国会では圧倒的多数が支持する法律である。賛成票は3分の2を超える。国会外でも、世論形成に影響力のある複数の報道機関が法成立を望んでいた。

世論調査では賛否が拮抗していたとはいえ、テロ対策の必要性を否定する国民は少ない。「国民一般への監視が強まる」が反対理由の主なものだが、これに対する識者などからの反論「刑事司法の暴走を前提にした反対論は無意味。メリットの方が大きい」が一定の国民的評価を得ている。

私としては、前にも書いたとおり、権力機関にフリーハンドを与える法律は嫌いです。フリーハンドは安易な権力行使につながる。それが人間の性(さが)というもの。暴走を前提にするかどうかの問題ではない。
正義感は暴走しやすいことを自覚しない正義の人は信用できません。

暴走とまでいかなくても、余計なことに労力を傾けがちなのが捜査機関というもの。ある程度は仕方ない。投入した労力に応じて製品が産出される製造業じゃないですからね。でもそれに甘えて無駄なことをする。間違う。失敗する。そして甘やかされた人間は反省しない。フリーハンドを与えることは甘やかすことです。

権力を甘やかすと恐ろしいですよ。権力をふるう家族がいる人なら分かるはずです。学校や職場でチームを率いたことのある人なら想像できるはずです。より高圧的になり、統制する範囲を広げていきます……似たようなことは何度も書いてきた。くどいのでやめます。

それにしても官僚たちは巧妙だ。安定政権の今がチャンスとばかりに、権力を行使しやすくする法律を次々を成立させている。安倍首相サマサマといったところでしょう。忖度のあげく、学園や学部の一つや二つ作って上げることくらいなんでもない。

…自分を持ち上げてくれる可愛い官僚たちが喜ぶ顔を見て首相もうれしい。ご機嫌な首相を見て官僚たちも満足――そんな関係がうかがえます。

特定秘密保護法では、「中国や北朝がスパイ活動を活発化させています。機密保護を強化する法律が必要です。米国からも要請されています」と官邸を説得しつつ、情報を網羅的に秘匿する権限を手にしました。

今回の改正組織的犯罪処罰法では、「国際条約締結のために必要です。テロ対策は急務です。計画段階から摘発することが有効です」と政府与党を説得しつつ、刑事犯罪を網羅的に事前捜査する権限を手にしました。

安部首相は野党の攻撃に対し「印象操作だ!」と怒鳴っていましたが、首相こそ官僚たちの印象操作に上手く乗せられている。成立した法律は行政府すなわち官僚たちに都合の良い色彩が強すぎます。

印象操作は自分たちが日頃やっていることだから、相手もやっているように見えてしまう。自分を基準にした解釈であり、“逆も真なり”みたいなものです。首相の言葉は補佐官や官僚の口真似かもしれません。

国民をなめているのは今に始まったことではありませんが、都合の悪くなったら別のことに関心を向けさせるという操作も権力はよく使う。思い出すのは5月3日の憲法記念日。首相が突然、憲法9条の改正に言及した。これは、森友問題などのスキャンダルから目をそらす意図があったと私は憶測しています。

「共謀罪」制定法案を成立させた日に加計学園問題の調査結果を発表したのも、強行採決の印象をそらす意図を感じてしまう。その数日前の「文科省が再調査を決断」とのビックニュースも、天皇退位特例法成立の日でした。勘ぐりすぎですが、官僚たちが印象操作や情報操作が好きであることは間違いありません。

まぁ、こうした悪代官であるかのような書きぶりも“印象操作”ということになるんでしょうね。当然のことながら、官僚の所業をすべて悪と言うつもりはありません。今は、良心的な官僚の影が薄くなり、悪代官タイプの官僚が活躍しているということです。

そんな土壌になってしまったのは野党の弱さが大きな原因ですが、追及が甘いと非難してみてもね〜。なにせ数が足りない。スキャンダルばかり追うなとも言いたいが、有権者向けの効果的な攻撃材料ですからね〜。

現政権が制定する法律への反対姿勢が真剣なものならば、「我が党が政権に就いた時には廃案にする」ぐらいのことを言わなければならない。そこまで言えないのは、野党だって政権に就けば官僚への配慮が働くようになるからでは?

いずれにしても予定調和のような国会審議でした。共謀罪に反対していた報道機関も「今後は法律の乱用をいかに抑制させるか」と述べるしかない体だ。野党ともども弱気ムードが漂う。

しかし、「政策はすべて暫定的なものである」という言い方があるように、政権を奪い返せば法律は破棄できる。あちらではトランプ大統領が一所懸命やっています。
結局、野党にとって「廃案を主張すれば選挙に勝てるのか」という話に行き着く。

有権者の多くは、実は監視や密告が大好きです。同調圧力の中で生きている日本人にとって、異物に対する拒否感は強い。悪人が犯罪を計画したら摘発する、そのために監視を強化するとの法律になんら違和感はない。

やはり、自分が標的になる可能性への想像力を育てないとダメですね。日本的いじめは標的が変わりやすいのが特徴ですから、少し考えれば分かりそうなものですが…

想像力の弱い人はモノクロでしか世界を見ていない。白か黒か、敵か味方、善か悪かなどの単純な二分法か、せいぜいグレーの世界を知る程度。でも色彩豊かなのが人間社会です。自由があってこそ色鮮やかさが増す。

<政府は21日、犯罪を計画段階で処罰する「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ組織的犯罪処罰法改正案を閣議決定し、衆院に提出した>

政府にとっては「テロ等準備罪」法案なんだろうが、私は反対です。理由は特定秘密保護法のときと同じ。またも曖昧な文言の羅列だ。関係場所の下見が摘発要件ってどういうこと? きっと捜査側の勝手な解釈で逮捕され、「下見してました」との供述を得れば犯罪成立、みたいな運用になるのだろう。

テロ対策にかこつけて、捜査のフリーハンドを増やしたいだけだ。市民生活が“楽ちん”に向かっていることだし、捜査官も“楽”がしたいのでしょうね。

権力者やその取り巻きは情報操作や思想統制が好きです。自分たちでコントロールできる国民にしか興味がない。コントロールできない国民は大嫌いです。そんな心理が根底にあるから、この手の法律はいつも行き過ぎた運用になる。目的さえも逸脱する。

テロ対策は必要との思いで賛成する有権者が多いようですが、少し想像力を働かせましょう。そうすれば反対する人たちの気持ちが分かるはずです。常識的に生きている自分には関係ないと思っていても、権力者の悪意がいつ己に降りかかるか分からない、ということです。

あなたが権力者や捜査官になったと想像してみましょう。人間ですから感情的になることもある。悪意が芽生えることもあろう。そんなとき、あなたはどんな対応に出るでしょうか。

一般人にとって国家指導者たちは雲の上の存在です。優れた政治能力を持った人たちです。が、だからといって人格者とは限りません。特に最近は、感情的で人間味にあふれる政治家が権力の座につくことが多くなりました。一昔前は、知的で戦略的思考に優れた政治家が活躍しましたが、いまではあなたに似た人が権力者です。

あなただって権力者としてのふるまいをしたことがあるはずです。国家指導者と比べれば小さな権力でしょうが、権力を行使するときの心境はそれなりに味わっている。その心境を拡大すれば、国家権力を行使する人たちの心境になります。

もちろん少数ながら、権力に興味のない人はいます。自己を表現することに人生のすべてを捧げている人などが思い浮かびますが、一般的ではない。

中には「私はリーダーについていくタイプ」と自己分析し、権力に興味がないと自称する人がいますが、勘違いしている。常に序列を意識しているからそんな自己分析になる。むしろ、権力への憧れが強いタイプに分類できる。ただ自分より優れた人が多くてリーダーになれない、あるいは責任を負う度胸がないだけのこと。

だから、自分の方が優れていると思える相手が出現し、責任を追及される恐れが少ないと見るや、たちまち権力者としてふるまいます。劣等感が強い分、激烈な権力行使になる場合さえある。

たとえば子育て中に親です。学業が苦手でも、運動神経が鈍くても、芸術的才能に恵まれなくとも、幼子にはすべての分野で上回れる。𠮟り飛ばす、命令する、聞き分けのない子を憎む、理不尽な制裁を課す…。すべて権力者としてのふるまいです。

権力というと国家権力を思い浮かべ、横暴なイメージを抱くから、自分は権力者のようなふるまいをしたことがないという自己認識になる。しかし、序列あるところには必ず権力行使がある。

学校では教師が権力者です。あからさまな権力行使は問題となりますが、教育的指導という名で、𠮟り飛ばし、命令し、言うことを聞かない児童・生徒を憎み、理不尽な制裁を課す…

生徒間にも序列が生まれる。スクールカーストとはよくできた造語だ。その序列は固定せず、下位の者への行為も気まぐれで遊戯に等しいといえますが、その横暴さは権力行使そのものです。弱い者に命令し、強要し、序列に逆らう奴を仲間はずれにし、いじめる…

社会人となって組織に所属すれば、役職名での序列が待ちかまえます。いわゆるパワハラは権力者の横暴の端的な例ですが、気に食わない部下に悪意を向けたり、実績で劣る同僚や新人への意地悪などは茶飯事です。

そんな社会人生活の鬱憤を家庭で晴らす人がいます。稼ぎ頭であれば、家庭内では権力者としてふるまえます。また、兄弟間の序列がはっきりした家庭では、年長者や高位者による権力行使があります。

かように、一般人の生活にも権力行使があふれている。国家権力から遠い位置にいる人であっても、ほとんどが、国家権力を行使する人たちの心境を想像できる立場にいます。

権力を行使しているつもりはないと言いたくなる気持ちは分かります。重要な役割を担っていると思うから、使命感を持って懸命に取り組んでいる、ですよね。実は、その心境は政治家や捜査官も同じです。

おっと、いじめている生徒に関して“使命感”はおかしいですね。でも彼らにも言い分があります。相手が自分勝手で協調性がないとか、偉そうで鼻持ちならないとか、みんなより得をしている(賠償金という不労所得!)とか…。嫉妬から権力行使のための集団を形成する例は、大人の世界でも多々あります。

人間の嫉妬心は恐ろしいもので、楽しいそうに生きているという印象さえ理由になります。幸せそうな顔が気に食わないとなり、悪意が芽生えます。国家権力もしばしば嫉妬します。自由で楽しそうな人が嫌いです。コントロールできない人への悪意と同じです。

役割意識を強く持ち、使命感にあふれているときにこそ、憎しみが生まれる。あなたも権力者と同じ心境を経験している。そしてその逆、悪意を持たれる経験もしていることでしょう。自由に生きているだけなのにね…。やはり権力者にフリーハンドを与えることは危険です。

前回、社会主義より民主主義のほうがマシと書いたが、ちょっと安易な表現だった。社会主義がどのような政治体制を意味するのかは、現代においてはあいまいだ。

学術的にはカール・マルクスに端を発する思想体系でよいが、東西冷戦時代の社会主義とは、<計画経済を採用する中央集権的な政治体制>ぐらいの意味だった。ソ連を中心とした結びつきは、資源国であるソ連がその富をばらまくことで成り立っていた。もちろん世界の覇権を争う政治力学の面も大きかったが…

民主主義のままでいいの?と問われ、対語として社会主義を思いついたが、単純に対立するものではない。

とはいえ結論は変わらない。この問いの力点は「大衆に政治判断を任せてよいのか?」である。権力者の命令に従うだけの無責任な立場よりは、民衆が主権者として政治に介入し、自業自得に陥るほうがよい。

考えてみれば、革命を起こすのは大衆である。一世紀前、ロシアで皇帝を放逐したのは大衆だ。放逐後の政治体制がプロレタリアート独裁ではなくスターリン独裁になってしまったとしても、革命を起こした実績は消えない。民主主義という政治体制でなくとも、大衆は権力者を追い落とす力を持ちうる。

だから独裁者は大衆を恐れ、情報操作や思想統制などに躍起になる。権力争いの多くは政界内部で行われるが、権力者が一番恐れるのは、自分以上に大衆の支持を集める政治家の出現である。民主主義以外の政治体制であっても、影の主役は大衆である。

ただ悲しいかな、権力者を追い落とした後の青写真を持たない。革命後、社会は混乱に陥る。混乱は得てして独裁者を生む。その理由は、混乱に乗じて独裁者が現れるというよりも、大衆が混乱を収束してくれることを期待して独裁者を選んでしまう。

18世紀のフランス革命の後にはナポレオンが権力者の地位に登った。第一次大戦後のドイツでも、皇帝の放逐という革命が起こり、ヒトラー登場の素地をつくった。

ドイツ革命が典型だが、革命が起こる背景には、たいてい経済危機がある。資産を戦費で使い果たし、生産体制が崩壊すれば大衆の生活は困窮する。失業率も増える。しかも敗戦によって巨額の賠償金を背負うことになった。ドイツ国民の未来は暗かった。

ただ、政治体制を一から作り直す革命は巨額のコストがかかる。経済的には、漸進的に体制変更していくのが望ましい。にもかかわらず大衆は急転直下の変革を求めてしまう。経済がますます悪化するとも知らずに…

大衆は平時でも長期計画を立てるのが下手である。戦略的な思考ができない。そんな自覚があるからこそリーダーを求める。正しい態度だが、混乱の中でリーダー選びを間違える。強く見える独裁者、断定口調の扇動者を選んでしまう。

ファシズムは独裁政治であるが、大衆の支持によって生まれた。つまり民主的に成立した政治体制と言える。成立後に恐怖政治になったとしても自業自得。

ちなみにナチスの正式名称は<国家社会主義ドイツ労働者党>である。社会主義を冠することで、民衆に寄り添い、労働者の味方であると演出した。ロシア革命の目的と違いはない。

平時に政治はいらない、危機のときこそ政治の出番である――という政治論がある。
政治を批判する人は、実は政治に期待している――という解釈がある。

いずれも正しい。そしてリンクしている。危機感を覚える人が増えるほど政治批判が激しくなる。政治になんとかしてもらいたいから批判する。政治批判は政治に期待していることとほぼ同意である。

このことはまた、経済危機が深刻になると、民衆が強力なリーダーを求めてしまうことを説明してくれる。

さらにいえば、平時における政治状況の説明にもなる。平時は、危機を感じている人だけが政治に期待する。だから政治批判しながらせっせと投票所に足を運ぶ。政治家は期待に応えるべく利権を付与したりする。平時にいびつな政策が乱発されるのは、こんな背景がある。

近年の経済危機といえば南ヨーロッパ、発端はギリシャだった。2009年末、国家財政の粉飾がバレてしまった。財政悪化は、いびつな政策の乱発が原因だった。主導したのは左派政党。

ギリシャはパパンドレウ政権が長きにわたって国政を担った。その政党名がなんと<全ギリシャ社会主義運動>。またもや“社会主義”である。もちろん民主的な選挙で政権党になった。

<…IMFが一番問題視するのは、労働人口の二割以上に及ぶ公務員の多さだ。国は票の見返りとして、何をしているのかわからない効率の悪い五千もの公共機関を生み出してきた。これは現与党の「社会主義運動」が票田として、左派中間層を増やそうと80年代に始めた「公職バラマキ政策」がもたらしたもので、常に見返りを求める有権者のせいでもある>(藤原章生著『資本主義の「終わりの始まり」』より)

私は以前、「社会主義の失敗は、大衆が愚かなままであることの失念が原因」という認識を持っていた。計画経済によってみんなが幸せになれる!なんて、所詮、ユートピア思想にすぎないということだが、こんな表現を今はするつもりはない。

対比するならば、中央集権的計画経済と資本主義的自由経済といったところでしょうが、これとて今日の国家像を表しているとは言えない。完全なる自由経済を採用する近代国家はない。貿易障壁といった対外政策だけでなく、国内経済においても国家統制が行き渡る。特定の産業を保護したり、財政出動したり、金利操作したり…。

そしてこれらは国民が促している。つまり民主主義だからこそ、国家による統制が生まれている。

なぜ説得できない人がいるのかですって? その答えは、先天的な性向の違いとするしかないようです。脳科学者たちの研究が参考になりそうですが、結局は遺伝的資質の違いという話になる。

最近でいえば、中野信子氏が、能力に関して、脳神経細胞のネットワークがどう構築されるかで決まると表現してました。知的能力や運動能力は生まれつきのものといえそうです。人間性や性格といったものも先天性が大きいと思われます。

もちろん後天的に構築される部分もあります。人間は未熟で生まれるという特徴がある(2歳ぐらいまではチンパンジーの方が知性で上回るらしい)。未熟であった方が、生まれたときの環境に柔軟に対応できるからであり、後天的に身に着ける部分が少なくないことを示す。

わかりやすいのが免疫機能。未熟だからこそ、生まれた場所の環境に適合する免疫機能が構築できる。

脳神経細胞のネットワーク化にも似た部分があるはずです。伸ばすべき知性や身に着けるべき性向は、生まれた場所や時代によって変わってくる。

しかし特定の性向について、どのくらいが先天的あるいは後天的であるのかを見極めるのは難しい。生まれた場所の文化に影響を受けない人はいないが、ある人のある性向について先天的部分と後天的部分の割合を科学的に調べることは不可能でしょう。

一卵性の双子について、成長後の性格を調べる手はあります。たとえば能動的か受動的かとか、リーダータイプかフォロワータイプかは、かなり後天的なもののようです。私の知り合いを見てても分かります。ただし、二人の嗜好や考え方などは似かより、先天的なものを感じます。

臆病であるとか、疑り深いなどの性向も遺伝子の影響下にありそうだが、ある友人を見ていて、そう単純なものではないなと思った。

先天的に臆病になりがちな人は、ひとつの失敗で臆病者になる。ところが臆病になりづらい人でも、同じ失敗を十回繰り返せばやはり臆病者になる。同様に、人を信じやすい人も、短期に十回もだまされれば疑り深い性格になる。一回だまされただけで疑り深い性格になった人と区別がつかない。

ある友人はおだてに弱く、簡単に他人の口車に乗ってしまう。それで何度か痛い目にあった結果、疑り深い性格になった。だましたことのない私へも疑いの目を向けるほど重症化したが、どういうわけか、新しい知り合いの言葉にだまされたりする。

疑うべき人と信じるべき人を区別する能力に欠けるのは先天的なものだろう。この欠点を補うために“すべての人を疑う”という対処を編み出したが、営業マンなどによる新たな口上に出会うと、いままで学習したことがリセットされ、本来の性向が顔を出す。

とはいえ、そんな友人でも悪人の口車に乗って犯罪に手を出すことはさすがにない。臆病という面も持ち合わせており、だまされやすいといっても程度がある。

<説得できない人たちは一定数いる>現象においても程度がある。説得できない人の割合が多い問題と、少ない問題がある。たとえば「人を殺してはいけません」という倫理に逆らう人を見つけるのは難しいが、「弱肉強食の社会はよくない」や「差別はいけません」などでは、説得できない人がすぐに見つかる。

道徳は文化や宗教などの社会環境が形作るものだから、地域や民族によっても<説得できない人>の割合は変化する。豊かさなどの経済状況も影響する。それらを踏まえて、特定の場所におけるある時点での<説得できない人>の割合を見定める必要がありそうです。

知的能力は先天的かもしれないが、知性の働きは環境に左右されるから、有用な思想を浸透させるなど長期的な戦略が必要だ。そんな長期戦略が成功すれば、民主主義だってより良い政治制度になっていくと思う。

民主主義では、庶民がだまされにくい性格になる必要がある。悲惨な目に遭わないと学習しないのが我々庶民の性向だが、幾度も悲惨な目に遭ってからでなく、少ない回数で一定の水準に到達したいものである。ひとつの経験から深く学び、早めにだまされにくい人間になりたいものである。

いずれにしても民主主義である以上、責任を負うのは我々庶民です。リーダーのせいにはできない。未来の歴史家は、「○○国の有権者は、○○という政策を選択した」と記述します。だまされて選択したと解説するにしても、責任の多くは有権者にあると語るはずです。

でも難しいのかな〜。専制時代に権力者が図に乗って自滅するケースがあったように、民主主義の時代は、民衆が図に乗ることで失敗国家への道を歩むことになるのかも。

それとも「国民主権と言われても、自信がありませ〜ん」という民衆が増えて、再び教祖様のようなカリスマ指導者をあがめる時代に逆戻りするのか。

ちなみに新興宗教の信者たちは、信者仲間だけを信用し、教祖様だけに感謝する。そんな態度で、信用できる人とできない人を区別する能力の欠如、および判断力の無さを補っている。ただこの思想は、隣人を愛することや他者に感謝する謙虚さを遠ざける。差別的排外主義との親和性の方が強い。

カリスマ指導者を求める心理も似たようなもの。だから民主主義の下、排外主義を声高に叫ぶ独裁者が生まれる。そして悲劇が起こる。そしてまた反省して平和国家を目指す…。う〜ん、この循環を永遠に繰り返すのか?

それでもなお社会主義よりマシだろう。なぜなら民衆に反省を促さないのが社会主義だから。政治の失敗による最大の被害者は民衆だが、民主主義ならば“自業自得”となる。


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