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リーマン・ブラザーズのファルドCEOがアメリカ下院の公聴会で、巨額報酬について責められた。

「あなたが家に持ち帰った報酬は05年が8,900万ドル、06年は株式(ストックオプション)を大量に売却して1億ドル以上…」
「00年以降、4億8千万ドル(約500億円)以上を得たことになる。正しいことだと思いますか?」
「1億4千万ドルのフロリダの別荘、100万ドル単位の絵画コレクションなども保有している」

高額報酬はCEOだけではない。07年12月に社員に支給した現金・株式ボーナスの総額は約49億ドルだという。何人で分け合ったのかは知らないが、経営幹部クラスなどは億ドル単位か。日本には億万長者という表現があるが、その100倍の世界である。1億円に相当する100万ドル長者程度ならば、多くの幹部社員がその栄誉に浴したに違いない。

CEOの報酬が8年間で500億円というから、他の幹部たちもここ数年、高水準の報酬を得てきたのだろう。にもかかわらず彼らが無傷で済むような救済策が施行されようとしている。有権者たちが怒るのはもっともである。

どうしてこんな巨額な報酬になってしまうのか。公聴会で議員が「株主のためにとっておくべきではなかったか」と批判するように、アメリカといえども巨額報酬は必然ではない。去年の12月といえばすでにサブプライムローン問題による経営悪化が表面化していた。系列会社の幹部から「経営幹部は経費節減のためボーナスを見送るべきだ」という指摘があったという。にもかかわらず巨額ボーナスは実行された。

巨額報酬の背景には、アメリカでは億ドル単位の報酬を当然のように使ってしまう人たちがいる、という現実がある。日本では考えられないが、毎年億ドル単位の経費がかかる個人生活がアメリカにはある。

桁違いの富裕層の暮らしというものを、アメリカンドリームをかなえた事業家たちは築き上げてきた。今に始まったことではなく、見本は数えきれない。豪邸、多数の使用人、自家用飛行機やクルーザー、別荘を各地に構えるといった生活を、成功者ならば手にすることができる。封建社会の王家のような生活が、成功者には保障される。それが豊かな国アメリカの存在理由であるかのように。

そんなアメリカでも、そうした生活が許されるのは、マイクロソフト創業者のような立場の人間だけである。あるいはトップスター、あるいはミュージシャンなどのクリエーター。リーマン・ブラザーズの経営幹部たちは、本来そうした境遇になることを想定されない。だから非難されるのである。

しかし、マネーゲームによる利潤が膨れ上がるのを見て、証券会社の経営幹部たちはそうした生活が許されると錯覚した。経営上のリスクを負っているだけなのに、あたかも自己資金を命がけで運用している人たちのような気分となり、巨額の利潤を自分たちが独占してもよいと思ってしまった。

桁違いの富裕層としての暮らしに向かって走り出した経営幹部たちにとって、巨額ボーナスは定期収入とならなければならない。株主への配当や内部留保などへの配慮は希薄になる。

『アメリカン・タブロイド』という小説がある。1960年代のアメリカ政界や権力機関に住む人々を描いた小説である。そこにでてくるケンパーというFBI捜査官を思い出す。
派手な生活を味わった人間は、そう簡単に生活水準を落とせない。高級ホテルのスイートルームに宿泊することが習慣化すれば、それ以下の客室は苦痛となる。ケンパーがそうした生活を実現できたのは、裏社会から金を巻き上げることに成功したからだ。それによって派手に金を使う生活を満喫するが、巨額の報酬を定収入化することは簡単ではない。しかし生活水準は落としたくない。やがて大きな犯罪に手を染めるようになる。

ケンパーの欲望が肥大化していく様子がよく描かれている。欲望には限りがなく、自分に自信が出てくると制御するものさえなくなる。それが人間の性(さが)なのだろう。

リーマンの経営幹部たちも、はじめは恐る恐る手にした巨額ボーナスだったかもしれない。だが、巨額の報酬に応じた金の使い方ができるようになるまでの時間は、アメリカでは短い。その結果、経営判断などより、巨額のボーナスを得る立場を保持すること、そして巨額のボーナスを支給する仕組みを維持することが最大の関心事になってしまった。

株価がここまで下がるとは思わなかった。投資金額の3割ぐらいの損を抱えることになった。やばい!

アメリカ発の金融危機が、日本の株価にここまで波及する必要はないような気がするが、東証などでは外国人の売買が6割を占めるというから仕方ないのかもしれない。日本の金持ちは外国に投資ばかりしているからこうなる…、と嘆いてみても始まらない。グローバル化は、WWW=ワールドワイドウェッブのごとく、世界の金融市場をもひとつの網の目の中に取り込む動きを伴う。日本だけは安泰、とはいかない。

円高も進んでいるから輸出企業の業績も悪化する…、というだけでなく、自動車など海外生産が進んだ業界も、世界的な景気悪化で販売台数を大きく減らすことになる。
為替相場は、日本の円が強くなる要因がなくとも、ドルなどの外貨が弱くなる要因が発生すれば、相対的に強くならざるを得ない。

今後の見通しも悪いものばかりだ。1930年代の大恐慌に匹敵するという見方がある。元財務官の榊原英資氏などは、戦後最大の金融危機であり、しかもまだ2合目ぐらいと脅かす。実体経済への波及はこれからが本番ということらしい。

「これ以上損をしたくない」と考える個人投資家も増えている。売りが売りを呼ぶ展開になりつつある。
いつかは下げ止まるのが相場だが、当面、浮かぶ瀬はなさそうである。

だが落ち込むばかりではいけない。今回の金融不況がよい影響を及ぼすことはないか考えてみよう。負け惜しみと言われようと、何かわれわれの生活にとってのよい点を見つけなければならない。

不況によって原油価格が下がる。その他の資源価格も下がる。円高も加わって日本の輸入物価は急落する。その結果われわれの消費生活は楽になる。
金融商品の下落によって海外から得る所得も減少するから、日本全体の収支としては追いつかないだろう。だが日本にはストックがある。当面はやりくりできる。そのストックも海外資産の急落で目減りしているが、それでも日々の消費金額が抑えられることの好影響は大きい。資産の少ない庶民など特にそうだ。
裕福度の相対的な順位が向上するかもしれない。先進国の多くが地盤沈下すれば結果的にそうなる。

日本は高齢化社会に向かっているが、高齢化社会とは消費型の社会に移行することでもある。消費者物価が抑制されることの好影響は、かつてよりも大きい。
現役世代の所得だって、労働者一人当たりでみれば大きく減少するようなことはないはずだ。生産者人口が減るから一人当たりのパイは大きくなる。統計上のみかけは、年配の高額所得者の引退によって減るだろうが、若壮年層の収入は維持される公算が大きい。現役世代にとっても消費者物価が抑えられる効果の方が大きいのではないか。

輸出企業にとっては不利であることに変わりないが、1ドル=110円、1バレル=140ドルと比べれば息がつける。1割ぐらい円高が進んで100円になっても、原油90ドルは3割以上の値下げだ。

たとえば団塊の世代の人が退職金の2,000万円をすべて株式投資につぎ込んで3割損したとする。600万円を失うことになる。だが原油が150ドルになるような好景気が去ったことにより、電気代もガス代も、ガソリン代も灯油代もすべて大幅に下がることになる。この恩恵は大きい。原油価格が半額になっても、これらの小売価格が半額になるわけではないが、農産物や雑貨の値段も抑えられることを考えれば、10年ぐらいで元が取れるのではないか。

世界全体の景気減速によって、原油需要が減れば、枯渇する時期も先延ばしになる。石油漬けの生活を当分堪能できる。

世界的不況は、環境問題にも劇的な効果がある。二酸化炭素などの温暖化物質の排出量が減る。大気汚染物質や水質を悪化させる物質も減り、さらに人口抑制効果さえあるかもしれない。日本に住むわれわれに直接的な影響はないように見えるが、長期的に見れば自然災害が減り、汚染物質の流入が少なくなる。経済的な損失、生活コストの減少に利するだろう。

ということで、株価暴落、景気不振を乗り切ろう!

原油価格が、アメリカの株価と連動するように下がっている。その理由がなんとなくおかしい。アメリカの株価は世界の景気の先行きを示す重要な指標だからだそうだ。

アメリカ発の金融不安で世界の景気は減速するから、消費活動は低迷する。消費活動が低迷すれば、生産活動の縮小につながり、原油の消費量も減少する。需要が減れば、当然、価格上昇圧力も減衰。
こうした構図は理解できるが、出発点の景気予測を株価に頼るのはどうしたわけか。安易過ぎないか。株価だって、景気予測をバックボーンにして上下するものだろう。予測の要素が強い株価の動向で原油需要を予測する、みたいことになっている。

株価が上がっていた頃は原油価格も上昇した。その理由も、景気上昇の見込みが高いから、原油需給も引き締まるという連想らしい。
確かに、アメリカの景気がよくなれば輸入が増え、中国などの新興国は生産を拡大することができる。新興国が豊かになれば、世界全体の原油需要も高まる。そうした連鎖はあるが、アメリカの景気だけが世界の原油需要を決定する要素なのか。

結局、投資家たちが判断する材料は、投資対象が違っても同じということなのだろう。他人の行動を見ながら判断するという要素も強く、景気に対する連想の仕方も一致してくる。
さらにいえば、昨今の原油相場は、投機対象としての動きになっているということだ。投資家心理が色濃く反映され、株価を動かす投資家の判断と連動してくる。

もう一つ感じるのは、原油相場が景気対策のような効能を発揮していることだ。これも面白い現象だ。

原油高騰は諸物価の上昇、つまりインフレを招く。景気の過熱によるインフレは金融政策によって冷ますことができるが、資源価格高騰によるインフレは大国といえどもコントロールできない。一部の資源国は潤うが、世界全体では景気を減速させることにつながる。原油高騰はスタグフレーションを撒き散らす。

ただ面白いことに、原油高騰は景気が過熱しそうになると起こる。反対に、景気が減速しそうになると、原油価格は下がる。つまり、原油相場は、景気が過熱気味になると、それを抑制するかのように上昇し、景気減速を招きそうになると、景気を押し上げようとするかのように下落する。まるで政府の金融政策である。

昨日、資源メジャーは国境を軽々と越える経済機関となり、権力機構の性格さえ持つようになると書いた。それくらい各国のコントロールの効かない存在になるが、独占力が強くなりすぎると反対に公的機関みたいな存在になる。

資源メジャーは、自由貿易のおかげで大きな利潤を手にすることができるが、その自由を一手に引き受け、全世界への供給に責任を持つくらいの独占体になると、世界の景気循環に影響を及ぼす存在になる。そうなると、自社の業績も世界の景気に大きく左右されるようになり、景気を大きく冷やすような行動はできなくなる。

石油メジャーの企業体は、まだそこまでいってはいないが、自由を手にすればするほど反対に足かせも増えていくという構図はでてくるだろう。
価格を決定する自由、供給量を制御する自由を得ることは、企業家として究極の喜びだ。しかしそうした自由を限りなく追い求めて巨大化するうちに、需要家もひと塊の巨大な存在になる。全世界を制覇したつもりが、全世界を敵に回すことになってしまう。

鉄鉱石メジャーがそうなりつつある。最近も、3社が2社になってしまう合併話がある。鉄鉱石世界3位のBHPビリトンが2位のリオ・ティントを買収しようとしている。今でも寡占状態だが、買収が成立すると上位2社で8割近くのシェアをにぎることになる。
日本の公取委も否定的な立場から動いているようだが、本社のあるオーストラリアは独占禁止法に触れないと認定したようだ。

この際、1社に集約してしまえ! 国際社会はそうなるように運動しよう。完全なる独占体になれば、もはや公的機関であり、価格も公定価格となる。供給量や価格決定について、国連などの国際機関が介入する口実が生まれる。国際社会は、暴利をむさぼることは許さないという立場で介入できる。

アメリカ下院が金融安定化法案を否決するとは! そんなことになるとは思わなかった。有権者の反対が強かったことが影響したようだ。
金融機関はこれまで巨額の利益を上げてきた。経営者だけでなくそこで働く社員たちも高給を享受してきた。そんな彼らを、なぜ国費という名の税金を投入してまで救済しなければならないのか! である。

これはもう感情論であるが、55億円の年間ボーナスなんて話を聞くと分かるような気がする。庶民の嫉妬心は燃え上がり、失業者の怒りは頂点に達する。55億円といえば、55人に1億円、550人に1000万円、5,500人に100万円を配ることができる金額だ。
それに近いボーナスをもらっていた経営層が100人いたとすれば、たちまち5,500億円だ。これを使えば、55万人の失業者に100万円を配ってその生活を潤すことができる。

庶民の怒りは「金持ちを優遇する政策にはうんざり」というタクシー運転手の発言に集約される。議員にとっても「法案を地元に説明すると一笑に付される」ようでは、法案に賛成することがためらわれる。今回の危機はウォール街の危機であって、地方経済は関係ないという雰囲気なのだろう。

かつての日本のようになってしまうのか。つまり実体経済に大きな影響が出てくるまで大胆な救済策は実行できない。法案が否決される前は、危機への対処のスピードが日本とは違うとされていたが…

マネーゲームに参加できない人たちの嫉妬は、どこの国でも同じということだ。それに、たとえ会社が危うくなっても、経営者が大きな負債を抱えることはない。そのことを庶民は知っている。日本のバブル崩壊でも、頭取が路頭に迷ったとか、タクシー運転手にまで落ちぶれたという話は聞かない。

でもかつての日本と違うのは、世界に与える影響の大きさだ。アメリカの金融機関が発行する金融商品は世界中にばらまかれている。その額は日本の比ではない。世界中の金融機関が損害をこうむる。アメリカの金融機関を救済しても、世界における混乱は簡単には治まらないだろう。
考えてみれば、危機以前の企業利益も世界中からかき集められたものだ。巨額の役員報酬も、いうなれば世界の投資家から得た利潤によって成り立っていた。

気になるのは、格付け機関の行く末だ。
今回の危機における格付け機関の責任は大きい。間違った格付けによって不良な債権を大量に流通させた。金融機関の暴走をチェックできなかったのは、日本のバブル崩壊での監査法人に似ている。金融機関と結託して今回の危機を招いたともいえる。

信用度が簡単に計れない金融商品が流通できたのは、格付けが付与されていたからだ。今回の金融危機で、アメリカの証券会社のビジネスモデルが崩壊したと言われるが、同時に格付け機関も存在価値を喪失したといえる。格付け機関が信用を失ったら存続する理由はない。
でも金融商品の信用を作ってきた格付け機関が信用できないとなると、何を信用すればよいのか。投資家たちは萎縮し、信用収縮が広まる。

もう一つ気になるのが、金融機関の寡占化だ。日本でもそうだったが、経営危機に陥った金融機関は別の銀行に吸収されることが多い。あるいは資本が劣化した金融機関同士が合併し、資本を巨大化することによって経営を安定させようとする。その結果、金融機関の数は減少し、数社のメガバンクしか残らない。

金融大国のアメリカでは、メガバンクを超える巨大な金融機関が出現することになる。その資本力たるや、中堅国家の予算を超える。金融システムを安定させるためとはいえ恐ろしいことだ。

グローバル化は、国家でさえ制御できない経済分野を作りつつあるが、超メガバンクの出現は、それをさらに推し進めることになろう。国境を軽々と越える巨大な経済機関となり、国家とは別次元の権力機構としての性格を持ちかねない。

世界規模の独占企業体が出現することになるといっていいだろう。独占禁止法は資本主義経済の暴走を制御するための大切な法規だが、それが通用しなくなってしまう。
石油メジャーなどの資源独占体や穀物メジャーは今でも猛威を振るっているが、金融分野でもそれが起きたらどうなるのだろう。

金融市場は資本主義社会に必然的な存在であるから、資本主義そのものが人間の享楽志向を組み込んだシステムと言えるだろう。貨幣価値の変動とともに、富が流動する社会だからこそ、人間は資本主義を好む。喜びや興奮を味わうためならば、財産が喪失する危険も辞さない。落胆や失意もあるが、平板な人生よりは享楽的な人生である。

もちろん享楽的な人ばかりではない。昨年からの株価の下落で、5,000万円の株資産が3,000万円になってしまった個人投資家もいるだろう。だが、それを見て「ざまーみろ」と喜んでいる貧困層もいる。投資しようにも生活資金を得るだけで精一杯の人々の方が多いはずだ。

だが金融不安は信用収縮を招き、投資資金を持っていない人々の生活も脅かす。この辺が、資本主義のいやらしいところだ。やりたい奴にはとことんマネーゲームをやらせておけばよい、とはいかない。金融システムは、社会全体を覆っている基本的な枠組みだから、その危機は社会生活を営む人間全体に波及する。

さらに、アメリカのサブプライムローン問題のように、庶民を巻き込むことによってバブルを演出する場合がある。サブプライムローンの発想は、多くの庶民が家を建てれば資金需要が高まり、金融部門が活性化する、である。それには、持ち家がない人、つまり建築資金を借りる信用力がなかった人々をターゲットに据えるの効果的だ。そうした人々にもあえて資金を貸し出せるようにするために、住宅資産の価値は永遠に向上していくという神話を作り上げた。まさにかつての日本のバブルにおける、土地神話と同じである。

庶民もマネーゲームの直接の当事者にさせられる。庶民も浮かれることが決して嫌いではないから、乗らざるを得ない。「ざまーみろ」とばかり言っていられない一例である。

そうでなくとも金融界を襲う信用収縮は景気を後退させ、庶民の生活を直撃する。一定の資金需要があってこその各種産業である。流動性が低下すればたちまち多くの産業において需要の低下を招く。庶民に生活の糧を与えている産業が縮小すれば、多くの人々が路頭に迷うことになる。

資本主義というのは享楽も大きい分、落胆も強烈である。不況時の悪循環は永遠のもののように感じられてしまう。
しかし、だからといって社会主義を選択する気配はもうない。社会主義のどんよりした活気のない経済状況も、別の意味で人間を堕落させる。国家全体の力は、資本主義国に劣る結果になると歴史は教える。

人間もバカではないから、過去を学習し、資本主義の悪弊を緩和する努力を重ねてきた。金融システムを安定させる方策も高度になってきた。
その結果だろう。最近の景気循環は昔と比べてなだらかになったように見える。景気が上向くときは急上昇しないかわりに下降はなかなか起きない。反対に景気が下降線のときは、各種政治的施策による下支えが、返って反転する機会を先延ばしにする。そのため、景気の下降線はなだらかになるが、その期間は長期化する。

このなだらかさに我慢ならないのが資本主義の申し子のような投資家たちである。各国の施策をあざ笑うかのように、原油相場を急上昇させてみたり、信用拡大つまりバブルを演出したりする。各国政府もその対処に精力を傾けるが、簡単に対処できないことを見つけるのが投資家たちの腕の見せ所である。国にも為すすべがない、といった事態となる。

こうなっては政府も、救済する相手を選別するしかなくなる。金持ちの集まりである投資家や、余った金を運用しているだけの資産家はあえて救済しない。リーマン破綻によって、他国の金融機関が損害をかぶろうとも、それはその国の余った資産が損失を招いたと割り切るしかない。

日本の銀行も、運用先がないばかりにリーマンなどから金融商品を購入していたが、資金の出所は、日本の富裕層の余剰資金を思えばよい。実際そうなのだから、日本の庶民はあまり気にする必要はない。もちろん金持ちが金を使わなくなると、各種産業の生産が低下し、庶民の生活の糧も先細ることになるが、実需産業だけが残ると考えればよいではないか。

残るべき産業を選別する機会がときに必要なのも、資本主義社会にとっての宿命だろう。膨れ上がった無駄を排除する機会がなければ、享楽型人間社会はとどまることを知らない。

個人生活も同様だ。私も享楽は好きだが、生活を見直す機会を与えてくれるのが不況期だと思っている。


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