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大阪貝塚市で代々、育てた牛を家族で食肉処理し、販売している精肉店を営む北出家の、屠畜者・食肉加工業者・販売者としての一年を温かに映した出した作品です。 監督・カメラマンが女性であることは、鑑賞時全く意識していなかったのですが、明るく穏やかな人々の表情や、言葉、場面ごとに生まれる穏やかな空気。それらを引き出したのは、「女性スタッフだからこそ」だったのではと思えてきました。 2013年。監督:纐纈あや、プロデューサー:本橋成一、撮影:大久保千津奈、音楽:佐久間順平、スチール:本橋成一。 “舞台”は、大阪貝塚市にある北出精肉店。現在の経営者は、7代目の長男。自ら飼育した牛を屠畜場で、自分たちの手によって屠畜。映画は、屠場へ運ばれて行った牛が屠畜される場面から始まります。私たちが食べている牛が「牛肉」となる最初の工程。でも牛の頭に一撃が加えられて牛が足元から崩れ落ちるように倒れた後は、一瞬目を閉じてしまいました。「ジブンは、ダメだな…」と思いつつも。 目を開けると、皮と肉が綺麗に分離されて行く過程に入っていました。その手さばきは実に見事で、徐々に私たちが目にする肉の塊へと成形されていきました。臓物も綺麗に洗われて加工食品となるべく、処理されていきます。 どの作業も、とても手早く、そして本当に美しい。 精肉店は長男夫妻、長女、次男による家族営業、87歳になる、きょうだいの母親が彼らの日々を見守っています。三人の語りからは、父が、被差別部落ゆえの差別を受けながらも、力強く生き抜いてきた姿が伝わります。 長男は、仕事の傍ら、同和教育の講師として、地域の研修会などで語り、次男は仕事の他に、強い思い入れのある地元のだんじり祭りの太鼓に自分がなめした皮を用いる作業にも黙々と取り組んでいます。長女は加工食品作りと、家族の食事の賄をほぼ一日中台所で担当。長男の妻は店での接客の他に、長男と共に地域への巡回販売に出かけて行きます。 それぞれが北出精肉店にとって、かけがえのない存在。地域と共に、7代の年月を重ねて来た歴史がそこにはありました。 2012年3月、輸入肉増や大規模屠場への統合により、北出精肉店が利用し102年続いてきた公営屠畜場が閉鎖されることになります。最後の屠畜を終えた後、新たな時代への一歩を踏み出す為に、北出精肉店は牛舎を取り壊します。 解説文の中にあった「いのちあるものが肉となり食卓に届くまでの行程をつぶさに見つめながら、“生の営み”の本質を浮き彫りにしていく作品」という言葉。日頃意識する事のない「命をいただく」という厳粛な事実を、最初の屠畜場面は、静かに語りかけていました。 「生きるために命をいただく」という生きものが生きていくための基本。その一番大事なものを担って来られた方々が受け続けた差別。映画から私が一番強く受け留めたのは、その不条理でした。 「部落差別」の事を詳しく知ったのは、中学生の頃でした。暮らしていた地域に対象地域はなかったと思いますので、学校で鑑賞した映画『橋のない川』でその「歴史」を知り、その悲惨さに怒りが込み上げました。その想いをずっと持って結婚。 子ども達が通った小学校区には、隣保館があり、同和教育も熱心に行われていました。地域でも、取り組まれていて、PTAの地区懇談会でも、毎年親が考えるべきテーマでした。中には「寝た子を起こすな」という方もありましたが、私は、「起こしてでも」差別の不条理をみんなに伝えるべきだと思っていました。 この映画を見て、思い出したのはその頃の事でした。 映画の中で語られた水平社宣言に込められた言葉の一言一言が、こころを強く揺さぶりました。 |

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なまずさん、
貴重なコメント、有難うございます。
実際に、立ち会われた事があったのですね。
映画では鉄の「こずち」を用いていましたが、本当に一瞬にして
牛は崩れ落ちました。
その後、数十秒目をつぶっていました。
血の吹き出しや臭いは強いだろうな…と思っていました。
これを撮り続けた女性カメラマン、本当に素晴らしいと思いました。
なまずさんの「いただきます」に込められた思い、
深く受け留めました。
2014/4/5(土) 午前 11:12
こんにちは。
差別に付いて幼い頃は特に意識した事は有りませんが、小学校で仲が良くて
好きだった友人が急に暗い顔をし始めて、私とも距離を置くようになって
一体何が有ったのか不思議で仕方有りませんでした。暫くしてから
その友人が差別を受けて表情が暗くなった事を知り無性に腹が立ちました。
人は差別する事で優越感を持ち、自分の存在を誇示しようとするのか?
少し身体が不自由だった子を友人が、からかうのを見て止めに入った事も有りました。
普段は気の良い友人でしたが何故そんな事をするのか理解出来ませんでした。
自分だって知らない間に何かを差別して見て居るのかも知れません。
そんな事で安堵感を得るのだとしたら本当に悲しい事です。
2014/4/5(土) 午前 11:42 [ SIN=KAI ]
sin-kaiさん、
小学生の頃の思い出が、強く残っておられるのですね。
大人の姿勢が、そのまま子どもに移っていくのだと思います。
「自分だって知らない間に何かを差別して見て居るのかも知れません」
本当に難しい問題です。
ですから、思うのは、差別されていると感じる側が、差別する相手や社会に
訴え易い世の中を作っていくことなのだと思います。
映画からは人の温もりが伝わって来ました。
2014/4/5(土) 午後 5:15
こんな映画があったんですか〜〜

驚きです!
昔からホルモンなどの内臓肉に関心があり、世界の「屠畜関係」の本を図書館でよく探して読んできたのでこの映画を観たいです!!
大阪の方が書かれた「ホルモン奉行」という文庫本がありますが、とても内容が似ているように思えます!!
2014/4/5(土) 午後 6:40 [ ゆく ]
alfmomさん、こんばんは。
私たちはただお買い物をしてお料理をして食べるだけですが、
たくさんの苦労があって、そして牛の命があってこそ…、なんと記して良いかわからないのですが、隣町に豚のとさつ場があって、そこを通ると悲鳴が聞こえて来たのを思い出しました。とても複雑な気持ちですが、その隣の工場ではお肉を処理しているのですが、たまに求人があります。でも私は絶対に働けないと思っていました。
でも、そんなふうに思ってはいけないのですよね、映画は観れないかもしれません、でも、働く方々の生き方には感動が出来るかと思います。また、支離滅裂なコメントになりました。いつもすみません。
ナイス。
2014/4/5(土) 午後 7:23
ゆくさん、
女性監督とカメラマンによる作品、とても丁寧に精肉店の一年を追ってありました。
「屠畜関係」の本をよく読んでおられたのですね。
ゆくさんの食生活は、添加物や加工品とは無縁。
自然に即した、とても豊かな「食」を実践しておられます。
機会があれば、是非ご覧になってください。
「ホルモン奉行」という本。興味があります。
2014/4/5(土) 午後 7:52
くうちゃん、
全ての「いのち」に対する敬意。とても大切な事だと思います。
牛が屠殺される場面では、たまらずに目を閉じてしまった自分を
情けない…と思いました。
そして長くこの仕事に従事されてきた方々の、処理作業技術の素晴らしさに感動しました。
同時に、差別の問題も、ずっと考え続けながら鑑賞しました。
いつも色々な気持ちを届けてくださって、有難うございます。
ナイスも、感謝です。
2014/4/5(土) 午後 8:00
御存知かも知れませんが、イスラームでは年に一度犠牲祭があります。余裕のあるムスリムは牛、羊、山羊等を犠牲に捧げて貧しい人に肉を配るのです。私も余裕があった時は自分の名前で羊を一頭購入しました。肉は現地で配ってもらって、購入費の一部は奨学金になりました。普段の生活でも神の名を唱えて頸動脈を切断するという作法を守らなかった肉を食べる事は出来ません。また出来る限り動物に恐怖や苦しみを与えるべきでないとされます(現実ではなかなかそうも行っていない様ですが...)
私は牛の処理に立ち会った事はありませんが、鶏の処理は何度か見たことがあります。頸動脈を切るのは一番苦しみを与えない殺し方だそうで、確かに呆気ない程すぐ死にます。但しその後羽根をむしったり内臓の処理をするのは、野菜の下ごしらえとは比較にならない程手間がかかります。つまり肉料理を戴くというのはそれだけ大変で人にも動物にも負担をかけることなのです。ですから感謝して残さず美味しく戴きます。
そういう世界に長年住んでおりますので、この記事を拝読するまで食肉処理と差別が結びつく日本の事情というのをすっかり忘れていました。
2014/4/5(土) 午後 10:13 [ Farida ]
こんばんは、優しいね、コメありがとうね…。
「牛の頭に一撃が加えられて牛が足元から崩れ落ちるように倒れた後は、一瞬目を閉じてしまいました」
ホント正にその通りですよね…。alf'smomさん優しい心の持ち主なんですね…。
また、普通の人間なら一瞬目を閉じますよね…。私なら劇場から出てしまいますね…、可愛そうで、可愛そうで…。
2014/4/5(土) 午後 11:36 [ reotoreo ]
おっとっと忘れ物、ナイスね。
2014/4/5(土) 午後 11:36 [ reotoreo ]
Alf.momさん、こんばんは♪
過去記事も少し、拝見致しました。時間的にコメントを入れることはできませんでしたが、ナイスでご確認を^^
「ある精肉店のはなし」。
育てて来た愛着のある牛を自らの手で屠畜し、それでいて自らの仕事に自信と誇りを抱きながら、家族間や地域社会との絆を深め、充実した日々を過ごしておられるのがありありと伝わって来る、お写真の中の温和な表情。
そして、その穏やかな日常を断ち切るかのように張り巡らされた「部落差別」問題という伏線を温和の中に交錯させ、その不条理に翻弄されながらも、「生きるために命をいただく」という生存の極限に目を逸らさず、しっかりと根を下ろしていく一家族の逞しい生き方をダイナミズムに描いた作品…
記事を拝見して、そんな印象を受けました。
2014/4/6(日) 午前 0:48 [ 木枯 ]
(続きです)
住井すゑさんの「橋のない川」は、僕にとっても馴染みのある本です。
と言いますのも、かつて、若き日の父が勤めていた高校が巻き込まれた「八鹿事件」という、部落解放同盟(通称、解同)による、八鹿高校教諭に対する激しいリンチ事件があり、その影響か、僕が幼い頃から、「橋のない川」の連作が、家の書棚に積み上げられていたからです。
「差別する側」と「差別を受ける側」双方の悲しい“暴力”や、生きるために、愛情を注いで家族のように育てた牛を、その、いくら撫でたか分からないくらいの自らの手で殺さなければならない不条理。
「精肉店」では、ドラマにもならないありふれた“はなし”のようでいて、これら人間社会の不条理の根幹に関わるテーマが伏流されているために、様々な示唆や厚みのある作品だと思いましたが、僕も「屠畜シーン」は恐らくダメで、この作品に関しては、記事から浮かんだ想像の世界に留めたいと思います(苦笑)
2014/4/6(日) 午前 0:59 [ 木枯 ]
ドイツのドキュメンタリー映画に「いのちの食べかた」という作品があります。食べ物がどのようにつくられているかを、淡々と紹介する作品ですが、その中に牛を電気ショックで殺すシーンが出てきます。野生のライオンが水牛を襲って食べる凄いシーンを、私は残酷だとは思いません。ライオンのプライド(群れ)が命をつないでいくための、自然な姿なのではないでしょうか。
「ある精肉店のはなし」は、このとても印象的な画像をどこかで見た記憶があります。DVDで見られるのでしょうか。
私の通った小中学校では、同和地区がありながら差別教育を行いませんでした。性教育もありませんでした。それはそれで自然体でよかったのではと、私は思っています。あらゆることを条件に人は差別したりされたりするのですが、実体験も含めた人生経験の中で差別意識がなくなったりさらに強くなったりするものだと思います。たとえば、このような映画で人間の素晴らしさを伝える人たちを絶やさないために、平和な世界を維持することなどが大切だと思います。
2014/4/6(日) 午前 1:53
Faridaさん、
イスラームの年に一度の犠牲祭のこと、知りませんでした。
現実では必ずしもそうなっていない事があっても、
「出来る限り動物に恐怖や苦しみを与えるべきでない」という考えを全ての人が持っているということ
とても大事な事だと思いました。
Faridaさんは、鶏の処理はご覧になった事があるのですね。
「野菜の下ごしらえとは比較にならない程手間がかかります。つまり肉料理を戴くというのはそれだけ大変で人にも動物にも負担をかけること」
実際に見られての実感。そういう感覚が、暮らしの中から消えつつあります。
夫の家庭では、鶏を自宅で処理して食べていたそうです。
海の町で育っていますので、勿論魚も、同様。
そういう環境で育っているせいか、食べ物を残したことは一度もありません。
「命をいただく」という意識が自然と身についていたのかもしれません。(つづく↓)
2014/4/6(日) 午前 5:58
最も大変な「処理」の部分が多くの人の目に付かない所で行われ、
美味しい部分だけを人々が喜んで味わう…。地球環境の悪化は、
人間が自分たちが自然の一部であること忘れ、「食」への感謝を忘れ始めた事も
原因の一つのような気がしています。
「いのち」が食べ物になる過程の最も大変な部分を被差別部落の人々に担わせていたこと。
知識としては知っていても、この映画を見たことによって、社会の構造の歪みと
「差別」を作ってきたこころの卑しさを哀しいほどに感じました。
2014/4/6(日) 午前 5:59
reotoreoさん、
この映画を見る前から、屠畜の場面があることは予想していました。
映画は、始まってすぐに屠畜場のシーンになりました。
「覚悟して見なければ」と思いつつも、
情けない事に、私は目を閉じてしまいました。
reotoreoさんは、劇場を出てしまわれる…
そういう方もおられるかも知れません。
監督さんと、カメラマンさん。その他のスタッフさん、
よく撮ってくださったと思います。
2014/4/6(日) 午前 6:04
木枯さん、
丁寧に読んでくださって、有難うございます。
北出精肉店の方々は普通のどこにでもいるご家族でした。
家畜への愛情は持ちながらも、屠場へ牛を連れて行く道々で、
北出さんに必要以上の「情」が溢れる事はありませんでした。
『橋のない川』とは、木枯さんは、そういう関わりがおありだったのですね。
どちらの側に立って考えるかで、「差別」の問題は考え方が全く違ってきます。
私も夫の職業柄、私なりに色々な事を学んできました。
「水平社宣言」も読んだ事はあったのですが、
この映画の中で、その言葉が音に出して読まれるのを聞いたとき、
私は初めて、この文章に込められた人々の尊い意志と、抑圧された長い歴史を
こころで受け留める事が出来た気がしました。
「屠畜シーン」。木枯さんも、無理ですか。
映画の中で、北出さんご家族はけっして「殺」という言葉を使われませんでした。
そのことに、この仕事に長く携わってこられた家族の人々の深い思いを
感じ取る事が出来た気がしました。
お忙しい中、たくさんの記事を読んでくださって、有難うございました。
2014/4/6(日) 午前 6:37
tosboeさん、
「いのちのたべかた」というドキュメンタリーは知っていますが、未見です。
「ある精肉店のはなし」は、私はdenkikanで観ましたので、DVD化されているかどうかは
申し訳ありませんが分かりません。
tosboeさんの小中学校では同和教育は行われていなかったのですね。
もしかすると今は変わっているかもしれません。
私も、自分の小中学校時代には、行われていませんでしたので、
結婚して移り住んだ土地で、そういう取り組みを知りました。
tosboeさんが仰るように「実体験も含めた人生経験の中で差別意識がなくなったり
さらに強くなったりするものだ」と私も思います。
でも、私は同和教育に関しては、それを行う事によって、
人々の「差別」への理解と自らを省みるという意識が生まれていく事を願っています。
2014/4/6(日) 午前 6:51
スクリーンで観ました。私もFaridaさんのように、犠牲祭を思い出しました。山羊や羊を、感謝をしつつ解体する敬虔なムスリムの姿を。
東北では、平気で「部落」と使います。特に差別意識が込められている訳ではないので、関西などの歴史を知り驚いた記憶があります。
2014/12/21(日) 午後 7:01 [ datechibu ]
> datechibuさん、
私のふるさとでも、「部落」と言う言葉は普通に使っていました。
所謂「被差別部落」のない地域だったからだと思います。
「寝た子を起こすな」と言う声はよく聞きましたが、
不当な差別について学習することこそ、差別を解消していく力になると信じて
私は関わって来ました。そういう意味では、とても意義ある作品だと思いました。
2014/12/21(日) 午後 9:59