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denkikanで、話題のドキュメンタリーが6月に、上映されます。「アクト・オブ・キリング」。ブログの友人の記事で本作のことを知りました。私は多分スクリーンを正視できないと思います。未見ですので「映画.com」より解説を拝借。
1960年代インドネシアで行われた大量虐殺を加害者側の視点から描いたドキュメンタリー。当時秘密裏に100万人規模の大虐殺を行っていた実行者は、現在でも国民的英雄として暮らしている。その事実を取材していた米国出身の映像作家ジョシュア・オッペンハイマー監督は、当局から被害者への接触を禁止されたことをきっかけに、取材対象を加害者側に切り替えた。映画製作に喜ぶ加害者は、監督の「カメラの前で演じてみないか」という提案に応じ、意気揚々と過去の行為を再現していく。やがて、過去を演じることを通じて、加害者たちに変化が。昨年、山形国際ドキュメンタリー映画祭インターナショナル・コンペティションで「殺人という行為」のタイトルで上映、最優秀賞受賞。 「パフォーマンスと言う感覚遮断が大量殺人を可能にした〜『アクト・オブ・キリング』監督インタビュー」と言う記事が先月の「週刊金曜日」に掲載されていました。とても興味深く読みましたので、抜粋して掲載します。 やや長いので最後の「(靖国神社の)遊就館の異常さ」だけでもお読み頂けると嬉しく思います。 一つは、彼らをモンスターのように描かないという事。彼らは人間なのです。しかし、彼らが人間であるという事、それが、この映画が掴み取らんとした震撼すべき真実でもあります。 不処罰ゆえです。殺人者たちは権力の座にとどまっています。加害者たちは知っていたのです。米国であれ日本であれ、残りの世界がこの大量虐殺を支持し、それによって加担していることを。一方彼らは恐ろしい記憶にも苛まれていました。行為を正当化する為に、彼らは飴玉を煌びやかな包装紙で包むように、虐殺行為を何重もの物語で包んで語り続けた。大量虐殺を英雄的行為と称え、殺人者が大手を振るう「公的な歴史」を作ったのです。 「殺人」は「演技」 殺人が「アクト」、つまりパフォーマンス(演技)だった。それが殺人を容易にしたのです。殺人とは本質的に人間的なものです。我々人間こそが唯一、膨大な数の同胞をかくも効率的に、かくも熱意をもって殺す唯一の種です。一方で殺人はトラウマをもらたします。だから私たちは殺人から距離をとろうとする。アンワルは殺人行為から自己を隔てるために映画を引用し、利用します。でも、彼が挙げるのは暴力的なギャング映画ではなく、エルビス・プレスリーのミュージカルです。エルビスに酔いしれ、踊るような足取りで、至福感に満ちながら彼は人を殺しました。映画への同一化を利用して、自身の行為から距離を置くのです。彼にとって殺人行為とは常にパフォーマンスでした。人を殺す瞬間、彼は自分自身が感情的にはそこに存在しないように、創造の観客に向けて演技をしていたのです。「私はこの感覚遮断こそが大量殺人を可能ならしめたものだと考えています。 遊就館の異常さ 一年半前、映画を最初に見た時、彼は動揺し、声を出して泣きました。映画は彼らの行為についての社会的な受け止め方を変えました。彼はもはや自分の行為を自慢げに語ったりはしません。しかし悔い改めて罪を贖ったわけではありません。「今でも殺人者たちの共同体の中で生きているからです。 今回、靖国神社の遊就館に行き、自国の歴史に対する日本の態度を見て行きました。展示の最後にこんな内容の文言がありました、。第二次大戦後西洋列強はアジア諸国を再植民地化しようとしたが、アジア諸国はそれを拒否した。なぜなら彼らは西洋のレイシズムの誤りと人種的平等を日本から学んだ、と。私は日本史の専門家ではありませんが、インドネシアにおける日本軍の支配や、その下で起きた恐ろしい事件についてはかなりの程度知っています。インドネシア人に1965年の出来事について訊ねると、「非常に悪い出来事だった」と言いますが、その後に続くのは「でも日本の方がずっと酷かった」と言う言葉です。日本軍がインドネシアにもたらしたホロコーストをグローバルな解放であるかのように、あたかも植民地支配からの解放であるかのごとく主張するこのミュージアムは、私には異常なことに思われます。正にG・オーウェルの小説『1984年』で戦争省が平和省と称されるのと同じです。私たちは誰も歴史から学びません、歴史から学ぶことを自らに強制しない限り。心を開き、想像力によって、頭と心を開いて、歴史を見ようとしない限り。人間として必要とされる純粋な共感によって、想像するという行為によって、過去を見ない限り。 (引用終わり) 「日本軍がインドネシアにもたらしたホロコーストをグローバルな解放であるかのように、あたかも植民地支配からの解放であるかのごとく主張するミュージアム」とは言うまでもなく靖国神社に併設された遊就館のことです。 自国の歴史に対する日本の態度が、米国生まれの監督には、そのように見えるという事です。その神社に是が非でも参拝したいとする首相を持つ国。多数の国会議員が大挙して参拝する国。監督には異様に見えることでしょう。 |

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こんばんは。
これを映画にと考えた監督は人間の本質を見せたかったのでしょうか?
日常でも「あの人が信じられません」という言葉を良く耳にしますが
現実の方が普通に残虐が存在しているのかも知れません?
ベトナムでも異常な戦争だったと思いますが、アメリカが日本に落とした
原爆以上の残酷さは地球上に存在しないと思います。
前に、おぞましいと表現した大統領は原爆を何と表現するのか?
聞きたく成ります。善意が悪意に負けないと信じたいとは思いますが。
2014/5/8(木) 午後 11:35 [ SIN=KAI ]
sin-kaiさん、
監督は「人間の本質を見せたかったのだ」と思います。
「(虐殺を行った)彼らが人間であるという事、それが、この映画が掴み取らんとした震撼すべき真実」。
そういうことを伝えたいと考えられたのだと思います。
戦争はどれも異常な状態に人の心をさせてしまうものだと思っています。
原爆は兵器の中では、殺傷能力が高く、地域や後世にまで放射能被害をもたらす最悪のものです。
アメリカの多くの人々はあのきのこ雲の下で起こったことを知らないのだと思います。
「歴史から学ぶことを自らに強制し、心を開き、想像力によって、頭と心を開いて、歴史を見、人間として必要とされる純粋な共感によって、想像するという行為によって、過去を見ることによって」『歴史』から学ばなければならないと思います。
特に政治家、とりわけ首相は。
そういう思いで書いた記事です。
2014/5/9(金) 午前 0:17
インドネシア人の発想に慣れている私ですら、最初に観た時は混乱して調子が悪くなりました。それでもいい、インドネシアを愛する気持ちは少しも変わらないと確信し理解出来るまでには、あれだけの時間と記事が必要でした。今はあの映画のお蔭で「祖国」インドネシアと人間に対する理解を深める事が出来て良かったと心から思います。でも健康問題を抱えておられる今のalfmomさんにはお勧めしません。
映画の最後自作自演の幻想的場面で、虐殺の犠牲者がアンワルさんの首にメダルをかけて「私達を処刑して天国に送ってくれて有難うございます」と言います。ある種の人達は同様に「日本軍の占領のお蔭で独立させて頂いて有難う」とインドネシア人に言って貰いたいのでしょう。それならインドネシアに行ってあちらのマスコミの前で堂々と記者会見を開いてその旨発言すればいい。彼らの実際の反応が分かると思います。その後何事も無く無事に帰って来られるかどうかまでは知りませんが。
2014/5/9(金) 午前 8:31 [ Farida ]
「居酒屋の加藤周一2」1992.9.30談
「最初に戻ると、中国と日本の関係はどうあるべきだということですね。長い目で中国と日本の関係を大事にしようと考えたとき、圧倒的多数の学生が天皇訪中に反対し「謝れ」と言っていることを無視することはできません。今の中国政府は「謝れ」と言ってないからといって、それで事足れりとするのは、あまりに近視眼的だと思う。
中国の学生が言っていることは非常に大事な問題だと思います。そのことへの対応は非常に簡単なんです。つまり、あの戦争のときに中国人に加えた損害について、日本社会が全体として。。。。それは外務省の問題ではないんだ、もっとはっきりした罪を認めて謝罪の態度をとる、ということです。それなしにはダメだね。
2014/5/9(金) 午後 0:47
本当によくならない。謝罪したってよくなるかわからない。それくらいに大変なんです。だって何百万の人を殺しているわけでしょう。みんなが戦闘員じゃないんです。中国国民を数百万人殺されたら、五十年や百年で忘れないですよ。ユダヤ人が忘れないように、中国人も忘れません。今の中国を建設していくために日本の経済力を頼って何とかしていかなければならないから、そういうことを我慢しているわけです。
韓国もそうです。みんなそうです。東南アジアの人々にとっても、忘れる、忘れないなんてことは問題にもならない。」
ヒロシマを忘れない
フクシマを忘れない
ワザワザ標語にするってことは、余程忘れっぽい人たちっていうことですね。ここですでに国と東電に負けてる。
「しかし、日本が中国、韓国、東南アジアにたいして行った残虐な戦争犯罪を日本の社会はあまり認めない。そしてそのことをはっきりと意識しないし、教育もしない、隠して黙っている、ということをヨーロッパの人はかなりよく知っていますよ。アメリカ人からはあまり聞いていませんが、もちろん知っていると思いますね。それは日本の性格のひとつになっている
2014/5/9(金) 午後 0:51
「日本大使館の天皇誕生日のパーティで10人くらいのドイツ人と話したけど、誰もそういうことは言わないよ」って。
当たり前ですよ。日本大使館のパーティでスシ食ってる最中には言わない。ベルリンのビアホールに行って、ドイツ人と話したらいいんです。そこで何を言っているか。
日本のイメージのひとつは、戦争犯罪について、ほとんど何もしない国だということです。フランス人も言っています。ドイツ人はもちろんです。ドイツと比較して、日本とドイツの一番の違いは戦争犯罪にたいする態度、戦争犯罪を認めないことだと・・・」
そんなヨーロッパで、えっらそーに、あの馬鹿、「積極的なんちゃら」と演説したという。。。周りの人達がききながら冷たく眉をひそめた映像をニュースでみました。白けていたような気がします。誰も歓迎の意思表示は無いしニコリともしないでいた。
2014/5/9(金) 午後 1:03
Faridaさん、
よく最後までご覧になって、あれらの記事を書かれたな…と思っていました。
初回の鑑賞時に、Faridaさんは調子が悪くなっておられましたので
私が見るのは無理だと思っていました。
“ある種の人達は同様に「日本軍の占領のお蔭で独立させて頂いて有難う」と
インドネシア人に言って貰いたいのでしょう。”
政治家の中にもそんな方が多くおられるのだと思います。
Faridaさんの記事を読んでいなければ、このドキュメンタリーを意識することも
監督の想いを受け止めることもなかったと思います。
とても考えさせられました。
2014/5/9(金) 午後 8:13
札束さん、
アジアの方々に行った日本の非道を認識していても、
謝罪に関して、ドイツのそれとは、大きな隔たりがあることは、
先月の英語学習のための資料(シンガポールの作家が書かれたもの)を読むまで
気づいていませんでしたので、自分の無知を心から恥じました。
「あの戦争のときに中国人に加えた損害について、日本社会が全体として。。。。それは外務省の問題ではないんだ、もっとはっきりした罪を認めて謝罪の態度をとる、ということ」、
そんな大切なことを今頃になって漸く意識できるようになりました。
「日本が中国、韓国、東南アジアにたいして行った残虐な戦争犯罪を日本の社会はあまり認めない。そしてそのことをはっきりと意識しないし、教育もしない、隠して黙っている、ということをヨーロッパの人はかなりよく知っていますよ」。
教科書(イクホウシャなど)も益々そのことを隠そうとしているよう。
先の外遊時の、首相の、自信満々に「積極的和主義」や「アベノミクス」が
上手く進んでいると自画自賛し、
他国も高く評価しているとスピーチする姿は、本当に恥ずかしくて見ていられませんでした。
2014/5/9(金) 午後 8:32
ナイショさん、
いい映画をたくさんご覧になっていますね。
イーストウッドの作品には私も好きなものが多いです。
丁寧に脚本が練り上げられ、的確にテーマが胸に届く映画をたくさん作っています。
音楽も素敵なセンスを感じています。
ここ10年ほどの間に作られた彼の作品の多くを劇場で見ています。
演技者としても監督としても、本当にいい仕事をされる人です。
感想をお伝えくださって、有難うございます。
2014/5/9(金) 午後 9:48
なぜだろう?
昨日コメしたんですが、、、
あとかたもなく消えている!!、??
2014/5/10(土) 午前 8:40 [ baldman ]
bald manさん、
そうなのですね!
「これまで書き込みができない…」と言われることはありましたが。
何が起こったのでしょう。
折角書いて下さったのに、残念です。
2014/5/11(日) 午前 5:44
折りをみて、また投稿しますね。
ちょっと、長文だったんで、今度は短くまとめますね。
2014/5/11(日) 午前 9:45 [ baldman ]
bald manさん、
本当は「読みたかったです」と書きたかったのですが、
そう書くと無理をして書いて頂くことになるからと思って控えました。
再投稿して下さるとのこと、とても嬉しく思います。
どうぞお時間のある時に。
ゆっくりお待ちしています。
2014/5/11(日) 午前 10:09
この作品見たいのだけれど。
こちらでは,やっていそうにないなぁ。
2014/5/11(日) 午後 1:24
爺っちゃ、
上映されるところは限られるのかもしれません。
こちらではdenkinanで上映されます。
多くの問題を提起する、エンターテインメント性などない映画を
上映する映画館の存在をとても心強く思います。
ここは『標的の村』も上映してくれたところです。
2014/5/12(月) 午前 4:35
とにかく凄い映画でした。
残虐行為をしながら英雄で財を得た主人公をそのままで見れるのは、戦争は勝者のロジックで犯罪者になっていないって事ですね。
しかし、その背景に、残虐行為を知って居ながら無視した国連と日本の存在があった事も事実ですね。
国際法も裁判も謝るかどうかなんかは、勝った者は一切なしである現実ですね。
佐藤栄作は、その100万人虐殺した軍事国家側に、ポケットマネーで600万も寄付したらしく、安倍首相のいう首相の「お仲間」なんですね。
TBお返しします。
2015/4/11(土) 午後 0:15 [ ひろちゃん2001 ]
> ひろちゃん2001さん、
お訪ね下さって有難うございます。
「残虐行為をしながら英雄で財を得た主人公をそのままで見れるのは、
戦争は勝者のロジックで犯罪者になっていないって事」…本当に仰る通りです。
「大量虐殺を加害者側の視点から描いたドキュメンタリー」。
その殺人者が今でも国民的英雄であること、信じがたいことです。
「国際法も裁判も謝るかどうかなんかは、勝った者は一切なしである現実」。
そのことを深く思います。
見るのも辛く苦しいような作品をよく記事にして下さいました。
TB、有難うございます。
2015/4/11(土) 午後 6:17