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理由は、一か月前に見た映画の衝撃が残っているから。 その映画は1944年のアウシュビッツ強制収容所が舞台の「サウルの息子」というハンガリー映画。 以下、奥記者の文章のまとめです。(4/12朝日朝刊より) ―――主人公サウルは、同胞がナチスに虐殺される場で働かされるユダヤ人。 彼はシャワーを浴びるつもりで全裸になった同胞をガス室へ送り込む。阿鼻叫喚の後でも血で汚れた床をこすり、遺体を選ぶ。逆らえば殺される。そこは正に地獄。 選挙によって、政治権力を委ねた相手が、「隣人」を排除する「怪物」だったらどうなるか。生々しい光景に耐えられず、ある場面ではスクリーンから目を背けた。
―――同時代を生きた牧師で、ヒトラーに抵抗したマルティン・ニーメラーの言葉が今に胸に響く。
「ナチスが最初共産主義者を攻撃した時、私は声を上げなかった。私は共産主義者ではなかったから…彼らが私を攻撃した時、私の為に声を上げるものは、誰一人残っていなかった」。他人事と思っている間に世の中が変った。行動が遅すぎたことを悔いた。 ―――今年も熊本の桜は、この時とばかりに花を咲かせた。
外国人客も含め多くの花見客が集った。来年も再来年も、誰もいなくならずに同じ光景を見たい。 「空気」に敏感になって、隣人と肩を組み、声をあげるなら今のうちだ。誰かがいなくなる、その前に。(以上) ただ、思うのです、検察・マスコミの緩い追及の陰でどれ程の非道を政治家たちが行っているか、そこにある処分の、報道のアンバランスを。 マスコミが使命感を持って仕事をきちんと行っていたからです。どんな不祥事が起こっても、信じ難い暴政が行われても、徹底した追及力を失った今のマスコミ。倒れて当然の内閣はまだ平然と悪政続行中です。 同じ姿勢を出演者に感じているのは「サンデーモーニング」と「報道特集」。この二つの番組の姿勢が変わったら、それは完全な「報道」の死を意味すると思います。 |

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