“わが谷は緑なりき”〜私の映画ノート

原発のない、戦争のない世界に。そして「縮小社会」に向かう覚悟を。

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ギランバレー症候群という病名は、2009年に62歳で急死した女優の大原麗子の死因であったことで、
初めて知りました。同時に、物凄い痛みを伴う病気であることも。


夫が購入した「ふんばれ、がんばれ、ギランバレー!」という本(漫画)を先日読みました。
その「闘病記」は実に凄まじいものでした。
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 作者は(主人公)は函館の病院で働く22歳の新米看護師(たむらあやこ)。仕事を始めて1年ほどしたある日、たむらは、突然原因不明の高熱に襲われ、動けなくなります。薬は全く効かず、高熱・吐き気・足の脱力などなど、体の自由は徐々に奪われて行きます。
いくつかの病院を転々とした後、たむらは脳神経内科のサトウ医師により、ギランバレー症候群と診断されます。身体の自由と普通の日々を奪われてしまったたむらの、長く険しい闘いの日々が始まりました――。

1年半ほどに及ぶ、ほとんどベッドに寝たきり生活。「全身を切り裂かれ、ねじられ、骨から身を剥がれ、内臓はちぎれ」(作者による表現)という痛みが24時間営業で続く毎日。看病で付き添う母が見かねて「何か一つでも症状を減らす治療か薬はないんですか」と医師に尋ねても「有りません」とキッパリ。


「痛い」「つらい」「具合悪い」。この3つの言葉しか脳に浮かばない24時間眠れない生活。そう言う日々を1年以上過ごし「あー死にてー」と思い始めたある日、医師が「血漿交換療法」の開始を告げます。急激な回復は無かったものの、食物を口から摂れるようになり、筋力アップのためのリハビリを叔母と共に進められるようになり…と、病院生活に変化が出て来ます。



「痛みのために24時間眠れない生活」「的確な治療法は無し」。そんな状況を1年以上耐える自信は私にはありません。そんな「激烈」な日々を作者は決して暗く描くことなく、コミカルに、希望を感じさせながら綴っていきます。親戚も含めた家族の支え。全てが笑いと共に描かれていますが、読むうちに涙が出て来ました。

たむらあやこさんのリハビリはまだ続いていますし、体の自由度はまだ「不完全」ですが、大好きな絵を職業とする新たな人生の歩みが始まりました。本当に「奇跡」の回復です。「奇跡」は起こるものではなく、起こすものだと強く感じさせた本。

深く感動させた作者の「作品」を最後に。
それは、落馬して重い脳障害を負って入院中の若い騎手が、病院の壁に飾られた作者の馬の絵を見て初めて「うま」と言葉を発したことがきっかけで、描くことになった彼の為だけの絵。

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(この絵を、作者が若い騎手T君に渡した時、)
それまで起き上がることも、何かに反応したり、表情もはっきりすることがなかったT君が…
明らかに嬉しそうに、そして自力で起き上がった!

しかし感動サプライズはそれだけではなかった…
お礼を言ったことを忘れてしまうのか、私を院内で見る度にお礼を言いに来てくれた。

それまでT君は歩くリハビリはしていたが、リハビリの先生が足で足を押して
何とか歩かせるという歩き方だったのが、(作者に近づいて来た時は)
おそらく初めて自らの意思で歩いたのだった。(本文より)


「ふんばれ
がんばれ
ギランバレー!」
という逞しいタイトルからも元気をもらいました。

体調不良は相変わらず続行中。それでも野党統一候補あべ広美さんの事務所開きには是非出向きたく、悩んでいた昨日。5時に眼ざめ、「行こう」と準備を始めたものの、きつさのために断念し、再び就寝。しかし、8時に起きて家事を始めると力がみなぎり始め、「行かねば!」という気持ちの方が優って来ましたので、10時の開会に間に合うように出かけることができました。

午前中から暑い日差しが照り付けていた昨日、後援会事務局長は「300人も来ていただければ有難い、と思っていた所、4〜500人の方々に集まって頂け、本当に嬉しい」と挨拶されました。その事務局長も、地震後、まだ車中泊を続けておられるとのこと。

参加者の中にも「被災者」は多くおられたことでしょう。そんな中での事務所開きであるにも拘らず、よくこれだけの方々が集まられた…と感慨深い思いになりました。

応援スピーチに駆けつけて下さった方の中には、元千葉県知事の堂本暁子さんもおられました。
「本気で政治を変えようとする政治家が一人でもいれば、必ず何かが動き出す」。堂本さんは力強くそう語られました。あべ広美さんはそう言う熱意と覚悟を持って立候補を決断された方です。

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スピーチされるWDW熊本の学生さん。その左横におられるのがあべさんと堂本さん。

そのあと話して下さったのは、元学園大学長と市民グループの方々でした。
そのうちのお一人、WDW熊本(安保法制に反対する若者グループ)の大学生の方は、神奈川出身。まだ入学してひと月。親元を離れて僅かのその間、あの激しい熊本地震に見舞われ、大変な恐怖を体験されたであろうに、あの場に立って「現政権の動きに対して、何か行動を起こさずにはいられない」という思いを静かに語られる姿に、胸が熱くなりました。

あべさんは仰います。「復興の困難さ、雇用問題、経済問題、格差、貧困、福祉の不拡充、保育…様々な問題を『しょうがない』で諦めていてはいけない」「それを乗り越え、解決させていくのが政治の力」だと。

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今回の地震は、全国で初めて野党統一候補を実現させ、支援者たちの動きも活発になり、組織が順調に結束して運動を展開していた時に起こりました。まだ「震災」は続く中での活動には色々な支障が出ています。
それでも、支持者の思いを結実すべく、残された期間は僅かですが、諦めず巨大な力に立ち向かっていかねばなりません。そう決意させた大事な一日となりました。

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益城町住宅、半数が損壊 計5400棟。

被害の甚大さを伝える数字です。地震発生からひと月を経て、あの地震の威力を改めて感じています。仕事で益城町を訪れた息子が先日我が家に来た際に言っていました。「木造住宅はほとんど倒壊。町が上から『グシャっ』と潰された感じ。TVでは一部しか映らないけれど、360度の視界の中では本当に凄まじさを感じる」と。

町の復興、再建の多難さを思います。
2日間で震度7の地震が同じ地域を二度襲う。こんな状況を誰が予想したでしょう。自然は絶対に「想定内」の動きだけをするのではないことを肝に銘じるべきです。

福島の事故から5年。与党政治家らは何の教訓も得ないまま、経済最優先の選択を再び始めました。
週刊金曜日に「川内原発を止めよ」という成瀬浩一(75)さんの投稿がありましたので、掲載します。



                  川内原発を止めよ」  

安倍首相は「国民のいのちと安全は私が守ります。私の責任です」などど語る。
今地震が頻発している熊本県のすぐ近くに九電の川内原発はある。原子力規制委の田中委員長は「川内原発の停止は必要ない」という。川内原発の停止により「電源供給が足りうるか」より問うべきことがある。

熊本地震の震源の深さ10キロ、マグニチュードは7.3。震度7に相当する。M6.5の地震であれば日本中どこでも起こり得る。勿論川内原発の直下でも。だがこの原発はM5.7までしか耐震計算されていない。首相の言う「世界で最も厳しい基準」がこの有様なのだ。
震災で避難経路が断たれた後、原発に異変があった場合どうするのか。それこそ住民は避難の術がなくなるのではないか。

福島の事故から5年。飯館村は今どうなっているか。黒毛和牛の特産地として知られていたこの村には、もう人が住むことができない。村の全域で、放射線量が年間積算20ミリシーベルトに達する。住民全員の避難指示が出されるような区域なのだ。土壌からは放射性物質の検出が続いている。
原発事故で住むところ追われた人たちは、再び故郷の地に戻ることは困難になる。

政治家たちは、この事故から一体何を学んだのか。首相だけではない。与野党問わず、政治家や官僚・経済界の人々は深刻に問題を受けとめていない。
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上の記事とは全く関係ないのですが、先日yahooニュースで下の記事を読み、今の熊本の現状、政府の対応などを考えていると、「日本は一体どこへ行こうとしているの」…と、空しさがこみ上げました。


新潟開催AKB総選挙 3万人AKBファンを「食のとりこ」にしてしまう作戦も… 産経5/14


アイドルグループAKB48の一大イベント「選抜総選挙」が6月18日に開かれる新潟市が、てんやわんやの大騒ぎになっている。県内や全国から3万人が押し寄せるとみられ、地元のバス会社はピストン輸送態勢を取り、上越新幹線も増発。「宿泊難民」の調査に県が乗り出す一方、市は自慢の「食の魅力」で県外の若者をとりこにしようと戦略を練る。新潟を拠点にするNGT48のメンバーを総選挙で上位に押し上げようとする地元ファンと、AKBや他の姉妹グループのファンとのバトルも水面下で激しくなっているようだ。
昨日、地震から約一カ月を経てようやく近くのスーパーが再開しました。ほぼ日常生活用品の全てをそろえた店でしたので、待ちに待った再開でした。

今週は一カ月ぶりの病院の定期検診と一カ月ぶりの里帰りをしたせいか、疲れが大きく、横になって過ごすことが多かった一週間でした。PCの文字を読むのも億劫、文字を打つ気にもなれませんでした。
まだ完全に復調していませんが、家のうち・そとを整えなければという気持ちが少し起き始めました。

月曜、検診に行った、熊本赤十字病院は、震災直後から被災した人々が多数押し寄せ、病院は患者であふれ、その後数日間は外来診療は不能となりました。先日病院に行くと、正面玄関は大きなシートで覆われ、壊れたままの状態でした。

担当医に「震災後は患者さんが押し寄せて大変でしたね。お疲れ様でした」と言葉を掛けると、「大変だったのは3日ほど。後は全国から応援が来てくれました」と言われました。受診したその日も体の前後に「看護師」というゼッケンをつけた職員の方々が一般職員に交じって働いておられましたので、各地から派遣された方々なのだろうと思いました。

そして水曜の里帰り。通常は所要時間1時間の高速道路熊本ー人吉間が約2時間かかりました。道路が完全復旧していないために、対面交通が行われている区間は大渋滞。一部一般道に下りる箇所もあり、大変な里帰りでした。


明日で地震発生からひと月になりますが、相変わらず余震は続いています。昨日の午後と今日の未明には熊本地方では震度4の地震が発生しました。震源は宇城地方。徐々に南下しています。今後どういう状況になるのか予想のつかない地殻変動。川内原発を稼働し続けるのは狂気の沙汰です。              


熊本銘菓・紅梅の武者返し 
西原村にある紅梅の工場が被災したために、お菓子の多くが製造中止になっています。
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熊本市にあるマルキン食品工場が被災したために、納豆や豆腐などの大豆加工食品の流通量が激減しています。
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どちらも大好きな熊本の味です。

現地対策本部に松本氏復帰=熊本地震 時事ドットコム5/9

政府は8日、熊本地震の被災者支援などのため熊本県庁に設置している現地対策本部の本部長を、内閣府の牧島かれん政務官から松本文明副大臣に同日付で交代させたと発表した。
松本氏は4月14日の大地震発生の翌日から同本部長として現地入り、20日に交代しており、2度目の着任。
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016050800084&g=pol



朝日記事(5/9)によれば、内閣府は再任の理由について「現地対策本部長はローテーションで務めている」とのこと。松本氏は「本震」(4/16)発生後の政府と県を結ぶTV会議で河野防災担当相に自分たちへの食事差し入れを要請し、衆院総務委員会で「大変申し訳ない」と陳謝した人。

被災者・被災地への思いなど全く持ち合わせていない松本氏。何故こんな議員がまた熊本の震災に関わるのか。熊本を馬鹿にするな!と言いたい。アベ政権の震災への真剣味のない取り組みがここでも露呈。「適材を必要な部署に」ではなく、ローテーションで担当が決まる???学校の掃除当番と一緒。信じ難い感覚です。


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