“わが谷は緑なりき”〜私の映画ノート

原発のない、戦争のない世界に。そして「縮小社会」に向かう覚悟を。

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 恒久平和へ誓い 「慰霊の日」沖縄全戦没者追悼式 2012年6月23日 琉球新報

沖縄戦で犠牲になった20万人余のみ霊を慰め、世界の恒久平和を誓う「2012年度沖縄全戦没者追悼式」(県、県議会主催)が23日、糸満市摩文仁の平和祈念公園で開催された。本土復帰40年の節目の年に迎えた「慰霊の日」。復帰時に県民が希求した基地のない沖縄は40年を経ても実現していない。


今日は沖縄慰霊の日です。20日の朝日新聞に日本文学研究者で今年日本国籍を取得された
ドナルドキーン氏の
インタビュー記事が書かれていました。
  「筋金入りの平和主義者」であるキーン氏が関わった沖縄戦。以下、要約です。

67年前の沖縄 銃使わぬと誓い 貫いた

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【ドナルド・キーン氏】 米コロンビア大名誉教授。1922年生まれ。戦後、京都大に留学し、日本文学を研究。全18巻の「日本文学の歴史」や「明治天皇」「日本人の戦争」などを著した。

東日本大震災からの復興を励まし、寄り添うように今年3月、日本国籍をとった日本文学研究者のドナルド・キーンさん(90)。67年前、初めて踏んだ日本の地が沖縄。戦地に上陸する米軍の一員として。

沖縄との出会いは、消せない記憶として刻まれていると言う。

1945年4月1日。米軍は沖縄本島に上陸。特攻機は隣の船のマストに接触し、海に落ちた。「マストがなかったら、私は今ここにいない」。22歳だった。


陸軍で通訳を担当。北谷町から上陸し、普天間方面へ。キーンさんは銃を使わないと自らに課した。

「第一線に行くことは少なかったが、一度も撃たなかった自分に人を殺す権利はないと思ったから

ニューヨーク生まれのドナルド・キーンさんは幼い頃、百科事典の「W」の巻を手に取らなかった。「WAR(戦争)」のページの戦いの写真が嫌だったから。「筋金入りの平和主義者」なのに米軍に入ったのは、日本への関心ゆえだった。

大戦中の1940年、コロンビア大学に通うキーンさんは「源氏物語」の訳本に出会い、絢爛たる世界に魅せられた。日本語を学ぼうと、通訳を養成する米海軍の日本語学校に進んだ。

普天間で捕虜を尋問し、前線では日本兵に投降を呼びかけた。「放送はあまり効果がなかった。日本の兵隊や民間の防衛隊は、勝ち目がないのに爆弾を背負って突撃してきた。自殺する女性や子どももいた」

ハワイでの翻訳を通じ、日本軍が「捕虜となるのが一番の恥」と兵を教育していることを知っていた。沖縄で見た日本軍の文書にも「捕虜になると女性は強姦され、子どもは殺される」とあった。
「だから、死ななくていい人たちが命を絶った。日本軍の上層部がしたことは本当に許せない」と語気を強めた。

45年6月23日に組織的戦闘が終わった後も局地戦は続き、県民の犠牲者は12万人以上、米軍の死者も1万2500人に。キーンさんの沖縄駐留は7月中旬まで続いた。

「戦後出会った日本人は好戦的ではなかった。人間はマス(集団)の一部になると性格が変わる」。

年末、講演で沖縄を訪ねる。かつて滞在した普天間に今も、戦争中の米軍飛行場が残り、移設問題や新型機の配備に揺れる。「飛行機の騒音や米兵の犯罪。沖縄は日本で一番待遇が悪い。誰も説明しないまま、大きな米軍基地が置かれている」。沖縄の現状を憂う。

「戦争のおそれがなくなれば、米国と中国が仲良くすれば、基地はいらない。いい世界がつくれる」
最後に、かみしめるように語った。「それが私の夢です」



敗戦の時に23歳だった若者も、今は90歳。戦争を実体験として語れる人たちの超高齢化が進んでいます。

「筋金入りの平和主義者」は、日本を愛するが故に兵士として日本に赴き、一度も人を撃ちませんでした。そこまで、他国を愛することができる…。キーン氏を魅了した芸術の力の偉大さを感じました。

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古館さんの「報道ステーション」は、この6/22のデモの模様を正確に伝えてくれました。

毎週金曜日に首相官邸周辺で行われていたデモは、参加者が日を追うごとに増え、昨日は主催者の発表で4万5千人に達したとのこと。
「大飯原発、再稼動反対」を叫ぶ参加者たちの、デモに参加した想いがインタビューを通して、切々と伝わって来ました。これが全国に放送されたこと、本当に嬉しく思いました。

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首相官邸前デモに45000人!←こちらで動画が見られます。(残念ながら報道ステーションの動画は削除されてしまいました)         


提唱者は、平野太一さん27歳。介護職員。
一人の想いが、これだけ多くの人の共感を呼び、これだけの行動を起こせる…凄いことだと思いました。
結集した数多くの人々熱い意思を感じ、深く感動しました。画面が涙で滲みました…



そしてこちらは、秘密裏に行われていたもの。東京新聞が伝えています。以下要約〜

     「原子力の憲法」こっそり変更    2012年6月21日 朝刊

20日に成立した原子力規制委員会設置法の付則で、「原子力の憲法」ともいわれる原子力基本法の基本方針が変更された。変更は34年ぶり。法案は衆院通過まで国会HPに掲載されておらず、国民の目に触れない形で、ほとんど議論もなく重大なことが変更された。 
法案は、民主党と自民、公明両党の修正協議を経て、衆院環境委員長名で提出された。

変更の内容は、原子力の研究や利用を「平和の目的に限り、安全の確保を旨として、民主的な運営の下に」とした基本法二条に一項を追加して、原子力利用の「安全確保」は「国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全並びに我が国の安全保障に資することを目的として」行うとしたところ。

追加された「安全保障に資する」の部分は閣議決定された政府の法案にはなかったが、修正協議で自民党が入れるように主張。民主党が受け入れた。各党関係者によると、異論はなかったという。

「変更したのは、あくまでも核防護の観点から」と説明する公明党議員。
「日本を守るため、原子力の技術を安全保障からも理解しないといけない」と話す自民党議員。

日本初のノーベル賞受賞者となった湯川秀樹らが創設した知識人の集まり「世界平和アピール七人委員会」は19日、「実質的な軍事利用に道を開く可能性を否定できない」「国益を損ない、禍根を残す」とする緊急アピールを発表した。


 平和利用なんて名ばかり、結局軍事利用が目的ではないのかと思わせる、とても危険な文言が加えられてしまいました。

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