|
目を閉じると現在は消え去り、懐かしい谷が見える。
緑に染まった谷は、ウェールズで一番美しかった。
原題は「How Green Was My Valley」。
私は清流の流れる盆地で生まれ、育ちました。一家で酒の卸業を営んでいた我が家は、常に活気に満ち、多くの大人たちの愛情が、優しく、子どもだった私たちを包んでいました。
幸せだったあの頃、洋画が大好きで、「日曜洋画劇場」が一週間の最大の楽しみだった中学時代。
タイトルを聞いただけで、私を「あの時代」に連れて行ってくれる懐かしの名画。
この作品は、そんな時に、淀川さんの解説を聞いて見たものです。
あの時代、あの人々、あの風景・・・個としての私の原点がそこにはあります。
その頃の日々への思いを込めて、この作品名を私のブログタイトルとしました。
1941年、アメリカ映画。監督:ジョン・フォード、原作:リチャード・リュウエリン、撮影:アーサー・C・ミラー、作曲:アルフレッド・ニューマン。出演:ウォルター・ピジョン、モーリン・オハラ、ドナルド・クリスプ、ロディ・マクドウォール、バリー・フィッツジェラルド、サラ・オールグッド、ジョン・ローダー、アンナ・リー、メエ・マーシュ。
モノクロの映像でありながら、光と影の織り成す谷の風景や炭鉱労働者の家並みが素晴らしいトーンで描かれていました。
本作の舞台は19世紀ウェールズの炭鉱町。その炭鉱で働くギリム・モーガン一家の暮らしと時代の転換期にあった石炭産業界の「揺れ」、信仰、家族愛が、末っ子ヒューの目を通して語られます。
父はヒューを除く5人の息子達と炭鉱で働き、生計を立てています。真面目に、ひたむきに、生きるために、家族を支えるために働く男たち。母と長女は、彼らの暮らし中の、衣と食を担っています。
温かい愛情に包まれた平穏な家族の暮らしが描かれていきます。しかし穏やかな日々はそう長くは続きません。
炭鉱町から来たと言うだけで登校初日から激しいいじめに遭うヒュー。不況下、振るわない石炭産業。炭鉱労働者へは賃金カットが行われます。組合が結成されストが決行。方針について父と意見が対立した息子達は全員家を出ます。家族の間に入った初めての亀裂。その後も様々な苦難が家族を襲います。
長兄の事故死、更に落盤事故で、一家は父も失います。
成績が優秀でありながら、進学はせず、父や兄と同じ道を歩んだヒューは最後に語ります。
「不幸なことばかりの少年時代だったが、成長した自分にはあくまでその月日は麗しく尊いもの」。
当初は西ウェールズでのオールロケが予定されていましたが、大戦勃発のため、サン・フェルナンド・ヴァレーに広大なオープン・セットが建てられました。叙情性を感じさせる、壮大なセットです。。
本作は、アカデミー作品賞、監督賞、装置賞、美術賞受賞、助演男優賞(ドナルド・クリスプ)を受賞しています。
『男の敵』(1935)、『怒りの葡萄』(1940)、『わが谷は緑なりき』(1941)、『静かなる男』(1952)で4度もアカデミー監督賞を受賞した彼の、監督賞最多記録は未だに破られていません。
アイルランド系であることに強いこだわりを持っていた監督は、ジョン・ウェインやモーリン・オハラなど、アイルランド系の俳優達を多く起用しました。
年末、TBSの報道番組『サンデーモーニング』では「世界の行き詰まりと意識の変革」の特集をしていました。
昨年のリーマンショック以降の経済的停滞状況の影響を探り、世界や日本の経済状況の現状を取材し、世界の人々の暮らし、意識がどう変ったかに焦点を当て、この閉塞状況・転換期を如何に克服すればよいかが、識者によって語られました。
その締めくくりとして、インタビューに答えられていたのが、ペシャワール会の中村哲医師でした。
−−行き詰まり打開のためになすべき事は?それに対する答えは思いがけない程にシンプルな言葉でした。
「親孝行をする、家族、友人、人の関係を大事にする、そんな変わらないものを大切にしていけば、それほど心配することはない。」
答えの中にあった「家族愛」と「人間愛」、それは正に本作で描かれたものでした。(Jan.5th.2009)
|