えいりあんの生態日記

今年こそは、HAPPYな年に! 出だしから大変だけど、がんばろう日本!!

えいりあんの逃避行 ★中国編★

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ふく食べたo(^-^)o ケータイ投稿記事

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フグじゃないよ。
地元では、『ふく』なんだよ。

結婚式に来たついでに、足をのばして、ふぐ食べに行った。
もちろん一人旅ですが、何か?

とらふぐの刺身、うまい。
お腹に余裕があれば、天ぷらも食べたかったぜ。

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世の中、インフルちゃんが蔓延しておりますが。
先日お伝えしたように、うちの職場でも感染者さんが!!
月曜日行ったら、私の机のまわりの人すっからかんだったよ。
さらには、わたくしが休憩室に行くと、みんなサーッと出ていく不思議。
みんなに次かかるヤツと目されております。
そんなわけで、今日はのんびり旅行記でも書こうかと。
ほんとは文化の日に合わせて博物館とか無料なので、巡りたかったんですけどね〜。
自重自重。

さてはて、お久しぶりな下関旅行記です。
えいぷりるな旅行だったのに、早半年過ぎさっちょります。
その後、まだ東北や東京・大阪も残っているというのに。。。
まぁ、気長に待っていただけますと嬉しいかな。
と言うわけで、赤間神宮の次は亀山八幡に行ってきました。
ここから、長州の攘夷戦が始まったわけですね。
久坂さんの指揮で外国船を打ち払ったとか。
何も考えてない向こう見ずな作戦と批判もあるようですが、
久坂さん自身は、ちゃんと報復が来るだろうことも頭に入れていたという説もあるようです。
ただ、池田屋やら禁門やらでそれどころじゃないところに報復まで来たもんだから、
ボロボロに負けてしまったという。。。
まぁ、当時の戦力差・文化差では結果は同じでしょうが、
こういった所が、久坂さんの評価が下がってる所以なんですよねぇ。
一般の人の中には、『無謀なことばかり考える過激攘夷派』という見方が多いですもんね。
そればっかりでもないと思うんだけど、実際どのようなお方だったのでしょうね。

さて、やっぱり神社と言えばおわかりですね。
おみくじですよ!
さっき、赤間神宮で引いて30分も経ってないけどね。
いいんです、超悪かったから。
リベンジですぞ!!
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またもや末吉です。
今日は、末吉菜運勢の日なのですね・・・。
さて、今度こそ少しはいいこと書いてあるかしら??
『出来るだけ身をへり下って 何事にも我から進んでしないがよい
 強いてしようとすると 思わぬ災にあいます
 つゝしんで事を行え』
『願望(ねがいごと)・・・他人にさまたげられる恐(おそれ)あり』
『争事(あらそいごと)・・・理ありても負(まけ)ます』
『病気(やまい)・・・心安らかにすればなおる』
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よくねぇよ!!
ってゆーか、ぶっちゃけ今あんまり関係ないけど、
『恋愛・・・良い人ですが危い』
『縁談・・・思わぬ人にさまたげられる 何事も控(ひかえ)よ』ってのも、大概だよね。
むしろ、危ないのがその縁なのか、良い人だけど危ない人なのか、
そのあたり、神様に聞いてみたい気がします。
あいかわらず、おみくじに関しては山口の神様はわたくしには厳しいです。
凶引いたのも萩だったしな。

まぁ、理があってもそれが通らない職場ですから、心安らかになる日は遠いかと思われます。
と言うことは、この慢性体調不良が治るのもまだ先のことか。。。

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デジカメが壊れたショックで、
どよ〜んとした空気を背負いながら、やってまいりました赤間神宮。
なんか、もういいよね。
世の中がどうでも良くなってくるというのでしょうか。
無気力な感じが漂っています。

さて。
赤間神宮は海に入水した安徳天皇を祀って建てられたものと聞いていますから、
建物の外観も、なんだか竜宮城のようです。
よくある神社とは一風違った門構えですよね。
まずは本殿にお参りした後、
七盛塚にもお参りしてまいりました。
壇ノ浦で入水した、平家の名だたる武将たちがひっそりと祀られています。
平家というと平清盛が有名ですが、「盛」と名前につく方が多いんですね。
だから、七盛塚。
本当は「盛」とつかない方もいらっしゃるのですが、
本当にひっそりと静かな所に皆さんいらっしゃいました。
ちゃんと平知盛さんにもご挨拶してまいりましたよ。

ところで。
帰宅後、母上が「お墓もあるはず・・・」と言っておりましたが、
逆の方向に平家の方々のお墓もあったのでしょうか。
七盛塚は、階段をのぼって左手側。
母上曰く、お墓は耳なし芳一の碑のあたりとか。
耳なし芳一は、
平家の心を慰めるために琵琶をかき鳴らしたといいます。
階段を上がって右手側が芳一の碑とのことでしたから、そちらにあったのかもしれませんね。
(ごめんなさい、芳一さんに興味がないので素通りでした!)
霊感のある方は嫌がる場所・・・と母上は言っていましたが、
機会があれば、今度こそお参りしたいです。
と言うか。
本当にお墓があるのですか、母上?

そして、神社と言えば!!!!!
やはり、おみくじでしょう。
これまで人生で4回、凶を引き当てた女・えいりあん。
しかも、そのうち3回はこの2008&2009です。
赤間神宮に来たからには、挑戦しなければなりますまい!
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おっっ! 末吉だぁ〜。
微妙な運勢だけど、凶よりレベルアップじゃないか!
えーと、なになに・・・?
『人の心が変わる、あるいは意見が合わないというような
 人間関係のもつれが出てくる雰囲気です』
『仕事・交渉・取引・・・小さな事はなんとかなるが、大きなことはまとまらない』
『健康・病気・療養・・・空元気ではないか。意地をはって無理をする気配があるので要注意』
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 ・
なんじゃ、こりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!
ほめてないでしょ、思いっきりけなしてるでしょ!
つーか、凶と何が違うの?
ありえんぞよ。
というか、あれだね。
神様、うちの職場をよく見ていらっしゃる。
人事が一新されたら、きっと精神的にも身体的にも健康になれる気がします。

呪いの序章。。。

さて、旅行記も三日目となりました。
ハプニング続出とか言いながら、「大したことねーじゃん!」とか思っているアナタ!
ここからですよ!
東行庵のタクシーやら、花見のことなんて、
本当に大したことじゃないんです。

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続いて向かったのは、桜山招魂場。
吉田松陰をはじめ久坂玄瑞とか、
亡くなった人たちを送るために高杉晋作らが建てた招魂場です。
ここは、今で言う靖国神社の原型にもなったそうですね。
たくさんの人を共同祭祀するという点が、当時では斬新的なアイデアだったようです。

さて、この桜山。
道をまっすぐ行けばいい所、なぜか変なところで曲がって迷子になる。
小学校やら民家の間を行ったり来たりして、迷う迷う〜。
やっとこさ、目の前が開けたらそこはほんとに一面の桜、桜、桜。
まさに、桜山の名にふさわしい場所でした。
そして眼下にはたくさんの墓石。
桜が舞い散る中でお墓が立ち並んでるのが目に入った瞬間、
なぜか「久坂さん〜〜〜」と泣きそうになりました。
いや、別に久坂さんに思い入れがあるわけでもないんですけど。
個人的に一番好きな花は桜。
通った小学校も桜にちなんだ名前でした。
もっと言うと、我が家の家紋も桜。
桜は本当に身近な花です。
だからこそ、桜が好きだったという久坂さんにも親近感を持つのかも。
しっかりお参りしてまいりました。
みんな同じ形・同じ大きさの石なのに、
微妙に山縣有朋と時山直八の石が大きい気がするのは、
整備された代表者が山縣さんのご子孫(たぶん)だからでしょうか。

んで、これで終わりじゃなかったんですね。
迷子なんて序ノ口。
ここにあると思い込んでた石碑が見つからず、携帯でインターネット。
電池を使うわ使うわ・・・すでに残り1。
おいおい、大丈夫か?
結局、有力情報を見つけることも出来ず、
がっくりしたまま帰ってきてしまったので、桜の写真を撮ることも忘れてました。。。
花見計画失敗パート2・・・。


迷子と花見失敗だけじゃありません。
気を取り直して、日和山公園へ。
こちらは萩焼だったか何焼きだったか・・・陶製の高杉さんがいらっしゃいます。
けっこう大きな像なんですね。
そして、その高杉さんを取り囲むように桜が植えてあるという。。。
しかぁし!
この公園、ご存知の方も多いと思いますがかなりきつい石段の上にあるんですね。
ひーひー、ぜーぜー・・・。
よし、のぼった!
おおっ、高杉さん発見!
写真撮るぞ!!!
 ・
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 ・
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 ・
デジカメ、壊れてる!!!!!!
なんでっっ?
桜山では撮れたのに!!
激しく意気消沈。
ならば、使い捨てカメラででも!・・・と思ったけれど、売店が閉まってる〜〜〜。
もう地の底どころじゃなく、地球の中心ぐらいまで沈み込みました。
ありえねぇだろ。
泣く泣く、あの石階段を一歩一歩おりていきました。
結局、桜も高杉さんも写真に収めることができず、
ひたすら急な石段を無意味に往復したのでありました。


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悔しいから、
4月2日に自分の小学校へ桜を見に行ってきたので、その写真をup。
まだまだ五部咲きといったところで、桜山や日和山とは比べようもありません。。。
ちょうど今日ぐらいが見ごろかなぁ〜?
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                                   動けば雷電の如く
                                    発すれば風雨の如し。
                                     衆目駭然、敢て正視する者なし。
                                      これ我が東行高杉君に非ずや・・・。



本日もまた東行庵よりお届けです。
↑の伊藤博文の言葉で有名な、高杉晋作顕彰碑。
当日演説するはずだった伊藤はハルビンで銃弾に倒れ、
代わりに、伊藤と御神酒徳利とも言われた井上馨が演説しています。
二時間にも渡る大演説で、地元の小学生がバタバタ倒れたというのも有名な話。

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顕彰碑が建った頃には、
幕末をともに生きた人たちは次々と亡くなっていたわけですけれど、
高杉晋作のお墓のすぐ横には、長州三人組が寄進した灯籠が建っています。
こちらは、高杉さんに一言お断りを言って、写真を撮らせてもらいました。
灯籠には右から、
大江孝允(木戸孝允)・源馨(井上馨)・越智博文(伊藤博文)の名が刻まれています。
大江さんは有名どころですが、
桂・井上・志道・・・と言うのも、地元では有名どころなお名前なので、
何だか感慨深いものがあります。
NHK大河『毛利元就』・・・地元民ながら超マイナーだと思ったけど、
やっぱり地元の贔屓目か、ちゃんと見てました。

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ちなみに今回の旅行で一番最初にカメラに収まったコレ↑
山縣有朋書の日露戦役凱旋記念碑。
最近、
とある歴史仲間の影響で、「山縣有朋」という名前に敏感です。
後で、下にも書きますけど、
この東行庵の辺りは、昔は山縣さんのお宅だったそうです。
近くに隣家がなく静かなところを気にいって建てたおうち。
まさに、『無隣庵』で新婚生活を送られていたそうな。
高杉さんが亡くなって、お墓が吉田の地に建ち、
この無隣庵も、おうのさんに譲られていくわけですが・・・。
当然、日露戦争の頃には、高杉さんは亡くなっているわけです。
無隣庵だって譲渡済み。
それなのに・・・山縣さん、何でここに碑を建てる?
そんなに高杉さんに認められたかったか!!
まぁ、奇兵隊の陣屋にも近いですし、思うところがあったのかな?

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それから、東行庵の真正面には、
山縣さんの親友・時山直八が植えたとされる樫の木があります。
ちょうど出征前に植えられたもので、まさに時山さんが亡くなる直前です。
この方も奇兵隊の参謀であった人ですから、
高杉さんの眠る、そして奇兵隊の陣のあった吉田の地に思うところがあったのかも知れませんね。
その頃は、まだこの辺りも山縣さんのお宅だったでしょうから、
二人して戊辰戦争にかける意気込みもあったかもしれません。

イメージ 5
                               この地は清水山と称し幕末の頃奇兵隊軍監、山縣狂介(有朋)は                麓に草庵を建て無隣庵と名付けていた。                慶応3年(1867)4月、高杉晋作(東行)の遺言により遺骸を                奇兵隊の本拠に近いこの地に葬った。晋作に仕えていた愛人うの                (後の谷梅処)は黒髪を断つて出家したので、山縣は明治2年                (1869)無隣庵を梅処に贈り欧州に旅立った。                現在の庵は明治17年伊藤博文・山縣有朋・井上馨等全国諸名士                の寄付により建立されたもので、梅処は明治42年にその生涯を                閉じるまで東行の菩薩を弔った。                昭和41年、東行の百年祭を機に庵の原型をとどめるため、大修                理を行った。

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