便所の落書き

日々感じたことを、自分の言葉で書いていく。

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想定内、想定外

シンゴジラを見た。
前評判に誘われて、何の気なく見た。

そこで思い浮かんだのが、タイトルだ。
ゴジラの出現は明らかに「想定外」だ。
しかし、想定外が起こることを想定しておく必要はあるはずだ。

それは非常に難しいことを承知で、例えば地震への対応はどうだろうか。
下の記事が非常に興味深い。
http://toyokeizai.net/articles/-/115836

そもそも、根幹のところで日本の地震への向き合い方は、
「事前にある程度の確率で発生が予知できる」(いわゆる地震予知)
ことを前提に、様々な法整備、各種投資など備えが行われている。

地震が起こることは法律上、社会通説上、「想定内」だ。
しかし、現実は想定外の連続である。

国内、国外のこれまでの数々の地震を経験して、
そもそも地震発生は想定外なのではという疑問と確証に近い認識ができつつある。

原発もそうであった。
前提になっていることには、いくつかあると思うが単純化して、
「将来の技術の進歩によって核の廃棄物は処理できる」
「原発(建造物)の寿命がくること、すなわち解体を想定していない設計」
「近辺で発生する地震の規模や周期を想定して、それに合わせた設計」
などである。

将来に向けての楽観的な、希望的な要素が含まれている。
想定できないことを想定内にしていることに変わりはない。
そうしないと進められなかった苦悩のようなものを感じる。

戦後の経済復興期には、将来に渡る安定的な電源確保の期待(エネルギー安全保障)、21世紀には気候変動への解として、社会から背負った期待は非常に大きかったと思う。


何が言いたいのかというと、前提(土台、依って立つところ)が変わった場合には見直しが必要であるということだ。
それは、あるがままに現実を見るという行動を導くことができる。

想定内ー。
想定外ー。
結果に対しての評価であるのでどちらでもいいのであるが、その結果を以って、なおも現実を直視できないことに本当の問題があるのではないのか。

それは、決めたことを覆せない何らかの力学があるのか、変化を望まない(今の地に安住したい)という成熟した感性によるものなのか。

シンゴジラは、一時的に機能を停止しているに過ぎず、いつかまた忘れた頃に同じメッセージを携えて眼前に現れるのであろうか。


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