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現代日本を独自の視点で考察する

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BRTの最大の効能が「連接バス」による大量乗車だ

130名が乗車可能の連接バス。奈良県でこの3月に運行開始となった

 前回新潟県の高架駅が無駄だとブログで書いたら途端にアクセス数が増加。それなりの反響があったので、改めて主張する。極端な話、地方の旅客鉄道は全部BRTにしてしまえばいいのである。

 BRTの目玉ともいえるのが世界的に主流の「連接バス」だ。これは2両編成で、合計の乗車定員は130名。これは電車の1両分に相当する。
 私は地方の鉄道をたびたび利用している。仙台地下鉄や名古屋圏の私鉄のような「地方の都会にある通勤電車」はともかく、具体的に言うと福島の東北本線や青森の奥羽本線を利用すると、客が相当ガラガラなことに驚く。東京の東海道線などではよく「短い10両編成でまいります」というアナウンスを聞くが、それより短い、相模線よりも短い3両や2両でもガラガラであれば、通常のバス車両でも乗車定員ぶんをカバーすることは可能なのである。 

便数を倍増させ、鉄道時代の定員を維持し利用促進に

混雑時もこの程度の新潟駅。あとから電車に群がる乗客には整列乗車の公衆道徳もないようだ

 記事の読者の中にはこんな批判的な声もあった。地方都市にも通勤ラッシュはあるという声だ。確かに私が乗った東北本線や奥羽本線は平日の日中だったので、朝夕の事情は分からなかったが、Youtubeで新潟駅の最も混雑している時間帯の映像を見たところ唖然茫然である。こんなのラッシュと言えるレベルではない。
 首都圏最弱の通勤電車・相模線よりは多少長い、6両編成くらいの車両もあるようだが、車内は空席さえ目立ち、人間の隙間がやたらと広い。乗車率100%とは明らかに程遠い。ホームに立っている人間の数も少ないようだ。これは朝夕の相模線よりもはるかにガラガラではないか。
 時刻表を見ると、白新線や越後線は夕方5時台でも3本しかないようだ。たったの3本でこのレベルの、寒川町民なら泣いてうらやむレベルの快適レベルならば、連接バスを12本出した方がいいと思う。1編成の平均が4両としても、これで定員数と釣り合うことができるし、しかも列車の時間設定がこまめになれば利用促進にもなる。本数が少なく融通が利かないことも地方人が鉄道を避けるようになった理由の1つだ。

 ちなみに東北の被災地で暫定復旧しているBRTは始発が朝4時台に設定されるなど、鉄道時代よりも便数がはるかに多くなっている。被災路線に比べれば東北本線や奥羽本線は乗車人口が多いはずであるので、もっと使い勝手のいいダイヤになれるはずだ。

地方の赤字高速道路をBRTに走らせろ!

高速道路を走る西鉄バス。これが許されて地方の高速がいけないのは日本の法律が異常なのだ

 またこんな指摘もあった。「バスは鉄道に比べると遅いのでかえって不便になる」というものだ。
 これを解決する方法がある。高速道路を走らせればいいのである。
 現在日本の道交法では高速自動車国道(東名高速など)では路線バス車両をそのまま走らせることは困難だが、首都高や横浜新道などの有料の自動車専用道路には以前から普通に路線バスが走っていて、本線上にバス停もあったりする。特に福岡は高速路線バスの聖地ともいわれている。
 誰でも気づくことだが、首都高だろうが横浜新道だろうが東名高速だろうが、走る分にはどちらもただの高速道路で変わりはない。ここにあるのは法律のバカの壁でしかないので、抜本的に道交法を見直すか、地方部に限って特例を認めさせるべきではないか。

 普通に考えてほしい。
 東京圏の渋滞も多い片側3車線の首都高や自動車専用道路で路線バスが走りまくっているのに、田舎の土建利権で作った暫定開通対面通行設計のクルマよりは狸や熊やシカが道路上を横断する量の方が多そうなガラガラの高速道路で路線バスが通れないというのは、どう考えても現状実態よりも法律の方が狂っている。アメリカであれば日本よりはるかに制限速度の高く設定されたインターステートハイウェーを一般道経由の路線バスがたくさん走っているどころか通学用スクールバスも走りまくりだ。

 もし高速道路を走るBRTが当たり前になれば、定時性や速達性を高めることは可能であり、鉄道時代よりも早くなることだって場所によってはありうるのだ。
 田舎の道路族政治家の地元で土建利権で作った高速道路はほとんどがガラガラで、何かしら有効な活用策がなければ国民(大半は東京などの大都市に在住)の血税が建設・維持に無駄に用いられ続けるだけである。だったらBRTの路線に設定し、並行在来線を全部引っぺがしてしまえばいいのだ。

地方に鉄道が建った意義と現状のギャップを埋めよ

明治時代から建設が進んだ北海道の鉄道。廃線傾向は1970年から始まってることがわかる

 そもそも論として考えてほしい。地方になぜ鉄道があるのか。あったのか。
 北の大地・北海道で鉄道建設が進んだ理由は"拓殖"のためだった。鉱山地帯などから豊富な自然資源を内地に運ぶための手段として鉄道が整備された。鉄道は、多くの物を早く遠くに運ぶための手段として画期的だった。鉱山が栄え、そこで働く人たちが住み着き鉱山都市ができ、その鉱山都市住民の通勤・生活利用のニーズも生じた。旅客輸送はあくまで副次的要因だったのだ。地方にある鉄道のほぼすべてはロジスティクスのためのインフラだった。
 なので鉱山閉山ラッシュのあった高度成長期以降から北海道の鉄道は次第に斜陽化し、路線の廃止が続いた。国鉄末期の赤字路線のいっせい廃止の際に失ったものも多く、地方鉄道の将来性が暗いことは、もう戦後昭和の時代からわかり切っていた。代わりに整備されたのがバイパスや高速道路で、ここを走ったトラック輸送の方が物流は速く、コスパもよかったわけだ。

 一方首都圏の鉄道は、基本的に都会の電車文化に成り立っている。通勤ラッシュの光景が分かりやすい。東京で都市鉄道といえば戦前は東京市電の路面電車だった。これが東京首都圏の膨張によって、山手線の内側、都区部内、さらには都県境を越えた神奈川や埼玉や千葉に広がった。
 かつて国鉄には国電という通勤電車の区分があった。山手線や総武線がそれに該当した。一方郊外ベッドタウンを結ぶ路線は中電といわれた。東海道線の場合、首都圏区間は「湘南電車」と呼ばれて中電と認識されていた。東北本線は今も上野からの主に首都圏内を走る電車は「宇都宮線」という愛称で差別化されている。東北を走らないのに東北本線と名乗るのもおかしい。

 東北本線もずっと走り続ければ福島県のような田舎地帯になる。そこは地方型の鉄道である。新幹線のない時代は、こうした地方遠方から東京へ上京する長距離列車も主な収益源だったので、主要ターミナルはやたらホームが長く、集団就職のような社会現象もあった。しかし新幹線ができた時点で、この乗車ニーズは破綻し、地方の在来線は一部の寝台列車をのぞけばもはや地域輸送に特化するしか方法はなくなっている。
 にもかかわらず、もとは長距離ロジスティクス手段に長距離移動の旅客のための駅がついただけのものなので、駅間がやたら長かったり、駅の場所が中心市街地や郊外住宅街などの生活空間から乖離していたり、日常使いには使い勝手が悪い。そのくせ速度の面では新幹線に役割をすべて替わっているので、一見すると複線の線路があって○○本線と名乗っている路線でも、相模線レベルの遅さで、そのくせ駅を降りればいきなり住宅街があったりする相模線ほどの便利さもない。

 地方都市の鉄道はいずれにせよ死ぬ運命だ。
 先の新潟市の場合、すでに市電も私鉄もなくなっていて、政令市でおそらく唯一のJR以外の鉄道のない自治体である。そして振り返れば地方の鉄道の多くの物を早く遠くに運ぶための手段としての機能を果たせない順に、廃止になってきたことがわかる。多くの地方都市が、新潟と同じ道をなぞっているし、いま市電・私鉄が生き残っている地方都市も未来はすでに決まっていて、周回遅れで新潟と同じになるしかない。
 市電は定員が少ないし、速度は遅く、遠くに行くには不向きだ。
 私鉄は市電に比べればそこそこ長いし早いが、都会ではない地方都市の私鉄は周辺自治体までしか伸びておらず、それ以上先に行くには線路が絶たれてしまう。
 最後に残るのがJRで、東北本線は東京から青森まで本州の南北を貫通し、日本で一番長い鉄道路線でもあったが、盛岡以遠の整備新幹線の開通に伴い三セクに分離されている。採算が見込めないからである。九州新幹線が開業しても福岡周辺の鹿児島本線がJRから外れなかったのは、福岡が日本で3番目の大都市だから通勤ニーズがあるからだ。しかしどう考えても青森の人間で奥羽本線に乗っている人はおそらく沿線民でもほとんどいない。青森県から新幹線以外の鉄道が喪失される日はそう遠くないと思う。すでに青森市内に市電はないし、三セクに未来があるとは思えない。隣の秋田も岩手も、海を越えた北海道も、日本中の地方が絶対にそうなる宿命があるのだ。

 北海道で鉄道廃線がはじまった1970年には、すでにわかっていたことだ。1970年代というと、ちょうど日本の地方部における市電廃止のラッシュでもある。地方によってはこの時期に私鉄会社が路線をいくつか失って、国鉄がつぶれる前後の昭和末期に最終的に幹線も廃止にして地元の鉄道会社そのものが消えた(あるいはバス会社などに移管する)事例もあるだろう。その過去40年の流れが、今後も続く。ただでさえ超高齢化、東京一極集中の時代なので、ペースは一気に拡大する。
 すでにJR以外の鉄道を失ったところだってそうだ。県外のへき地から地方交通線が全部消える。地方交通線が消えれば、次はその起点・終着点で乗り継ぐ幹線の○○本線が消える。○○本線の中でも一番主要な線だけが残り、最終的にその主要な線も消える。この未来はあらがえない。

 どのみち地方鉄道というのは死の未来しかない。たとえ身体も頭も現役世代並みにバリバリ元気な90代の人がいたとしても、人間の寿命の限界が120歳くらいである限りはその人が30年後に生きていることは確実にないように、今は朝夕にラッシュっぽい風景が成立している新潟駅でも、30年後に鉄道が同じように存在するとは思えない。その30年間の維持管理も含め、新潟駅が大規模高架駅に切り替えた意味がさっぱり分からないし、将来が絶対にわかりきっている以上、地方は鉄道そのものを見限れというのが私の持論なのである。

 ただしそれは地方そのものの死ではない。
 30年後の日本で大都市圏以外がゴーストタウン化しているわけではないということも事実だ。多くの物を早く遠くに運ぶための手段が田中角栄の時代に道路輸送に切り替わり、その後地方空港の建設ラッシュや昨今のLCCの就航もあいまって航空路線という選択肢もできている。
戦前世界最大だったミシガン中央駅も80年代に世界最大の廃駅に。日本の地方駅の未来の姿だ

 いまでこそ世界一の車社会大国のアメリカも昔は西部開拓時代以来ずっと鉄道がメインの交通手段だった。そのアメリカでは1920年代にモータリゼーションや定期航空路線の開設が始まり、鉄道と自動車・航空の競争が始まり、インターステートハイウェーの建設ラッシュがあって航空機の旅客輸送量が鉄道を上回った1950年代には鉄道の終わりがとっくにわかりきっていた。アメリカが日本をはるかにしのぐ世界一の超大国であることは今も変わりはないが、鉄道に限れば90年前には終わりが始まっていて60年前には勝負がついていた。日本の地方部は、そのアメリカを60年遅れで後追いしているだけである。
 事実、2010年代の地方の長距離移動手段のメインは高速バスだ。大学時代の私の地方人の同級生も新幹線ではなくバスによる帰省が当たり前であったし、新宿駅前に「バスタ」が整備されるほど高速バス需要が高まった。LCCによる航空普及はこれからの話だが、どのみちアメリカをなぞるだけのことなので、足りないのは地域輸送手段である。アメリカにはインターステートハイウェーを走る急行バスはいくらでもあり、生活や通勤の足として定着している。

 日本もこれがあれば、マイカーに頼らない地方都市の生活の利便性は向上する。なので日本で最も無駄に道路事情の充実した田中角栄のふるさと新潟市こそ、もう日本的な地域性をかなぐり捨てて40年経っているのだから、本場アメリカと同じBRTを当たり前にするべきである。新潟駅の高架から線路をさっさと引っぺがしてバス乗り場に流用するべきだ。新潟はもう東京の日本的な交通の常識の通じない地域なのに、なぜ形だけ東京の通勤電車ターミナルモドキの駅を作ったのか、本当に意味が分からない。裏日本の田舎の地域エゴに大会社が構うべきことではない。
 それだけ膨大な予算があるなら、相模線を複線高速化して沿線の田んぼを宅地開発して小田急と競合した方がはるかに稼げるのに、JR東日本の経営センスのなさにはあきれるばかりだ。


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