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長々と引っ張りました、これが最終回です♪
庭の方に出てみましょう 振り返りますと、修道院だった建物が 庭の奥は この池に 何十年ぶりに見たか、おたまじゃくし 敷地内を散歩です 池にはマスがいました また来たい所です♪ 帰独の道を行きますと、フランス初日に食べた白い牛が ひまわりも、まだ咲いてる時期、でも終わりでしたね 行く時に遠くから眺めた スミュール アン オーソワ 車で半周(笑) ここもまたゆっくりと歩いてみたいです♪ あと一泊して、ほかの所に行くか??とも思いましたが、両親も疲れてきたことでしょうし、ホテル代を節約して、その分、またお寿司を食べよう〜となり、夜の営業時間に間に合うように、フライブルクまで到着。 カウンターに座り、クサカベさんの握りと、てんぷらを堪能しました♪ お寿司で始まったフランス4泊旅行、最後もお寿司で閉めました(笑) 「やっぱ、日本食が、うまかばい!!」 まさにそのとおりです、お父さん!!(爆) 往復約3650キロの旅でした。 長々とお付き合い、ありがとうございました♪ |
ロワール古城巡り2010夏
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8月7日(土曜日)です。
朝食は、いろいろありましたが、なんと、このホテルでは、「エシレ」のバターが丸ごと出てきました♪ せっかくですから、ひとつ全部、みんなで食べきりました♪ パンが美味しいんですよね〜〜♪ 父は甘いパンに大満足♪ 食堂へ レストランお品書き 残念ですが出発です、 このような車が止まってる横に私の車も止まってました、、、、(笑) 車庫に入れてましたが、ものすごいツバメの数が巣を作ってました。それで、朝は車の屋根と窓はフンだらけ〜〜。 外に止めてた高級車は被害が無く、屋根の下に止めた私のはひどい状態でした(笑) 途中のスタンドで洗車しました。 最終日、この日もお城を見ようと思ってました。 ショーモン城に行く途中 アンボワーズ城、立派ですね 走ってる途中、妻が手を出して撮影(笑) ショーモン城が見えました! が、ここは車を置いて坂道を登って行かなければならず、両親も最終日で疲れもあるようなので、この辺りを車でぐるっと回っただけで、先に行きました 途中、美しい村と言われている、スミュール アン オーソワSemur-en Auxois ちょうど良い撮影場所がありましたので、何枚か遠景を 村の中は、以前歩きましたので、今回は省略 フォンテネ修道院を目指します。 我々は行ってますが、両親は初めて、 修道院跡です 右の建物 それでは中に
中を通った後、回廊 過去記事はこちらに♪ スミュール アン オーソワ http://blogs.yahoo.co.jp/alpen55/archive/2008/09/04 フォントネ修道院 http://blogs.yahoo.co.jp/alpen55/35543458.html WIKIより、抜粋です フォントネー修道院は1118年にクレルヴォーのベルナルドゥスによって設立され、1147年にローマ教皇エウゲニウス3世によって聖別された。教皇アレクサンデル3世は、1170年の勅書において修道院の財産を確認し、修道士たちが選挙によって修道院長を選出することも許可した。この頃に修道院では、近隣で採れる鉱物を用いた製鉄業や冶金業が発達した。
1259年にはフランス王ルイ9世があらゆる収税権を免除した。1269年には修道院は王国修道院 (l'abbaye royale) となり、ジャン2世、シャルル8世、ルイ12世らも寄進を継続した。こうした王家の保護にもかかわらず、ブルゴーニュ地方を荒らした数度の戦乱の折には略奪の憂き目にも遭った。それでも16世紀までは伸長する諸勢力から恩恵を受けつつ発展した。しかし、王家の利益となるように修道院長選挙の廃止が強制されたことで、修道院の凋落が始まった。18世紀には、修道士たちは資金的な遣り繰りに窮し、食堂を取り壊さざるを得なかった。 そしてフランス革命中の1791年には、修道院は敷地ごとクロード・ユゴーに78000フランで売却され、以降100年ほどの間、製紙工場に転用されていた。なお、1820年に所有権はモンゴルフィエ兄弟の一族であるエリー・ド・モンゴルフィエに移った。
1906年にはリヨンの銀行家で芸術愛好者だったエドゥアール・エイナールの手に渡った。彼は1911年までかつての修道院の姿を取り戻させるべく修復工事を行い、製紙工場も解体した。フォントネー修道院は現在でもエイナール家の私有物ではあるのだが、後述するように主要部分は観光客にも公開されている。 |
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続きです
お庭の端っこに来ました ここを右に行きますと 犬舎 ここには約70匹ぐらいのフランセ・トリコロールが飼われてます 狩猟のために犬だそうです。 散歩してても犬のなき声が聞こえてました 菜園 向かいの建物の中に 「トロフィーの間」(狩猟で取った鹿の角)があるそうです。が、見てません。 お城に戻ってきました ここは切符売りのお姉さんもすごく親切でしたし、混雑してなくて、快適に楽しめました♪ 今日のホテルは、さっき見たシュノンソー城のすぐ近く♪ こういう中庭がありました、部屋への入り口は左 シュノンソー村の教会 線路のほうに また引き返し シュノンソー城への入り口、 ホテルから数分ですが、ここからお城まではまだあります。 それにお城の庭でも散歩しようか??って思ってましたが、お城は料金所のずっと奥で見られません。 この村に泊まって、朝一番にお城を見学すれば混まないうちにゆっくりと見学できるでしょう♪ 修復が済んでからの方が良いですよ、、、(笑) この辺り一帯、ぶどう畑 電車の線路が通ってます 地元のもの売ってるお店ですよ〜〜って 夕日にあたってました♪ ホテルに戻ってきました。 今日のホテルは、今回の旅行で一番高かったです 朝食つけて高い部屋が約19000円、安い方が16000円、でもその価値ありました。 逆のほうから撮りますと 19時半、待ちに待った夕食です。ここのオーベルジュ、レストランも評判が良いところ 中庭のテラス席です 食前酒とワインを聞かれました 食前酒は両親も飲めないので、水(笑) 「ワインは??」 「ロマネ コンティありますか??」 って聞いたら 「Yes」 「、、、、、、、。払えませんよ、、、」(爆) 高いお店で聞いたらいけませんね、ほんとにあるようですから!(笑) ただし、ワインリストには載ってませんでした。 もちろんフランス人も冗談は通じます!ヨカッタ!! ↑のワインをグラスで(笑) 注文したのは、この日のメニュー、メイン一皿タイプ 何が出てくるかは、良くわかってません、トマト、えび、フォアグラ、ぐらいは分かりますが、、 アミューズ、メロンの冷スープ、昨日と量が大違い(笑) 両親は冷トマトスープにバジリコのシャーベット すごく美味しかったそうです 我々はまたまたフォアグラ、右はチャツネ、右上は、必ずフォアグラについてきた焼いたブリオッシュ。左は葉っぱ それほど濃厚じゃないフォアグラで、食べやすかったです メイン、えび〜〜〜!! これはマジウマでした!! 泡は、トリュフ風味、下に、マッシュドポテトが敷いてありました えびは、小さく切った身も入ってました チーズ3種 黄色いチーズは端っこを食べたらいけませんよ、お母さん(笑) 非常に不味かったそうです(爆) 端っこは食べるなって言ってるところに、もう食べてました、、。 これが出てきたとき、ミニシュークリームか!!??って大喜びでした!! が、生地が硬くぱさぱさ、クリームも40年ぐらい前のバタークリーム時代のケーキを思い出させました(笑) デザートがこれだったか、、、、と落胆してましたが 次にやってきたのが キャラメルムースのようなケーキ?にアイスクリーム、両方濃厚!! 緑の粉はピスタチオです。美味しい!! 最後はエスプレッソ 焼きたてパンをもって回ってきてくれます。数種類あって、それがまた美味しくって何個も食べました! おまけ 隣に来たチーズの山、大きなコースを頼むと出てくるようです フランス最後の晩餐、すごく楽しめました♪ この夕食は両親にも非常に喜ばしいものになったようです、 えび好きですし♪ 夏は日が長いので、食べ終わってもまだ明るいです 満腹にはなりませんでしたが(また言ってますね)満足です♪ 翌日は、帰独の途になります |
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シュノンソー城はあいにくの修復中で、その美しい姿を完全に見ることは出来ませんでした、残念。
すごく良いお天気でしたので、気を取り直して、シュヴェルニー城に向かいました。田舎道を快適に行きました。 駐車場も無料でした。 ここには、敷地内を電気バスで回ることも、小船で回ることも出来るそうでしたので、それをやってみようと思ってましたが、切符売り場のお姉さんに、混んでて長く待つことになるかもしれないので、乗り場に行って様子を見て、その場で切符買ったほうが良いですってアドヴァイスされて、そうしました。実際、そのとおりでした。 食堂、シャンデリアは18世紀オランダ製で銀メッキの純ブロンズ製で100キロ以上あるそうです。 階段を登って 階段の前か、後だったか、、、忘れました、、、 子供部屋、ナポレオン3世時代の木馬です 新郎新婦の部屋 この結婚衣装は、今の城主の奥さんが1994年に着たものだそうです 家族の食堂 武具の間 ちょっと外を見てみましょう♪ オランジュリー(温室建物)が見えます 王の寝室、昔は座ったままで眠っていたそうです、横たわるのは死者のみ、、。 それで、ベッドは短め、それでも、このベッドは大きかったです アンリ4世が、この城を訪れた時に使われたそうです ベッドの右に振りますと 天井 下の会に降りる前に 大サロン 肖像画の広間 ここはまだ何を見たか分かるくらいの部屋数でした(笑) 外に出て、オランジュリーの方へ この建物は今はカフェ、会議、結婚式ホールになってます 通り過ぎてお城の方を振り向いて スモークツリーがありました♪ アジサイ、8月初めでしたので、まだ咲いてました オランジュリーにて、軽食。天井はこんな感じでした おなかも落ち着いたので、散歩です♪ 暑かったです ここにも大木が♪ 庭が広大で、電気バスに乗って回りたかったです。でも考えるのはみな同じ、、並んでましたので止めました(笑) |
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8月6日です、まだこの日は。
ホテルの食堂、地下にありました。 後ろの壁、右のお兄さんは本物です(笑) 準備してました 朝から天気も良くて暑い日です。 まずは車に給油しないといけなくて、ラッキーにもホテルからすぐの道にスタンドがありました。 満タンにして一安心。これでドイツに帰るまでは大丈夫です♪ 向かうはシュノンソー城 WIKIによりますと 最初に建てられた邸宅は、1411年に持ち主のジャン・マルクが扇動罪に問われて、国王軍により火をかけられた。彼は1430年代に、その場所に城と水車を再建した。その後、彼の多額の負債を返済するため、相続者のピエール・マルクは1513年、シャルル8世侍従のトマ・ボイエに城を売却した。ボイエは城をいったん壊し、1515年から1521年にかけて新しい邸宅を建設した。仕事を時折見回ったのは彼の妻のカトリーヌ・ブリコネーで、彼女はフランソワ1世を含むフランスの貴人を2度城に招待した。
結局城は、国庫への債務のためボイエの息子によってフランソワ1世に献上された。フランソワ1世が1547年に死ぬと、アンリ2世は城を愛妾のディアーヌ・ド・ポワチエに贈った。
ディアーヌ・ド・ポワチエは城と川沿いの眺めを非常に愛した。彼女はアーチ型の橋を建設し、城を向こう岸と結んだ。庭園に花や野菜、果樹なども植えさせた。川岸に沿っているため氾濫に備えるため石のテラスで補強され、4つの三角形が配置された洗練された庭が作られた。ディアーヌは城主ではあったが所有権は王にあったため、長年の法的策略の結果、1555年、ようやく城は彼女の資産となった。しかしアンリ2世が1559年に死ぬと、彼の気の強い妻で摂政のカトリーヌ・ド・メディシスはディアーヌを城から追い出した。
以下省略です。
ナビがあるのに道を間違えたりして、たどり着きました。 朝10時半ごろでしたので、駐車場もまだ余裕でした、係りの人が案内してくれます、あっちに行けって♪ ああ、そうでした、ここでチケットを買おうと思って自動販売機に並んだのですが、そこはカード支払いのみでした、、、。 現金で払う時は、係りの人が居るカウンターに並びましょう。 並木道をお城のほうに 期待感が高まります そしたら、この状態でした、、、、チケット代、値切りたかったです(笑) 気を取り直して、トイレへ この建物の右の後ろにあります、トイレ♪ 入り口のは混んでました 右に塔 正面は、シートで残念な姿ですから、、、中に急いで入りました。 写真はストロボ無しならOKです。 途中の窓から この↑の水の上、全体が大広間です ボケました ルーベンスだそうです。 とにかく、広くてものすごくたくさんの部屋があります。 すごく体力が要ります(笑) それにものすごい人です! ゆっくり見るような雰囲気ではありません。この日だけかもしれませんが、夏は混むようです。 外に出たときは、ほっとしました♪ ここにもきれいな庭がありました でも暑くて、向こうまで行く元気なし(笑) ネットが残念です ここは迷路でした 一角に花を栽培してる庭が きれいなお花たちを見ることができたので、気分も良くなりました♪ 写真、少し追加しました これからシュヴェルニー城に行きます |






