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最近、ロードバイクなる自転車にはまっております。
あー癒されたいっ!
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なんか書き方も忘れてますな。
写真はどうアップするんやったんかいなぁ、なんて考えてたら、
妙に簡単になってたりして。
前回の記事から、一年以上たってるんやから、書き方も忘れるちゅーねん。
しかしこの1年は日本にとって、なんかとんでもない1年やったね。
経済が疲弊し、外国から追いかけられ、追いつかれ、日本人が弱ってるところに、あれですわ。
震災。津波。とどめの原発爆発。
フクシマ周辺はとんでもないことになってるだろうし、海には大量の放射性物質が拡散しつづけているし。
にもかかわらず連日、テレビや新聞、雑誌に至るまで寄ってたかって反管、反民主の大キャンペーン。
世界中の人から、何であんな地震の多いところの海沿いに原発なんか建てるの?
狂ってるとしかいえない、なんていわれている所に原発を建てちゃった、東電や自民党、
原発で甘い汁を吸いまくっている官僚などには批判がいかないこの国。
なんか気分が落ち込んでいる。
でも一番の原因は、
駐車場で餌付けに成功した野良猫が、急に消えてしまったことか・・・。
そんなこんなで、今まで気にはなっていたが行った事のなかったフレンチ・トースト・ピクニック。
略してFTPに行ってきました。
長い前置きでしたな。
今年で12回目を迎えるフランス車やふるーい車愛好者の集まりです。
福井県あわら市で行われました。
この手の集まりには、秋に毎年行われるFBM、(フレンチ・ブルー・ミーティング)なんてのが
ありまして、こっちの方が本家本元で歴史も長いんですが、なんせ宿泊費込みでの高額参加費が
いりまして、わたしらのような一般庶民にはちょっとむずいんですね。
そんなことで見るだけなら、ただのFTPに初参加してきました。
といっても、なんかしたかと言われれば、写真とって見物してきた、だけです。
当日は朝早く行かねば駐車場が満杯になって入れんかったら困るので、気合をいれて前日入りしましたよ。
三国町の海の見えるテントを張るにはちょうど良い土地(たぶん私有地)に無理無理テントを張り、
明日にそなえます。
当日は勇んで8時ごろに会場の駐車場に飛び込みましたが、なんかそれらしい車も少なく、
スタッフさんが準備をしたはりました。しかも土砂降りの雨の中で。
気落ちした中、なんとか駐車場に入れてもらい、開始時間の10時まで待つことに。
雨の中、車の窓越しから、やってくる車を見ておりましたら、やはり新旧取り混ぜたフランスの名車たちが
どんどんやってきます。国産の名車もイタリアの名車もどんどんやってきます。
なんかあっとうされちゃいましたね、見てるだけなんですが、やっぱりすごい。感動します。
今まで乗った車や、憧れの車、宝くじが当たったら絶対買う車など。やっぱりいいです。
たぶん皆さん日々苦労して維持シテルんやろなぁなんて思いながらうろうろしておりました。
チャールストンさんですな。
GSにメアリ、遠くにはアルピーヌ
おっと
自分の車を載せようと思ったら、もういっぱいでだめなんやて。
残念。
またの機会にですわ。
それではさいなら。
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連休のエコーバレーですが、
いつもはすばらしく整備されたゲレンデも
夜通し降った大雨の前にはなすすべもなく、
ゲレンデには川のような流れがあちこちに出来ていた。
さすがにシーズンももう終わりかな。
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2010年1月1日、神長官守矢史料館。 パンフレットによると年末年始は休館日のはずである。が、この日は開いてました。 今回2回目の訪問ですが、前回は時間が遅くて閉まっていました。 今回も元旦と言うことで、また外観だけ見て帰ろうと思っていたところ何たる幸運。 早速100円払って中に入ります。 前にも書きましたがこの建物、藤森照信氏が設計されております。 藤森氏の出身地はここ茅野市の高部でありまさにこの近所です。そして守矢家とも親戚関係に あるとか。 そんなご縁で茅野市より建築設計の依頼があったそうです。 藤森氏の建築物を見てみるとやはり自然素材をうまく取り入れた建物が多い。 守矢史料館からもう少し奥に(山側)に行くと、「高過庵」というツリーハウスがあります。 今回は見れませんでしたが、写真で見る限りこの史料館をミニチュアにして樹の上に据え付けた感じ。 背後の山に溶け込んでいるようです。 こんな感性の中にやはり縄文のDNAが息づいているのかもしれない。 現代の建築理論を生かしながら、その設計思想はより自然に近いもの、原始的なものへ、 よりプリミティヴな方向へと向かっていく。 日本をはじめ、世界中の建築物を見てこられた藤森氏ですが、最近どんどんより原始的なものへと 興味が向かっていると言ってます。 たとえば自然の石だけを使った家とか、洞窟のようなものとかに。 話がそれたので、また史料館に戻ります。 一階はおおきいドアを入り吹き抜けのホールになったメイン展示場。この鉄製のドアノブも階段の 手摺も、藤森氏会心の作品です。 その奥にガラスショウケースに陳列された史料がある小さな部屋がある。 そしてメインホール横の通路から入るトイレ、これだけです。 会議室のようなのもありますが普通は入れません。 また階段もあるが、2階にはいけなくなっている。 問題のメインホールです。 特に解説はしませんが、これは守矢家が司る儀式の中でも重要な位置を占める「御頭祭」の 貢物を表したものであります。 神様への生贄でしょうか。 鹿や猪、兎に魚、鹿や兎の脳みそと肉をあえたもの。まさにご馳走の数々。 狩猟採集民族である縄文人の儀式と言っていいと思う。 そして弥生時代から中世近世を経て現代に至るなかで、密やかに、政治的圧力や宗教的弾圧をかいくぐり ながら、この地に御頭祭などの儀式を残してきた民衆がいる。 そして今も「御頭祭」は行われています。 古来、貢物である鹿の頭は75頭ぶんであったそうだが、現在は3〜4頭になり、冷凍保存された 鹿肉が供えられているようだ。 守矢山山麓に広がる諏訪大社上社前宮と本宮、神長官守矢家、諏訪湖対岸には八ヶ岳や蓼科山。 旧石器時代から縄文時代の遺跡の数々。 黒曜石が産出する鷹山や和田峠、麦草峠。 諏訪湖から流れ出る唯一つの川、天竜川は太平洋へとつながっている。 はるか伊豆沖の島々からこの地で取れた黒曜石が発見されている現実。 まさに縄文文化の聖地と呼ぶにふさわしい土地である。 史料館後ろのみしゃぐじ神の社には、みかんらと共に黒曜石が供えられていた。
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神長官守矢史料館の裏手は少し高台になっており、そのまま山へとつづいていますが、 史料館からすぐのところに石垣に囲まれた社が建てられている。 カヤの樹やカジの樹が植えられたその一角は四隅に木の柱が立てられている。 いわゆる「御柱」といわれているものである。 諏訪の町は御柱と共にあると言っても過言ではないだろう。 近世の御柱はもちろん諏訪大社の木落しで有名な祭りである。 7年に一度おこなわれる歴史ある祭りであるが、今年はその年に当たっていて、春ごろには 御柱一色になると言われている。 その御柱が社の四隅を取り囲んで立てられている。 またこの一角の中にはもっと小さな祠が2つあるが、その祠の周りにもご丁寧に御柱が立てられているの である。 この小さな敷地の中に、大小合計12本の御柱が立っているのである。 そして一番重要なこの社に祭られている祭神は、みさく神(みしゃぐじ)と呼ばれる 謎の神様なのである。 この神様は調べれば調べるほど複雑になっていく神様でありなかなかその正体を現してくれない。 少し調べただけでも、御左口神、みさく神、みしゃぐじ神、御社宮司神、と表記の仕方も いろいろである。 わかっていることは、このみしゃぐじ神は神長官守矢家が代々仕えてきた神様であると言うことである。 そして諏訪地方のほとんどの神社はこのみしゃぐじ神を祭っていると言うことである。 もちろん裏の顔のことであり、表の顔は建御名方命である。 守矢家の裏にあるみしゃぐじ神の社の後方には古墳時代終末期の古墳があり、そのずーっと後方には 守屋山(守矢山)が控えている。 守矢山は諏訪大社上社前宮のご神体であるといわれている。 山には巨岩がありその岩が神の寄り付く聖なるイワクラとされる。 今、私が住む町も三輪山というご神体に見下ろされている。 三輪神社のご神体の三輪山、守矢山をご神体とする諏訪大社、そして同じ注連縄の形式を持つ 出雲大社、いずれも古代から現代まで連綿と続く歴史を背負ってきたところであり、その根本は やはり原始信仰、アニミズムにつながる自然崇拝なのである。 21世紀のこの時代に、神長官守矢家という縄文人にもつながる系譜を持つ一族が存在している のである。 |



