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海辺のかくれ里

尾鷲と熊野の境、熊野市側の海沿いにひっそりと隠れる様に存在する須野町という集落に

行きました。

ダイビィングスポットとしては、かなり有名な場所らしいですが、最近結構耳にする事が多い

限界集落となっているそうです。

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柱状節理の断崖絶壁に囲まれたごろた石の浜に、荒々しい熊野灘の波が打ち寄せる一見

箱庭的だが、実はかなり厳しい自然の洗礼を受けるところです。

そのぶん人は少ないし、海の水も黒潮のおかげか透明度が高く、水温も暖かいようです。

だから、ダイバーが集まるんでしょうけれど。

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国道311号線から青い旗が見えたらそこを海に向かって下っていきます。

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肝心の集落は現在、高齢者のみ6人しか住まれていないという超限界だそうで、空き家が

50軒近くあるそうです。

ただ、墓参りとかで都会から帰ってくるときに泊まるため、なかなか売ったり貸したりは

しないということです。

このままでは数年後には誰もいなくなる、なんてことも・・・。

ここは昔から、海に向かって開かれた土地で、目の前の海ははるか太平洋を越えアメリカ大陸

へと繋がっていくところです。

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江戸時代には外国船の見張り台やのろし場が置かれた要所だったようですしその跡もあるらしい

ですが、今は誰も訪れる人はおりません。

もうひとつ小さい集落ですが神社があります。

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その名も寄木神社と言います。

名前の通り海から流れてきた流木がご神体になっている神社だそうです。

こんな発想ってなんかすばらしいと思います。

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ダイビングショップなんかもありまして今後なんとか住む人が増えてくれればなんて

おもうとてもいいところです。

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残念なのは集落と海を隔てているコンクリートの大きく高い堤防です。

もちろん、津波よけのものだと思われますが、なにぶん見晴らし感が台無しです。

これが無ければなんて思いますが、やはり命のほうがだいじですね。

風待湊 須賀利浦

三重県は大台町から42号線を南下し、紀伊長島を超え海山区船津手前を

海に向かって左折すると、島勝浦という、ちょうど熊野灘に向かってアメーバーのように

広がる小さな半島のようなでっぱりがある。

その出っ張りのちょうど真ん中ほどに、深く切れ込んだ浦があり現在350人ほどの

人々が暮らす漁港がある。

今回はその漁港、須賀利の湊に行ってきました。

今回は車で行きましたが、尾鷲港から巡航船で25分で須賀利湊まで行くことが出来ます。

車で行くと須賀利で行き止まりになります。


ここは、江戸時代、河村瑞軒によって開かれた廻船の西回り航路にあたり、しけの多い

荒ぶる熊野灘の待避所として栄え、風待ちの湊としても発展した歴史がある。


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まずは集落奥の高台にある、普済寺にいってみる。

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細く長い階段を登ると、海に向かって本堂が建っています。この本堂は入り口戸袋に

細かい手の込んだ細工が施してあるので有名です。

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全体にびっしり彫ってあります。

竹中工務店の祖先が再建に尽力したそうです。


かの宮本常一は、知らないところに行ったならまずその町の一番高そうなところに登りなさいと

言ったとか。

そうすれば、町の様子がよくわかるのだそうだ。

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確かにここからは、須賀利の集落が良く見えます。


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もと来た階段をおり、一本山よりの道を戻ると、今度は高宮神社というお社があります。

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ここは、えびす祭りが行われている所ですが、現在は過疎化が進み昔ほどの賑わいはないらしい。


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海沿いの道にはちょっとした要壁が延々と集落奥まで続いている。

もちろん津波に対する最低限の防御である。

熊野灘沿岸は大きい地震のたびに津波による被害を受けてきた所である。


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水深が深く、埋め立てがしにくいという理由から、海からすぐ山に連なるという昔の景色を

残した湊です。


また、残念ながら猫は一匹も見んかったで。

この辺の人は、猫ぎらいやろか。

西岩国〜錦帯橋界隈

ちょっと前になりますが、山口の錦帯橋付近に行きましたので、とりあえずご紹介しときます。

JR岩徳線の西岩国駅から錦帯橋を目指します。

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まぁ目的はこの西岩国駅であります。

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朱色の屋根に立派な4本柱の玄関口。

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昭和初期の洋風建築です。詳しくはこちらをみてちょうだい。

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もちろん例のあれです。ほらっ、ついてますね。

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内部は、レトロな照明器具が雰囲気を残してます。

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いつも思いますが、こうゆう建物にこの自動販売機はいかがなものか?
もうちょっと考えられんかなぁ。

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窓もいい感じです。

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道路よりもすくし高いところにあるので、正面からのたたずまいが特によいです。

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駅から商店街が錦帯橋にむかって延びています。

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さびれているが結構見所があります。

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やはりありました。かすかに雰囲気を残す花街あとでしょう。新町付近。街の名は忘れました。

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レトロバスなんかが走ってがんばっております。

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ぷらぷら歩いて行きますと、ほどなく錦帯橋に到着します。
最近は皆、車や観光バスで来る人が多いみたいで、JRを利用する人は少ないのかもしれません。

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・・・つづき。

高瀬川を二条から木屋町通りに沿って南下してきた旅も、七条通りを越えてとうとう木屋町通りとも

お別れすることになる。

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また、ここから水路はその趣を、すっかり変えて行く事になる。

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だんだんと日が西に傾いて、ビルの影も長く伸び出してきたので、ここからは結構歩みを早める

ことにする。

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フェンスに囲まれた道路のかなたに、京都タワーが長い影を落としているこのあたりは、

道路や橋を整備中のようで工事用のフェンスの中に、昔の船鉾橋の欄干が取り残されている。

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流れも護岸をやり変えているのか、まだ新しい石だかコンクリートだかわからない無機的な仕上げを

されている。

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あとで知った話だが、このあたりは長年ごみの不法投棄に悩ませられてきたところらしい。

大変な量の粗大ごみが捨てられていたようだが、去年ようやく市が重い腰をあげ、撤去に踏み切った

ようだ。

きれいになってから通ることが出来て、運がよかったようだ。

七条から塩小路通りの間に、おおきく西にその進路を変える高瀬川は、塩小路を越えてJR東海道本線に

ぶちあたる手前でまたその進路を東に振り、しばらく東海道本線とともに、大きく道路からはずれて

しまうのである。

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高瀬川がほぼ直角に東にその流れを変えるところに柳原橋というあたらしい橋が架かっている。

そこから東に向かって団地内をとおり、線路とともに道の無い領域に突入していく高瀬川。

しかしここであきらめるわけにはいかないのである。

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車の通れない道をさがし、猫に尋ねながら、団地の中を超え、東海道本線をくぐろうとした時、

なんと、無事再会することが出来たんです。ひさしぶり。

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そのままその先のガードをくぐり、新幹線を横目に見ながら、今度は車も通る大きな道を

また南下していく。

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下町風のところを、まっすぐ南に向かう高瀬川。

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ここだけ、今までちらほらしか咲いてなかった桜が見事に満開になっていた。

種類が違うんだろうか。とにかくきれいで道行く人も思わず立ち止まる。

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東寺道を超え、九条通りと交差すると、川はだんだん狭く汚くなってくる。

川の上に小屋や車が止められていて、もう景観とか風情だとか言っている場合ではなくなる。

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いきなり高瀬川は東隣の鴨川に接近し、その流れは工事中の嵐の中へ突入し、そこであっけない

お別れが待っていたのである。

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鴨川の対岸には、あたらしい任天堂の工場がこちらを見つめていた。

やはり任天堂は、高瀬川が相当好きなんだ。

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鴨川沿いにもうすこし南下すると松ノ木団地というところに出るが、川はどうもこの貯水池を経て

鴨川に流れ込んでいるようだ。

十条通りまであとわずかな地点である。


昔高瀬川は、もう少し上流で、鴨川の対岸に渡り、現竹田街道に沿って、濠川と合流したのち

伏見の港を経由して宇治川に流れ込んでいたが、昭和10年ごろの大洪水で鴨川の水位が下げられ

たため、鴨川からの取水が出来なくなり、高瀬川はここで分断されることになった。

よって鴨川より南側の高瀬川は現在東高瀬川とか新高瀬川と呼ばれている。

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完全に高瀬川から離れ、帰りの電車に乗る為、近鉄竹田駅に向かう途中、偶然にも24号線で

東から交差する細い川を発見する。間違いなくこれが十条付近で鴨川の対岸に渡った東高瀬川の

流れであると確信する。

現在の東高瀬川は雨水や生活排水を水源とする溝状の川になり、竹田駅の横を通り、疎水と合流して

最後はやはり宇治川に流れ込んでいるようである。

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24号の下を渡って、竹田方面に向かう東高瀬川である。

半日、高瀬川を満喫したが、予想以上に面白い川旅になった。

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足を引きずりながら帰りは近鉄で帰ります。またこよう。
・・・つづき。

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五条通を越えると程なく五条楽園と書いた看板が目に入ってくる。ここは知る人ぞ知るもと遊郭が

あったところで、今も御茶屋と名を変えて営業している店が結構残っている。

高瀬川と鴨川に挟まれた、普通に歩けば通り抜けるのに10分もかからないような狭い地域だが

やはり歴史ある遊郭独特の雰囲気を漂わしているところであり、唐破風の付いた立派な建物や、

ステンドグラスやタイルで装飾された建物など、見所も多い。

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特に桜の花の咲く今頃がまさに絵になるスポットだと思う。

しばらく街をうろついて見たが、昼間なのであまり人に出会うことも無くゆっくりと歩くことが

できた。

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高瀬川沿いに下ってくると最初に見えるお茶屋さん。立派すぎ。

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元遊郭を旅館にした「平岩旅館」。値段も手ごろで世界中のバックパッカーにも大人気。

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凝った色ガラスの装飾も日本的でよい。


ただひとつ注意するとすれば、こちらには広域○暴の会津○鉄○なる○事務所がある。

マンションと間違うくらいでかい事務所の回りにはやはりそれ風のおにいさんがたむろっている。

中には、道路を掃除されてる方もおりましたが。


またこのあたりは「菊浜」という地名がのこっており、もう廃校になった菊浜小学校の跡地に

これまたでかい町の交流館らしきものが建てられている。

「浜」と付いているのはやはり高瀬川の水運の船着場のようなものがあったのではないだろうか。

人の集まるところにはやはり遊郭が作られるものだと感じる。

もう少し先の七条にも「内浜」というのがあったらしい。こちらも港のようなものだったろうか。

七条新地と言うのも存在したらしい。


もうひとつ特筆すべきことは、この狭い範囲に銭湯が2軒もあると言うことだ。

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ひとつは、弁天湯。もうひとつが梅湯である。弁天湯はすこし路地を入った所にあるが、

梅湯は河原町通りから入ってくると、まさしく高瀬川の橋を超えてすぐに、この五条楽園の関所の

様に待ち構えて建っている。

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今回はこの梅湯さんに浸かってまいりました。(この記事は銭湯の書庫で報告いたします。)

ちなみに梅湯の左隣りに見えているマンションみたいなのが、例の事務所です。


豊臣家の滅亡のきっかけになった鐘のある豊国神社の正面からまっすぐ西に延びるので、名づけられた

といわれる、正面通りあたりに今では日本有数の超優良企業となった「任天堂」の旧本社屋が残って

いる。

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最初はカルタや花札をつくる会社で何度かつぶれかけてたようだが、現在はご存知の通りの発展

ぶりである。

やはり昭和初期にこんなモダンな建物を使用する会社は、一味違うのだろう。

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花札でおなじみの「福」の字がこんな所にあります。

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玄関すぐの廊下は、アール・デコ風なデザインが施されておりセンスのよさが伺われます。

ちなみに建物は昭和8年(1933)に竣工されています。

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高瀬川に架かる正面橋。

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ここから西のほうに少し行くと最近雑誌ブルータスに取り上げられたTOKI-WA-SOHなる建物がある。

タイルやステンドグラスで装飾された町家を改造して若い芸術家に開放している五条楽園のソーホー

である。ちょうど学生さんが展覧会をしておりましたが、これも別の書庫で書きます。


五条楽園に別れをつげて流れは七条通と交差します。

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七条橋を通ってさらに流れを下っていきます。


・・・つづく。

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