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みなさん、人間を見たときには手、足、体などの多くの部分に別れていて、それぞれ形や機能が違います。牛肉なども色々な部分が食べられて味も違いそれぞれが美味しいです。UCにもそのように様々な部分があります。ですから客観的にUCのある一部分だけを見つめた場合には、UCの全体像を見失なうこととなります。信徒ですら大きく広い考えを持っていなければ、UC本来の目的や本質を見失うことがあります。またそういう中途半端な人が一部のみを理解し去ることもあります。ですからUCの本質を何も知らない一般の人が外部からUCの一部を見たとき、誤解をしてカルトに見えたとしてもそれはやむを得ないことかもしれません。
しかしながら現実のUCの全体の活動や内容を見た場合、それを一言でカルトと呼ぶには飛躍しすぎです。また特にUCは国をまたいでいるため、そこから生じる様々な問題がないとも言えません。しかし問題とは何処にでも存在することであり、それは想定の範囲外で偶発的に起きる副産物であって、UCの本質ではありません。また多くのUCの信徒は、祈りと実践を通じその中で自ら神を実感し、神と理想世界のために自主的に活動しており、これは信徒達の立場においては揺るぎない明白な事実です。
もしかしたらUCがカルトと言われているのは、トカゲで例えるとしっぽのような部分のことかもしれません。踏みつければプチッとちぎれてしまいます。しかしトカゲそのものの存在には大きな影響はありません。シッポの先は本質ではないからです。人間で言えば爪切りで切ったあとの爪のようなものです。UCがカルトだとかいうのは、トカゲとか人間の一部のみを外から見て、UCはシッポだとか、UCは爪の先だとか言って騒いでいるだけのようなことで、神の御旨の本質とは直接には関係ないのです。だからUCは滅びないし、今や既存の各国の宗教者達がその本質の部分のバトンをUCから受け取り相続する時になりました。さあ今日は今から勉強をかねて心霊復興で焼き肉を食べに行きましょう。霊的ではなく肉的でしょうか。私はタンが嫌いですよ。
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