武術雑感

大島筆記に書かれた公相君は正冊封使・全魁であり、組合術とは内モンゴル相撲である?!

小説 公相君

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正冊封使・全魁は満州人と"断定"されています。
大島筆記に書かれた公相君は正冊封使・全魁であり、
組合術とは内モンゴル相撲であると"類推"されます。
これは、それを元に類推したフィクションです。
(以前の説明文が独善的すぎたので改訂しました)
公相君についての詳しい考察は、
公相君 基本 型 分析の書庫で展開しています。
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全魁は怒っていた。
 
「お相手いたしましょう」
 
甚だ痩せて如何にも弱々しく、
あつらえたはずの麟蟒服が大きくすら見えるこの全魁の前に、
 
福建南拳の功夫で養われた体であろうか、
大柄な陳國棟がそう言って立ちふさがる。
 
他の兵丁たちも嘲笑を浮かべている。
 
琉球の士族たちは心配そうにことの成り行きを見ている。
 
「なにごとだ?」
 
「正使さまが武の資質をお見せになると仰っているのですが、
 あの痩せたお身体で大丈夫でしょうか」
 
「武の資質? はぁー、またもや面倒なことを」
 
「またもやとおっしゃいますと?」
 
「清と同じ呼び名の魚がいるのなら観てみたいものだといって、
 一日中、通事と海士が探すのに大変苦労していたのだ」
 
「高貴なお方は、その一言で振り回されるこちらの身など考えぬのでありましょう。
 そのように思慮に欠けるお方では、武の資質どころか文の資質すらあやしい」
 
「ん?それはどういうことだ」
 
「こちらから書を求めても
 隣にいる従客に御自身の詩を書かせるだけで、
 正使さま自らお書きになる姿を見たことがございません」
 
「板に刻まれた正使さまの詩を見たが、
 明の七才子ように如何にも進士らしいものではあったがのう」
 
「それとて本当に正使さまが詠んだのかあやしいものです。
 あの従客は詩の世界では名が通っているようですから」
 
事務方として随行したこの従客は、
のちに探花という好成績で科挙に合格する王文治である。
彼は詩歌や書の才能があり、若くして天才の名を欲しいままにしていた。
その噂を聞き、この琉球の士族は全魁に対して疑念を持っていたのである。
 
しかし全魁とて乾隆16年の科挙に合格した満州族出身の進士である。
 
出題範囲の広い科挙制度では、
四書五経やその他の膨大な古典を諳んじれるほどの知識が必要で、
試験では詔勅の原案作成などの他に詩作も行なわれる。
 
現在では皇帝の詔勅を起草する翰林院で侍講を務めている全魁。
当然、詩や書についての教養もある。
しかし、書や詩を求められる機会も多く、
正冊封使である全魁ひとりでは対応しきれない。
いきおい王文治の代筆が増えていったのだ。
 
それに、魚の一件も全魁に非はなかったが、
過剰に反応した琉球の役人達の反感を受ける原因となってしまった。

「しかし、そんな小さな面倒ごとだけなら可愛げもあるが……」
 
「ほかにも何かございますのでしょうか?」
 
 
実は、全魁が率いた冊封使団は、久米島沖で座礁事故を起こしていた。
 
一号船に乗った全魁と副冊封使の周煌、その従客や乗組員たちも助け出されたが、
二号船は二人の死者を出し、船体修理のために福建に戻っていた。
 
祭礼に必要な詔勅や国王印は無事であったが、
その他の貨物や衣服は水に浸かり漂失し、
ひそかに商売をしようとしていた者たちの荷物も流され大打撃を負ったのである。
 
琉球側は見舞金として銀五千両を送り、
福建で雇った兵丁や水手、匠作たち136人に均しく分け、各々銀36両7銭を得たが、
兵丁たちはなお欲を満たさずにいた。
 
それは前回の冊封団に随往した兵丁たちが、
各々銀128両を贈られたという噂を聞いたためだった。
 
この噂を聞いた管隊の陳國棟は、
見舞金の更なる上乗せを要求してきたが、さすがに全魁と周煌はこれを拒否。
 
要求が受け入れられないと見るや
勝手に無記名の公文まで作って琉球王府に送り、
これに荷担しなかった者は殺すと脅して、
滞在先の天使館で備品を壊すという騒動を起こしたのである。
 
これは、すべてを統括する正冊封使・全魁を飛び越えた越権行為。
 
この事件によって当然、
琉球王府側にも冊封団の内紛が伝わっていたはずであるが、
それは全魁が掌握すべきこと。
 
琉球王府は経過を見守るしかなかったが、
冊封の儀礼を滞りなく終えなければならない全魁は何も出来ずにいた。
 
それをいいことに陳國棟たちは増長し始めた。
 
昔の冊封使の名が付いた拳法の形が琉球に存在することを聞き及び、
 
「そうやって麟蟒服をお召しになるのも、
 私ども兵丁に鎗や戈を持たせて祭礼で行列を為すのも、朝廷の武の資質を示す意。
 我らを統率する公相の君が文武の資質を持ち合わせずに務められましょうか。
 私どもに武の質を見せられぬのならば諭祭の礼に参加はできかねます」
 
そう言って大切な祭礼を妨害しようというのだ。
 
公相とは、元々は三公と呼ばれる太師・太傳・太保の簡称で、
冊封使は、正使、副使ともに公相と同様の正一品という位を与えられて渡琉する。
 
これは付庸国であっても相手国の天子に失礼にならぬよう、
偉い人間が遣わされたという体裁をとるだけで
侍講である全魁はもともと文官に過ぎない。
 
歴史的には官吏の長を尊称して
公相と言う言葉が用いられることもあったが、
兵丁たちが全魁をそう呼ぶのには多分に揶揄が含まれていた。

副冊封使の周煌もその様子を傍観している。
周煌は漢族出身の進士。
清朝は満州族が打ち立てた国。
結果的に被支配層となった漢族との間で
微妙な力関係が出来上がっていて助ける様子もない。
さすがの王文治もハラハラするばかり。

「公相の君、如何なさいます」冷笑を浮かべる大きな陳國棟。

全魁は持っていた笏を王文治に渡すと、
おもろむに陳國棟の袖を掴んで引き付ける。

陳はグッと力を入れ、
ビクともしないように見えた次の瞬間、
引き寄せた袖を真横に振り、地を掃くように陳の足を蹴り上げる全魁。

「あっ」

砂煙を舞い上げて陳の大きな身体はフワリと宙を舞い、
ドスンと地面にたたきつけられる。

舞い上がった砂煙から顔を背ける他の兵丁たち。

自分に何が起こったのかが飲み込めていない陳國棟。

さらに全魁は、陳の両腕を捕って立ち上がらせ、
そのまま背負うようにしながら足を蹴り払って軽々と投げ捨てる。
 
それに驚く琉球の士族たち。
 
「あ…あれは相撲でありましょうか?」
 
「いや、跌打のたぐいであろう」
 
「跌打?」
 
「本唐の宴では2つの角力が行なわれる。
 我が国と同じ通りに相撲があり、
 帯を四つに組んだまま両肩を地につけることで勝敗を決するが、
 あれは、袖や襟を組み合って投げる術。
 ああやって跌かせることで勝負が決まる。
 円明園の山高水長殿で善撲營と外藩国の蒙古族との角力を見たことはあるが、
 ……正使さまがその使い手だったとは」
 
康煕帝や乾隆帝の御代は特に角力が盛んだった。
秋獮(秋の狩り)で避暑山荘に行った際や、
竈祭の日、正月初十九日には円明園の山高水長殿などで、
布庫(ブフ)と呼ばれた満州族の角力(摔跤)と、
厄魯特(オイラト)と呼ばれた外藩蒙古族の角力が行なわれていた。
 
全魁の出身地である満州(内蒙古)では、
殺生を慎むラマ僧ですら遊びとして興じるほどである。
 
科挙の勉強ばかりをして弱々しいなりをしていると侮っていたが、
全魁が子供の頃からそれに慣れ親しんでいたとしても不思議ではない。

しかし、陳國棟もだまって投げられてはいなかった。
 
全魁の首に腕を回し、頭を引きつけ、膝で腹を蹴り上げようとした。
 
その瞬間、陳國棟の帯を掴んだ全魁は自分の体を寄せて、
逆に陳の股の間に自分の右膝を差し入れ、櫓に載せるかのように高々と吊り上げて、
くるっと反転して、わざと体を浴びせるように投げた。
 
「あれは、にじりぬし(右載せ)!琉球の角力にもある技だ」
 
鳩尾に全魁の体重が乗り、息が詰まり悶絶する陳國棟。

仮にも正冊封使である自分を蹴り上げようとしたこの兵丁に、
全魁の怒りは頂点に達していた。

怒りの収まらぬ全魁は、
この礼節を知らぬ兵丁の両襟を掴んで首を締め上げる。
絞め技のない布庫ではあるが、前腕で喉を押し上げて相手の重心を浮かせる技が存在する。
「ぐぐぐぅ……」
陳は息が出来ず仰け反ってつま先立ちになる。
 
その脚を左右共に思いっきり蹴り上げて投げ飛ばす全魁。

「さても足をよく効かす術なり!」

一般に「三年拳不抵一年跤(拳法の3年は摔跤の1年には敵わない)」と言われ、
形稽古や外功を繰り返すだけの拳法を学んだだけでは、
試合に終始する摔跤に敵うものではない。
 
痩せて弱々しい正使が大きな兵丁を投げ飛ばす姿を見た琉球の士族たちは、
その見事さに目が行くだけであったが、
兵丁へ今までの不満をぶつけているのは、冊封使団の誰の目から見ても明らかだった。

陳はゲホゲホとむせているが、
全魁はかまわず首根っこを押えて左へ右へと引きずり回す。
陳は砂まみれ。

「しかし、しじとーさ(度が過ぎてる)……」
そのあまりの激しさに、琉球の士族たちも異変に気付き始める。

このままでは不味いと思った王文治は周煌に助けを求めるが素っ気ない。

一計を案じた王文治は、
「正使さまは馬も得意でございます!」
と言って馬を用意させた。

坂道と石ばかりの首里城の周りを
油断することなく馬に乗る全魁の姿を知っていたのだ。
 
しかし、急なことで用意されたのは裸馬。
 
それを見て焦った王文治だったが、
内蒙古の草原を馬に乗って走り回っていた全魁にとってはお手の物。
 
たてがみを掴んで、ひょいと飛び乗り、乗りこなして見せた。
 
それがどんなにむずかしいことかを知る士族達は感嘆の声を漏らす。

若い琉球の士族たちにとっては、詩歌や書よりも、全魁の投げ技や馬術が魅力的なもの。
全魁に弟子入りを求める者も出てきたほどだ。

胸をなで下ろした王文治が兵丁たちに目をやると、彼らは、苦虫をかみ潰したような顔をしていた。
 
 
 
その夜、独りになった全魁は、手で輪っかを作り、間から月夜を仰ぎ観て、溜息をついていた。

「よくよく考えれば、怒りの矛先が自分に向くのも当然だろう。
 この渡琉で嵐に遭い、冊封使団を漂流という危険に晒した責任は自分にある。
 仕方あるまい……」
 
そこへ周煌がやってきた。
 
「全魁殿、琉球王府が見舞金を上乗せすると言ってきたぞ」
 
「しかし、その兵丁の要求は、共に拒否したはずではありませぬか」
 
「おぬしの怒りを気遣ってのことであろう」
 
「なんという……またしても琉球に過剰な反応させてしまった……断ってきます」
 
「それはならん。ここまでこじれてしまっては兵丁水夫たちもおぬしの言うことは聞かん。
 これで祭礼を滞らせたら、外交の失敗を意味するぞ」
 
「しかし……」
 
「それに、この話が都にバレれば、我等とて、ただでは済まぬ。だまって受け取るしかないのだ」
 
「不覚なり……」
 
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一方、怒りが収まらない兵丁たちは、遊郭で暴れたり、絹の売買で揉め事を起こし続けましたが、
祭礼が行なわれたことから考えれば、最終的には、全魁に従ったのでしょう。
 
しかし、帰国後、一連の事件は発覚します。
 
事態を重く見た朝廷は、陳國棟らを断罪して斬首刑に処します。
 
そして、全魁は政治の中枢から離れることとなり、国子監の祭酒という学長職に追いやられますが、
そこで、琉球の士族で、のちに琉球の国師となる蔡世昌や鄭考徳と友誼を結び、
沖縄の文化に大きな影響を与えますが、それはまた別の話。
 
(終わり)
 
 
 
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第1稿の『小説 公相君』では、
>>「どうしよう……套路かぁ……套路ってどうやるんだ?」
>>拳法の套路がどんなものだったか頭を巡らせる全魁。
>>「そうだ!まずは起式だ。套路には起式が必要だ……起式…起式……」
>>ふと頭に浮かんだのは、聞き見知りしていた日本の相撲。
>>「確か日本の相撲には、私は手に何も持ってませんよと掌をかざす起式があったなぁ……
>>ここは、敬意を表して…………」
>>両手で輪を作り、その間から空を仰ぎ観て、パチン!と手を合わせて、
>>うろおぼえの塵手水をしてみる。

……と、公相君の起式を日本の大相撲の土俵入り風に解釈していました。


琉球王朝は、
明清朝や島津藩・江戸幕府の間で微妙な距離を保ちながら
独立国としての立場を守っていました。
そこで、島津藩の役人も同席しているという設定にして、
相撲を取り入れて微妙な関係性を表現しようとしてのですが、
そもそもそんなことは史実には書かれていない奇妙な設定なので、
島津藩が同席した部分を削除して、相撲の土俵入りの塵手水の件だけが残ってしまいました。

ただ、この件、
以前書いたように、この起式は、
元々の意味には大した技的要素を持っていなかったのではないか
とも考えているので
書き直したいところです。

それ以降、資料を探ってみて
清朝時代のシュアイジャオの様子はわかってきたのですが、
やはり起式にあたるような動作が見つかりません。

外モンゴル式では、
鷹が舞うような所作で入場しますが、
バー・ボルドー先生のブフ解説にあるとおり、
内蒙古式シュアイジャオでは、
ライオンの跳躍や種ラクダなどの所作で入場します。


北京のシュアイジャオでも、
夏の砂浜を裸足でアチチアチチと
片足ずつ飛び跳ねるような入場をしますが、
内蒙古式シュアイジャオの名残なのでしょう。

それならば、
公相君(観空)で手で輪っかを作って仰ぎ見る所作も、
内蒙古式の何らかの入場所作ではないかと思ったのですが、
ライオンの跳躍のように似通ったものは見つかりませんでした。

輪っかから無理やりイメージすれば、
内蒙古式独特のジャンガーとよばれるカラフルな首飾りをイメージして
頭上に掲げた動作とか、勝って皇上から賜る羊を頭上に掲げる動作とかに
イメージの方が、塵手水とするより、まだマシ。

いずれ、第2稿として書き換えるつもりですが。まあ、いずれ。
(追記2012年3月1日:第1稿を書き直しているので、次は第3稿目として)

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短編小説 『公相君』

全魁はどうしようか迷っていた。

「表演といわれても……」

琉球王国の役人たちが、冷めた目で見ている。

「あいつだろ?魚が見たいってわざわざ探させて、これじゃないって言ったの」
「探すの大変だったらしいな。振り回される身にもなれよなぁ」
「それに、あいつ、こっちから書を書いてくれって言っても、自分で書かないんだぜ」
「なんでよ?」
「あの隣にいる従客に書かせて、自分の落款押すだけなんだぜ」
「はぁ〜?字書けないんじゃねぇの?」

後に、探花という好成績で科挙に合格する王文治が従客として随行していた。
彼は詩歌や書の才能があり、若くして天才の名を欲しいままにしていた。
正冊封使である全魁も求めに応じて詩歌を読んではみたが、
内蒙古出身の満州族ゆえに漢詩や漢語での書は得意とは言えず、
王文治のそれとは比較にならなかった。
書を求められるときにも、いきおい王文治の代筆が増えていった。

それに、魚の一件も
「清と同じ呼び名の魚がいるのなら観てみたいものだ」と言っただけで、
全魁に非はなかったが、役人達の反感を受ける原因となってしまった。

しかし、その嘲笑は琉球の役人だけではなかった。
自分を補佐する立場である副冊封使の周煌の口元にもそれを感じていた。

王文治を連れてきたのは周煌だった。

周煌にとっては、外交で失敗したくなかった気持ちから、
王文治という優秀な人材を登用しただけだろうが、
それが関係を悪化させることは明白だった。

全魁を公相君と呼び始めたのも周煌だ。
「侍講という立場なのだから、あなたは皇帝の先生。つまり公相の君だ」と。
侍講なんて、ただの名誉職。
付庸国であっても相手国の天子に失礼にならないように、
偉い人間が遣わされたという体裁をとっただけ。
清の皇帝に教えたこともない。
それでも周煌は護衛の兵丁たちにも全魁を公相君と呼ぶように強要したのだった。

清朝は満州族が打ち立てた国。
結果的に被支配層となった漢族との間で微妙な関係が出来上がっていた。

そして、今、公衆の面前で恥をかかそうとしている。
昔の冊封使が求めに応じて拳法を披露したことを聞き及んで、
わざわざこの全魁にもそれをさせようとしていたのだ。

全魁が拳法を修行していれば何のことはないが、
やっていたのは布庫(ブフ)。所謂、モンゴル相撲だ。
ブフには套路(型)は無い。
単独の演武を求められても、見せるものがないのだ。

これ以上、求めを無碍に断るわけにもいかず、困り果てていたのだった。
額から汗が流れる全魁。

「どうしよう……套路かぁ……套路ってどうやるんだ?」
拳法の套路がどんなものだったか頭を巡らせる全魁。
「そうだ!まずは起式だ。套路には起式が必要だ……起式…起式……」
ふと頭に浮かんだのは、聞き見知りしていた日本の相撲。
「確か日本の相撲には、私は手に何も持ってませんよと掌をかざす起式があったなぁ……
ここは、敬意を表して…………」
両手で輪を作り、その間から空を仰ぎ観て、パチン!と手を合わせて、
うろおぼえの塵手水をしてみる。

「起式は良いとして、次はどうする……単演できるもの、単演できるもの……」

崴桩をしてみる。
柔道の体落としをかけるような体重移動を繰り返す動きだ。
しかし、単なる基本功にすぎない。

「これを続けていても埒があかん……どうしよう」

自分の戸惑いを琉球の役人たちに感じさせたくなかった全魁は、
思わず後ろを振り返って背を向けてしまった。
そこには、周煌が嘲笑を浮かべて立っていた。

「くそっ!」

それを観た全魁は怒りがこみ上げた。

「俺の得意技見せてやる!」

相手の袖を掴んで横を向いた相手の足を後部から蹴り上げる技「ソーラガジ・チョヒホ」で、
わざと砂煙を上げる全魁。
砂が懸りそうになった周煌は顔を背ける。

全魁は正面を振り返って、「セールジ・ホシガホ」を繰り返す。
奥襟を引っ掛けて首根っこを押さえて捻り投げる動作だ。
セージル・ホシガホを続けたら、
観衆である琉球の若い役人達に近づいてしまった。
彼らの目は冷めている。
さすがに、これはもたないと感じた全魁は、
「套路、套路は……
そうだ、元の位置に戻ってこそ套路だ!」
全魁は、クルッと振り返る。
相手の両腕を持って背負い投げる技や、
「ウブドゥッグ・オノーラホ」という相撲の櫓投げに似た反り投げで大きな跳躍を見せた。
それからは自然に技が出てきた。
跳び蹴りのように足払いを2度連続で掛ける派手な動きを織り交ぜて、
元の位置に戻ってくる套路を完成させたのだった。

無事に単演を終わらせた全魁は満足げだったが、今ひとつウケがよくない。
社交辞令的な拍手がチラホラ。
やはり、単演では意味が分らないのか。

そこで、全魁はいまの套路の意味を説明するべく、兵丁のひとりを目の前に立たせた。
相撲のように組み、ソーラガジ・チョヒホで大きく投げ飛ばす。
しっかり袖を掴んで頭から落ちないように投げていたものの、
足を思いっきり蹴り上げた。
どっと歓声が沸く。
周煌への不満をぶつけているのは、冊封使団の誰の目から見ても明らかだった。
大柄の兵丁はバンバン投げ捨てられる。
琉球の役人達の歓声とともに全魁の蹴りも熱を帯びてきた。
怒りの矛先が自分たちに向かい始めたと感じた兵丁たちは、王文治に助けを求める。

王文治は一計を案じて、馬を用意させた。
「公相君は馬も得意でございます!」

その声に我に返り、
投げ飛ばすのをやめた全魁は、王文治の提案通り、馬を乗って見せた。

内蒙古の草原を馬に乗って走り回っていた全魁にとっては、
慣れない地であっても馬を乗りこなすのはお手の物。
それがどんなにむずかしいことかを知る士族達は感嘆の声を漏らす。
若い琉球士族にとっては、詩歌や書よりも、全魁の投げ技や馬術が魅力的だった。
演武を終わらせた全魁に弟子入りを求める者も出てきたほどだ。

王文治が周煌に目をやると、
周煌は決して表情を変えることはなかったが、
かえって感情を表さないように努めていたようにも思えた。


その夜、全魁は1人で海を見つめながら冷静に考えた。


「よくよく考えれば、周煌の怒りの矛先が自分に向くのも当然だろう。
この渡琉で嵐に遭い、冊封使団を漂流という危険に晒させた責任は、正冊封使である自分にある。
副冊封使という立場にある周煌にとっては、出世の妨げになる大きな汚点だ。
仕方あるまい……」


手で輪っかを作り、月夜を仰ぎ観て、ため息をつく全魁であった。



(終わり)




<追記>

これは、完全なフィクションです。

大島筆記から読み取れる話をふくらませていますが、

小説という性格上、

ドラマ性を求めて周煌を悪者にしました。

しかし、それを裏付けるようなエピソードはありません。


また、王文治のような従客を付けるのは、

かなりの数の書を求められる冊封使には普通のことで、

現在で言えば、外務大臣と事務方と言う役割であっただけでしょうから、

あまり、真には受けないでください。


<改訂>

当初、琉球の役人たちと一緒に

島津藩の役人も公相君の演武を見ている設定にしていました。

島津と清朝の間で琉球を綱引きあっているような関係性でしょうから、

演武に威圧の意味も含んでその場に一緒にいる設定にしていたのですが、

そもそも大島筆記にはそんな記述はなく、

威圧の意味も表現し切れていなかったので削除しました。


ただし、


内モンゴル相撲と馬術を披露したことは断定的に語りたいと思います。


<追加リンク 10/01/06>
崴桩にリンクを貼りました。


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