オルタナティブを考えるブログ

タイトルも新たに、1年ぶりですが、まずは過去の記事を整理しなきゃ

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なぜ 歴史は繰り返すのか?


つまり、この質問はどうして人間は過去から学べないのか? ということになる。

この「繰り返す」というのは、ある状況での人間の判断とそれによって引き起こされた結果という一連のプロセスがまさに古今東西に確認する事ができ、人間はひょっとしたら歴史から学ぶ事はできないのではないかとさえ感じる。

今まで多くの書物で『バブル経済の歴史』について語られてきた。行き過ぎた投機によるバブル発生とその崩壊によって引き起こされた恐慌が、歴史上に数多く見られたというもので、実例を挙げるのであれば枚挙にいとまがない。

しかしながら、デフレ圧力の強い経済不況の中、なぜ今緊縮財政になるのか・・・

一件矛盾したような政策が何故取られるのか?

不思議に思うが、歴史を見ればやはり『繰り返す』というプロセスにあり、金融恐慌に揺れる戦前の日本でやはり同じような政策が取られた。


以前も引用させてもらったが、経済コラムマガジン(2003年3月3日)から
http://www.adpweb.com/eco/eco287.html
昭和恐慌は、第一次世界大戦時の好況の反動が発端である。1914年第一次世界大戦は起ったが、日本は戦場にならず、輸出の増大で日本経済は大いに潤った。しかし大戦が終わり、列強が生産力を取戻すにつれ、日本経済は落込んだ。1920年以降、日本経済はずっと不調が続いた。特に27年には金融恐慌が起り、取り付け騒ぎや銀行の休業が到るところで見られた。

ところがこのような経済が苦境の最中の29年に発足したのが、浜口幸雄内閣であり、蔵相が元日銀総裁の井上であった。なんとこの浜口・井上コンビはデフレ下で緊縮財政を始めたのである。ところが浜口首相は「ライオン宰相」として国民から熱狂的な支持を受けていた。前の田中義一首相が、腐敗などによって国民から反感をくっていた反動と思われる。

浜口首相は「痛みを伴う改革」を訴え、「全国民に訴う」というビラを全国1,300万戸に配布した。内容は「・・・我々は国民諸君とともにこの一時の苦痛をしのいで、後日の大いなる発展をとげなければなりません」と言うものであった。実にこの首相は小泉首相と酷似している。そして国民から熱狂的に迎えられたと言う点でも両者は共通している。昔から日本ではバンバン金を使う者より「緊縮・節約」を訴え、「清貧」なイメージの指導者の方が、少なくとも当初は支持を集めるのである。最近、公共事業に反対する候補者がどんどん選挙に勝った。これもこのような日本人の心情を理解すれば納得できる。

この「人間はひょっとしたら歴史から学ぶ事はできないのではないか」という疑問は、上記のような1930年代の恐慌に対して統一的な歴史解釈がなく、処方箋や対策への評価がまちまちであることを考えるとなおさら大きくなる。

浜口首相は「痛みを伴う改革」や井上の緊縮財政は、結局日本経済に何をもたらしたのだろうか?


もともと民主党は景気対策も重視していたが、『子ども手当て』のための財源捻出に一生懸命になるあまり、いつの間にか財政削減というイメージができ、古くから日本に根付いている『清貧』という考に足をすくわれた形となっている。


日本の清貧の思想について書かれている経済コラムマガジンの2003年2月24日より引用する。
http://www.adpweb.com/eco/eco286.html
清貧の土光臨調会長
大平首相の急死後、政権を引継いだ鈴木内閣の元では、完全に緊縮型の財政運営となった。特に82年には、鈴木首相は財政事情非常事態を宣言した。鈴木首相のように、財政破綻によって明日にでも日本が潰れるかのような感想を持つ人々は、いつの時代にもいたのである。

そして彼等は口々に「国債なんか買う者はそのうちいなくなって、国債は紙屑になる」と叫んでいた。今日の国の借金は巨額になっている。しかし国債は信じられないくらいの低金利で推移している。それでも国債はどんどん買われている。この現状を知れば、これらの人々は腰を抜かすであろう。当時の国債の発行残高はわずか100兆円であり、GDP比はたったの36%であった。今から考えれば、超健全財政である。そして筆者は、財政の再建を急がなければならないと行った政策が、結果的には大間違いであったと考える。

75年にデフレギャップが発生し、その後これが拡大して行ったと言う観測は重要である。消費は、ほぼ所得の一定割合であり、大きく伸びることはない。また当時、住宅投資も低迷していた。ところがこのような状況にもかかわらず、80年代前半はずっと緊縮型の財政運営を続けたのである。

供給力が需要を大きく上回っていたのであるから、製品は国内で捌けず、どんどん輸出されることになる。82年度を除けば、輸出は毎年増加の一途であった。そして日本の産業構造もますます外需依存型になった。

本来、為替はパラメータとして動き、経常収支が均衡することを助ける働きがあるはずである。ところが輸出の伸びによって83年頃から経常収支の黒字がさらに大きくなっているにもかかわらず、為替は逆に円安で推移している。78年度に200まで円高になっていたのに、82年度頃には278円まで円安が進み、85年のプラザ合意までは概ね240円から250円くらいの円安水準で推移していたのである。これでは輸出が激増するのも当然である。

この為替の奇妙な動きの原因は米国の高金利政策である。これを主導したのはボルガーFRB議長であった。このため日本を始め、各国から資金がどんどん米国に流入し、米ドルが異常に高くなった。当時、日本の金融機関は競って高利回りの米国債を買っており、毎年、資本収支は大きな赤字を記録していた。

81年に登場したレーガン大統領の「強い米ドル政策」と言われているが、実態はインフレを抑えようととして、ボルガーFRB議長が金利を強引に引上げ過ぎたのである。この結果、米ドルは必要以上に高くなり、外国からの製品輸入が激増することになった。このため米国の製造業は、競争力を失い衰退して行った。かろうじて製造業で残ったのは、自動車と軍需産業ぐらいのものである。したがって今日デフレに陥りそうになると、米国は戦争を始める必要があると言う人もいるくらいである。

日本は緊縮財政を続けていても、輸出がどんどん増えるため、低いなり経済成長は実現していたのである。しかしとうとう窮地に陥った米国を救うため85年にプラザ合意が成立した。それ以後、円は急速に高くなった。今度は日本が窮地に陥る番である。250円の円安から、一時は120円台の円高になったのである。そして日本は文字通りの「円高不況」に陥った。

80年代以降、一貫とした基調は財政政策に消極的なことである。たまたま米国の高金利政策による円安によって、需要不足を輸出で補うことができた。しかしこれによって日本の貿易黒字は巨額になり、欧米諸国との摩擦も大きくなり、とうとう急激な円高を受入れることになる。しかし「円高不況」に対する経済対策はこれまた財政ではなく、金融に片寄ったものであった。円高不況にかかわらず、87年度から赤字国債の発行は減少し、特に91年度から93年度にかけては赤字国債の発行はなかとゼロであった。

財政政策は貧弱であり、その分金融を過剰に緩和した。このため実物投資は小さく、資金はほとんど土地や株と言ったマネーゲームに流れた。この結果バブルが発生したのである。バブル期は好景気だったと言われているが、意外と経済成長率は小さく、物価も上がっていない。急騰したのは地価と株価である。

もし米国の異常な高金利政策がなかったら、日本の輸出に依存する経済体質も是正されていたかもしれない。そうなれば、プラザ合意後の超円高とその後のバブル発生は避けられていたかもしれない。しかしこれも今となっては「後知恵」である。

ところでこのような緊縮財政は、かなりの国民から支持を受けていたことを忘れてはならない。財政当局としても悲願である消費税導入には、国民の支持が必要である。このためにも政府は財政支出に厳しく対処する必要があったのである。しかし当時、既にデフレギャップが相当大きくなっており、輸出が順調に伸びない限り、日本は需要不足で直ぐに不況になる体質になっていたことを認識することが重要である。

話は変わるが、当時、国民的ヒーロは土光臨調会長であった。第二臨調は鈴木内閣の時に発足したが、注目を集めたのは中曽根内閣の時である。土光会長は、中曽根内閣のキャッチフレーズ「増税なき財政再建路線」にピッタリのキャラクターであった。「めざし」に代表されるように、土光氏には「清貧」のイメージがあり、国民の信頼も厚かった。

ある年、景気が悪くなったため、政府・自民党は景気対策として補正予算を組むことにした。しかしこれに対して土光氏は、涙を流して中曽根首相に強く抗議を申入れた。そしてこのことが今日でも美談として語られているのである。

日本人には「清貧の人」「清貧の思想」に強い思い入れがある。どうしても土光氏などがプラスイメージで捉えられる。反対に開発をどんどん進めるような政治家は悪いイメージが持たれる。ましてやこのような人物がスキャンダルで失脚すると、めちゃくちゃに扱われる。しかしこの土光会長に代表される「清貧の思想」が往々にして国を窮地に追込むのである


日本ではデフレ経済にありながら、「清貧思想」があり緊縮財政を後押しする。

鳩山政権で発足した刷新会議の民間メンバーでもある京セラの稲盛名誉会長は語った。

「景気に悪影響よりも、経済の健全化のために削るべきものは削るべきだ」

「痛みを伴う改革」を主張した浜口首相の発言とダブルってみえるのは気のせいだろうか。


『市場主義』や『格差社会』を反省して『清貧』に回帰するプロセスは毎度おなじみだが、それを国が財政政策を通じて実践してしまったという事実も過去にもあった。

また、歴史は繰り返すのか。

閉じる コメント(5)

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まったく同感。わかってる人がいて嬉しいです。

2009/10/30(金) 午後 0:31 [ see*a_*ve ] 返信する

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お友達登録していただき、光栄でございます。

『「清貧の思想」が往々にして国を窮地に追込む』確かにそうだ。

しかし、民主党の政策は「清貧の思想」のように見えるが、異なると思います。

民主党は、緊縮財政ではなくばら撒き財政をおこなうわけですから、看板は清貧でも、中身は国が民間に代わって需要を作ることになります。

私は鳩山はじめ民主党政権の左翼思想の人間を嫌いですが、藤井・亀井両大臣は反緊縮財政をやっているので、私は鳩山政権の経済運営はまったく不可ではないと思っています。優ではないが良と可ぐらいの間だろうと判断しています。

資本主義の精神と清貧の思想は相反しないこともご理解しておいた方がよろしいとも思います。

資本主義の精神を生んだ「行動的禁欲」をかのマックスウェーバーは説いています。
http://blogs.yahoo.co.jp/ddogs38/23731247.html

http://blogs.yahoo.co.jp/ddogs38/29468670.html

2009/10/30(金) 午後 2:02 Ddog 返信する

seena_aveさん
コメントありがとうございます。
何だか気が付いたら緊縮財政になってたと言う感じですねよね。
これからもよろしくおねがいします。

2009/10/31(土) 午前 1:16 [ 9回裏二死満塁 ] 返信する

もともと民主党は財源が心配されるほどの財政政策なはずだったのですが、ここにきてちょっと雰囲気が緊縮的になってきているので気になってます。

なるほど。マックス・ヴェーバーですか・・・。大学時代はかなり好きでしたが・・・改めて考えてみると、インテリぶってただけで僕は彼の主張があまり理解できていなかったのではと思います(笑

時間はかかるかもしれませんが、興味深いテーマですので今度じっくり取り組んで見ます。

2009/10/31(土) 午前 1:36 [ 9回裏二死満塁 ] 返信する

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man

2009/12/4(金) 午後 3:47 [ man ] 返信する

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