オルタナティブを考えるブログ

タイトルも新たに、1年ぶりですが、まずは過去の記事を整理しなきゃ

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実はインフレターゲティング、デット・デフレーションなどの議論を始めようとしたのですが、あまり多のシリーズを放置するのも何なので、まずはそちから取りかかりたいと思います。

『束ねられた矢』を紋章にもつスペインのイサベル王女が、コロンブスをアメリカ大陸発見につながる航海へと旅立たせる以前、隣国のポルトガルではエンリケ航海王子によって大航海時代の幕開けはすでにはじまっていた。

最善を尽くせ by エンリケ航海王子


15世紀初頭まで、ヨーロッパではカナリア諸島より200キロ南に位置するボハドル岬より先には世界の果てがあり、煮えたぎる海が広がっていると考えていた。

ところで、世界で最初に地球が丸いといった人は誰だったか言えますか?




・・・



学校で習いましたっけ?





・・・?




習ったような・・・






習わなかったような・・・





正解は・・・・





分かりません。謎です。 (笑




というのは、昔々の人たちは、


紀元前6世紀のギリシアでは、ピュタゴラス学派を中心に唱えられていて、その頃は天体も丸い球体の形をしていると信じられていた。アリストテレスは著書で地球が丸いと思われる根拠をいくつか記している。


もちろん最初のインスピレーションは地平線を眺めたときだろう。


古代ギリシアの知識人の間では北極星の高さが地点によって異なることなどから、地球が球体となっていることは広く知られていたそうだ。紀元前3世紀ごろ、その中の一人であるエラトステネスは太陽の高度から地球周囲距離の算出も行っている。


しかし その後・・・


『地球は丸い』 ということは 人類の記憶から何百年も忘れさられてしまう。


・・・というのは ウソ だったのです。


僕たちの世代ではおそらく中世ヨーロッパの人たちは、キリスト教影響で地球を丸い円盤のように考えさせられていた・・・と教えられてきたと思います。どうでしょうか?


しかし、人類はピタゴラスの時代から ずぅ〜〜〜っと

イメージ 1



人類は地球が球体であるという事実を知っていたのです。

イメージ 2

これには実際、陰謀的ともいえる情報操作があったからではなく、近年の研究結果によるもので、それによると、わずかの例外を除いては紀元前三世紀頃から今日まで、ヨーロッパ史おける教養ある人間が『地球は平らだ』と主張している人はほとんどいないのです。そして、知識人の間においては、『地球は球体である』としっかりと教えられていました。

イメージ 3

『中世の人々が、地球は平面である(地球平面説)と信じていた』 というのうは、19世紀に入って広められた仮説であり、ワシントン・アーヴィングという作家が1828年に書いた『クリストファー・コロンブスの生涯と航海 The Life and Voyages of Christopher Columbus』という作品がきっかけだそうだ。


ちょっとびっくり・・・



コロンブスをそそのかしたトスカネリ(Paolo dal Pozzo Toscanelli)がヨーロッパで最初に地球球体説を唱えたということではないのだ。

トスカネリ Paolo dal Pozzo Toscanelli
イメージ 4

1457年にはトスカネリは星座早見盤と世界地図をすでに完成させたが、それには比較的正確に描かれているヨーロッパや縦長でいびつなアフリカ、そしてすでにインドや中国、更に日本が描かれていた。そして、1474年にトスカーニは更なる地図を作成し、リスボン大聖堂で司教を勤めていた友人のフェルナン・マルティンス(Domherrn Fernão)へ送った。彼は、さっそく当時のポルトガル王のアフォンソ5世(Alfons V.)にその手紙と地図を持っていった。しかしながら、王はこれといってトスカネリの手紙や西回りのアジア航路図に関心を持たなかったという。


そこへ、マルティンスに送った手紙の噂をどこからか聞きつけたクリストファー・コロンブスは、トスカネリに接触を試みた。その後、トスカネリは2通の手紙をコロンブスに送った。一つ目は1474年に彼がマルティンスに書いた手紙の内容についてだった。2度目の手紙では、彼の西回りのインドへの航路という計画を実行させるように促すものであり、トスカネリはポルトガルと中国5000マイルと計算して見せた。航路があまりにも長いので、中間地点として伝説の島・・・つまり実際には存在しない島„Antilia“と日本(Cipangu)を勧めた。

しかし、これがそもそもコロンブスの失敗の原因で、地図を見ても分かるようにトスカネリは地球の直径を小さく見積もりすぎて、このことが原因でコロンブスがアメリカ大陸をアジアと誤解したのだった。



中国からの使節団



長い間 歴史家を悩ませてきた問題がある。

トスカネリがコロンブスの手紙の中でローマ教皇エウゲニウス4世に送られたとある『中国の使節団』について述べられている箇所がある。


それが誰だったか?


と言うことらしい。


誰でもいいじゃん(^-^)。


2005年の時点では、それらの一団は鄭和(ていわ)が送り込んだ使節団ではなかったかという仮説がだされた。鄭和は中国明代の武将で、南海への七度の大航海の指揮を委ねられた人物で、ちょうどこの説が出された頃、コロンブスより先にアメリカを発見したのではないかという、一大ニュースが世間を賑わせた。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/4609074.stm

鄭和(ていわ)
イメージ 5

鄭和の船団は東南アジア、インドからアラビア半島、アフリカにまで航海し、最も遠い地点ではアフリカ東海岸のマリンディ(現ケニアのマリンディ)まで到達した。彼の指揮した船団の中で、最大の船は宝船(ほうせん)と呼ばれその全長は120メートルを超えるような大型船だったとされる。(ウィキペディア)

1430年に中国明朝の5代目の皇帝になった宣徳帝(せんとくてい)は、自らの即位を世界中に伝えるべく、祖父である永楽帝が組織した船団を各国に派遣したという。

明朝の宣徳帝(せんとくてい)
イメージ 6


その使節団は、1433年にカルカッタで船団から分かれた後、アラビアの船乗りたちと一緒にカイロ、そしてフローレンスまでやってきたという。そして、トスカネリはフローレンスにてその一行と面談する機会があったというものだ・・・果たして本当だったのか。。。

前述の最初にアメリカ大陸を発見したのは中国だったという説の根拠というのは下記の地図が発見されたからだ。下の地図は、1763年に複写された世界地図であるが、そこにはオリジナルは1418年の地図であると書いてあり、その時にクローズアップされたのがやはり鄭和だ。

1418年の地図に作成されたという地図
イメージ 7


トスカネリはこれに触発されたのか?


ポルトガルのエンリケ航海王子も、この鄭和の使節団との接触はあったのだろうか?


問題は・・・鄭和の4回目の航海(1413−1415)だ。


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