|
前回は牡牛の試練にてついて書いた
このままナルメルのパレットについて話を進める前に古代エジプトの天文学事情について少しふれておこう。
意外なことだが、
古代エジプト人によって記された天文学テキストと言うのは、これまであまりエジプト学者の注目を浴びることはなかったそうだ。
その理由の一つとしては、バビロニアなどにおける明確な天空の描写などにくらべて、エジプト学者の期待するような成果をこれまで挙げられないでいたからだ。つまり、天文学的に価値のある描写などが見いだせなかったのだ。
更に、テキスト自体がとても難解であり、エジプト神話、つまり宗教的観点から分析されなければならなかったことにある。
ところが最近になり、数学や学術的なアプローチから古代エジプトの天文学を理解するという態度から宗教テキストを基にしたアプローチが試みられるようになり、古代エジプトにおける天文学の理解がやっと進んだ・・・という状況だそうだ。
ある言意味、今後の成果が期待される分野でもある。
古代エジプト人がみた星空紀元前4000年の初めの頃、古代エジプト人が見た夜空の星というのは、現代人がみるものと若干異なっていた。北極星を中心として周期星は、この古代では地平線の下に沈んでいたので観察することが出来なかった。
紀元前3733年からナイルのデルタ地域で、2326年頃からエルフェンバイン(ナイル川上流)でやっと沈まない北天という姿がみとめられるようになった。
いきなりこんなことを言ってもチンプンカンプンかもしれないが、地球の歳差運動についてはたぶん学校で習ったことがあるだろう。
地球の回転軸には傾きがあるが、この地球は誕生以来、一定の周期をもつ歳差運動を繰り返し行ってきた。まぁ、勢いのなくなったコマを想像してみてもいいかもしれない。この首ふり現象のために春分点や秋分点が黄道に沿って少しずつ西向きに移動したりするのだ。この歳差の周期は約25,800年と言われている。
学校の理科では北斗七星とカシオペア座から北極星(ポラリス:こぐま座)を計算する方法を習ったが、古代エジプト時代では北極星という名にふさわしい星は他にあった。それは、りゅう座の近くの星((トゥバン Thurban)に位置していた。
紀元前5000年からの北極星の移り変わり
古代エジプトの人々にとって、この北天の星空というのは特別の意味をもっていた。
これらは水平線には沈まないことからイケム・セク、つまり「滅びない星々」と呼ばれた。
他方、南の星は、たくさんの距離を移動することからイケム・ウレジュ、つまり「疲れを知らない星」と呼ばれていたそうだ。
古代エジプトで星座をあらわした最古のものはエジプトの第一中間期(紀元前2216-2025年)のものと思われる線形代数学に基づくカレンダー(時計)だ。そこに表されているのは、雄牛の前脚で描かれたメスケティウ(Mesechtiu)という星座で、他でもない北斗七星の事である。(今日の北極星があるこぐま座ではないので注意)
下の図、右から天空の女神ヌト、牡牛の足(セト神の足:北斗七星)、オシリス神(オリオン)、女神ソティス(ソプテス:イシスの化身とも、シリウス)
エジプトの暦や天文学的のコンセプトは、宗教的といってもかなり合理的だ。
1年の始まりは、ナイルの増水とともに、ヒライアカル・ライジングと言ってシリウスが太陽を伴って東の地平線から昇ってくる時だ。
1週間 は 10日
1か月 は 3週間
1年 は 12カ月、36週間、360日 + 5日
最後の追加的な5日というのは、それなりの意味合いをもつ。以下は「太陽の王 ラムセスI」 より抜粋
女神セクメト そして、1年は365日で閏年は、プトレマイオス朝までは導入されなかった。 北の空の雄 セトの足と牡牛の前足ところで、以前にヒクソスがもたらした武器としてコペシュ(Khopesh)という武器について書いた。
コペシュ
しかしながら、
古代エジプトにおける『コペシュ(Khopesh)』という概念は、本来違う意味で使われていたことがピラミッドにあるテキストから明らかになっている。
それは・・・
牡牛の前足である。
?
また、このコペシュというのは語源学的にも神学的にも『開口の儀式』と関連があることが分かっている。
開口の儀式とは
ミイラが出来上がると、そのミイラに、「開口の儀式」が行なわれた。古代エジプト人は、この儀式により、遺体に再び生命力が宿り、生きている者と同じように活動できるようになると信じていた。儀式では、まず香が焚かれ、水を撒いてから、手斧でミイラあるいは像の口、手、足に触れ、死者の魂が再び体内に入り、供物を取ることができるように呪文が唱えられた。 開口の儀式
この開口の儀式の際に使用される工具メスケティウ(Mesechtiu)を、ヒエログリフでは牛の前足で表している。
下のヒエログリフ 左(牛の前足)と右(コペシュ)はどちらともメスケティウをあらわしている。
この工具としてのメスケティウ(Mesechtiu)という名前は、古代エジプトにおいては北斗七星を指していた。
そして、このメスケティウを牛の前足であらわしているのと同時に、これはセトの足であることをあらわしている。
セトはホルスによって足を引きちぎられ、天まで放り投げられてしまったと伝えられている。
また、オシリスは天空の牛に化けたセトの前足によって殺されたとされているので、セト神と牛の前足というのは密接につながっている。
つまり以下の図式が成り立つ
牡牛の前足 = セトの足 = 北斗七星 = メスケティウ(曲刀/工具) = 再生
北の空の住人たち時代は進み、第18王朝の頃のハトシェプスト女王の遺跡から星座表に似たようなものも発見された。ハトシェプスト女王に仕えたセンエンムウト(Senenmut)の天井画なのだが次のようになっている。
拡大図
真ん中上に見えるのは牡牛でヒエログラフでメスケティウと記されている。この牡牛の背後には例のスコーピオンキングで登場したセレケトが描かれている。そして隼の頭をもつ者が牛を槍か何かで刺している。なんとなくホルスがセトを刺しているシーンに似ている。その下にはタウエレト(Tawaret)が見受けれれ、何故だかワニを背負っている。
これとほぼ同じような図が、第19王朝のセティ1世王墓の天井に描かれていて、牡牛、隼、ワニを背負ったタウエレトなど、登場人(?)物は、センエンムウト(Senenmut)の天井画とほぼおなじだ。
興味深いのは牡牛の尻尾を握るという「牡牛の試練」の様子が描写されているところだ。
そう言えば、エジプトの壁画に残されている牡牛の試練の壁画もセティ1世時代のものである。
第19王朝のセティ1世王墓の天井画
牡牛とその尻尾をつかんでいるファラオ(ラムセス2世)で、北斗七星を構成していて、牡牛の首の辺りにあるのが北極星と見られている。
ナルメルが王として牡牛の尻尾をつけているのは、おそらくこの時代にすでに暦をはじめとする古代エジプトの天文体系も確立されていたことを示唆しているのかもしれない。 (これは考えすぎか・・・)
|
全体表示
[ リスト ]





