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ナルメルのパレットにて、彼はパレットの裏面では上エジプトの白い王冠、表面では下エジプトの赤い王冠をかぶっている。表裏合わせてそれぞれ上下エジプトの両方の王冠をかぶっていることから、彼がエジプト最初の統一者とみなす上で一つの根拠となっている。
それでも、いくつかの素朴な疑問がわいてくる。
エジプト統一とは何なのか?
統一されるべき地理的概念が存在したのか?
そもそも
いつから白い王冠は上エジプトのシンボルであり、
いつから赤い王冠は下エジプトのシンボルとなったのか?
素人の目からすると、どうも赤い王冠と白い王冠はそもそも二重の王冠として合体すべきものとして創作されたような気がしてならない。おもちゃのアイデアと販売戦略が先にあって子供アニメができるみたいな・・・。そうと考えないと、運動会や紅白歌合戦のような赤と白の色の使い分けなんてあまりにも勝手が良すぎる。
つまり、もともと何らかの統一コンセプトがあり、
その中で上エジプトの白い王冠と下エジプトの赤い王冠に分け
神話に結び付けるなどの若干の脚色が加えられ
本来合体すべきものとして創作されたのであろうか。。。
上下エジプトの王冠、および統一王冠についてはすでに書いたが、今日は古代エジプトの王冠について調べてみることにする。
上下エジプト王冠について
日本の文献と海外の文献では、これと神との関係が違うケースが多い。つまり日本ではホルス神が上エジプトでセト神が下エジプトだが、海外では逆なのである。このブログでエジプトについて述べる時は、ほぼ海外の文献を頼りにして書いているので、海外と同じ立場で述べる。
それにしても日本の古代エジプトに関する記述はひどい。。。
紀元前3500年ごろには上下エジプトに国家がそれぞれ成立していたとか・・・。
さらに紀元前3800年に鉄器の生産が始まったとか・・・
まぁ、所詮は外国の古代史・・・なのかもしれないが・・・
それでは古代エジプトの代表的な王冠/頭の飾りを見ていこう。
古代エジプトの王冠大まかなところで言うと次の通りだ。
ネメス(Nemes)王冠というか・・・古代エジプトのファラオについて思いをはせるとき、おそらく一番ポピュラーなファラオの頭飾りだろう。そしてこの王冠が使われたのはかなり古い。
古王国時代にすでに使用されており、確認できる中で一番古いのはエジプト第3王朝の2代目ファラオであるジョセル(紀元前2668―2649年)だ・・・とドイツ語ウィキペディアには書いてあったのだが、英語版には第1王朝のデン(Den:紀元前2870-2820年)がすでにつけていた・・・。
って、そう言えば前回メイスをテーマにしたときすでにそおの画像を自分で貼り付けていたっけ・・・。
ちなみにジョセルは、現時点では彼は歴史上最も古いピラミッド(階段ピダミッド)を建設させたファラオである。その設計者でもあるイムホテプは、映画「ハムナプトラ」に主人公の宿敵として登場している(時代はムチャクチャだけど)。
ジョセル
デンという王は、古代エジプト史の中において非常に重要な王だが、このメネスというものの使用だけでなく、彼は上下エジプトの統一を象徴した王冠をかぶった姿で描かれている最古のファラオだ。(ちなみに統一王冠の存在が象徴として認められるのは、デンの前任であるジェトであるようだ。)
ケプレシュ(Khepresh)ケペレシュは、何となく軍隊のべレー帽を思わせるが、実際は戦争の時にかぶることが多かったようだ。ガデッシュの戦いで戦車の上から弓をかまえるラムセスがかぶっているのがこのケプレシュ(Khepresh)である。エジプト第2中間期(紀元前1648–1550年)の頃に登場したようで、第18王朝アメンホテプ3世が最初とされている。
アメンホテプ3世
アテフ(Atef)上エジプトの白い王冠の改良型のようなこの王冠は、オシリスのかぶっている姿が有名で『死者の書』によるところ冥界の支配者を意味している。ピエラミッド・テキストによるとオシリスは「北の神」ということになるらしいのだが、考古学上でオシリスがはじめて登場するのは第4王朝になってからで、当初は名もない神として登場する。
第4王朝の末期になるとはじめてオシリスという名前が言及されるようになる。第5王朝の時代では図像学的な描写もなされるようになるが、はじめのうちはようするに下っ端の神であった。死者の神と言う位置づけはそうなのだが、エジプト王の神という位置づけではなく、同レベルの兄弟のような位置づけであったという。
両側にはマアトの羽(ダチョウの羽)がついている。マアトは「正義」を司る女神として現れ、またある時は「秩序」や「モラル」などエジプトの秩序・法などの意味で用いられる。
この王冠は、オシリスだけでなくクヌム、ホルス、子どものホルスなどもこの冠をかぶった姿で描かれている。また、上下エジプト統一のシンボルとしてもみられていて、ダブル王冠を補完する存在として歴代のファラオ達もこれをかぶっていた。
アメン冠(Amun Crwon)基本的には統一王冠にもともとテーベのローカルな神であったアメン神の冠が合体したものだ。以前にもこのブログで少し登場したアメン神は、考古学上では中王国(第11王朝:2137年頃から)になってはじめてその存在が確認されている。当初は地方のローカール色の強い神であったが、幸運にも第11王朝でテーベがエジプトの首都になり、アメン神殿が建てられると神々の中でも不動の高い地位をものにする。
この神が最高潮の時代はエジプト版の宗教改革を行ったアメンホテプ4世の時代(紀元前1353–1336年頃).で、このアメン神を崇める神官を中心とした勢力がファラオの権力も脅かすようになり、ツタンカーメンの父でもあるアメンホテプ4世は、多神教を廃止するとともに、アテン神のみを唯一とする世界最古の一神教をおしすすめたといわれている。
これがさらに進化するとヘヌ冠(上の写真右)となる。
ヘヌ冠(Henu Crown もしくは 「The Two Feathers Crown」)このヘヌ冠というのは、特に新王国時代(紀元前1550-1070年頃)によく使用された王冠の形であり、エジプトの秩序であるマアトを象徴するダチョウの羽が2つ飾られていて、根元の中央には太陽の円盤が両サイドに伸びる雄羊の角の土台に飾られている。この角の先には、頭の上に太陽の円盤をいただいたコブラがついているものもある。
このヘヌ冠を使用した歴代ファラオとしては、第18王朝のファラオ(?)であるハトシェプスト(Hatshepsut/紀元前1479-1458年頃)、セト1世、ラムセス2世などが挙げられる。中でもラムセス2世が愛する妻のネフェルタリのために建造したアブ・シンベル小神殿の入り口にはこのヘヌ冠をつけたラムセス2世の像が立っている。
実際のこの冠の意味についてはまだ統一された見解を得るに至っていない。いくつかの神がヘヌの冠をつけた姿で描かれているようだが、中でも面白いのがワニの姿をしたセベク神だ。
すでに紀元前3100年頃にワニの神としてそのキャリアをスタートさせたソベク神は、第12王朝に水上と豊穣の神として信仰され、第13王朝になるとソベクホッテップ1世(紀元前1735年頃)というソベク神から名前をとったファラオも登場した。そして、紀元前1400年頃になるとラーと融合し、ソベク・ラーとして太陽神の地位まで登りつめた。
セベク神
ヘムヘム冠(Hemhem Crown)オシリスのアテフ冠から派生・発展したもので、この冠を3つ並べる形をとることから『トリプル・アテフ冠(?)』・・・なんて呼ばれることもある。そして6つの太陽や羽飾り、そしてコブラの飾りも加わり、さながら向かうところ敵なし。戦隊シリーズに出てくる合体ロボットの最終形態みたいなものだろうか・・・。
この冠が登場したのは18王朝になって初めてでトトメス1世の時世(紀元前1504−1492年)で、実際に重大な祭事の場で使用され、その王冠はローマ時代のコインにまで見る事ができる。
これらの王冠の基本となったのは、やはり白い王冠(ヘジェト)と赤い王冠(デシュレト)だ。
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