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タイトルも新たに、1年ぶりですが、まずは過去の記事を整理しなきゃ

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エジプト18王朝の女たちシリーズで書いてきたが、ここ2、3回はその番外編ということで、彼女のプント遠征を取り上げる。
 
古代エジプト18王朝のハトシェプストと並び人類史上の偉大な女王としてイサベル1世エリザベス1世、そしてエカテリーナなどが挙げられる。これらの女王はその類まれな才能と意思によって祖国の黄金期をつくりあげた。
 
そして彼女達に共通するキーワードに「海」が挙げられる。もちろん時代や運命によって導かれたものではあるが・・・。
 
イサベル1世とアメリカを発見したコロンブス
 
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エリザベス1世とスペインの無敵艦隊を破ったイングランド海軍
 
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エカテリーナ(エカチェリーナ2世)と帝政ロシアの黒海艦隊
 
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それでは ハトシェプストは?
 
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今日は彼女が治世9年目に行ったプント遠征にせまる。
 
 

元祖黄金の国 謎のプント遠征

ハトシェプスト時代の重要な事業の一つに数えられるのがプントへの遠征である。
 
 
プントは「黄金の国」、またはハトホル神の住む「神の国」とも呼ばれた。
 
 
古代エジプトではおそらく紀元前3000年前からプントより、乳香、黒檀(コクタン)、象牙、金、化粧用顔料、銀、食塩、そして猿、犬、豹皮の服、ダチョウの羽や卵などを輸入していたことが分かっている。
 
碑文によれば、プントはエジプトの東側の沿岸地域に位置していると思われるが、これまで何処に存在したのか確かなことは分かっていなかった。
 
一般的にプントがあったと想定される地域
 
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プレスタージョンの王国のような・・・ロマンにあふれた国だ。
 
 
ふむ。。。
 
 
記録に残る最古のプントへの遠征第5王朝のサフラー(紀元前2490年kら2475年頃)が行ったとされている。また、第11王朝メンチュヘテプ3世の治世(紀元前2013年から2010年頃)の時に、高官のハヌという人物がコプトを通ってプントに遠征している
 
コプトという町はナイル川から紅海に繋がる商業の町として古くから栄えてきた。一般的なキャラバンであればそこから5日ほどで紅海に達することが出来る。
 
 
ただ・・・
 
 
紅海に達する方法として、もう1つ仮説をたてることができる。
 
 
 
それはナイル河から船で行くと言うものだ
 
 
 
??
 
 
そんなことが出来たのだろうか?
 
 

ナイル河から紅海へ・・・

船でナイル河から紅海へ抜けるというストーリーは、当時すでにスエズ運河の前身とも言うべき運河の実在が問われる。
 
古代エジプトにはファラオの運河と呼ばれる水路が多数建設されていた。ナイルデルタの開発はおそらく第12王朝のアメンエムハト2世(紀元前1994年〜紀元前1975年)の頃からはじまったとされる。ナイル河とエジプト最大のオアシス地帯であるファイユームを結ぶユーセフ運河の大工事がはじまったのもその時だ。
 
               ファイユーム・オアシスの位置
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ピラミッド建設や神殿建設もそうだが、そうした公共事業は
 
さながら古代のニューディール政策と言う感じだったのだろう。
 
 
それら『ファラオの運河』とも言われる運河の中にブバスティス運河がある。ギリシアのアリストテレスやストラボンの記録を頼りにすれば第12王朝のセンウセレト1世(紀元前1975年〜1930年頃)の治世に運河が建設されたと思われるが、他の説によるとセンウセレト3世(紀元前1878年〜1839年)の頃だったともされる。また、セト1世(紀元前1290年〜1279年)もしくはラムセス2世(1279年〜1213年)だったという説もある。
 
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西村氏の記述を拝借すると
セーヘル島の碑文によれば、王はヌビア人たちを投げ倒すために南進した後、ネフェルワーウトハーカーウラー「センウセレト3世の道はよい。」という名の運河を建設しました。運河の長さは150キュービット、幅50キュービット、深さ15キュービット(1キュービットは約52cm)で、国庫長センアンフが建設作業を指揮しました。

王は恐らく第6王朝メルエンラー王によって建設された運河を再建したのだと考えられています。この運河は軍事用としてだけではなく交易用としても重要だったに違いありません。エレファンティネから出土した「上エジプトの偉大な十人のうちの一人」アメニの石碑(BM 852)には、この第一回ヌビア遠征に関連していると思われる記述があります。

アメニはエレファンティネの要塞の門と屠殺場を造りました。セムナで発見された治世8年の石碑には、ヌビア人の北への通行をコントロールするために国境がセムナに置かれたことが報告されています。この証拠から王は治世8年にセムナまでヌビアを征服し、エジプトへ原料を運ぶために古王国に築かれた運河を再開したと考えられます。
(リンク先より転載→ http://www.geocities.jp/kmt_yoko/Dyn.12_2.html
 
現在のスエズ運河とは経路は違うもののナイルデルタの東にあるブバティス(今日のザガジグ)から、Wadi Tumilatを通り紅海へ・・・向かったかどうかは分かっていない。ギリシアのヘロドトスによると、紀元前6世紀のエジプト第26王朝のファラオであるネコ2世が運河の建設に着手したが、バビロニアのネブカドネザル2世が戦争を起こしたために頓挫することとなった。
 
 
工事は再開されるもギリシアのエンジニアに止められる。それは紅海の水位がナイルよりも高かったと一般的に考えられており、開通した場合はナイルデルタが塩害にさらされると考えられていたからだ。
 
しかし、そんなことは関係ねぇとばかりに、この事業を継承したのがペルシアのダレイオス1世だ。
 
彼は運河建設事業に着手し、ついに地中海から紅海に達するための運河を完成させた。その後プトレマイオス朝になるとこの運河は拡張されるが、クレオパトラの時代になると荒廃してしまう。。。
 
 
ふむ・・・
 
 
スエズ運河を最初に完成させたのはダレイオス1世だったのか・・・
 
 
 
ハトシェプストの時代にナイル河から紅海へつながる運河があったかどうかは分からない。
 
   
あくまで考古学的に証明できる範囲では否定的な答えが返ってくるが、
 
 
技術的には可能であった。
 
 
・・・話がまた脱線してしまったが・・・
 
次回はハトシェプストのプント遠征に話を戻そう
 

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