オルタナティブを考えるブログ

タイトルも新たに、1年ぶりですが、まずは過去の記事を整理しなきゃ

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ラピス・ラズリの道をおってアフガニスタン北東のヒンドゥークシュ山脈奥にある鉱山サルイサンク鉱山から南西方向に出発し、カンダハール近くにあるムンディガク(Mundigak)とDeh Morasi Gundaiを通り・・・メヘルガルに寄り道した後、イランとアフガニスタンの国境沿いにあるシャフリ・ソフタ文明を見た。


今日はそこからさらに南西へと進路をすすめジロフト文明を見てみる。
 
下の地図だけど都市の位置はあんまり正確じゃないかも・・・
 
 
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この文明に関連して、実はシュメール神話の一つである『エンメルカルとアラッタ市の領主』に登場するアラッタ王国ではないかとの見方が近年強まっている。
 
前回はアラッタ王国の所在を巡る仮説やそれに基づくエデンの園の所在に関する議論を紹介したが、このジロフトで発見された数々の遺跡こそ、失われたアラッタ王国であるということが、もはや定説ともなりつつある。

また、ジロフト文明が注目されるのは他にもある。単なる高度な文明の遺跡というにとどまらず

いわゆる シュメール問題 に解決の糸口を与えてくれるものだ。

シュメール問題とは
この四大文明最古とも言われるティグリス・ユーフラテスのメソポタミア文明の担い手である民族が、紀元前8000年頃から農耕を始めたと言うのだが、それが果たしてシュメール人なのかと言う問題だ。ウルク王朝が建てられる以前のメソポタミア地域についてはまだ判明していないことが多い。

メソポタミア文明の最古の文化(紀元前5500年から紀元前3500年頃)、ウバイドと呼ばれる文化が存在したとされるのだが、この系統についてもその担い手がシュメール人であるかどうかは分かっていない。

ザグロス高原北西部に文化的根拠地をもつと言われるウバイトの民族だが、形質人類学の観点から言えば、頭型(脳を入れる頭部の形)が、ウバイト人の場合長頭(丸みを帯びた形)であるのに対し、シュメール人の場合は短頭(細長い頭)である。言語学的にも説明がつかないものが多く、シュメール人とウバイトの民族は違う人種であると言う見方が強い。要するに、このメソポタミア文明において、シュメール人は外来種である可能性が高いということだ。
(ウィキペディア参考)
 

「文明の発祥は大河にある」・・・あるいは 「人類の文明はメソポタミアに発祥」


・・・というような一般的な文明史観はやがて見直さなければならない。
(まぁ、ジロフト近辺にも川は流れているし・・・灌漑や農耕などの発展が重要だったことは否定しないけどね。)

イメージ 2


(ところでこのライオンの図、古代エジプトの第三期ナカダ文化時代の遺物とされるGebel el-Arakのナイフに彫られたライオンに似てないだろうか・・・?)


ジロフト文明

まずはナショナルジオグラフィックの記事から・・・
イランに人々が住み始めたのは、少なくとも1万年前からだと考えられている。イランという国名は、紀元前1500年頃にこの地域へ移り住んできたアーリア人に由来し、以来、さまざまな文明がこの地に花開いてきた。まだ発掘されず地中に眠る遺跡は数万にものぼるとみられる。

2000年、イラン南東部のジーロフト近郊で新たな発見があった。ハリル川が氾濫して、数千もの古い墓が偶然、地上に姿を現したのだ。現在、6度目の発掘調査が行われており、興味深い発掘物も見つかっている。ジーロフトには、メソポタミアと同時代に文明が栄えていたという説もあるため、注目が集まっている。

この発掘調査を指揮しているのが、考古学者のマジシザデー。専門は紀元前3000年頃で、ジーロフトは紀元前2700年頃の青銅器時代に存在した幻の国“アラッタ”ではないかと、考えている。アラッタの優れた工芸品はメソポタミアにまで運ばれたと伝えられるが、現時点で確証はなく、その存在自体に懐疑的な研究者もいる。

では、どのような発掘物が見つかれば、この仮説を立証できるのか?

私の問いに、マジシザデーは笑いながらこう答えた。

「『アラッタへようこそ』とでも書かれた門ですかね」

ジーロフトには発掘を待っている遺跡がまだ数千カ所あるが、それらすべてを調べるのは不可能なように思える

このマジシザデー氏が登場してジロフト文明を語っているビデオがある。英語だが映像だけでも何となく雰囲気は伝わってくるね。
 
 

 
ただ、マジシザデー氏のようにアラッタ王国にこだわる必要はない。ジロフト(文中はジーロフト)はジロフトでメソポタミア文明やインダス文明に匹敵する文明であったことは発掘された遺物からも明らかだ。
 
イメージ 3
 
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現在のイラクにあるメソポタミア文明もしかり、イラン南西部に栄えたエラム文明もしかり、人類の最古の歴史、文明の出発点、文字の発祥が奇しくも現代文明を我が物顔に謳歌する米国と対立する国々にあるというのは、欧米人にとって「不都合な真実」かもしれない

しかしながら、このジロフトで発見された碑文の調査は、米国、フランス、デンマーク、ロシア、そして地元のイランの5カ国のエラム語専門家チームによって行われた。
 
イメージ 5
 
その結果、この碑文が、メソポタミア文明のイランよりにあるスサで発見されたものよりも300年以上は古いものであると判断した。おそらくエラム語は、ここからスサに伝わり広がりを見せたのだろう。
 
・・・と言うか、ひょっとしたら世界最古かもしれない。

エラム語とは何か
エラム語(エラムご)は古代のエラム帝国で使われていた系統不明の言語であり、現在は死語になっている。エラム語は膠着語であり、その近隣で話されていたセム語族やインドヨーロッパ語族の言語とは近縁関係にない。

エラム語はシュメール語と「姉妹」語であると主張するものもいるが、二つの言語の間には関係がないことが明らかである。学者のなかにはエラム語が現在インドで話されているドラヴィダ語と関係があると推測するものがいる(エラム=ドラヴィダ語族を参照のこと)。紀元前6世紀から紀元前4世紀にかけて、エラム語はペルシア帝国の公用語であった。エラム語の最後の文字による記録はアレクサンドロス大王によるペルシア帝国の征服の頃に残されている
(ウィキペディアより引用→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%A9%E3%83%A0%E8%AA%9E

エラム語は紀元前2400年ごろから紀元前350年まで、2000年と言う気の遠くなるような長い間使用されていた言語だ。エラム語の三段階にわたって発展されてきたとされるが、そのうちの2つはメソポタミア文明の影響が強くみられる文字、つまりシュメール文字に近い。

まぁ、近いって言われても分からによね。。。


そして、それらの原型となるものが原エラム語といって、紀元前2900年頃(紀元前3200年から紀元前2700年)にスサで使われた記録がある。今回ジロフトで発見された碑文はそれよりも300年更にさかのぼるものだというのだ。

原エラム文字というぐらいなので、エラム文字のなかで最も古い。ここでもシュメール語との関係が検証されているがまだはっきりとしたことは言えないそうだ。ウィキペディアによれば、原エラム文字には約1000の文字種があるという。ロゼッタストーンなどいくつかの文章の翻訳があるわけでもないので、いまだに解読されていない。ともすれば、この文字がそもそもエラム語を表していたのか、他の言語を表していたのかも不明だそうだ。


原エラム文字が使われていた時代、それはメソポタミア文明の代名詞でもあるジッグラト遺跡が建設された時代だ。エジプトにピラミッドがあるならば、メソポタミアにはジッグラトありだ。この2つには関連がありそうなのだが、これについてはいずれ調べてみたい。

現在判明している限りでは、32のジグラットがメソポタミア文明圏内にあり、その内4つがイランに存在し、残りはイラクにある。


次はジッグラトを中心にジロフト遺跡を見ていこう。
 

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