オルタナティブを考えるブログ

タイトルも新たに、1年ぶりですが、まずは過去の記事を整理しなきゃ

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バベルの塔は、ノアの方舟と同じく旧約聖書に出てくる有名な物語で、文明や技術が発達し、人間があまりにも高慢になり神にも近づこうとした結果、天罰が下る・・・というような話として記憶されている。
 
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エデンの園にいたエバが食べたのは『木の実』であって、『りんご』ではないにもかかわらずそう思われているように、この話に関してもいくつか思い込みがある。実際に旧約聖書に書かれているバベルの塔の物語が、僕たちの思い込みとかけ離れているということは、すでにネットのいたるところで紹介されているが、少し違った視点や情報も提供できると思うので本ブログでも改めて取り上げよう。


聖書が語るバベルの塔
旧約聖書が語るバベルの塔の物語は、ノアの方舟の話の後、大洪水を生き延びたノアの子孫の物語で、アブラハム(アブラム)が父親に連れられウルからハッラーン(トルコ南部)旅立つ前の物語だ。旧約聖書では天地創造の後に「アダムとイヴ」、「カインとアベル」、そして「ノアの箱舟」と続く人間の堕罪シリーズの一環として登場する。
 
以下は右のリンクより抜粋→http://www.asahi-net.or.jp/~ZM4M-OOTK/5babel.html

1 世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。
2 東の方から移動してきた人々は、シンアルの地に平野を見つけ、
  そこに住み着いた。
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 彼らは、「れんがを作り、それをよく焼こう」と話し
  合った。石の代わりにれんがを、しっくいの代わり
  にアスファルトを用いた。

 彼らは、「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有
  名になろう。そして、全地に散らされることのない
  ようにしよう」と言った。

5 主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこ
  の町を見て、
6 言われた。「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことを
  し始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。
7 我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられ
  ぬようにしてしまおう。」
 主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの町の建設をやめた。

 こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を
  混乱(バラル)させ、また、主がそこから彼らを全地に散らされたからである。


煉瓦とアスファルトを用いたというのは、まさにジッグラト建設で使用された建材なのだが、
当時のメソポタミア地域に起こった技術革新が東から来たというニュアンスを読み取
れて興味深い。シンアルというのはおそらく地域的概念でシュメール文明のバベル、ウル
ク、アッカド、カルネなどがある地域とされている。


疑問に思うのは、なぜこの街の人間は 『全地に散らされることのないようにしよう』 と思ったのだろうか?一説ではこれが大洪水の後 『産めよ 増えよ 地に満ちよ』 という神の言葉・計画に反する行為としてみなされ、その罰として言葉を混乱させたのだとしている。どうもこのあたりの解釈は釈然としない。


また、一説によると高い塔を建てたのは再び起こるかもしれない大洪水によって住民が散り散りにされないよう避難所とするためのものだとも解釈されるが、それでは「有名になろう」とする動機とは相反する。まぁ、何も言葉そのままに受け取る必要は無いだろうが・・・。


そして、神はこうした人間の所業を見て怒ったわけでもなく、塔を破壊したわけでもない。それどころか、「これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。」と人間を恐れていたとも感じられる。つまり、


誤解を恐れずに言えば、

宗教にとって、高度な文明の発達こそが最大の敵なのかもしれない。


結局・・・最終的には神は人間が互いの言葉が聞き分けられないようにし、全地に散って行くように仕向けたわけだ。


そして物語の最後にはバベルの名の由来を説明しているわけだが、バベルが「混乱」を意味していたかどうかは定かではない。バベルとはブライ語の言葉遊びで、喃語(なんご:“バブバブ”のように意味を成さない赤ちゃん言葉)、もしくは「おしゃべり」を意味するものだ。

ただ、ギリシア語で語られるバビロンは『神の門』を意味するので、ひょっとすると単なる民間語源、つまり由来がそもそもない言葉なのかもしれない・・・。


ところで、僕達が知っている・・・「神の怒りにふれた」とか、「塔が破壊された」とか、知っいると思っていた物語のイメージはどこから来たのだろうか。一般的に語られる聖書の物語としては、ノアの子孫であり暴君として描かれているニムロドがバベルの塔の発案者のようなことが言われることがある。もちろん、上の掲載個所を見ても分かるが、聖書そのようなことが書かれているわけはない。


どこで間違ったのか?

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歪曲した伝承がはびこるのはたいてい仕掛け人がいるわけで、この場合はフラウィウス・ヨセフス(紀元後37年〜100年頃)なる人物が一役買っている(イルミナティの時はフランス革命時代の作家バリュエルだった)。

彼は、帝政ローマの時代に『ユダヤ戦記』や『ユダヤ古代誌』を著したユダヤ人の歴史家だ。時代的にはイエス・キリストと同世代の人物である。
 
その対極にいてキリスト教を迫害したのがローマ帝国の第5代皇帝で暴君といわれたネロだ。そんな時代にユダヤ人のフラウィウス・ヨセフスが、同じく暴君として名高いニムロドを引き合いに出しながら、バベルの塔建設にまつわる話を創作したのはむしろ自然の成り行きかもしれない。


 
 
考古学によるバベルの塔
バベルの塔の存在は1913年に考古学的にすでに証明されている。バビロンにあるジッグラトがそれで、ドイツ人考古学者のロベルト・コルデウェイ(Robert Koldewey)が、その土台を発掘したとされている。
 
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この塔についても波乱万丈の歴史があったと見られている。

紀元前2300年頃、アッカド朝の王サルゴンはバビロンの都市を破壊したが、その600年後にハンムラビ王が再建し、バビロニアの首都とすると都市神マルドゥクをバビロニアの主神に祭り上げた。ちなみにマルドゥクは、旧約聖書のダニエル書などではバール(Baal)と同一視されるベル(Bel/Bēl)と呼ばれる。つまりキリスト教における悪魔ベルゼバブ(蠅の王)となる。

ちなみに、ダイニエルはバビロンの捕囚によってバビロンに連れてこられた囚人の一人で、塔の歴史で決定的な役割を果たすネブカドネザル2世と同じ時代の人間だった。


書類上バベルの塔がジッグラトであるエ・テメン・アン・キとして述べられるのは、新アッシリア時代のセンナケリブ(紀元前705年〜681年)の治世につくられた編年史によってだ。その中で彼は、紀元前689年にバビロンに侵攻し、この塔を破壊したわけだが、街自体は壊さずにおいたそうだ。
 
 
塔の土台部分に残る碑文によれば、彼の後継者であるエサルハドン(紀元前680年〜669年)とアッシュールバニパル(紀元前668年〜紀元前631年)がバベルの塔の再建を始めたそうだ。アッシリアの支配から解放された後、新バビロニアの建国者であるナボポラッサルが事業を引き続き行い、バビロンの捕囚で有名なネブカドネザル2世(紀元前604年〜紀元前562年)によって完成に至った。。。
 
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その後、このジッグラトがどうなったのかは確かな記録はないが、一説によればペルシア帝国のクセルクセス(紀元前486年から465年)によって破壊されたと言う・・・。なぜ、破壊されたのかというと、その後アレキサンダー大王が再建を試みているからで(一度は破壊しようとしたらしいのだが)、一万人を動員して2カ月の間作業をさせたが、その後大王が死去すると、後継者の遷都などによってバビロンは廃墟と化していったそうだ。


このジッグラトに関しては紀元前229年のウルク時代の碑文に書かれている。それによると、一辺の長さが91メートルと比較的大きなもの合計7段からなる塔高さは91メートルもあったそうだ


ただし、16世紀を代表する画家であるピーテル・ブリューゲルが描いたバベルの塔のモデルとなったのは、アッバース朝第8代カリフのムウタスィムがサーマッラーに建設した螺旋式のミナレット(マルウィヤ・ミナレット:建設期間は849年から852年)だ。
 
ミナレット
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もう1つのバベルの塔
バビロンからそれほど離れていない、20キロほど南に行ったところにあるボルシッパと呼ばれたシュメールの都市があった。現在の名前はビルス・ニムルドで、バベルの塔の発案者とみなされたニムロド王にゆかりのある都市とされている。

この都市の遺跡に残っているジッグラトは都市神ナブーのために建設されたもので「舌の塔」とも呼ばれていたそうだ(ホント?)。タルムードやアラブ人の文化の中ではバベルの塔の跡地とされている。(このあたりは日本語と英語のウィキペディアは同じこと書いてるね。)
 
イメージ 3

 
ボルシッパとバビロンは兄弟都市のような存在で、街の様式が似ているだけでなく、一つの運河で結ばれていた。『昼の太陽の街」バビロンに対して、ボルシッパは「夜の太陽の街」と呼ばれていたそうだ。

以下はウィキペディアより抜粋
ボルシッパの最盛期を築いたネブカドネザル2世の碑文である「ボルシッパ碑文」には、彼がいかにボルシッパにあるナブー神の「七層の神殿」を、「尊いラピスラズリのレンガ」で修復したかが刻まれている。

これはおそらく青色の釉薬をかけた彩色レンガを用いて神殿を装飾したと考えられる。オーストリアの考古学調査班は、ネブカドネザルのジッグラトは紀元前2千年紀に遡る小さい塔の廃墟を包むようにして建てられたとしている。完成したときには高さは70メートルに達し、七層になっていた。

廃墟となった現在でも、ジッグラトは平らな地上から52メートルの高さでそびえたっている。
 
個人的にはこちらの方がバベルの塔のイメージに近いような気もする。
 
イメージ 2

 
また発掘された碑文の中からネブカドネザル2世自身が、ボルシッパのジッグラト建設にあたっての指示書が発見された。それには・・・


バビロンにあるバベルの塔と同じデザインの塔をボルシッパに建てること。


そして


ボルシッパのナブーの塔は天まで届くほどの高さで、マルドゥク神を奉るバベルのイメージ 9塔のように偉大な塔にすること
 
 
であった。

 

さて、このバベルの塔の物語で重要なのは神様が罰とし
 
て与えた 言葉の混乱 という問題だ。


このブログでアラッタ王国について書かれたシュメール神話 『エンメルカルとアラッタ市の領主』 について述べたが、実はその物語の中にこの言葉の混乱に関する物語の先駆けがある。それは次の通りだ。
 
かつて、シュブール(Subur)とハマジ(Hamazi)の国には、

王子の法によって治められる偉大なる地、シュメールと、

同じ言葉を話す人々が住んでいた。

また、ウリ(Uri:アッカドをさす)は、すべてがしかるべくあり、

マルトゥ(Martu:アムル人の国)は、安らかであった。

世界全体は、神エンリルのもとでひとつの言葉を話し、

調和のなかにあった。

そのとき、多産・豊穣の主であり、

知性の主であり、地を知悉する者であり、

神々の指導者である神エンキは、

エリドゥの主に知恵を授け、

ひとつの言葉を話す人間たちの

口から出る言葉を変えさせ、争いをもたらした。
 
             エンメルカル, シュメール『エンメルカルとアラッタ市の領主』より

『エンメルカルとアラッタ市の領主』はかなり注目に値する物語だ。そこには人類最古の文字の起源が述べられており、そして、言語の枝分れについて述べられている。


さて、もう1つ気づいたことがある。


どんなに都合の良い解釈をしようとしても、


人間に争いをもたらしたのは神であるということだ




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