オルタナティブを考えるブログ

タイトルも新たに、1年ぶりですが、まずは過去の記事を整理しなきゃ

全体表示

[ リスト ]

 
ソル(Sol)は古代ローマにおける太陽神だ。
この太陽神は2世紀頃に『無敵の太陽神ソル』としてローマ帝国内で急速に広まり始める。ローマ貨幣における図像として用いられることも多く、その4頭の馬にひかれたチャリオット(太陽の戦車)に乗る姿からギリシアのヘリオスと同一視されるのだが、多くのローマの神がそうであるように、ソルはギリシアからもたらされた神ではなくローマ土着の神である。
無敵の太陽神ソル(コイン)   ギリシアの太陽神ヘリオスイメージ 1イメージ 2
 
 
 
 
ローマ市ではすでに共和政時代の頃から太陽信仰は市民に広く波及されており、その起源を探ればローマ建国伝説に登場するロムルスの時代に行きあたる。それによればサビニ人の王ティトゥス・タティウスによってローマにもたらされたという。
ローマ建国伝説によると、紀元前753年4月21日にロムルスが王になり、ティベリス川(テヴェレ川)の畔に都市ローマを建設した。人口数千人。当時のローマは丘2つを巡る防塞を設けただけの小村だった。この最初のローマはラテン人の国だった。
やがて、近隣の部族と争いが起きた。ローマが隣のサビニ人の丘の村娘たちを祭りに招待したとき、娘たちを急に抱きかかえて自宅まで逃げてそのまま帰さなかったのである。当然、戦となった。
しかし娘たちは隣の丘の男たちに、自分たちは妻としての扱いを受けており、決して虐げられていなかった為、娘たちが争いをやめて欲しいと懇願した。サビニ人の王は和平を承諾し、さらにはロムルスのすすめで一緒にローマに住み共同統治することになった。ローマが初めて領土を拡大した瞬間である。 (ウィキペディアより抜粋)
まぁ、サビニ人自身はスパルタ人の末裔を名乗っていたので、ソルがギリシアから来たというもあながち間違いではないように思える。
古代ローマ時代の太陽神は『Sol Indiges』 つまり 『地元のソル』 と呼ばれ月神ルナと共に崇められたという。このソルとルナは結びつきが強く、両神が一緒に崇められることが多かった。10万人が収容可能なチルコ・マッシモ(Circo Massimo)には、二人の神をのために共同の神殿が建てられ、8月28日は共同の祭りが催されたという。チルコ・マッシモは映画『ベンハー』の戦車レースが行われた競技場であり、これはソルやヘリオスの図像ともマッチしている。
その他にも彼単独で崇めるための神殿が、ローマの七つの丘の一つであるクイリナーレにも建設され8月8日、9日には感謝祭のようなものが開かれたという。ただ、いずれにしても人気度ということになれば他の神に比べかなり低い地位にあったという。さらに神話において彼が登場することはあまりなく、それはギリシア神話のヘリオスについても同じようなことが言える。潮の変わり目が訪れたのは、共和政末期の頃である。
太陽神の地位がこれだけ低いのは意外だ。
太陽は彼の光によってすべてを白日の下にさらし、彼の前に隠し事は一切できないとされている。ヘリオスは「全てを見通す」ことが出来る故、“全知”であり、犯罪の証人である。この特徴はソルも引き継ぎ、西暦1世紀の頃には「全てを見通す(予見する)」力によって、皇帝を危険からまもる守護神としての重要な役割が付与された。
なんとなくホルスの目だとかプロビデンスの目を思い出してしまう。
ネロの時代(65年)には幼少時代の家庭教師セネカが黒幕として元老院議員ピソを皇帝に擁立する陰謀が計画された。しかし、この陰謀は発覚しネロにとっては事なきを得るのだが、この発覚はソルのお陰であったとされるのか、ソルに感謝の生贄が捧げられている。皇帝ウェスパシアヌスは75年に巨大なソルの像を奉納した。こうしてソルは支配者専属の神に昇格し、5賢帝のトラヤヌス帝やハドリアヌス帝の時には皇帝硬貨にも刻印された。「無敵の太陽神(ソル)」という称号は158年に祭壇に書かれた碑文ではじめて登場する(Soli Invicto Deo)。またそれとは別にSol Invictus Mithras無敵の太陽神ミトラスという呼び方も一世紀頃に登場している。ローマにおける太陽神ソルやギリシアのヘリオスとは関係ないところで言えばく、シリアのエメサ市(ホムス)においては、太古からの土着の太陽神エル・ガバルが存在していた。
 
皇帝セプティミウス・セウェルス(193年〜211年イメージ 3が最初の妻に先立たれ、第二の妻として迎え入れたのがこのエメサ出身のユリア・ドムナだった。彼女の父親はこの太陽神エル・ガバルの司祭を務めていた人物でもあり、セウェルス王朝のもとでは無敵の太陽神に対する信仰が急激に拡大していく。

セプティミウス・セウェルス帝は、妻の横顔を太陽光を表す王冠と月で飾り立てている姿で硬貨に刻印している。また彼の後継者である2人の息子CaracallaGetaに対しても太陽の象徴を用いた。太陽をもちいることによって永遠を象徴しセウェルス王朝の支配が太陽に様に長くつづくよう願ったという。

 
ユリア・ドムナの親戚にあたるエル・ガバル帝(218年〜222年)エル・ガバル神の司祭であり、ローマにおいて国家神としてエル・ガバル信仰を広めた。そうしたことにより、すでにローマに存在していた太陽神ソルと習合したとされており、考古学的にもInvictus Sol Elagabalusというような碑文から確認されている。

神が天からさずけたとされている聖なる石(メッカにあるイスラム教のカアバの黒石と類似しているが)をつかって大きな神殿エル・ガバリウムをローマに建造されたが、多くのローマ市民はこのシリア信仰に拒絶反応を起こし222年のエル・ガバル帝暗殺につながった。そしてその聖なる石は再びエマサ市にある太陽神エル・ガバル神殿にもどされたという。
しかしながら、古来のローマ・オリジナルの太陽神ソルは引き続き信仰された。
 
                      エルカバルの聖なる石
イメージ 4

                     カアバの黒石
イメージ 5
 
かつてはソルとエル・ガバルは同一のものと考えられていたが、それはエル・ガバル信仰者がそうしようとした結果であり、エル・ガバル自体には皇帝信仰という要素は全く含まれていない。

エル・ガバル帝が暗殺されると、その後継者がエル・ガバルを信仰することは二度となかった。しかしながら、シリアの太陽神エル・ガバルが忘れ去られたわけではない。254年にはエマサ市において当時の皇帝ウァレリアヌスに対する対立皇帝ウラニウス・アントニウスがたてられる。彼の発行した貨幣にはエル・ガバル信仰の象徴である聖なる石が描かれている。(上の図)

その後も太陽神ソルの人気は依然高く、ゴルディアヌス3世(238–244)の治世に彼の支配と太陽信仰と結びすけるために重宝された。彼の治世で発行されたコインにはソルが地球儀に象徴される支配権がソルによってゴルディアヌス3世与えられる場面が描かれており、王権の正統性が強調するにも一役かっている。
 
イメージ 6
このソルが地球儀に象徴される王権を授与するというモチーフは、後の皇帝の治世においても使用されている。
そして『無敵』というタイトルを付加したソルがコインに登場するのはガッリエヌス(253年〜268年)の治世であるようで、意外と遅い時期になって体。ローマ帝国は軍人出身のマクシミヌス・トラクスが235年に最初の軍人皇帝になると、それ以降三世紀の危機とも言われるように目まぐるしく政権が交代する混迷期を迎える。270年にアウレリアヌス帝が即位するのだが、当時ローマは3つに分裂していた。アウレリアヌス帝は再統一へ向けて精力的に活動する。
イメージ 7その中でエメサ市にあるパルミラの女王ゼノビアとの戦いに明け暮れる。この女王の勢力は並々ならぬものがあっらしくアウレリアヌス帝が残した書簡には次の様なことが書かれている。
「ローマ人は『一女性と戦っているだけ』と侮蔑するが、ゼノビアの性格と実力を知らないからである」
苦戦の末、アウレリアヌスは272年に勝利し、ソル-エル・ガバル神殿にゼノビアとの戦いに救いの手を差しのべてくれたことに感謝したとされている。彼は太陽神を個人的な守護神としても崇拝していたが、ソルと言ってもローマ土着のソルとしてではなく、あくまで彼の個人的宗教の神としてだ。その勝利からの2年後、彼はソルをローマ帝国の国家神dominus imperii Romani)として祀ることにし、そのために国教として信仰するべくカンプス・マルティウスに神殿を建設し、それは274年に完成した。そして、オリンピックのように4年ごとにソルを褒めたたえるための競技(戦車レース)を開催した。
この新しい国家神信仰にあたってアウレリアヌスはローマ土着のソル信仰と結び付けた。そしてシリアの太陽神エル・ガバルとは一線を引いたようだ。
このアウレリアヌスの新しい神は皇帝の勝利の力と結びきローマに広がりをみせる。民衆の側もこの新しい神に対しては、比較的肯定的に受け止めており、おそらく衰退しはじめたローマ帝国の時代の精神とマッチしていたものと推測される。このアウレリアヌスによって太陽神を讃えるための祝日がローマ全土に導入されたのだが、その日は・・・
12月25日だ。
そして、これが人々に広く受け入れられ、後のキリスト教のクリスマスの日となった。
ん?
ミトラ教の時もそんな話し合ったよね。

閉じる コメント(2)

顔アイコン

大変な勉強になりました:謹謝
ミトラ教も勉強させていただきます

2011/8/20(土) 午後 6:47 [ - ]

麻川さん コメントありがとうございます。
(カメレスすいません)
僕もブログ書きながら日々勉強という感じです。世の中分かっているようで、分かっていなかったことが多いですからね。

2011/8/22(月) 午後 5:41 [ 9回裏二死満塁 ]


.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事