オルタナティブを考えるブログ

タイトルも新たに、1年ぶりですが、まずは過去の記事を整理しなきゃ

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キリスト教は、「アブラハムの宗教」とも言われるセム族の啓示宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教)の一つであるが、20億人を超えるともいわれる信者の数は現在最も多い。
 
そして、一般的に(・・・といったら語弊があるかもしれないが)、キリスト教が現在の社会的地位を獲得しえたのは、391年テオドシウスによってキリスト教が古代ローマの国教となったのがきっかけだったであろう。
 
このローマ帝国が、国教としてのキリスト教を選択するという世紀のイベントについて、これまで数多くの研究がさているので今更述べる必要もないが、かつてのローマ帝国における宗教事情について誤解が多いのも事実である。
 
その一つはライバル宗教としてのミトラ教とキリスト教の関係であるが、調べてみると、ミトラ(ミトラス)教をライバルとして見るに至るのはどうもミトラ教と皇帝の宗教であるソル(太陽神)信仰を同一視してしまったからに他ならないということが分かってくる。
 
 
 
五賢帝の時代から崇拝されるようになった太陽神ソルは、セウェルス王朝の下で急速に拡大し、ローマ帝国が分裂した三世紀の危機と言われた時代、アウレリアヌス帝のもとで国家神の座を勝ち取り、単一神教として崇められた。
 
単一神教は、一柱の神を信仰する信仰、宗教の形態。同じ一神教でも唯一神教が他の神々の存在を認めないのに対し、単一神教は他の神々の存在を前提とし、その中の一柱を主神として特に崇拝する。(ウィキペディアより)
 
このソル信仰が広まっていった時代には前回登場したミトラ教も兵士などを中心にローマ全土レベルで広がりをみせる。ミトラ教やエル・ガバル神を信仰する人々は、彼らの神を時として『無敵のソル(Sol Invictus)と呼んだがそれらが国家宗教となることは一度もなかった。
 
ただし、308年の碑文からSol Invictus Mithras(無敵の太陽神ミトラス)」という碑文が見つかっているが、これはミトラス教の信者が太陽神ソルとミトラスを同一視していたという証拠となっている。これがおそらく後世の人々が、ローマ人の太陽神ソル信仰をミトラ教の区別を曖昧に、間違った解釈で伝承されてしまった原因をつくったと考えられる
 
以前本ブログでミトラについてソルと混同したまま記事を書いたことがあるのだが、そこの部分については訂正したい。しかし、ミトラ教について興味深い点は、ミトラスはもともとはアーリア人の神であり、ミタンニとヒッタイト帝国の契約に登場している。インドに伝わるとバラモン教の悪神アスラ(阿修羅)として登場し、ラン高原ではゾロアスター教のアフラ・マズダーとして光を司る存在となる。いずれにしても、ミトラはその起源として太陽神ではなかったのだ。
 
以前の記事 参考 ↓
 
 
それに、そもそもミトラスが一体何なのかという記録は残っていおらず、他方多く残っている壁画などから判断するしかない。
 
それらの解釈によって次のような神話だ。
 
 
まず、原初に混沌があった。その中でクロノス(サトゥルヌス)の時代が来て、天と地が創造される。

時が満ちてクロノスはその子ゼウス(ユピテル、ジュピター)に雷を手渡し、自らは引退する。その後、母なる大地ゲーの子ら(ギガンテスやティタネス)の反乱が起き、ゼウスはそれを鎮圧するが、荒廃の中に恩恵と秩序をもたらすべき道が見失われたままであった。

そこでクロノスは、岩から新しい光としてミトラスを生み出させて弓と剣を与える。ミトラスは、聖なる行為、すなわち奇蹟として狩猟や泉水湧出などを成し遂げる。

その後、太陽神ソルの導きによって天の牛舎にいる豊穣の牛を引き出し、宇宙の中心にある岩窟へと背負って運び、それを押さえつけて屠る。

牛の傷口から出た血潮には犬などの動物が飛びつき、やがて、血潮は麦の穂に変わる。また、牛の生殖器は万物の種子として精子を放出し、同じく生命ある存在(獅子、蛇、さそり)によって迎えられ、大甕をあふれさせる。

牛が死ぬと、太陽の使者として天から飛来した鴉によって、牛屠りの結果である生育の種子を太陽神ソルがその熱を送って守り育てるという約束がミトラスに伝えられる。

こうして、ミトラスは太陽神ソルとの盟約が達成し、握手して饗宴をとって、二人は太陽神の神性を共有することになる。

その後、共に戦車に乗って天界へと歓喜のうちに上昇する。
 
何だかギリシア神話あり、ミトラスあり、ソルありと、幕の内弁当のような神話になっているような気がするが、実際にこれは当時存在していた神の要素を上手くまとめあげようとした結果なのではないだろうか。要するに宗教の神々や教義などの一部が混同ないしは同一視するシンクレティズムの一種だろう。ユダヤ教、ゾロアスター教、キリスト教、そしてグノーシス主義などの流れを汲むマニ教などもそうだ。
 
ただ、ここで上の神話で注目すべきところはソルとミトラスは別の存在であり、壁画でも左上に描かれている自由の女神の冠のようなものをかぶっているのが太陽神ソルだ。ソルとミトラスが融合するというようなことはなかったのだ。
 
               太陽神ソル(左上)とミトラ
イメージ 5
 
ところで、冠だけの話をすれば太陽神ソルやヘリオスのかぶりっている冠と自由の女神の冠はほとんど同じだ。
 
     太陽神ソルやヘリオスのかぶりっている冠と自由の女神
            (左から自由の女神、ソル、ヘリオス)
イメージ 1
 
 
さて、
 
アウレリアヌスの後継者たちも彼によってつくられた伝統に習った。それはその後の多くの貨幣にソルが登場するようになったのをみても容易に想像することができる。また数多くの民間レベルの碑文によっても太陽神崇拝の人気がうかがわれ、ソル自体が皇帝と同一視されたこともあったようだ。あるいは皇帝がソルとも呼ばれたのだろうか
 
ディオクレティアヌス(284年〜305年)とその共同統治者であるマクシミアヌス(286年〜305年)の治世においては、ユピテルやヘラクレスの人気が高まるが、ソルも引き続き信仰されその時代の硬貨の刻印にもみてとれる。4世紀初頭になるとソル信仰は更に高まりをみせ、リキニウス帝(308年〜324年)も熱心にソルを崇めたと言われている。
 
 
文献によっては、ミトラ教がローマ帝国の国教になったと書いてあるがこれは間違いだろう。
 
キリスト教との関係もそうだが 混同されがちなキュベレー(アッティス)信仰とミトラ教を写真で整理すると次の2点になる。
 
 
イメージ 2
 
 
また、12月25日のクリスマスはミトラ教の伝統からとった・・・とか書いたある場合はきまって皇帝の神で太陽神ソルとミトラスの混同によるものである。前回の記事で書いたように、12月25日はアウレリアヌス帝が太陽神を讃えるためにローマ全土に導入した祝日だ。
 
下は間違い
 
イメージ 3
 
 
正解は↓こちら
 
イメージ 4
 
 
 
しかしながら、
 
 
 
なぜ 12月25日 だったのだろうか?
 
 
ユリウス・カエサルは、皇帝になって一年目に暦の改革を行い、いわゆるユリウス歴を導入する。
 
その暦によれば12月25日が一年の中でも最も昼間の短い日(ラテン語でbruma)、つまり冬至とされたのだった。カエサルの時代はこの日は何ら宗教的に特別な意味をもっていた日ではない。ユリウス歴の問題点は天文学的な暦からすれば若干長いことで、以後数百年の間に冬至は少しずつ前にずれるようになり、古代後期には12月21日となった。
 
そこでアウレリアヌス帝が12月25日を太陽神ソルの誕生日として国家の祝日として定めた。しかしながら、その後冬至が前にずらし誕生祭を変更するというような天文学的補正は行われず、ソルの誕生祭はこれまで通り12月25日に祝った。
 
この祝日の最古の考古学的証拠はエジプトのカレンダーにある記載で、三世紀の後半であったとされている。そこでは12月25日のメモ書きとして『太陽の誕生日、光が増える』・・・と書かれてある。そして同じカレンダーの12月22日のところには冬至であることが書かれている。
 
この3日と言う微妙な暦のずれは、イエスキリストの復活(3日後)と重なり、(イースターの祭りは棚にあげといて・・・)キリスト教は占星術に影響されているというまことしやかなアンチキリスト教系の陰謀論が流される。
 
ツァイトガイスト(時代の精神)の占星術という議論展開はその典型だろう。
   
 
さて、
 
 
コンスタンティヌス1(306年〜337年)は、政敵であるマクシミアヌスを退けた後の310年、無敵の太陽神ソルの熱狂的な支持者となる。それまで彼はヘラクレスの支持者であったのだが、太陽神の代理であると彼は自身を見ており、アポロとソルを同一視したためだとも思われる。
 
しかし、312年のミルウィウス橋の戦いでマクセンティウスに勝利した後も彼はソル信仰を続けていたようだが・・・
 
伝統的な無敵のソルという言葉の使用はその後しだいになりをひそめ・・・
 
 
不特定のもの、つまり 『神』 とだけ呼ぶようになったようだ
 
 
何が起きたのか?
 

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キリストの誕生日が12月25日と定められた日=聖書に書き加えられた日はローマ帝国の国教となって以降と言うことが裏付けされそうですね。

2011/2/23(水) 午前 7:14 Ddog

そうですね。実はまだコンスタンティヌスのミラノ勅令ではまってしまって、テオドシウスの時代まで到達していないのです(笑。

いずれにせよ、記録がないわけで12月25日がキリストの誕生日とするのは、おそらく当時の政治的な配慮の産物だと思います。

2011/2/23(水) 午後 1:35 [ 9回裏二死満塁 ]


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