オルタナティブを考えるブログ

タイトルも新たに、1年ぶりですが、まずは過去の記事を整理しなきゃ

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約束の地・・・
 
 
 
アブラハムが神に導かれた土地・・・
 
 
 
モーセがイスラエルの民をエジプトから連れていこうとした土地・・・
 
 
 
エルサレム、エリコ、ベツレヘム、ヨルダン
 
 
これら聖なる地すべて・・・
 
 
 
レバノン在住の学者カマール・サリービーによれば・・・、
 
 
2000キロも南、サウジアラビアの西・・・
 
 
 
アシール地方に存在する地名であるという。
 
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旧約聖書が語る神に選ばれし民族の物語は、
 
今日のイスラエルではなく・・・
 
 
モーセの後継者ヨシュアが占領した約束の地も、
 
パレスチナではなくアシールであり、
 
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ダビデとソロモンはアラブの王であり・・・
 
 
彼らの聖なる地エルサレムは
 
 
メッカとイエメン北部の間にある紅海沿岸地域、
 
 
アッシール地方であったというのだ。
 


 

 
本シリーズはカマール サリービー著の「聖書アラビア起源説」を検証するものなのだが、彼の著書の内容について少し触れておく必要があるかもしれない。
 
 
彼の主張のバックボーンは、「地名」だ。
 
 
旧約聖書に記載されてある800以上もの地名のうち、ほぼ大部分がアラビア半島南西部で発見することができるという。それもただ、同じ名前・由来の名前があるのではなく、物語の関連、旅の行程などを照合した時の関連性もある。その半面、パレスチナに確認できる地名はごくわずかで、物語の中での説明と現実の地理との照合には困難を有するものばかりだという。
 
 
これまで数多くの聖書学者が古代イスラエル王国の痕跡や旧約聖書の軌跡をパレスチナに探してきた。
 
 
しかし、これまで何一つ決定的となる証拠を見つけることは出来なかった。
 
 
なぜか?
 
サリービーはこう言うだろう。
 
 
間違った場所を探しているのだよ・・・  と。
 
 
では、間違ってしまった原因は何か?
 
 
 
それはヘブライ語が間違って翻訳されたからだ。
 
 
議論を進める前に、「翻訳の問題」が登場するので、少し「聖書アラビア起源説」から引用しよう。問題の発端は、そもそも子音文字で書かれたヘブライ語の聖書に対し、後世の人間が間違った形で母音付加を行ったために起きたことにあるという。
 
 
私の論旨は、ヘブライ語聖書が、今まで一貫して誤って解釈され続けてきたのではないかという考えのうえに成り立っている。

(中略)・・・ヘブライ語は、紀元前5、ないし6世紀頃に、日常語として使われなくなった。そのため、ヘブライ語聖書を理解するためには、伝統的なユダヤ教の聖書解釈を受け入れるか、あるいは、ヘブライ語に密接な関係をもつ現存のセム語から手引きを得るか、のいずれかしかない。現存のセム語には、アラビア語とシリア語(現代シリア語)があるが、後者は古代アラム語の名残である。P21

(中略)

前述したように、初期の形態のヘブライ語聖書は、子音文字で綴られたものであった。それは西暦6世紀頃から9世紀もしくは10世紀にかけて、当時パレスチナやバビロニアのマソラ学者が考案した独特の母音記号によって音読できるものとなった。これはいいかえると、この母音付加を行ったマソラ学者たちが、1000年以上にわたり話されていなかった言語を再建した、ということである。彼らは自らの母国語がアラム語かアラビア語かにかかわらず、知識のおよぶ限りにおいてその母音付加を行った。P60−61
 
しかし、この問題は聖書だけにとどまらない。楔形文字で記録されたバビロニアやアッシリアといったオリエント世界の記録も、聖書に記述に適合させるように解釈され、都合の悪い記述に関しては無視されてきた。
 
 

サルゴン2世の軍事遠征

一般的な歴史では、例えばサルゴン2世はシリア方面に軍事遠征を展開し、「紀元前721年にはイスラエル王国(オムリ朝)を滅ぼしてその上層民を帝国各地に強制移住させ、他の地方の住民をイスラエルに入植させた(ウィキペディア)」というものである。
 
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旧約聖書の「列王記」には、イスラエル王国を滅ぼしたのは「アッシリアの王」としか書かれておらず、シャルルマネセル5世であったようにも記述されている。旧約聖書外典トビト書では、シャルマネセル5世の時に捕囚があったと記されているそうだが、現在も議論を呼んでいる。
 
 しかし、サリービーは、著書「聖書アラビア起源説」にて、実際にアッシリア軍は
 
「タイマーを通り南西アラビア半島のアシール地方を攻めた」
 
・・・という主張を展開している。
 
たとえば、そのほんの一例が、サルゴン2世の地名表の冒頭部分である。そこではこのアッシリアの王は自らを「サ・ミ・リ・ナ(smrn)と全ビト・フ・ウム・リ・ア(hmry)の征服者」と称している。しかしこれは、「サマリア」(ヘブライ語でsumrwn)、「オムリ」(ヘブライ語のmry)の家を指すものではない。もちろん、アシールにはオムリのイスラエル王国が存在していたし、その地方には聖書にあるなそのままの地名「サマリア」が今日も残っている。

実際にここで述べられているのはジーザーン地方のジャバル・ハループにあるアッサルマイン(srmyn)と呼ばれる村であり、アブー・アリーシュにあるヒムラ−ヤ(hmry)という名の村である。

この文献には、さらに多くの地名があげられており、このことからサルゴン2世が、地理的な区分としてのアシール全域、すなわちターイフからイエメンの国境地帯にまでおよぶアラビア半島西部全域を支配していたことは明らかである。
 
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たとえばジーザーン地方では、王は「ムス・ク(msk)の王、ミ・タ・アを追い払った」とあるが、ここでいわれている場所は、アブー・アリーシュの東、アーリダ丘陵地帯にある村落ムスクー(msq)のことである。

リジャール・アルアマでは、王は「アス・ドゥ・ドゥ(sdd)を略奪した」とあるが、ここで語られているのは、「南部人」(聖書では「ベニヤミン人」と呼ばれ、アラビアの古典詩ではバヌー・ヤーミン(ymn)とうたわれている)のことである。この人々は、「海」(ym)に住んでいたのではなく、ワーディ・ナジュラーンから広漠たる砂漠にかけて広がるヤーム(これもym)という地域に住んでいた。

さらにターイフ地方で、王はム・ス・リ(msr)とラ・ピ・フ(rph)を「うち破った」とあるが、これはそれぞれ今日のアール・マスリー(msr)とアッラフハ(rph)のことである。このほかにも王は「タ・バ・リ(tbl)」のすべてを皆殺しにした」とあるが、これは今日のワーディ・タバーラのことであり、ヒ・ラク・ク(hlk)は今日のアルハリーク(hlq)を指すのである。それからその近くで、王は「ハ・ザ・アト・ア・ア(hz`t)の王ハン・ノを、捕虜にすると宣言した」ともある。

この ハ・ザ・アト・ア・アは、これまで「ガザ」(ヘブライ語ではzh)を指すものと考えられていた。しかし、それはフ・ウム・リ・アがオムリ(mry)を指すのと同じくらい筋道のとおらない解釈である。実際には、その語が指すものは、古代アラビア半島西部の一部族フザーア(hz`t)であり、この部族の末裔は、今なお彼らの本来の故郷である南ヒジャーズ地方(メッカからターイフにかけて)に住んでいる。

さらにこのフザーアの領域から南へおよそ200キロ行ったところで(「七日間の行軍で」という刻文から算出)、サルゴン2世は、「イ・ア(`y`)」の国の7人の王を服従させた」とあるが、この場所は、アシール沿岸地方にある今日のワーディ・イヤーア(`y`)である。

このように、地表名にあるいくつもの地名が、そのままアラビア半島西部に残っているのに、どうして学者たちはその地名表が、アッシリアによるシリアとパレスチナの征服の記録であるという考えに固執するのであろうか。シリアとパレスチナには、そうした地名はどこにもないのである。
 
 
ふむ。
 
 
『聖書アラビア起源説』では、サバ王国とアッシリアの朝貢関係については取り上げていないのだが、時代的にはアッシリアとサバ王国の朝貢関係についても説明がつくと思うのだが・・・。
 
次はサバ王国の方・・・に目を向けてみよう。
 
 
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信じられない気持ちです。(笑い)

2012/3/23(金) 午後 5:10 [ イスラエル=「神と闘う者」 ]

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「レバノン人歴史家のカマール・サリービー」

<聖書アラビア起源説>は、カマール・サリービーの(無意識な)政治的意図から書かれたのでしょう。

古代イスラエル王国が、西南アラビアに存在したとすれば、現在パレスチナにあるイスラエル国家の正当性が消失する訳ですから。

カマール・サリービーが、アラブ寄りのレバノン人歴史家であることが鍵です。

*返答不要*

2012/4/2(月) 午後 11:46 [ - ]

それはお互い様のような気がしますね。旧約聖書を中心とした古代オリエントの歴史観や数百年後の旧約聖書の翻訳や解釈に政治的意図が介在していないと言えるでしょうか?

西欧社会にはアラブ系の人間が書く歴史は所詮「嘘八百」という先入観があり、これまであまりにも無視され続けてきました。

しかし、「アブラハムの宗教(一神教)」を考える時、アラビア半島の伝統を無視することができないのは、おそらくその通りだと思います。

ただアラビア半島における古代遺跡の発掘調査などがまだまだ初歩の段階です。だからと言って「それじゃ 中東の古代史はとりあえずアラビア半島抜きでいきますか・・・」という姿勢は賛成しがたいものがあります。

2012/4/3(火) 午前 1:29 [ 9回裏二死満塁 ]

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>それはお互い様のような気がしますね。旧約聖書を中心とした古代オリエントの歴史観や数百年後の旧約聖書の翻訳や解釈に政治的意図が介在していないと言えるでしょうか?<

まさしく、その通りだと思います。旧約聖書そのものが、政治的意図で書かれた、政治的文書なのですから。

*返答不要*

2012/4/3(火) 午前 4:17 [ - ]


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