オルタナティブを考えるブログ

タイトルも新たに、1年ぶりですが、まずは過去の記事を整理しなきゃ

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今日からから数回、アフリカ東岸やアラビア半島南西部の古代史について調べてみる。その最初としてクシュ(クシ、エチオピア)についてもう一度言及して起きたい。・・・実は「検証: 聖書アラビア起源説 その1」の続きだが、別シリーズとして再度取り上げようと思う。
 
 
これまでの『検証: 聖書アラビア起源説』シリーズでクシュ(聖書ではクシ、以下ではクシュ呼ぶ)については、旧約聖書の記述と「聖書アラビア起源説」の著者であるサリービーの説ついて述べた。
 
検証: 聖書アラビア起源説 その30 遠いクシ(エチオピア)
 
検証: 聖書アラビア起源説 その31 かなり近いクシ(クシュ)
 
 
クシュはエジプトの南にあり、歴史上存在した王国としては必ずしも紅海沿岸に位置していないのだが、紅海沿岸における古代史の鍵を握るのは、この「クシュ」の地理的概念のようにも思える。
 
古代ギリシア人(少なくとも紀元前8〜5世紀頃)にとってなぜ東西2種類のエチオピア人が存在したのか?
 
旧約聖書にはなぜあれほど頻繁にクシびと(エチオピアびと)が登場するのか?
 
アンドロメダはなぜエチオピアの王女なのか?
 
 
そんなことをぼんやりと考えると、これまでのエジプトの南とされていた地理的概念としての「クシュ」が、実際にはもっと広範囲で、複雑であったのではないかと思う。
 
 
議論の最初として、まず一般的に「クシュ」について調べてみよう。
 

クシュの古代史

スーダンを流れるナイル川流域のクシュと呼ばれた地域は、もともと古代エジプト時代には『ヌビア』と呼ばれ、金と奴隷の重要な供給源となっていた。この名前が果たして古代エジプトの言葉で「金」を意味する「nebu」、転写すると『nab.w』、あるいはコプト語『nub』に由来するかは定かではない。
 
古エジプト王国時代には、ヌビア地域は『Ta-seti』、つまり「砂漠の弓の大地」と呼ばれており、中王国時代になってから『Ta-seti』に対して、『Kaschとも呼ばれるようになる。『クシュ』はこの古代エジプトの言葉である『Kasch』に由来すると考えられている。
 
イメージ 1
 
僕達の頭の中では古代エジプトのピラミッドのイメージがあまりにも強く、「エジプトは高度な文明」、「ヌビアは未開の地」という偏見をどうしてももってしまう。
 
確かに、考古学的証拠によるとヌビア地方における王国の形成はエジプトに比べて遅く、金属の加工技術やさまざまな技術面において後発であったのは否めない。しかし、古代オリエント世界において、ヌビア地域に興った諸王国は、古代エジプトに対抗する南の勢力として毅然として存在していたと考えられる。
 
それに、もし・・・
 
「歴史上で最もピラミッドを多く作った国は?」
 
 
 
というクイズがあったら、正解は
 
 
「クシュ王国」 だ
 
 
・・・まぁ ピラミッドの建造された“年代”や“大きさ”にはかなりギャップがあるのだが・・・。
 
いずれにせよ、古代史におけるこの国の役割を考えると、決してこの国の歴史を軽視することはできず、考古学的調査ももっと集中的に行うべきであろう。
 
Aグループと先史ケルマ文化
ヌビアはエジプトの初期王朝が誕生する以前から文化圏が存在したことが確認されている。初期のヌビアの文化は、その特徴によっていくつかのグループに分けられている。紀元前3600年から3000年頃までの間、地理的にはアスワン北部辺りからナイル川第二瀑布までの範囲に興った文化はAグループと呼ばれる。
 
Aグループの人々は、ヤギや羊などを飼育する一方で、大麦や小麦、果物などの栽培をおこなう半遊牧民的な生活をしていたと考えられる。気候的な条件で牧牛場として適した土地が少なかったようで、牛の飼育をした形跡はごくまれにしかみられていない。赤と黒の土器や籠の製造、皮の加工も行っていたようだが、金属加工は行われておらず、墓地の副葬品として発掘される斧などはエジプト製であったと考えられている。
 
イメージ 2
               写真は↑は後のケルマ文化のもの 
 
エジプト南部との貿易は活発に行われていたようで、西村氏のサイトによれば、エジプト人たちはヌビアから象牙や黒檀を輸入し、ワイン壷やビール壷などを輸出してようだ。その他、亜麻布、チーズ、油、蜂蜜なども取り引きされていたという。ナルメルの化粧パレットやヒエロコンポリスから出土したパレットは、ひょっとしたらこのヌビアのAグループの影響を強く受けていたのかもしれない。
 
 
社会的な階層はまだ無かったと考えられるが、後期には部族の長に相当する人物がいたことが、墓などの装飾から推定される。そうした勢力関係もあったのか、古代エジプト第1王朝のアハ(紀元前3000年頃)はヌビアに軍事遠征を行っている。アビドスから発見された象牙板には、彼がヌビアに対して軍事遠征を行った記録が書かれている。(ちなみに彼の時代にはシリアやパレスチナ地方にも軍事遠征を挙行している)
 
                       アハの碑文
イメージ 3
 
紀元前2600年頃になるとAグループの考古学的痕跡は発見できないようになる。以前は、エジプトによって奴隷や兵隊として強制移住させられたとか、エジプトに同化されたとの説が有力であった。しかしながら、最近の研究では、その後も度々エジプトがヌビアに対して軍事遠征がおこない、家畜などを奪ったというエジプト側の資料があることから、引き続きその地域には居住しているヌビア人達がいたと考えられるようになった。また、彼らの文化を伝える出土品が少ないのは、おそらく半遊牧民的な生活様式によるものだと考えられている。
 
イメージ 4
 
さて、Aグループと同じ時期に、ナイル川をもう少し上流に遡ったあたりには先史ケルマ文化(勝手にそう呼んでます)がおこる。北部はAグループの南の境界線であるナイル川第二瀑布であり、南に方の境界については不明である。時代的には、Aグループとほぼ並行して存在しており、同一の文化であったとの見方もある。Aグループに比べ人口が密集していたことが分かっているが、やはり半遊牧民的な生活を送っていたようだ。
 
 
Cグループと初期ケルマ文化
紀元前2500年ほどになると、Aグループ文化の後継としてCグループと呼ばれる文化グループが登場する。(以前はA,B、Cグループとあったのだが、BグループはAグループと関係のあった先史ケルマ文化としてみられ、時系列的(A→B→C)にBグループとして分類できる文化は存在していなかったことが判明している)。地理的にはAグループ同様でアスワン北部からナイル川第二瀑布までだ。エジプトの第6王朝時代から新王朝時代まで続くCグループと並行して、ナイル川第二瀑布からケルマにかけて初期ケルマ文化も確認される。
 
イメージ 5
 
Cグループの特徴は小形の円形墳丘墓で、下層が石、上部が砂で覆われている(実施はコンクリートで形を成していたかもしれない)。定住した痕跡はほとんど発見されておらず、おそらくCグループの人々はテント住まいの半遊牧的生活をおくっていたとされている。生活様式は、ほぼAグループと似たようなものであり、手で作られた陶器は、黒色に焼かれ、左右対称の模様が白の塗料で描かれていた。
 
しかし、後期では粘土づくりの方形の住居が登場し始め、この頃に半遊牧民的生活は終焉を迎え、定住生活に変わったとみられ、その後紀元前1600年頃には城壁に囲まれた要塞都市なども建設されており、第二中間期にはエジプトへの移住も増加したと考えられる。
 
Cグループ文化圏の南に発展した初期のケルマ文化も、同様のものであったと考えられるが、エジプトからの輸入品などは限られていて、独自の文化を発展させていたと考えられる。今日のエリトリアに、Cグループのものと思われるサイトが発掘されたが、おそらく初期ケルマ文化のものであったかもしれない。いずれにせよ、その後のダモト王国の基礎となった文化とであろう。
 
ヌビアの宗教
古エジプト王国時代から判明しているヌビアの神はデドウェンという名前で、この神は「富と乳香をもたらすもの」として崇められていた。ピラミッド・テキストにも記述があり、神と同等とみなされているヌビアを支配する王デドゥン(Dedun)が、ヌビアからエジプトの王に対して「宝や人をもってくる」とされている。
 
新王朝時代になると人間の姿として描かれるようになり、ライオンの頭をもった姿で表されるようなる。エジプト第25王朝を築き、ナイル・デルタまでを支配したヌビア人達は、自らをデドウェンの息子と名乗ったと言われている。その後、メロエ王国の時代になると頭が獅子の神は戦争と豊嬢を司る神アペデマク(Apedemak)として、ヌビア人全体に信仰されるようになる。
 
イメージ 6
 
獅子の神のようなオリジナな神に加え、ヌビアでは、ラー、ホルス、アメン、ハトホル、オシリス、アヌビス、セト、マート、トト、プタハ、アトムなどをはじめ、様々なエジプトの神々がもたらされた。一方、鳥の姿をしたヌビアの太陽神マンドリスのように、ヌビア出身でエジプト化した神々もいくつかる。
 
イメージ 7
 
雌ライオンの顔をした女神セクメトは、おそらくヌビア出身であったと考えられる。
 
戦争と狩猟の神オヌリスには、雌獅子の姿をしたメヒト女神が妻で、ヌビアに逃げた彼女をエジプトに連れ戻したという神話が残っている。この逃亡する女神の話はいくつかのバージョンがある。
 
破壊の女神セクメトがヌビアへ逃げる・・・が、夫で知恵の神トート神が連れ戻す
 
湿気の女神テフヌトがヌビアへ逃げる・・・が、夫で大気の神シュウが連れ戻す
 
              まとめると、こんなかんじだ ↓
 
イメージ 8
 
 
これらの話に共通するのは、
 
 
妻が獅子の顔をした女神である
 
 
両者は夫婦である
 
 
妻の出身はおそらくヌビア?(テフヌトについては自信なし)
 
そして・・・
 
 
逃亡先も共通する。
 
 
ヌビアだ。
 
 
 
繰り返しになるが・・・
 
 
夫婦の神々・・・ 
 
 
妻はヌビア出身のライオンの顔をした女神
 
 
ある日、何かが原因で ヌビアへ逃亡
 
 
しかし、夫は妻をめでたく連れ戻す
 
 
神々を置き換えただけの他愛のない話のようだが・・・
 
 
 
何か歴史的な大イベントが背景にあるような気がする・・・
 
 
 
なんだろうか・・・?
 
 
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