オルタナティブを考えるブログ

タイトルも新たに、1年ぶりですが、まずは過去の記事を整理しなきゃ

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ヌビア地方の歴史について前回の続きだ。
 
 

ケルマ王国(紀元前1700年〜紀元前1500年)

さて、紀元前1700年頃になると初期ケルマ文化圏はケルマ王国と呼ばれる国家体系をとるようになってきた。文化的にも政治的にも首都ケルマが当時のヌビア地域の中心となり、エジプトに比べると著しく中央集権的な政治体制をとっていたと考えられる。エジプト側の資料からは、この頃のヌビア地域は人口が多く、豊かな農耕地域があったことが分かっており、そこでは、寺院や集団墓地、そして丘陵古墳などが盛んにつくられ、古墳などからは金属製の武器などの副葬品が発見されている。
 
また、ケルマ王国は第二中間期(紀元前1782年頃〜紀元前1570年頃)において、エジプトに拮抗する勢力となり、何度もエジプトへ軍事遠征を図り、略奪行為をはたらいていた。ヌビア地域で発見される大量の古代エジプトの工芸品は、この時代のものであると推定されている。エル・カブの市長の墓からは、紀元前1575年頃から1550年にかけて、ヌビア人がエジプト深くまで侵入した記録が発見されている。また、当時ナイル下流域を支配していたヒクソス王朝がケルマ王国に宛てに送った書簡に使用した印章がケルマで発見されたことから、ケルマ王国がヒクソスと同盟を結んでいたと考えられている(カーメス王の碑文からもそれが確認されている)。
 
エジプトの第17王朝と第18王朝は同じ家系に属しているが、中間期から新王国時代へ移行する便宜上分けられて呼ばれている。家系図を表すと下図のようになる
 
イメージ 1
 
 
ここで注意を引くのが・・・
 
イアフメス・ネフェルタリ (紀元前1562年〜紀元前1495年)だ。
 

黒くて美しいイアフメス・ネフェルタリ

第18王朝はヒクソスを倒したイアフメス1世が始めたことになっているが、血統的には第17王朝(テーベ王朝)と連続している。問題のイアフメス・ネフェルタリは、このイアフメス1世の妹にして王妃であると考えられているが、まだ確定的であるとも言えない。彼女が「イアフメス朝」の家系図のラインにあるのは、彼女が「偉大な王妃の娘」という称号をもっているからで、セケエンラー・タア2世とイアフヘテプ王妃の娘(つまりイアフメス1世と兄弟)、もしくはイアフメス1世の兄カーメスとイアフヘテプ王妃2世(あるいはイアフヘテプ王妃)」の娘であると考えられている。
 
混乱の原因は、彼女の所有する数多くの称号で、上記の「偉大な王妃の娘」の他にも、「王の娘」、「王の妹(姉?)」、「王の母」、「2つの国の支配者」などがある。イアフメス1世の妻となってからは神の妻となることで、夫イアフメス1世が王権の正統性を主張すべく「アメンの神妻」というタイトルが加わる。第26王朝の王妃ニトクリス2世(紀元前570年〜紀元前526年のファラオ・アマシスの王妃)まで28人もの王妃が「アメンの神妻」という称号を名乗るが、イアフメス・ネフェルタリはその初代である。
 
テーベの第17朝であるイアフメス朝は伝統的に月の神を冠する王が続いたが、エジプト再統一をきっかけにアメン神が登場するのは興味深い。このアメン神が最初に全国区で崇拝され始めたのは、エジプト混乱期である第1中間期をおさめ上下エジプト再統一を行った第11王朝のメントゥホテプ1世からである。この時以来、アメン神は太陽神ラーと融合しアメン=ラーとして崇拝されるようになったのだが、同じように第2中間期と言われる混乱期を収拾したイアフメスの妻が「アメンの神妻」を名乗るのは、このメントゥホテプ1世を意識したのだろうか・・・。
 
問題は、王妃イアフメス・ネフェルタリを描いたと思われる肖像画だが、奇妙なことにそのほとんどが彼女の肌の色を「黒」で描いている。
 
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王家の人間に対してこのような描き方は他には例を見ることができない。TT359に描かれている数多くのイアフメス朝の人々の中でも、イアフメス・ネフェルタリの肌の色だけが黒で描かれている。
 
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彼女の夫の名でもあるイアフメスの意味は『月の神ラー(lah)が生まれた』であり、この月の神ラーというのは、新王国時代になると他の月を司る神トートやコンスなどの存在の陰に隠れ、ほとんど姿をみせなくなる。月の神Lahが古王国時代から崇拝されてきた創造神Aaであるとも言われていたり、北シリアの月の神に結び付ける見方もあるが、まだ明確なことは分かっていない。ひょっとしたらヌビアの神ではないだろうか?
 
また、ネフェルタリの意味は、ラムセス2世の妻ネフェルタリもそうだが、『美しきもの(美しさ)』である。
 
・・・
 
私は黒いけれども美しい・・・(雅歌)
 
 
・・・
 
 
シバ女王の大先輩だったのかも・・・。
 
 
彼女は死んだ後、アメンヘテプ3世の治世(紀元前1388年〜紀元前1351年)に彼女の息子のアメンヘテプ1世とともに神格化されたとされている。一般的に、彼女の肌が黒く描かれるのは、この神格化にあるとされている。多産と豊穣を司る女神としてエジプト全土で崇拝されていたようで、21王朝時代になってからもそれが確認できる。彼女の肌を描く時に黒が使用されるのは、このナイル川の運ぶ肥沃な大地を「黒い大地(ケメト)」として表現されていたと解釈されている。
 
まぁ、偉大な王妃であったことにはかわりはない。夫のイアフメス1世の死後、まだアメンヘテプ1世が幼かったために摂政を務め、混迷の時代に終止符を打つとともに、第18王朝繁栄時代の基礎を築いたのだ。
 
 
しかし、大地の神ゲブを描く時に、たまに「緑」をつかって描かれているが、「黒」ではない。
 
 
したがって・・・
 
 
『なぜ、彼女の肌は黒いのか?』という問いを説明するのに彼女の神格化を挙げるのは果たして適当なのだろうか?
 
 
イアフメス・ネフェルタリ は ヌビア人 でないか?
 
 
彼女がヌビア人であるとする見方は、エジプト学者の間でもかなり以前から存在していた。
 
その議論に関しては、彼女と見られるミイラの解剖結果からも推測されている。
リンク先参照→ http://clegg.tv/tutsblackroots2.htm
 
 
イギリスの解剖学者Elliott Smithが調査した結果、彼女の頭の髪の毛は非常に少なく、頭蓋骨の天辺には髪がなかった。20の束ねられた人の髪とみられる紐状のものが彼女の頭に巻きつけてあり、それは現代でも見られるヌビア女性の典型的な髪形と似ていなくもない。また、歴史家William L. Hansberryは「王妃の歯は大きく、健康だった(ラムセス2世は虫歯に悩まされていた)。彼女の鼻は短く平らで、膨らんだ唇に大きな口をしていた。」と彼女のミイラについて報告している。
 
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・・・いずれにしても解剖の結果は、
   
彼女が明確に「ネグロ」、つまりヌビア出身であったことを示している。
 
 
それに・・・ちょっと気になったのだが、彼女の母親であるイアフヘテプ皇后の墓には、王妃としては珍しく斧などの武器が副葬品として埋葬されている。夫と長男がヒクソスとの戦いで死んだ後も、まだ幼少のイフアメスの摂政としてテーベ王朝を統率し、ついにはヒクソス打倒を達成した武人王妃であったとも言われている。
 
これは後述するが、ヌビアの土地は著名な「武人王妃」を何人か輩出しているのも確かで、彼女達のためのピラミッドも建設されている。
 
前回の記事に書いたが、ヌビア出身の雌ライオン顔をした女神セクメトやメヒトが勇猛であるのも、ひょっとしたヌビアの女性に対する伝統的な先入観、「勇猛さ」と「美しさ」をエジプト人がもっていたからにほかならないだろう。
 
 
しかし、その後テーベのエジプト王朝が、ヒクソス王朝を解体することに成功し新王国時代を切り開くと、今度は踵を返すようにヌビア方面に拡張政策をとりはじめる。トトメス1世(紀元前1524年〜紀元前1518年)がヌビア地方に対して軍事遠征を行い、北部ヌビア地域を支配下におさめる。
 
これはどうしたことだろうか・・・。
 
 
その後、紀元前1450年前後にトトメス3世が、スーダン北部にある高さ98mの小山ゲベル・バルカルをエジプトの南の国境とし、そこに都市ナパタを建設する。これにより、ヌビア地方にエジプト文化が再び流入すると、ケルマ文化はしだいに姿を消すことになる。
 
 
ところで、ヌビアの王女を描いたミュージカル『アイーダ』は、エジプト側の将軍にして恋人であるラダメスの名前からも察する通り、ラムセス2世の時代(紀元前1279年〜1213年)を想定している。
 
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当時ラムセス2世はナイル川第一爆を超えて、ヌビア遠征を行った。ラムセス2世にはエジプト史上で最高の美女とされるネフェルタリ王妃がいる。ネフェルタリはラムセス2世が24歳にしてセティ1世から王位を継ぐ以前に結婚している。即位してからは、ヒッタイトの王女を含め30人以上の側室をもったとされているが、ネフェルタリに対する彼の愛情は格別のものであったと考えられる。
 
ソロモンのハーレム
 
 

どこから来たのか? ラムセス2世の愛した美女ネフェルタリ

彼女を一躍有名にしたのは王妃の谷で発掘されたテーベ西にある王妃の谷より発見された彼女壁画だ。
 
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壁画における彼女はたいてい、カツラをかぶり、太陽の円盤がついたアメン冠にエジプトハゲワシの頭巾をかぶっている。ハゲワシといっても、女神ネクベトで上エジプトの守護女神である。このハゲワシ頭巾の被る位置は時代を反映していて、第17王朝末期と第18王朝のはじめは頭の天辺、18王朝中期からは頭の後方だというのだが・・・僕にはあまり違いが分からなかった・・・orz
 
古代エジプト第4王朝あたりからハゲワシ頭巾は登場するらしいのだが、やはり前述のイアフメス・ネフェルタリと重なってしまう。
 
 
ラムセス2世はネフェルタリとの結婚25周年を記念して、ヌビア地方のアブ・シンベルに建設したアブ・シンベル大神殿と、ネフェルタリに捧げるべきして建てたハトホルの神殿(アブ・シンベル小神殿)を築いた。
 
素情が知られていない絶世の美女ネフェルタリ王妃だが、ラムセスのヌビア遠征と、それにまつわるアブ・シンベル小神殿の建設などから、出身地はヌビアでなかったのではないかとも言われている。
 
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(彼女の出自に関しては、彼女の墓の位置関係からツタンカーメンを暗殺したとされるファラオ・アイではなかったかと言われ、出身地はテーベから北へ行ったところのアクミームでなかったかとされている。アクミームは知名度こそないが、現代の街の下にはひょっとすると古代エジプト最大の遺跡が眠っているとも言われている)
参考→ http://55096962.at.webry.info/200812/article_19.html
 
 
ふむ。
 
 
しかし、イアフメス・ネフェルタリがヌビア人だとすると、
 
 
第18王朝の血筋は、すくなくともヌビアとの混血からはじまっていることになるのだろうか?
 
 
 
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