オルタナティブを考えるブログ

タイトルも新たに、1年ぶりですが、まずは過去の記事を整理しなきゃ

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アッシュールバニパルにテーベを奪取されて、エジプトへの支配力を失ったクシュ王国だが、アッシリア軍がヌビアまで進軍することはなく、タヌトアメンはナパタの地でクシュ王国の支配者として統治を続けた。そして彼の死をもって第25王朝が終焉となるわけだが、それはあくまでエジプト側の視点であって、クシュ王国はその後も連綿と続く。
 
クシュ王国とアッシリア帝国の戦いもまだ続いた。タハルカがヌビア地方に戻った後、下エジプトではリビア系と見られるサイス朝のネコ1がアッシリアの傀儡政権となった。しかし、間もなくネコ1世は下エジプトの諸侯と同盟を組み、アッシリアへ反旗をひるがえした。しかし結局敗れ、ネコ1世はニネベに連行され、再度アッシリアへの忠誠を誓わされた。
 
その後、タハルカの後継者タヌトアメンが下エジプトに攻め込んだ時、サイス朝のネコ1世は、紀元前664年にクシュ軍との戦いの際に殺害されたと伝えられている。ネコ1世の子であるプサメティコス1世はシリアに亡命し再起をはかることにしたが、その後、アッシュールバニパルによってクシュ軍がまたしても追い払われると、プサメティコス1世はエジプトの支配者としての地位を手に入れることになる。
     
 
その後、『アフリカ周航』や『ナイル川から紅海までの運河建設』、そして旧約聖書の『メキドの戦い』など、何かと有名なネコ2が後を継ぎ、その後プサメティク2世と続く。このプサメティク2世は6年という短命政権にもかかわらず、ヘリオポリスには21、79見事な一対のオベリスクが作られたエジプト中にその足跡を残している。
 
                        ネコ2世
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紀元前592年プサメティク2世は、クシュ王国に対して軍事遠征を行う。遠征の動機は、クシュ王のアスペルタがエジプトに進軍する準備をしていたためであったと考えられるが、定かではない。当時のヌビアへの軍事遠征は第三瀑布まで達したと言われ、その軍隊の大部分は将軍ポタシムト(Potasimto)が指揮するギリシア傭兵であったとされている。エジプト軍は後のファラオになるアマシス(Amasis)が率いた。
 
                       アスペルタ
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このヌビアへの攻撃は第一次攻撃で、ヌビアが二度とエジプトまで攻め入ることがないように国力を弱めることが目的であり、実際その目的はクシュ王国の諸都市を破壊することで成し遂げられた。
 
ナパタには当時エジプト軍が破壊したと思われるクシュ王の像が保管されている場所があり、そこにある最も新しいクシュ王がアスペルタであったことから、アスペルタの時代にプサメティク2世との戦争があったとされているが、近年では疑問も投げかけられている。プサメティク2世は、破壊行為の際に第25王朝(ヌビア王朝)のファラオの名を碑文から消し、歴史から抹殺しようとした。
 
その時に破壊されたクシュ王達の銅像は現在復元され、ケルマ美術館に保管されている。
                復元されたクシュ王たちの像
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奇妙なのは、プサメティク2世が自分の父親であるネコ2世の名前も消し去ったと言うのだ。したがって、考古学的に確認される当時の破壊行為が、プサメティク2世によるものではなく、クシュ王国内で起きた王朝の争いによって生じたのではとの疑問も投げかけられている。それに、彼がその後エジプトの南の国境として定めた場所が、新王朝時代のようにナパタ(ゲベル・バルカル)ではなく、アスワン近くの第一瀑布であったというのも、彼の軍事遠征が力を誇示するものであるが、ヌビア地域を実効支配するものではなかったということが分かる。
 
 

ヌビアのピラミッド

ピイの下ナイルへ向けた軍事遠征で目のあたりにしたエジプトのピラミッドの文化的衝撃は創造を絶するものであったに違いない。上エジプトにおけるピラミッドの存在は、すでに王権とは分離され、貴族の墓としても建てられるようになっていた。ヌビア地方にも紀元前9世紀頃に建設されたピラミッドが確認されているが、ヌビアにおいて再び王権と強く結びつくようになる。
 
エル=クル遺跡には、カシュタとピイ、シャバカ、シャバタカ、タンウェタマニの陵墓が残されている(タハルカはヌリ遺跡に埋葬された)。ウィキによればエル=クル遺跡にある14基のピラミッドは王妃のもので、そのいくつかは著名な"warrior queens" (武人王妃)のものである。
 
武人王妃何て聞くとヒクソスを追い払い第18王朝の基礎を築いたイアフヘテプ皇后を思い出す。彼女の墓にも王妃のものとしては珍しく斧などの武具が一緒に副葬品として埋葬されていた。その斧にはグリフォンのリリーフがついている斧があり、その様式がミノアのグリフォンと酷似していることから、ミノア文明との関係が議論されてきた。
 
 
少しファンタジー的なシナリオを考えると・・・、彼女はもともとヌビアの王族であったかもしれない。娘のイアフメス・ネフェルタリの肌の色が黒で描かれているもそのためだ。メロエ王朝の時代になると、ヌビア地方の人々がギリシア植民地と交易を行っていたものを示唆する遺物が見つかるのだが、何か関係があるのだろうか?
 
 
以前のブログ記事でも紹介したが、紀元前5世紀頃から「ヌビアのピラミッド」が数多く建設されるようになる。ナパタ王国からメロエ王国まで数百年の間に建てられた「ヌビアのピラミッド」は220基。120基を有する本家エジプトの倍近い。もちろん、エジプトのピラミッドと比べると”ミニ”であり、傾斜角度約70゜で高さは最大のもので30メートルほど、底辺の幅も8メートルをほとんど越えることがない。(エジプトのピラミッドの場合、基礎の大きさは少なくとも5倍以上、傾斜角は4050゜)ウィキ。
 
イメージ 5
 
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クシュ王国の王に関して、第25王朝後のアトラネルザからアスペルタまでの4人の王(アトラネルザ、センカマニスケン、アンラマニ、アスペルタ)の存在については、時系列も含めて確実なものをみなされている。
 
彼らの名前が確認できる記念物も比較的多く見つかっており、彼らが近い親類関係にあったことも判明している。紀元前593年から568年にクシュ王国を統治したアスペルタからの時代に関しては、長い碑文なども見つかっており歴史的な出来事なども確認できる。彼の時代にはおそらくエジプトとの戦争も起こっていたと考えられる。
 
 
クシュ王国の王宮ではまだエジプト文化が主流であり、クシュ王もすでに支配力を失っているにもかかわらずエジプトの王であるかのように振る舞った。
 
ナパタからメロエへの遷都の日付は不確かだが、ある歴史家達はヌビア南部へのエジプトの侵攻に対応して、アスペルタの統治期間中には、中心地は徐々にメロエに移転し、ナパタは宗教的な意味合いが強かったと考えられる。
 
他の学説によると、クシュはナパタを本拠とする国とメロエを本拠とする国に分かれていたが、その発展は関連していた。
 
メロエは徐々に北のナパタを凌駕した。王室の立派な邸宅はメロエ北部で見つけられていない、そしてナパタは宗教的指導者でしかなかったということはありえる。しかしナパタで数世紀の間王達がメロエに住んでいるときでさえも、戴冠式が行われ、王達が埋葬されていたので確かに重要な中心地だった。
 
 

クシュは鉄の仲介者だったのか?

クシュ王国の活動がメロエに移ったのは、鉄の鉱山の存在を挙げる学者が多くいる。これまでクシュ王国は、交易で象牙、金、そして奴隷などを輸出していたことが知られており、メロエ朝時代からの墳墓からは金が豊富に発見されている。しかしながら、それらの金がいったいどこに由来するものなのかはこれまで分かっていない。
 
タハルカの治世より「鉄」を使用していた痕跡が発見されている。彼の墓から発見された先が黄金で装飾された槍は、棒の部分が鉄から出来ていた。メロエ朝時代の遺跡からはスラグの山がいくつも発見され、一時期はメロエが古代アフリカの一大鉄産業地帯であったと解釈され、ヌビアがアフリカに鉄器を広めた仲介者であったとも言われた。
 
しかしながら、大量にスラグが発見される一方で、鉄を使用したオブジェの数はそれほど多く発見されていない。また、1976年ヘルマン・アンボーン(Hermann Amborn)のスタディでは、ヌビア地域に精錬所があった形跡が全くないということが結論づけられている。スラグの山は決して精錬プロセスから生じたものではなく、非鉄金属、金、あるいはマジョリカ焼きのような陶器造りの生産プロセスで形成されたものだと言うのだ。メロエ朝時代には、キリンやダチョウなどの野生動物、人や家畜などを描いた陶器が造られていたことが分かっている。
 
 
ふむ・・・
 
 
さて・・・
 
プサメティク2世の侵略から70年ほど後、今度は新たな脅威がアジアからやってくる。
 
 
アケメネス朝ペルシア だ。
 
 
紀元前525年頃、アケメネス朝ペルシアのカンピュセス王の侵攻を受けた。
 
ここでよくベルリン博物館にあるナパタ碑文が引き合いに出され、「ヌビアの王ナスタセンがケンバスデン(すなわちカンビュセス2世)の軍を打ち破り、その軍船すべてを奪取した」とされているが、ナスタセン王は在位紀元前335年〜315年のヌビアの王であるので、カンピュセス2世の時代とは異なる。
 
結局、ヌビア北部地域が侵略されるも、激しく抵抗した結果、ペルシア軍を追い返すことに成功する。
 
 
それにしても、ペルシアはなぜヌビアを攻めたのだろうか?
 
 
わざわざ・・・
 
 

クシュ王国 紅海へ

35年間クシュ王国を統治したHarsijotef(およそBC404年〜BC369年と推定)が残した碑文には、彼がそれまでの王と同様に王国への侵入を図ろうとする遊牧民族と戦わなければならなかったこと、そして戴冠式からはヌビア中の重要な神殿をまわり、地方の神々に合意を取り付けなければならなかったと記されている。当時の碑文の文字にエジプトのヒエログリフが使用されていたが、時代とともに文字としての仕様が失われていったことが見てとれるという。
 
紀元前3世紀初頭のものと推定されるアリヤマニ(Aryamani)の碑文はほとんど判読不可能だそうだ。おそらく、ヒエログリフを使っていたヌビア人達は、メロエに遷都してからは独自の文字を発展させたという。
 
ただし、アリヤマニの碑文の年代特定は困難を極めている。それにこの碑文が見つかったのはケルマ地方に近いカーバ(Kawa)である、ナパタやメロエ地方ではなく、クシュ帝国の原点とも言うべきで発見された。アリヤマニのファラオとしてつけられる称号が、ラムセスを名乗ったファラオ達の時代(BC1292年〜BC1070年)を模倣していることから、新王朝時代の末期頃であったとも言われ、更にはアララ(ピイの父)であった可能性も示唆されている。
 
イメージ 6
 
 
いずれにせよ、メロエに活動の拠点が移るにつれ、
 
 
ヒエログリフの記憶も薄れていった。
 
 
それに代わって登場したのがメロエ文字だが・・・
 
 
これがどうも・・・
 
 
紅海を超えてアラビア半島南部
 
 
更には同じ時期にインドで発達したアブギダ(abugida)・アルファベットと似ているそうだ。
 
 
クシュ王国の交易相手はもはやエジプトではなかった。
 
 
 
紅海からインド洋にむかっていった
 
 
 
・・・かもしれない。
 
 
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「検証: 聖書アラビア起源説」 じゃなくて

「否定: 聖書アラビア起源説」 になってきている感じ。

ハハハ♪

2012/10/6(土) 午後 10:20 マーラーー 返信する

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「聖書アラビア起源説」を肯定するならば、連鎖的にエジプトとイスラエルの位置関係、エジプトとヌビアの位置関係、イスラエルとダマスカスの位置関係、その他の位置関係、を変更しなくてはならず、その変更作業は不自然にならざるを得ない。

これは、1つ嘘を吐くと、連鎖的に嘘を吐かなくてはならなくなるのと同じですね。

2012/10/9(火) 午前 6:45 マーラーー 返信する

マーラーさん コメントありがとうございます。
『聖書アラビア起源説』の場合、エジプトとヌビアの地理的位置を変更する必要はありません。旧約聖書のミツライムとクシの位置関係を変更する必要はあります。ミツライムの場合、すべての言及箇所ではないそうです。クシについては若干僕なりの仮説もあるので、このシリーズを立ち上げています。また、ダマスカスについてはそのままで良しとしています。

2012/10/9(火) 午後 0:45 [ 9回裏二死満塁 ] 返信する

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ありがとうございます。

ところで、ドイツ人の夕食では加熱した暖かい料理を食べない、と言うのは本当なのでしょうか?

信じられません!

2012/10/15(月) 午前 10:10 マーラーー 返信する

出張で返事が送れました。「ドイツ人の夕食では加熱した暖かい料理を食べない」というのはウソです。。「ドイツ人の夕食はパンなどの冷たい料理ですませることもある」というのはホントです。

2012/10/22(月) 午後 6:45 [ 9回裏二死満塁 ] 返信する

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ありがとうございます

2012/10/22(月) 午後 7:15 マーラーー 返信する

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言葉の中にも「クシュ人」が、いわゆる「身毒」に深く関わったことが、
看て取れます。というのは、シリア語の【HNDWYA】(身毒、100)は、
「Hindoo」(身毒)より、むしろ先に、「Cushite」(クシュ人)を意味します。
奇妙と言えば奇妙ですが、シリア語圏では当然の認識だったんですね。

(関連する記事)http://ameblo.jp/ywrqa/entry-11549656280.html(私のブログの一つです)
(Syriacの辞書)http://archive.org/stream/ACompendiousSyriacDictionary#page/n0/mode/2up

2013/6/11(火) 午前 9:31 [ ふんばば ] 返信する

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