オルタナティブを考えるブログ

タイトルも新たに、1年ぶりですが、まずは過去の記事を整理しなきゃ

陰謀論批判

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久々に見ごたえのある陰謀ドキュメンタリーを見た・・・。
 

電球をめぐる陰謀

http://www.nhk.or.jp/wdoc/backnumber/detail/120716.html
エジソンが発明した電球が売り出された1881年、その耐用時間は1500時間だった。1924年には2500時間に延びた。しかし1925年に世界の電球製造会社が集まり耐用時間を1000時間に限ることを決定。世界各地で作られた長持ちの電球は一つも製品化されなかった。

同じような考え方は現代にもある。破れるように作られたストッキング、決まった枚数を印刷すると壊れるプリンター、電池交換ができなかった初期のiPodなどだ。消費者の方もモノを買うことが幸福だと考え、新しいものを買い続けている。しかしその一方で、不要になった電機製品は中古品と偽ってアフリカのガーナに輸出、投棄されて国土を汚している。
電球をめぐる“陰謀”を証言と資料を元に解き明かし、消費社会の在り方に警鐘を鳴らす
原題:The Light Bulb Conspiracy
制作:Arte France/ArticleZ/Media3.14 (フランス/スペイン 2010年)
 
以下のホームページには次の様な解説がある
電球は「意図的な旧式化」が初めて適用された例である。「意図的な旧式化」とは消費者に製品の買い替えを促すため、製品の寿命を制限したり、新しいモデルを発表することを言う。一定期間を過ぎると機能しなくなるようプログラムされたプリンター、すぐ伝線してしまうストッキング、交換不能のバッテリーや次々とモデルチェンジを繰り返す自動車。そこに隠された秘密を明らかにする。
 
 
一方で経済発展の源でもあった「意図的な旧式化」は、深刻な産業廃棄物の増大や、消費者の不満の原因ともなった。経済発展、環境への影響など、これからの消費社会のあるべき姿を問いかけるこの作品は、学校や大学でも繰り返し上映されている。
 
 
まぁ、NHKのオンデマンドで見られるかもしれないが、英語で良ければyoutubeにアップされている。

 

 
 
「電球の寿命」「破れるように作られたストッキング」に関しては、昔から陰謀説が存在していた。製品のメーカーがGEやデュポンなどと言った影響力おある企業なら当然かもしれない。Ipodなどの特定の製品などをだしながら、特定のメーカーを攻撃する番組を放映するのは何ともNHKらしくない。そんなもんか・・・。
 
一方アフリカのガーナが世界のゴミ捨て場と化している映像にはかなり考えさせられるのだが・・。そのあたりの感情を操作するうまさは陰謀論の特徴だ。
 
 
ただ、実際に最近の電子機器は壊れると、修理よりまずは費用と手間を考えると新品を買うように奨められる。Ipodや携帯電話、パソコンに内蔵されているバッテリー二次電池には寿命があり、それがだいたい買い替えの時期を示唆するような仕組みになっている。
 
一見、A社のプリンターが壊れやすい場合、他の競合メーカーB社に乗り換えられる心配があるが、市場が独占または寡占の状況では十分に効果を発する方法である。カルテルが存在し、各企業の利益を最大化するのは有効な手段だ。
 

ポイボス・カルテル

このドキュメンタリー映画には歴史上実在したポイボス・カルテルが登場する。
1924年12月23日、当時の主要電気メーカーの幹部がジューネーブに集まった時から存在するカルテルで、参加者はオスラム、フィリップス、ゼネラル・エレクトリック、タングスラムなど。発光効率などの標準化や製品寿命について議論を行った結果、最も高い売上量を基本として、それぞれの地域以外で競争せず、電球の寿命を1000時間に縮小させるという合意をしていた。
 
まるでロスチャイルドなど国際金融陰謀論に登場する「ジキル島の秘密会議」のような話だ。
 
ただ、このドキュメントにあるように
 
「エジソンが発明した電球が売り出された1881年、その耐用時間は1500時間だった。1924年には2500時間・・・」
というのは本当なのだろうか?
 
 
ふむ。。
 
どうも陳腐な陰謀論の響きもある。
 
 
 

白熱電球の歴史と日本の竹

以下↓のホームページに白熱電球の歴史が分かりやすく書いてあったので、ドイツ語のウィキ情報と兼ね合わせながら白熱電球の歴史を紹介しよう。
参考: 
 
白熱電球の歴史はエジソンよりも前に遡る。1840年に世界で初めて特許が申請された白熱電球のフィラメントはプラチナ製であった。十分な強さの光を得るためには、プラチナの溶解点である1772度に達してしまい、プラチナを使用した白熱電球の実用化は実質されなかった。
1860年ごろイギリスのジョゼフ・スワンが、不完全真空と炭素フィラメントによって試作品の開発に成功し、特許を得る。その後1879年2月、更に改良を加えた炭素セルロースの白熱電球の特許を申請すると、同年の12月には製品寿命40時間を達成した。

1879年10月21日、エジソンも白熱電球は完成しました。彼の白熱電球に使用されたフェラメントは木綿糸に煤とタールを混ぜ合せたものを塗布し、それを炭化してもので、製品寿命は45時間だったとい言われている。エジソンが特許を取得したのは1880年になってのことである。 

エジソンはフィラメント材料を見つけるのに大変苦労したようです。最初は木綿糸や何と友人のヒゲまでも素材として使ったのだそうです。当然、これらはすぐ燃えつきてしまったんですけどね。6000種類にも及ぶいろんな材料を炭にして実験をしていたエジソンですが、ある日、偶然机の上にあった竹の扇子を見つけました。その竹をフィラメントに使ってみると、なんと200時間も灯ったのです。

当時の金額で10万ドルをかけ、全世界へ材料を探すため20人の竹採りハンターたちが派遣された。彼らは1200種もの竹を全世界から集めたというのだから驚きである。1880年、一人の竹採りハンターが来 日。時の首相伊藤博文と会い、「竹なら京都へ」とのアドバイスを受けます。京都では、初代京都府知事から「竹なら八幡か嵯峨野がいい」と言われます。そして、八幡男山付近の竹が約2450時間 も灯ったと言われている。

これらの地域は、鉄分が豊かな土質のもと、柔軟で堅固な竹を産していたのです。(その頃、日本の東芝もフィラメントの材料を必死で探していたらしいのですが、エジソンが京都産の竹を使ったと聞き、「灯台もと暗し」と叫び、ジダンダを踏み悔しがったそうです。)こうして、八幡の竹は1894年までエジソン電灯会社 に輸出され、何百万個の白熱電球が作られ、全世界に明かりを灯しつづけたのです。
 
その後の白熱電球史上における重要な役割をおったのはオスミウムで1895年から1905年ぐらいまで使われた。比較的高い融点をもち、フェラメンとの特質としては重宝されたが、高価であり、110Vもしくは220Vの環境では使うことが出来なかった。
 
1903年頃には加工しやすいタンタルがこれにとって代わり、
 
1906年にタングステンがタンタルにとって代わり、1910年以降はフェラメントの主流となった。ちなみに、ドイツの電球メーカーであるオスラムは、フェラメントの材料名であるオスミウムとタングステン(Wolfram)に由来する。
 
イメージ 1
 
より明るい白熱電球になるほど、製品寿命は短くなるというトレードオフの関係は、崩れることはなく、出力を押さえれば、当時でもフェラメントを長持ちさせることは可能であった。
 
ただ、このドキュメントにあるように
「エジソンが発明した電球が売り出された1881年、その耐用時間は1500時間だった。1924年には2500時間・・・」
 
というのは少し解釈のしかたの問題がある。
 
 
もちろん、本当だったかもしれない。
 
 
白熱電球の製品寿命は発光効率が高くなればなるほど、フェラメントの温度が高くなり2700K(ケルビン)では平均寿命は1000時間程度、劇場照明などの3400Kでは数時間ほどしかもたない。電圧を20%上げると、明るさは2倍となるが、製品寿命は95%落ちることになる。その一方で電圧を半分にすると、発光効率も落ちるが、製品寿命は1000倍以上にもなることが分かっている。
 
イメージ 2
 
 
信号機に使われている白熱電球(シグ・ランプ)の寿命は6000時間であると言われている。また、ドイツ人研究社ディーター・ビニンガーが発明した「永遠ランプ」の寿命は15万時間である。ベルリン知事の委託を受けたビニンガーが1979年から1984年まで研究し、安定器を装着させる形で実現させた(ただし、ビニンガーは生産直前に飛行機事故によって亡くなった・・・陰謀か?)。
 
 
 
上述のポイボス・カルテルは会員企業間で知的財産や特許などを共有する一方で、製造方法や統一規格などをつくった。加えて地域カルテル協定のようなものを結んだ。これが功を奏して、ポイボス・カルテルの会員は世界市場の80%のシェアを有するにいたった。このドキュメンタリー映画に登場する制裁金のリストは実在していて、白熱電球の寿命においても1000時間を超えると、階段形式に制裁金が上昇するというシステムだった。
 
このカルテルは1941年には公的に解散したことになっている。しかし、1942年10月に米国政府はGEを“違法な価格協定”、“競争の阻害”、そして“製品寿命の劣化”などカルテル法違反で訴え、11年にわたる法廷闘争の結果、1953年に製品寿命の劣化を禁止する命令が下された。
 
 
今日もこのカルテルは生き続けているという説もある。
(それを証明する資料はないが、完全否定するための資料もないという)
 
 
ただ、どこが誇張で、どこが事実なのか・・・
 
 
冷静な目で見ていく必要ある・・・と改めて思わせる内容だった。
 
 
 
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前回はナチスが製作した映画『ロスチャイルド』を紹介した。
 
この映画は「ユダヤ人ズース」や「永遠のユダヤ人」同様に現在ドイツでは上映が禁じられており、どうしてもという場合には注意書き等を入れることが義務づけられている。ただ、現在のようなあらゆる動画が国境を越えて発信されるようになると、もはやそんな規制は有名無実となる。

YouTubeに画像があったので、以下にリンクをはる。ドイツ語の映画だが英語の字幕付きだ。時間があったら見てもいいかもしれないが、お世辞にも面白い映画とは言えない。
 
 
 
 
当然だがこの映画には反ユダヤ主義思想の要素がいたるところにちりばめられている。
 
ユダヤ人は国家に対して忠誠心の欠片もなく、国民国家形成にとっては邪魔な存在である」というのが当時の論調で、やたらに”インターナショナル”という言葉をユダヤ人に対して使われている。このインターナショナルという性格を強調するにはと、国際金融資本家であるロスチャイルド家は見事にマッチしているのだ。


1914年にJ.P.モルガンと激しく対立した合衆国最高裁判所判事ルイス・ブランダイスが、問題作「他人の金銭(Other people's money)」(1914年)を出版する。それは当時弱き者の味方であるブランダイスが、金融という世界に対する大衆の抱いていた嫌悪感を見事に代弁した著作であるかもしれない。

 
他人の苦痛によって利益を得、生活している銀行家、そして描き出されたロスチャイルドの存在は、映画の中でErich Ponto扮するマイヤーは息子のジェームズに述べる
 

「多くのお金(財産)は、より多くの血によって成すことができる」

 
という一言に見事に表現されている。

ただ、この映画「ロスチャイルド」そのものは他の2本(『ユダヤ人ズース』、『永遠のユダヤ人』)に比べるとそれほど過激ではないし、ネイサンが伯爵上の家を訪ねた時には犬に追われたり、敵対するベアリング家と隣同士で夕食会を開催して張り合った時は、誰もネイサンの夕食会には来てくれず怒り出したりなど・・・およそ世界を支配する器とは言い難い場面もある。・・・どちらかというとヤッターマンの悪役のように少し好感が持てる。

            犬に追われるネイサン・ロスチャイルド
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           夕食を集団ですっぽかされて怒るネイサン
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この映画のストーリーは、19世紀頃から今日まで語られてきたロスチャイルドのワーテルロー伝説にほぼ忠実であるといえる。言い方をかえれば、反ロスチャイルド同盟などが語るロスチャイルド・ワーテルロー伝説の大部分は、ナチスのプロパガンタ映画が元にしながらイルミナティなどのスパイスをちょいと加えた話の流れを踏襲しているだけに過ぎない。

「金融のしくみは全部ロスチャイルドが作った」という安部氏の著書の最初には次のようなくだりがある。

ロスチャイルドという名をご存知ですか?
閨閥によって地球を網の目のように覆い
200年以上にわたり世界を動かし続ける影の支配者。
「そんな・・・小説じゃあるまいし」と思われますか?
いや「事実は小説よりも奇なり」です。

今ならこう答えられるかもしれません。
ロスチャイルドですか?知ってます。
反ユダヤ主義者によって書かれた小説も、ナチスがつくった映画も・・・。

まぁ、ロスチャイルド一族の歴史を「奇なり」というのに異論を挟むつもりはない。
 
 
そのあまりにも劇的な一族の物語は、
 
戦後・・・本当の劇になった・・・
 
 
ブロードウェイのミュージカルになったのだ。
 
 

ブロードウェイがつくったロスチャイルド伝説


このミュージカル「ロスチャイルド」はフレデリック・モートン(Frederic Mortonが書いた「The Rothschilds(ロスチャイルド王国)」が元になっている。ネイサン・ロスチャイルドの恋物語も描かれているこのミュージカルは、1970年10月19日にルント・フォンテーヌ劇場(Lunt-Fontanne Theatre)で上演開始され、合計505回ほど上演されたそうだ
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ネイサン役が歌う歌 『I'm in Love! I'm in Love!』 とか『This Amazing London Town』、ロスチャイルド兄弟で歌ったと思われる『Bonds』なんてどんな歌だったのだろうか。。。聞いてみたいと思って動画を探したのだが、見つからなかった・・・。残念。
 
               販売されているCDのジャケット。
 
イメージ 4
 
 
 
え? 世界征服への陰謀をカムフラージュするためにつくった劇だって?CDジャケットのソニーのロゴは?ひょっとしてソニーもロスチャイルドの支配下に(笑

・・・ マァ・・・イイカ

何だか面倒臭くなってきたので詳細は英語ですがウィキペディアをご参照ください。。。

ちなみに

トニー賞の9部門にノミネートされ・・・イメージ 2
 
 
2つを受賞している。。。

 
ヤッタネ。オメデト。
 
 
さらにこのミュージカル・ロスチャイルドは1990年2月10日、オフ・ブロードウェイとしてリバイバル講演されている。全世界制覇をたくらむロスチャイルドが選んだ劇場はアメリカン・ユダヤ劇場という、いかにもユダヤ社会のための小さな劇場で、合計435回上映されたようだ。

 
まぁ、ブロードウェイで最長のロングランを記録(公演数が8771回)の「オペラ座の怪人」には遠く及ばないが、歴代18位のマイフェアレディー2717回、日本でも有名な歴代22位の「アニー」が2377回だから・・・

 
 
それなりに健闘した作品だった・・・と言って良いだろう。

ふむ。


ロスチャイルドにまつわる陰謀論をはじめて聞いた時は、そのあまりにも劇場映画っぽいストーリー展開に驚いた人も多いと思うが、今思うとそれは当然のことで、映画はおろか、ブロードウェイのミュージカルにもなったのだ。
 
 

 

まだ信じますか?
 

ロスチャイルドの世界支配という陳腐な陰謀論を?
 

自分たちは

 
ナチスのプロパガンタを
 
 
そのまま鵜呑みにした一部の大衆と同様であると思いませんか?
 
 
ホロコーストを実行した人々と同様だと思いませんか?
 
 
 
それでいいんですか?
 

 
もちろん、ユダヤ人が後押しするハリウッド・バージョンやブロードェイ・バージョンのストーリーをそのまま信じるわけでもないのだが・・・
 
大事なのはバランスをとって物事を見るだ。

最近ではロスチャイルド伝説に関する研究もある程度進んでいる。当時の書簡や売買に関する報道、また売買の対象となったコンソル債権の値動きなど調べれば分かることが結構ある。兄弟通しの手紙の中にはネイサンの威張った態度や、それにウンザリしている兄弟などの様子が見てとれて面白い。

書籍として読みたい方はニーアル・ファーガソン著の「マネーの進化史」がお勧めです。
(まだ半分読んだところですが、ローの話なども詳しく、今後の参考や引用でお世話になると思う)
イメージ 1


さて、・

話はかわるのだが、

国際ユダヤ人金融というところで、銀行の歴史を紐解くと、紀元前6世紀ごろメソポタミア文明で活躍したある一族にいきあたる。

で書いたバビロン捕囚後の『ユダヤ系の銀行家一族』に関する報告に関する話だ

ラピスラズリの道にもどる前にちょっとこちらを見てみよう。

 
1934年にハリウッドで作成された映画「ロスチャイルド家」は、ユダヤ人銀行家ロスチャイルド一族がイギリス経済の救済者として活躍した姿を描いていた。もちろん当時ハリウッドにある映画製作会社の創設者がほとんどはユダヤ系移民であり、世間で流布している陰謀論を尻目にロスチャイルドをヒーローとして描く映画ができたのは不思議なことではない。
 
ハリウッドが作ったロスチャイルド http://blogs.yahoo.co.jp/alternative_politik/26983975.html

1940年に上映された映画『Die Rothschilds(ロスチャイルド)』は事情が違っていた。映画のアイデアはオーストリアの作家Mirko Jelusichがもたらしたと言われているが、脚本はそれまであたりさわりのないコメディー映画しかつくってこなかったゲアハルト・ブッフホルツ(Gerhard T. Buchholz)とC.M.ケーン(C. M. Köhn)だ。

イメージ 1映画の制作会社は紆余曲折を経ながらも今日存在しているユニヴァーズム・フィルム株式会社、通称ウーファー(UFA)とベルリン制作会社C.M.ケーン(Berlin – Herstellungsgruppe C. M. Köhn)だ。この脚本家の一人であるケーンが所有していたとみられる会社に関しては分からないが、ウーファーはゲッペルス率いる民間企業を装ったホールディング会社カウツィオ信託会社(Cautio Treuhand)に株式を売却、実質は国営企業となっていた。

 
監督はエリヒ・ヴァシュネック(Erich Waschneck)が抜擢された。彼はもともとカメラマンとしてキャリアをスタートしていて、1932年にファナール・フィルム(Fanal-Film GmbH)という映画会社を設立する。しかしながら、ヒトラー率いる国家社会主義ドイツ労働者党が権力の座につくと、ドイツ人の映画監督団体である国家社会主義ファクトリーセル協会(National Socialist Factory Cell Organization)の加盟する。
 
まぁ、いずれにしても・・・それほどパッとした映画監督ではなく、実際に彼が監督した『Die Rothschilds(ロスチャイルド)』を見ても彼の力量が分かる。

さて、どんな映画だったのだろうか・・・。上映時間は99分だ。
 
イメージ 5

 

『Die Rothschilds(ロスチャイルド)』

ヴィルヘルム9世ヘッセン=カッセル侯はライン同盟に参加していなかったので、ナポレオンの侵攻を前にして24時間以内にヘッセンから逃亡しなければならなかった。1806年に彼はフランクフルトのユダヤ人エージェントであるマイヤー・アムシェル・ロスチャイルド(初代ロスチャイルド)を訪れ、彼の資産の一部である債権60万ポンドを預ける・・・。

この映画は歴史の事実に基づいて制作されており、国際ユダヤ人であるロスチャイルドが、ヘッセン候の資産を利用してどのように権力を築いていったかを描いている。
 
こうしたテロップが流れた後、

物語はヘッセン候がマイヤー・ロスチャイルドを訪れるところから始まる。
 

史実ではヴィルヘルムとロスチャイルドの付き合いは古く、1765年頃に古銭を売る機会を得てから以来だ。1769年マイヤーに「宮廷ユダヤ人」の称号を与えたのも彼だ。ヴィルヘルム一族は神聖ローマ帝国においては、最も資産のある伯爵家の一つであり、アメリカ独立戦争の中でイギリスにヘッセンの傭兵を貸し付ける兵士輸出業で儲けていた。

ヴィルヘルムが持ってきたのは名目価値60万ポンドに相当するイングランド銀行が発行した利回り5%の債券だ。ヴィルヘルムはこれをイングランドの安全なところに保管するようにマイヤーに依頼する。手数料としてマイヤーは2%要求するが、頑として譲らないヴィルヘルムと交渉の末、1、125%の手数料で合意する。

この話を洋服ダンスの中で聞いていたジェームズ・ロスチャイルドは自分にも何か仕事をくれとアムシェルに頼むが、アムシェルはロンドンにいるネイサンに債権を全額託すことにする。

「彼(ヴィルヘルム)は、有能な商売人だ。この債権一つ一つは、彼が貸し出した兵士が流す血からできている。」
 
「血は報われる。血はいつも報われるのだ。」
 
イメージ 2

 
「息子よ。覚えておくが良い。
 
多くの財産は多くの血によってはじめて成すことができるのだ。」


その後・・・舞台はネイサンにいるロンドンに移る。

アムシェルから「好きに使って良い」と渡された60万ポンドという額にネイサンは驚くが、その金を元に金を調達し、スペインでナポレオン戦争を戦うウィリングトン候をバックアップする。
 
当時はナポレオンの行った大陸封鎖の影響で大陸への金の輸送は困難を極めたが、この大仕事を任されたのが弱冠19歳のジェームズであったとされる。ジェームズは、ロスチャイルド家のDNAともいう大胆な行動で見事にやってのける。

このあたりの展開はエドワード・グリフィンが「マネーを生み出す怪物」で語るジェームズの活躍と同じなので、引用してみよう。実際はグリフィンもフレデリック・モートンの「ロスチャイルド王国」からの引用としている。

現金を運ぶルートは1つしかなかった。フランスと英国が放火を交えている戦線を通過するのだ。もちろんドイツ、北欧、英国からスペイン、南仏まで広がるロスチャイルドの封鎖破りの優秀なマシンがとっくに動き出していた。だが、このたびはナポレオンの首都で巧妙な新しい仕掛けが必要だった。ここでマイヤーは末息子のジェイコブ –以後、ジェームズと呼ばれるーが登場する。

ジェームズはわずか19歳だったが、欺瞞の手口については父に充分に鍛えられていた。パリに赴任した彼には2つの任務があった。1つは英国の黄金の動きについてフランス当局に誤った情報を、ただし、いかにも本当らしく聞こえるように若干の真実を交えて伝えることだった。彼は英国がフランスへの黄金流出を「押し止めようと」必死になっていることを示す偽造の書簡をフランス政府関係者に渡した。

この策略にまんまとはまったフランス当局は、英国の黄金を受け入れて、これをもとに堅実な銀行券に両替することを金融界に奨励した。

            マイヤーに任務を託されるジェームズ
 
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2つ目の任務が、ロンドンとピレネーを結ぶ金融の鎖に不可欠の輪としての機能だった。ジェームズはフランスに黄金を運ばせ、その黄金をスペインの銀行券に換えて、その銀行券を国外に持ち出してウェリントンに届ける手配をすることになった。このすべてに彼は、とりわけその年齢を考えれば見事としかいいようのない技を見せた。
 
さて物語は進み、ネイサンはナポレオン戦争の顛末をいち早く知らせることに賞金を懸けエージェントを雇う。
 
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情報こそ価値をもたらす。それをネイサンは熟知していた。
 
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そして、誰よりも先にワーテルローの戦いの結末を知ると、今度はニセ情報を流し、ロンドン株式市場をパニックに陥れる。ナポレオンが買ったと思いこんだベアリングなどの有力な投資家はコンソル債をひたすら投げ売り、破滅の道をたどっていく。
 
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そして、真実が明るみに出る頃には、ネイサンが二束三文の値で大量のコンソル債を買いあさった後であったのだ。
 

 
一年後ロスチャイルドはヘッセン選帝侯からのお金をつかって1100万ポンドを詐取することに成功していた。最後の場面では、彼はイギリスの財務長官ヘリスとともにヨーロッパを支配下にすることを話し合う。ヘリスはロスチャイルドにウェリントンの軍隊を金貨でささえるようにロスチャイルドに依頼した人物だ。

ネイサンはヘリスにヨーロッパの地図に展開しようとしているロスチャイルドの支店網構想を描こうとし、視点と支店を結ぼうとするのだが思いとどまり、
 
イメージ 10

 
「君にはこっちをみせよう」(ネイサン)

というとおもむろに白紙の上に支店を書きだす。

「ロンドン・・・、ウィーン・・・、ナポリ・・・」(ネイサン)

・・・と、まずは三角形を描く。さらに

「私の両親の家があるフランクフルト、イングランドはジブラルタルに(?パリのこと?)」(ネイサン)

そこまでいくとヘリスが

ん?ここは何かね?」(ヘリス)

ロスチャイルド兄弟は5人だが、ダビデの星を描く6つめの角をヘリスは指して聞く。
 

「エルサレムだ」(ネイサン)
 
イメージ 11

 

「そこにも支店を開設したいのですか?」(ヘリス)


「反対ですよ。 ヘリスさん・・・


我々がエルサレムの支店なのですよ。」(ネイサン)

 
映画はイギリスの地図の上で燃えるダビデの星を映し出し・・・

イメージ 3

ジ・エンドとなる。

字数制限を越えそうなのでとりあえず・・・
 

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今日は『Der ewige Jude(永遠のユダヤ人)』だ。
 
1940年秋に上映されたこの映画はナチスの反ユダヤ映画3本の中では一番有名かもしれない。ヒットラーやゲッペルスの影響がもっとも色濃く表れた作品で、後のヴァンゼー会議(1942年)に決議される「ユダヤ人問題の最終的解決」、つまりホロコーストに繋がっている。
 
映画「永遠のユダヤ人」の題名は、13世紀頃語られていた「彷徨えるユダヤ人(永遠のユダヤ人)」というキリスト教の民間伝承のおける伝説的キャラクターだ。彼はイエス・キリストが十字架を背負ってゴルゴダの丘へ登る際に、これを嘲笑したため、最終審判の日まで不死となり、永遠に彷徨うよう呪われた人物である。
 
イメージ 1 しかし、もともとユダヤ人であったわけではないのだが、1602年にドイツのライデン(Leiden)という町で「永遠のユダヤ人」という本が匿名で印刷される。ユダヤ人には“Ahasveros”という名が与えられ、このバリエーションがヨーロッパ各地に広まった。
 
 
この「永遠のユダヤ人」の主人公は反ユダヤ主義の象徴的な存在になってしまったわけだが、この「放浪する」とか、「彷徨える」といったイメージがユダヤ人と結び付いたのはいつぐらいの時だろうか?
 
 
ふむ。
 
 
 
多分それは バビロンの捕囚 かもしれない。
 
 
 
でも、歴史の授業で不思議に思ったことはないだろうか?
 
 
バビロンの捕囚って世界史にとってそんなに重要なの? とかって。
 
 

快適だったバビロンでの生活

 ウィキペディアによれば・・・
古代オリエント社会においては、反乱の防止や職人の確保、労働力の確保を目的として強制移住が行われることは頻繁に見られるものであり、ユダヤ人のバビロン捕囚も基本的にこれと変わるものではない。

紀元前592年に捕囚民に対して与えられた食料の供給リストがバビロンから出土しているが、このリストにはユダ王エホヤキンやユダヤ人ガディエル、セマフヤフ、シェレミヤフなどの名前とともツロ人、ビュブロスの大工、エラム人、メディア人、ペルシア人、エジプト人、ギリシア人などの名が上げられており、広範な地域から人間が集められた事がわかる。
 
バビロンの捕囚については旧約聖書の間違った解釈や宗教的な関心によって事実から乖離したイメージがまかり通っている。当時のユダヤ人の置かれた状況を表しているものとして引き合いにだされるのが詩篇137である。
 
バビロンの流れのほとりに座り
シオンを思って、わたしたちは泣いた。
竪琴は、ほとりの柳の木々に掛けた。
わたしたちを捕囚にした民が
歌をうたえと言うから
わたしたちを嘲る民が、楽しもうとして
「歌って聞かせよ、シオンの歌を」と言うから。
イメージ 3
どうして歌うことができようか
主のための歌を、異教の地で。

エルサレムよ
もしも、わたしがあなたを忘れるなら
わたしの右手はなえるがよい。
わたしの舌は上顎にはり付くがよい
もしも、あなたを思わぬときがあるなら
もしも、エルサレムを
わたしの最大の喜びとしないなら。
・・・
 
捕囚という言葉のイメージとは裏腹に、バビロンに連れてこられたユダヤ人には快適な生活環境が整備されていたと考えられている。彼らが囚人や奴隷として強制労働させられていたという考古学的な証拠は何もない。それどころか、彼らは商業や農業を営むなどの自由が保障されていたほか、家を建て自身の奴隷を所有することも許されていたようだ。
 
さらに、上記の詩篇にみられるように嘲笑されたりもしたかもしれないが、基本的にはユダヤの伝統と宗教をそのまま維持することも許され、バビロニアの人々との融合化は比較的スムーズに運んで行ったとされている。
 
 
それを裏付けるように、その後ネブカドネザル2世の宮廷や軍隊に関する行政文書(碑文)の中に、高官の位にユダヤ系の名前を見つけることが出来る。その良い例が旧約聖書ダニエル書に登場するダニエルだ。
 
以下はウィキペディアより転載
紀元前6世紀、エルサレムを陥落させたバビロンのネブカドネツァル王は、自分の占領行政の官吏を養成するため、ユダヤ人の「王族と貴族の中から、体に難点がなく、容姿が美しく、何事にも才能と知恵があり、知識と理解力にとみ、宮廷に使える能力のある」(ダニエル1:4)少年たちを選び出して連れてこさせ、カルデア語を学ばせた。

ベルテシャツァルと呼ばれることになったダニエルはその一人であった。ダニエルをリーダーとするシャドラク、メシャク、アベド・ネゴの四人組は、異邦人の地にあっても唯一の神への信仰を守りぬき、「異邦人の肉類と酒で自分を汚すまい」(ダニエル1:8)と誓っていた。ダニエルらはぬきんでて優秀であったため、王に仕えて重用された。

ダニエルはネブカドネツァル王の見た夢の謎を解き明かしたことでバビロン全州の長官に任命された
 
さらに、ドイツ語版ウィキペディアによるとユダヤ系の銀行家一族に関する報告も発見されている。一見疑わしい記述だと思ったのだが、調べてみるとそうでもない。これについてはまた別の機会にブログ記事のネタにするとしよう。
 
 

国民国家とユダヤ人問題

 さて、ヨーロッパ史において言葉として「ユダヤ人問題」が語られるようになったのは1750年頃のイギリス(jewish question)からであると言われている。フランス革命の後、ユダヤ人に平等や人権が認められる一方で、ユダヤ教そのものは認めないなどの矛盾する動きと問題の複雑性を露呈し「ユダヤ人問題(la question juive)」として語られるようになった。
 
イメージ 2ドイツにおいては、1843年にブルーノ・バウアーというヘーゲル左派の神学者によって書かれた論文『ユダヤ人問題(Die Judenfrage)』が最初であるとされている。彼はカール・マルクスにも多大な影響を与えた人物であり、その後星の数ほどの論文、パンフレット、新聞記事、書籍が「ユダヤ人問題」を取り上げられた。
 
「ユダヤ人問題」というのは、単なる差別的な姿勢から議論されたわけでなく、時として極端ではあるが解決策が模索された。反ユダヤ論者からはこの「問題」の「解決策」として、追放や他の地域への移住など過激な提案がなされた一方、穏健リベラル派からは「融合」や「教育(教化)」などが提案された。
 
そして1860年頃からこの「ユダヤ人問題」は急速に反セム主義(反ユダヤ主義)的な色彩を帯びてくる。国民国家という概念がヨーロッパで定着し始め、少数派の民族との対立が顕在化すると、その流れの中で、ユダヤ人は国民国家形成の上での障害として映ってくるようになる。
 
 
当時ドイツにおける反ユダヤ主義者の論調は、ユダヤ人問題は融合(統合/インテグレーション)によっては解決されない人種問題であると考え、メディア、教育、文化、経済活動からユダヤ色を取り除くのは適した方法ではなく、ユダヤ人はすべての重要な社会的地位を独占する存在となるだろうとうったえていた。
 
そうした流れもあり、反ユダヤ主義の代表格であるオイゲン・デューリング(Eugen Dühring)が論文「Die Judenfrage als Rassen-, Sitten- und Kulturfrage(人種、伝統-、文化問題としてのユダヤ人問題)」にて、「ユダヤ人問題の最終的解決策」を要求したのだ。
 イメージ 4
 
「ユダヤ人問題」
 
    ↓
 
「永遠のユダヤ人」
 
    ↓
 
「ユダヤ人問題の最終的解決策」
 
 
という流れは19世紀後半からドイツが抱えてていたユダヤ人の流れを汲んでいる。
 
 
さて、少し映画の話をしよう。
 

映画『永遠のユダヤ人』

60分程度のドキュメンタリー作品である「永遠のユダヤ人」は、基本的な4つの構成からなっている。
 
イメージ 5
1. ポーランドのユダヤ人ゲットーでの撮影
アーリア民族が健康的な生活を送るのに対して、金持ちのユダヤ人は生活に余裕がある場合でも、虫がはびこる汚らしい家で生活すると描写される。これを際立たせるために恣意的にポーランドのゲットーが選び出され、演出するにふさわしい特定の人物(貧しい衣服、部分的に歯が欠けている、汚らしい)を選びだして撮影していた。東ヨーロッパからのユダヤ人の移住は、ねずみの移住に対比して述べられている。
 
 
2. 国際舞台で活躍しているユダヤ系の要人・政治家を数え上げる
典型的な陰謀論的演出だ。反ロスチャイルド同盟があの企業もこの要人もロスチャイルド系・・・といっているのも同様の手口。これはショート映画の「Zeitgeist part1」で、キリスト教と似た宗教もしくは太陽信仰の宗教が挙げられるのと似ている。
 
このシーンで、物理学者のアルベルト・アインシュタインは“相対性ユダヤ(?)”と呼ばれ、「彼はドイツに対する憎しみを、取るに足らない疑似科学という衣に隠している」と述べている。
 
またユダヤ人として数えた中には、ほとんどが俳優なのだが、カート・ボイス(Curt Bois:俳優)、チャールズ・チャップリン(Charles Chaplin:俳優、そもそもユダヤ人ではない)、フリッツ・コルトナー(Fritz Kortner:俳優)、ペーター・ロレ(Peter Lorre:俳優)、エルンスト・ルビチッシュ(Ernst Lubitsch:俳優)、ロザ・ルクセンブルク(Rosa Luxemburg:俳優)などが「国際ユダヤ教」の代表として挙げられている。
 
更に、ここではユダヤ人は搾取によって財産を築いているかのように描き出し、インフレーションも失業率もユダヤ人が原因であるかのごとく扱っている。労働することによって価値を創造するアーリア人は彼らの犠牲者という具合だ。
 
「1000人のベルリンにいる労働者のうち、ユダヤ人は2人である。1933年初めにはベルリンには100人の検察官のうち15人がユダヤ人であった。100人の裁判官のうち23人がユダヤ人であり、100人の弁護士のうち49人がユダヤ人だった。100人の医者のうち52人がユダヤ人であり、社長(Geschaetsleute=ビジネスマンだがこの場合は社長という意味だろうな。)が60人。平均的なドイツ人の資産は一人当たり810マルクである。そして、平均的なユダヤ人の資産は10000マルクである。」
 
 
3. ユダヤ教の宗教的なセレモニーや屠殺(とさつ)現場などを紹介
 
牛の屠殺場面が詳細に至るまで映し出されている。子供や女性向けバージョンではこの部分はすべてカットされているが、ナチス政権下の下では屠殺する前に動物に麻酔をかけるよう要請するナチスに比べ、ユダヤ教に基づく屠殺方法を残虐・非人道的なものとしてしる。
 
4. ヒットラーの演説 SA隊の行進
ここでは第二次世界大戦が始まる前の1939年1月30日にヒトラーが政権獲得6周年記念の式場で行った演説が収録されている。
 
ヒトラーの演説(1939年1月30日)
今日、私は再度予言する。ヨーロッパ内外の国際的なユダヤ人への資本家が、国々を再度世界大戦に突入させることに成功すれば、結果は地球上のボルシェヴィキのものでなく、ユダヤ人の勝利となる。さもなくば、ユダヤ民族の絶滅をはかるしかない!
 
・・・
 
映画自体実際に見たことはないので、ドイツ語版、日本語版のウィキペディアをみながら書いたわけですが、
 
 
お世辞にもあまり面白そうではないですね。。。
 
 
実際、映画館で上映された時も、一般のドイツ人達もちょっと引いていたそうだ。
 
 
それにしても・・・
 
 
 
ヒトラーの反ユダヤ主義は陰謀論そのものだ。
 
 
 
彼の姿は陰謀論を盲目的に信じて突き進んだ人間の
 
末路として映ってしまうのだが気のせいだろうか?
 
 
 
さて、
 
ナチスのつくった映画「ロスチャイルド」はどうだったのだろうか?
 
 
前回はハリウッドがつくったロスチャイルドの映画紹介した。さすがにユダヤ人が大勢を占めるハリウッドでの映画だけあってかそこにはイギリス経済を救った英雄としてロスチャイルドが描かれている。その6年後には今度はナチス政権下のドイツにおいてロスチャイルドの映画が作成されることになる。

 
そこし、背景的な事情から探ってみよう。
 

プロパガンタ映画の時代

「映画」そのものが娯楽文化として大衆に広がり始めた時代、それを政治的な目的に利用しようと考えるのは当時至極当然の流れであったに違いない。すでにナチスが歴史の表舞台に登場する前、つまりハリウッドを代表する映画製作会社が誕生した時代に、すでにドイツ、オーストリア・ハンガリー帝国、フランス、そして映画の本場であるアメリカでも数え切れないほどのプロパガンタ映画が作成された。

オーストリア・ハンガリー帝国では軍隊の強さを強調する映画「Unsere Kriegsflotte (我々の戦艦)、1914年」と、翌年には戦費調達債券の購入を促す映画「Das Kriegspatenkind (戦争の名づけ子)、1915年」と兵士募集の為の「Mit Herz und Hand fürs Vaterland (祖国のために心と手(体)で)、1915年」が作成された。

フランスでは第一次世界大戦末期に反ゲルマン(ドイツ)のスタンスで「Vendémiaire」、また反戦を訴える「J'Accuse」が作成された。

アメリカでは1915年に米国の参戦を鼓舞する「The Battle Cry of Peace (1915)」をはじめとして、第一次世界大戦末期には反ドイツ映画である「Hearts of the World (1918年)」、「The Heart of Humanity (1918年)」、「The Kaiser, the Beast of Berlin (1918年)」、「The Unbeliever (1918年)」などが作成されている。また、クー・クラックス・クラウンを英雄化し人種差別を正当化する「國民の創生」という映画も1915年に作成されている。

また、ナチス以前のドイツでは、反戦映画の「Westfront 1918(西部戦線1918)」と「Niemandsland(人跡未踏の地)」が1930年に作られている。

ナチスが作成したプロパガンタ映画というのは、ドイツ国民が鑑賞を義務付けられていた訳でもなく、すべてのドイツ人が見たと言う訳ではなく、国内で上映されたものの中には不評を買った作品もある。
 
ナチス・プロパガンタ映画のおよそは、映画館で行われる「今週の新作」のような形で週一度流される新作紹介の時間帯に短く上映されたり、ヒットラー・ユーゲントの教育として教材やドキュメンタリーの形式を取った。

ナチスのプロパガンタ映画は、反共産主義、反イギリス、戦争を肯定する映画や愛国心を鼓舞する映画などもあるが、反セム系のプロパガンタ映画は合計11の作品が数えられ(独語ウィキペディアで数える限り)、その中で有名なのは3本の反ユダヤ映画で、戦後この3つの映画の上映禁止になっている(厳密には注意書き入りで現在上映可能)。


その三つとは、
Jud Süß(ユダヤ人ズース)』Der ewige Jude(永遠のユダヤ人)』、そしてDie Rothschilds(ロスチャイルド)』
 

どんな映画だったのだろうか?
 

『Jud Süß(ユダヤ人ズース)』 マイヤー・ロスチャイルドの先輩 ジョセフ・ズース・オッペンハイマー

最初題名を見た時はSüß=甘い?と思ってしまったが、これは17世紀前半に宮廷ユダヤ人として活躍し、最後は冤罪によって死刑(1738年)となるジョセフ・ズース・オッペンハイマーがモデルである。イメージ 3
 
ジョセフ・ズース・オッペンハイマーは、1698年ドイツ・ハイデルベルクのユダヤ商人の家庭に生まれた。幼いころからアムステルダム、ウィーン、プラハなどを旅した彼は、故郷に戻ると、借金回収の仕事を主に引き受け、徐々に高利貸しとして社会的地位を確立していく。

銀行業というのは当時からすでにあったのだが、彼がターゲットとしていたのは、銀行の査定で問題のあった公爵や伯爵に対して高利でお金を貸し付けるというものであった。
 
バブル崩壊後の日本でグレーゾーン金利を利用した消費者金融が大躍進を果たしたが、当時のユダヤ人高利貸しの役割はまさに貴族向けの消費者金融であったといって良いだろう。
 
 
さて、32年彼は当時のヴュルテンベルク公国エーバーハルト・ルートヴィヒの紹介で、慢性的な借金に悩む神聖ローマ帝国軍の将軍カール・アレクサンダー(エーバーハルト・ルートヴィヒの後継者)と知り合いとなり、財務関係のコンサルタントとなった。その後彼は公爵の財政や政治に関する発言力を強め、1736年には枢密院の財務管理人となり、俗に言う「宮廷ユダヤ人」となった。

マイヤー・ロスチャイルドが「宮廷ユダヤ人」としての称号を嘆願したのは、おそらくこの偉大なる先輩オッペン・ハイマーを意識したのかもしれない。
 
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オッペンハイマーはアレクサンダー公に対して彼の絶対王政的な体制確立への要求と金銭需要を満たすために、重商主義的な経済システムへの改革を提言する。
 
                                                  アレクサンダー公
イメージ 1タバコ、繊維、陶器工場を立ち上げるとヴュルテンベルク地域では初めての銀行を設立すると自らがトップになる。また、塩、皮、ワインなどをヴュルテンベルク内の領土で商業取引をできる権利を高額な値段でユダヤ人に売却した。また、彼は宝石、貴金属などを取引し、公的な硬貨を借りるとそれを元に公益ギャンブル業などを催した。

まさにユダヤ人の錬金術をそのまま具現化したような政策で、ヴュルテンベルクの財政は立ち直っていく。

しかし、「出る杭は打たれる」というのはどこの社会も一緒で、破竹の勢いで出世していったオッペンハイムは、プロテスタント系の諸侯や市民たちから反発を買った。これにはアレクサンダー公自身がプロテスタントからカトリックに改宗していた過去も複雑に絡み合っていたと考えられる

政治的にも経済的にも重要な政策がユダヤ人であるオッペンハイマー主導で断行され、アレクサンダー公の独裁色がますます強くなっていく中で、地域の貴族や有力者たちとの間の緊張は高められていった。

オッペンハイマーに対する嫉みと怒りがどのようなものであったのかは、1737年3月23日にアレクサンダー公が脳梗塞で亡くなった同じ日に彼が逮捕されたのをみれば容易に想像できる。彼の住居を含むありとあらゆる財産は没収され、オークション売却され、利益は国庫に入った
 
                                      オッペンハイマーの処刑
イメージ 2罪状は国家転覆(反逆)罪、大侮辱罪、国庫横領、汚職、プロテスタント教への冒涜、キリスト教信者へ猥褻行為(14歳の娘に対する強姦罪)などなどだ。

証拠が提出されることもなく、また判決の際に正式に罪状が読み上げられることもなく

オッペンハイマーはシュットゥットガルトで死刑となった。
 

 
 
現在オッペンハイマーは明らかに冤罪で死刑となったわけだが、ナチスの映画『Jud Süß(ユダヤ人ズース)』では、この彼が逮捕された理由をに忠実に物語が展開している。
 
 

陰謀論に忠実なナチスの映画

この映画においてオッペンハイマーは見るからに悪魔のイメージで描かれていて、アレクサンダー公を操り、議会などを無視して税を徴収し私腹を肥やしてく。興味深いのは、この映画の撮影舞台となったのフランクフルトのユダヤ人ゲットーでロスチャイルドを輩出したゲットーであるということだ
 
 
イメージ 4この映画で強調されているのはオッペンハイマーがアーリア系を象徴する金髪の少女ドロテーアを手篭めにしようとしているところだ。
 
彼女の夫はアレクサンダー公と対立する立場という設定で、オッペンハイマーによって絶えず嫌がらせを受けている。オッペンヒアマーはなかなか屈しないドロテーアに業を煮やして、ついに実力行使に出る結局、彼女は失意のものとに自殺してしまう。

彼女の夫が亡骸を河から引き挙げる。人々がついに蜂起する。

その後都合よくアレクサンダー公が急死し、オッペンハイマーはキリスト教徒に対する強姦罪で逮捕される。
 
 
            ズース・オッペンハイマーとドロテーア
イメージ 5

イメージ 6イメージ 7
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
最後の場面では命乞いをするオッペンハイマーが死刑になるわけだ・・・。
 

 
ここには後日談がある。

ジョセフ・ゲッペルスがオッペンハイマーのより醜い死に様を演出するべく手を加えた。

オリジナル・バージョンでは、刑が執行されるときにオッペンハイマーは運命にストイックで、荒々しく呪いの言葉を市民に吐く場面がある。しかしながら、この演出にはジョセフ・ゲッペルスが反対し、ヒーロー的な要素を一切含まなくより醜い死に様を演出するよう手を加え、そこの部分が吹き替えとなった。

実際に何を言ったのかは映画の場面での彼の唇の動きを読み取るしかないのである。

さて・・・今年・・・
 
 
イメージ 82010年の第60回ベルリン国際映画祭で何とJud Süß - Film ohne Gewissenという名の映画が上映された
 
鳴り物入り・・・という訳ではないが、今日に至るまで映画の上映が“禁止”されているドイツでは特に注目された映画だったらしい。実際に今年の9月からドイツでも上映されている。

題名の後半につけられた“Film ohne Gewissen”というのは「良心なき映画」というところだろう。

この映画は1940年に作られたこの映画の舞台裏を描いたもので、主演俳優に抜擢されたフェルディナンド・マリアンの苦悩を描くストーリーだ。
 
 
映画の素材としては間違いなく興味深いものであったのが、ベルリン映画祭では最低の評価を受けたそうだ。
 
 

 
ふむ。
 

 

詳細についてここでは触れないが・・・

そのうち日本でも上映されるかも・・・・

ないか・・・。

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