団塊の詩人

定年後の自分探しには、今を乗り越えていく詩人の精神が宿らなくてはならない。

辻井喬

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 12.8の憲法行脚の会の辻井喬さんの講演の後の、辻井、土井、佐高、3氏の
シンポジュームにおいて、辻井さんは東大時代に共産党へ引っ張ったのは、
読売新聞のなべつねと日本TVの氏家で、その指導の下で、ビラ運びをしていると、
ある日、氏家が来て「いつまで馬鹿なことをやっているのか」と揶揄され、
そのとき、氏家はなべつねとともに、すでに共産党を脱党していた。

 また、東大時代の無碍にされた氏家に対しても、務台読売新聞社主にパージされた
氏家を一時、面倒をみたことなど、心優しい、不器用な堤清二=辻井喬の一面が紹介された。

 城山三郎のお別れの会の弔辞を、辻井、佐高、渡辺淳一が行い、中曽根、小泉が
参加している前で、辻井さんはは「今、日本国は戦争のできる国になろうとしている」
と明確に国の方向を非難したことを佐高さんがリーク。

  昨日のブログで漏れていたので、追加しました。

 辻井喬さんの講演をメインにした憲法行脚の会は、JR水道橋駅から5分、明治大学のやや裏手に
位置する在日本韓国YMCAスペースワイホールを会場として、作日8日、14時から開催されました。

 辻井喬さんは、ライトブルーの上質なジャケットと淡いブラウンのスラックス。ジャケットはサイド
ベンツ、スラックスは太めで、ラインがはっきりとみえるもの。インナーには淡いブルーのシャツと
ゴールドぽい色のネクタイに、黒い縁どりのある淡いグレーのベストのコーデネイト。靴は紐なしの
ブラン系。全体に淡い色で統一しつつも、ネクタイだけがはっきりとした色目になっていました。

 80歳を越える、老の人のスタイルとしては、極めて上品な装いでした。前に一度辻井さんの話を
聞いた伊藤塾を会場とした際とは雰囲気もだいぶ違った印象を受けました。

 芸術院の会員になられたということもあってか、風格の漂う講演となり、落ち着いた、語らいの中に
も精気溢れるものでした。

 冒頭、「改憲で、戦争のできる国にしようとした」安倍政権が、参議院選挙の大敗を引き金に福田
政権に交代したため、一部には、改憲の動きが後退したとの見方が出てきているけれども、アメリカが
「戦争のできる国」への働きかけが終わらない以上、そうしたことはありえないと力強く断言されま
した。

 次に、60年安保のときに、岸信介から所得倍増政策の池田勇人内閣へと交代し、以後、福祉重視の
政策が採られ、国民の支持を得たとされているが、福田政権は同じようなことには絶対にならないと
強調されました。
 
 また、60年安保のときのようにデモの参加者が増えないなど、大衆運動がなかなか見えずらいのは、労働組合、政党、企業といった中間的な組織が国民から信頼を失ってしまったことと、インターネットの普及により、別の表現手段を得たことによるものであるとの見識が示されました。

 加えて、日本の経済は、国際的に平和が維持されていてこそ成長を続けていけるのであり、どこの国
とも仲良くしていかなければ国としても立ち行かなくなることはもとより、食料の自給率が4割にしか
過ぎない現在、戦争が起きて輸入ができなくなる事態になると国民の6割は飢えてしまうことになるなど、戦争による経済的な負の側面からの指摘がなされました。

 今の、指導者層がだめな事例として、常任理事国入りに向けた主張についても、平和憲法で武力を
使わない唯一の国として世界に貢献することを訴えるべきなのに、ODA等の貢献など、金を出してき
た実績ばかりを強調し、その結果、国連事務総長からも諸外国から「常任理事国が金で買えるもの」と
の見方がされてしまうとの指摘を受けるなど、強い非難が集まっているとの紹介がありました。

 最後に、護憲派が強くなるには、過度な優しさは、私的なことに留めておいて、公的な事柄には
介在させないこと。敵を味方に引き寄せる能力をもつことの必要性が提起され、理論に偏重すること
なく、感性でおかしいと思うことはおかしいと断じる感性が大切であることが締めの発言としてなさ
れました。

 土井たか子さん、佐高信さんとの掛け合いについては、ここでは省略するとして、守屋元次官の
不祥事に触れて、辻井さんから、奥さんを逮捕したのは余計なことをしゃべらせないための処置で
あるという見方がされていることと佐高さんからは、額賀喚問の取り止めは、民主党の中にも防衛省
スキャンダルに関わっているものがいるからとのリークがありました。

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 12月8日の憲法行脚の会では、日米開戦の日にちなんで辻井喬さんの皇国少年時代と
土井たか子さんの皇国少女時代とを、現代と重ね合わせて語り合うとのことである。

 財界は戦争に学んでいないのか。

 団塊世代の末っ子としては、やや時代錯誤にも聞こえるテーマだが、きっと今もって
こだわる人がいることをしっかりと受け止めておきたい。

 猿田事務局長も、こうした感性で任にあたっているのであろうか。このテーマを掲げて
集まってくる人は極めて限定されてしまうのではないだろうか。まさか、財界の人々に
参加してもらおうとでも思っているわけでもあるまいに。

 1回目の野中正務さんの場合は参加できなかったが、2回目の亀井静香さん、3回目の
加藤紘一さんの話は聞くことができた。社会党から見る一番近い自民党議員の人びとなの
であろうかと、民主党を迂回して手を結べる人びとでもあるのかも知れない。

  反グローバリズム、反新自由主義で手が結べるということであり、この隊列には、
元財界人の辻井喬さんも当然に加わられるということでもあるのだろう。

 ここで名の出た人と、参議院選挙で民主等に票を入れた人びとは繋がれるのだろうか。

明日は、辻井喬さんの語りを聞きに行くのだ。

 詩人辻井喬の「新祖国論」を目にしたのは、日経新聞の広告欄であった。
 
 事業家堤清二については、70年代の西武百貨店の隆盛を演出し、百貨店をコア事業にしつつも無印、ロフト、セゾンカード、飲食、不動産、ホテル等々、多角化を強力に推進、弟堤義昭の事業分野にも参入するなど貪欲な企業意欲がみてとれ、内においては堤義昭、外においてはダイエー中内功を対抗軸に時代の先端を滑走していたことは、同業の末端に位置するものとして十分過ぎるほど意識していた。

 また、大学時代に同人誌にも加わった経験がある私は、堤清二の作家としての顔についても興味を抱いていたのも事実である。

 つまり、堤清二と立場は余りに違いすぎるが、同業であったということ。また、大学時代に同人誌で詩を書いた経験があるということ。加えて、2年少し前に、渋谷の伊藤塾で、改憲の動きを阻止する趣旨の講演会が行われた際に、辻井喬の講演を一人の聴衆として立ち会ったこと。

 辻井喬の存在も視野の中から消え去っていた今年の10月頃、日経新聞の広告を目にし、私はそのキャッチコピーに引っかかりを覚え、近くにある緑図書館に予約注文をしたのである。
 

 実業家堤清二のしがらみを捨て、本音で語る!

 何でもマーケティングの素材として認識し、それ以外の思考を排除。人間社会を蝕むこの風潮に危機感を覚える作家が、我が国再建の手がかりを探る。


 実業家堤清二の捨てたしがらみとは?

 マーケティング発想主義が人間社会を蝕むこの風潮とは?

 本のタイトルを、何故「新・祖国論」としたのか、反グロバリズムの別称なのか?


 他にもコピーがある。

 ・自由競争至上主義が世界の矛盾を深めている

 ・頻発する社会の不祥事はマーケティング病の結果

 ・想像力が希薄化し、格差が拡がることの恐ろしさ

 ・民主主義によって制度として獲得した自由を正しく行使することとは 他



 この本は、信濃毎日に連載したものをまとめたものと記されていたと記憶するが、書かれた時期は、小泉政権時代後半、特に末期から、安倍政権が樹立され、新「教育基本法」の成立から国民投票法案等、一連の改憲への動きの高まりと下流社会の出現、格差の拡大が声高に叫ばれた7月の参議院選挙あたりまでではないかと思われる。(本は図書館に返却済みのため、手元にない。)


                                      続く



 

 

 日経新聞の広告欄に、「実業家 堤清二」のしがらみを捨て、本音で語る「何でもマーケティングの素材として認識し、それ以外の思考を排除。人間社会を蝕むこの風潮に危機感を覚える作家が、我が国再建の手がかりををさぐる。」とのキャッチコピーを目にしたとき、マーケティングの権化のような企業の盟主であった人から発したものであることに、ある種の奇異さを感じた。

 マーケティングオリエンテッドを強調して止まなかった堤清二、その手法で、時代の寵児であった堤清二。「おいしい生活」へライフスタイルの変化を促したマーケティング手法は、消費文化に多くの影響を与え、それに踊った多くの「生活者」達。

 同じ業界に身をおいたものとして、一時期の堤はカリスマだった。彼の役員会での発言語録のコピーが出回り、それを丹念に読み込んだものだ。

 MDは私が勤める社内の常用語だったが、マーケティング発想の薄い「老舗」に胡坐を掻いていた時代であったので、堤に習いマーケティング発想を声高に訴えたこともあった。そんな経験からみると、この堤の化身「辻井喬」の言葉といえ違和感を禁じえなかった。

 有楽町の店が開店して真近い頃、お供を連れて、売場の前で叱咤激励をしている堤を一度見たことがあったが、その頃は、カリスマ堤で輝いて見えたのは事実である。

 その後、バブルの崩壊と軌を逸にして、業界を去って行かれた訳だが、私自身としては、3年位前に伊藤真の塾を会場とした護憲の集会で、辻井喬としての講演を聞く機会を得た。そのときも、風采の上がらないジャケットを着、元百貨店マンとは思えぬ出で立ちとシニカルな言い回しに同調できないものを感じた。カリスマ墜つといったところであった。また、経団連で偉くなれなかったのは要領のなさと自己規定したときに重ねて唖然としたことをいまでも覚えている。

 新祖国論の内容については、次の機会に譲るとして、定年後も詩人でいることの意味を考えていくにあたっては、辻井喬さんの生き様とその存在に注視を続けていきたいと思う。また、何とか言っても辻井喬さんのファンであることをやめる気持ちのないこともはっきりさせておかなければならない。

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