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佐高信は、対談集「丁々発止」の巻頭に生涯の敵とみなした小沢一郎を据えた。
佐高は、対談を終えて、違いは違いとして話のできる人だと認めた。
話のできない小泉と対比してのことだと、佐高流のひねりは忘れていないが・・・・・
大連合騒動のときに、民主党を支持する陣営からも囂々たる批難が起きたが、
2007まぐまぐ大賞政治部門第1位に輝いた小野寺光一は、小泉・竹中を舌鋒鋭く批判し、
背後で操作しているといわれる米国の策動を阻止する主張を強める中で、
「小泉・竹中・米国」に対抗できるのは小沢一郎だと、小沢を失えば日本の将来は絶望的になる
とまで言い切った。
さらに、小沢と握手をした経験から、その手の温もりに小沢の人間性がよく理解できると
狂信的と思われる小沢擁護発言もしている。
http://blog.mag2.com/m/log/0000154606/
小沢の政策への共鳴に情緒的なシンパシーが加わるのは、本文における平野も
よく似ているなと感じた。
小沢の評価で、今までこうしたトーンのものはあまりお目にかかったことがなかったので
小沢においては、小泉に対する飯島秘書官的な企てを平野を除いたら、誰が仕掛けている
のだろうかと訝ってもみた。
平野は、平成18年9月発行の単行本「まえがき」でも明らかにしているように、
小沢一郎の豪腕の風評は政治的謀略や側近の舌足らずな発言、マスコミの取材不足によって
捻じ曲げられてきたと指摘する。
また、小沢本人も言い訳することなく、全て飲み込んで、瑣末なことにエネルギーを
使うことをよしとしない哲学の持ち主が故、東北人の気質も手伝って、自らの口では
説明をしないということが誤解の上塗りになったと言う。
加えて、小沢の厳しい政治姿勢についていけなかった多くの政治家が豪腕の犠牲者を
装ってもいるのも確かだと断定している。
平野は、30年以上衆議院事務局に奉職した後、参議院議員となり、
小沢一郎とは、細川「非自民連立政権」をつくり、新進党、自由党、民主党で行動をともにし、
平成16年に引退。この間、自他共に認める、小沢一郎の「側近」「参謀」であったと明かす。
本文にもあるように、平野は、貧しくて苦学の末に弁護士になった父・佐重喜の影響を始め、
議運委員長・政治倫理協議会座長の経験や、角栄が被告となったロキード事件の
191回に亘る公判に1回の欠席もなく傍聴するエピソードなどを折込みながら、憲法の原理に
もっとも忠実な政治家として小沢一郎を描く。
平野は、小沢一郎は純粋一途で、筋を通す誠実な政治家であり、誤解を説明することが
不得意なこともあって、悪役にされてしまう。小沢の政治活動は悪役にされる連続であったとも言う。
平野は、世間からは小沢一郎という政治家を、政治を腐敗させた輩から育てられた人物だと見られ
続けてきた一方で、小沢が腐敗した自民党を壊そうと行動に移したときには、自民党の側は、既得権益で生きるマスコミ業界を総動員して小沢叩きを始めた。特に竹下など自民党守旧派はメディアを利用しての「小沢包囲網」や人格攻撃を行い、政界追放の謀略までもが企てられたと、平野は小沢に対する、その激しい攻撃を声高に伝える。
この結果、豪腕、わがまま、生意気、無愛想、壊し屋、自分勝手と言った虚像がつくりあげられた
と断定する。
平野は、日本国が小泉政権から安倍政権へ移行して行く中で小泉政権の5年間を総括する。
小泉首相は「構造改革」を叫んで国民を騙し抜いた上に、崩壊寸前の「米国投機資本主義」を
日本に強制導入してしまった。これまでの談合資本主義も困ったものだが、
小泉自公政権はさらにやってはならないものをやってしまったのだと批判する。
その結果、日本は後戻りのできないところに辿り着いてしまったのだと平野は嘆く。
平野は米国式投機資本主義よって起こった日本文化の崩壊や日本人のモラルハザードはもとより、
イラク戦争、石油バブル、レバノン紛争、北朝鮮によるミサイル発射などの異常な出来事は
世界恐慌への道筋と思えてならないとまで言う。
米国も日本も中国も制御不能となった投機資本主義の崩壊が目前となっている。
こうした現状を打開するためには、一日も早く健全な市場経済社会を創るための理念と政策を再構築し、日本の危機、世界の混乱にどのように対応するのかが緊急の課題であると平野は凄む。
平野が、何を理念に、どのような政策が必要なのかを問うとき、
「弱肉強食的競争社会」化へひた走る小泉・安倍型政治に対置するのは、既得権を廃し、生きとし
生けるものが平等にチャンスをもらい、協力して未来を創造する「共生」の思想に基づく社会に
しなければならないという持論が隠されているのだ。。
そうして、誰よりも早く、現代を「資本主義の崩壊の時代」と認識して「日本一新」を叫び
実践してきた政治家こそ小沢一郎であり、
平成18年4月7日、小沢一郎の民主党代表選挙における政権演説を引用する。
「小泉政治は自由と身勝手を混同した結果、弱肉強食の格差社会という妖怪を生み出してしまいました。
本当の自由とは誰もが共に生きていける『共生』の理念が前提であり、それを保証する規律と責任を
伴うものであります。その『共生』のルールが公正というものであります。」
平野の著書の落しどころとしている「共生の理念の体現者・小沢一郎」を持ち出されても、たとえ新進党、自由党時代はそうであっただろうと認めてたとしても、現行の民主党がそのようであると言うには
違和感を抱かざるを得ない。ピンとこないのだ。ましてや、小沢の口から聞くとき、どんな化けの皮を
かぶって共生の理念を主張しているのかと思えてならないのだ。
「小泉・竹中・安倍」と同じ狢ではないかと思える民主党の議員はTVに連日出ているではないか。
共生の理念だけ聞けば、社民党にその色合いは強く感じられる。
とどのつまり、小沢一郎の全ては奪権のための手段でしかないのではないか。
それは小沢に近づく人々、取巻きといわれる人々は、所詮「在野にいる自民党」としか呼べない人々
の集まりに過ぎないのではないのか。小沢に続く次世代を担うと思える政治家もみあたらない。
政治家本人とは直接、出会ったこともないので、メディアを通じての情報からの判断ではあるが・・・
政治改革と称して進める二大政党論自体のまやかし、国民的大衆運動の一つも提起できない、
政党としての運動組織論の欠如・・・・
平野が共生の理念や政策に当たって、そう考えているのは間違いないとは思う。
ただし、小沢がその通り考えているかというと、それは全く見えないし、ましてや、他の民主党の
議員については疑わしい人が多勢ではないのだろうか。
平野は、弱肉強食競争社会に対置する、こうした共生の理念と政策を打ち出しながら、どうして
議員を挫折したのか。一番肝心なときに逃亡したのか。
平野にとって、政界で一番肌合いが合ったのが、小沢一郎だったのではないか。小沢にとっても
平野は鋭利なよき理解者と映っていたのではないか。されど、一番肝心なときに徒党を組んで
いないのは、何故だ。両者の政治的な志がどこにあるのか見えなくなってしまう。
民主党において、小沢一郎は真に受け入れられていないのではないか。
政治的な利用主義が自民党と同じように起きているのだろう。
平野の言い分も、小沢一郎の見え方も、なんだか自由党籍のままにみえる。
小泉純一郎を利用しようとしていた自民党となんら変わらないのではないかとも思えてしまう。
ところで、平野が去り、その役割を果たしているのは誰なのか?
また、小沢は、次代の後継者を育てているのであろうか。小沢の思想に共鳴し、共生の理念を
具体的に実践していこうとしている人は誰なのか、権力になびく人は見えるが、共生の理念に立って
政策を伝える人が、民主党の前面からはみえないのだ。旧自由党の中にもいたのか、知りたいものだ。
平野よ、実像を明かす小沢一郎が「不都合な真実」にならないことを祈るばかりだ。
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