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「それでもボクはやってない」 −荒野の決闘−


裁判小説、あるいは裁判映画なるものがあるとするならば、周防監督は大岡昇平の「事件」という文学史上の「事件」といってよい作品を素通りしたはずがない。
こいつに肉薄しなければならないと彼は考えただろうう。

もちろん「12人の怒れる男」や「情婦」、「評決」といった二流映画に影響されるはずがない天才周防正行は考える。
これは「顔の映画」になるだろうと。

さて、彼の旧作を見れば一目瞭然、彼は「顔」のクローズアップやバストショットを好む監督ではない。

「Shall we ダンス?」、「シコ踏んじゃった」、「ファンシイダンス」等、彼の残した傑作群における、社交ダンス、相撲、禅の修養など、「人物の全身の姿」と「その運動」をキャメラに納めることをこの上なく愛する周防監督は、「全身の姿をキャメラに納めるための距離」を奪い、「運動」をも禁じる「狭い法廷」という空間を、映画空間に変容させなければならない。

周防正行は受けて立つ。

閉鎖空間のみの映画を撮ることを決断するのだ。

もちろん痴漢現場である満員電車の中に「空間」が一切存在せぬことは明らかであるし、弁護士事務所は書類とファイルによって埋められて空間を失い、留置場も護送車も、検察庁の待合室も面会所もことのほか狭く、映画から空間という空間を奪いつくすのだ。

外にキャメラを向けてみても、奥行きのある空間がスクリーンを支配することはない。川べりでの二人の弁護士の会話も、よく見れば高速道路の下という空の見えない閉鎖空間でおこなわれ、やっと拘留の解けた被告人がその仲間と集う居酒屋も、これ見よがしに込み合って狭い。
事件の現場のホームは人の群れと電車の車両ばかりが背景を占め、やっとキャメラが戸外を捕らえると、そこには雨が落ちていて映画から背景を奪ってしまう。

開放空間をこよなく愛した周防正行の今回の映画の設定には、広いボールルームも、グラウンドに並立する土俵も、掃き清められた広い境内も存在しない。

真の閉鎖空間であれば、間違いなく「接写」のみしか許されない空間において、二流の監督はセットの外側にキャメラを置くだろう。
周防正行はそれをしない。故に、スクリーンは人と人の顔で埋め尽くされる。

映画を美しいものとする要素を自ら徹底的に排斥し、背景を封殺し、人と人の顔ばかりが画面を埋め尽くすこの作品は、公判の過程からドラマさえも奪い尽くす。被告人の人となりは一切描かれず、友との友情、別れた恋人との関係の描写も封殺される。公判過程にあって、例えば裁判小説としてアメリカの弁護士崩れには絶対に書けない図抜けた傑作である大岡昇平の「事件」のように、弁護人が十分な反証やゆさぶりを用意するわけでもない。ただの嘘つきに成り下がった警察どもも、その杜撰さが追求されるわけではなく、現場の再現で発見された事実や唯一の証人の発見と証言も、物語のトーンを変えるわけではない。要は「弁護士」対「検察」という裁判映画おきまりの構図がどうも希薄なのである。

こうして顔の映画は一挙にラストへと進む。

まるで、公判過程はどうでもよいかのようだ。

そう。この映画は顔の映画なのだ。

元より「裸の顔」を持たず、「表情だけの人」である竹中直人はコミカルに事件の外側に位置し、「濃い演技が演技だ」といわんばかりのあざとさで「演技を畸形化できる」本田博太郎はオカマとして留置場であの粘液質の「演技=表情」をぶつけるだろう。そうしてこの二人の「ピエロ」は由緒正しいピエロの顔で、「演技者」として「作品の中心ではなく周辺で」光を放つのだ。

一方、キャメラは達者な役者である役所広司に寄るのだが、彼はいささかも表情を変えることなく、徹底したポーカーフェイスを貫き通す。そこには役所広司の「表現」や「演技」ではなく、彼の「顔」そのものが露呈する。映画の主題は、こうしてクロースアップされていくだろう。

元より表情の乏しい瀬戸朝霞は声を荒げても同じ表情だ。そして、もたいまさこは元来「ああいう顔」なのだ。そこには「表情」以前の「顔」がある。

同様に、主人公の被告加瀬亮は「表情の乏しい役者=顔の役者」として「浅野忠信、クリント・イーストウッド」派に連なるのだが、さらに前髪を下ろすことによって「表情という異物」を排斥する。

そう、顔を撮るということは、顔の「即物的な何か」を撮ることであって、「表情」など「どうでもいい」のである。1960年以降、「表情」という異物は物語を補強する装置として「表現」という詐欺としかいえない美名を獲得し、映画から「つつしみ」を奪い、顔の持つ「美しさ」を「ただの技巧」へと堕落させた張本人だ。例えばハリウッド映画は、「悩み深い若者は、椅子に浅く腰をかけ、開いた足の腿に両肘を乗せて両手を握り合わせ、上目遣いで物悲しくからみ相手の顔を見上げる」ものだという神話を捏造し、その表情をして「かわいい」だの「母性本能をくすぐる」だの、「かっこいいもの」だのと銘打ってジェームス・ディーンという「表情の役者」を売り出してしまい、元来の「顔の美しさ」を撮ることを忘れさせてしまうという大失態を演じ、ヨーロッパの映画人が悲嘆にくれた結果、例えばドイツ人ヴィム・ヴェンダースが「アメリカの夜」、「パリ・テキサス」、「アメリカ、家族のいる風景」といった「アメリカ映画」を撮らざるを得なくなり、カサバテスやジム・ジャームッシュ等、東海岸の賢人たちがハリウッドの恥をそそぎ、現在は、自らが「顔だけの役者」の代表格であるイーストウッドが自覚を持って映画を撮ることによって、ハリウッドを再生しようとしているのである。

「マディソン郡の橋」で監督兼主演男優のイーストウッドが、ヒロインのメリルストリープに「演技しないように」という注文をつけたことは有名だ。


さて、裁判という闘争過程にあって、被告の敵は裁判官だ。大森裁判官を演じる正名僕蔵の顔のすばらしさはどうだ!当然のように喜怒哀楽の彼岸にいる裁判官の顔を持つものは彼しかいないだろう。しかし、彼の「公正な顔」では闘争が惹起されない。イーストウッドの映画のジーン・ハックマンにあたる「悪役の顔」を持つ闘争相手が求められる。そこに小日向文世が登場するのである。

顔の映画は、被告加瀬亮と、裁判官小日向文世の、映画史に残る二つの顔の切り返しのラストショットを用意した!
つまり、物語はラストシーンで裁判官と被告という二人のガンマンの「決闘」を描くのだ。こうして、「由緒正しい西部劇」の構図が待ちこまれるのである。


顔のショットで終わる映画に優れた作品は多い。
しかし、喜怒哀楽のどれをも示さぬ、二つの顔の切り返しがラストショットになり得ることを、我々は発見するだろう。

これは、名だたる西部劇もやっていない。
傑作だと、断言しておく。


−了

閉じる コメント(11)

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見たいっすね、今、ロンドンですが3月帰国したら早速行きます♪

2007/1/26(金) 午後 8:59 hay**u2020

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ああ、これ是非、観てみたいなと思っています。が、混むんだろうなあ。。。こんな表情の乏しい人を主演に選ぶの?映画画面のアップに耐えうるの?とテレビで配役を見たとき思いましたが(笑)これを良く読んで鑑賞してみようっと!

2007/1/27(土) 午前 3:35 HADES

ロンドン在住様。ぜひごらんになってくださいませ。

2007/1/27(土) 午後 6:07 [ aly*nv ]

大王様。是非ご覧ください。導入部とラストにしかロングショットを使わない周防監督のこだわりと聡明さに打たれます。

2007/1/27(土) 午後 6:09 [ aly*nv ]

師匠のおっしゃってた、周防監督の新作ですね。明日観にいきます。それから読んでコメ書きます!

2007/1/28(日) 午後 5:20 [ eno**n555 ]

こういう観方もあるのですね。勉強になります。裁判は弁護士VS検事だとばっかり思ってたら、被告人VS裁判官だったんですよね。それは僕も凄く感じました。まさしく「決闘」ですね。小日向文世は悪役としては申し分無いです。

2007/1/31(水) 午後 9:35 [ - ]

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ご挨拶をするのも憚られるほど、ご無沙汰しております(笑)周防監督が顔に拘った上に,表情まで削り取ったとは、更に更に観たくなりました。見せ物として出来上がってしまった映像上の裁判は嘘の固まりとしか思えず、本来裁判とはどう言うものかと言う事を、ひたすら通い詰めて周防監督なりに出した結果がどんな形になっているかが楽しみでした。大王さまぁ!!観に行きましょーー!!(ここで誘うな;;)

2007/2/3(土) 午前 0:05 ごっち

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ペップさん。裁判官対被告という構図は、対権力という構図そのものですね。ネタばれになるから書かなかったのですが、大岡昇平の「事件」を引き合いに出したかったんではなく、本作は、カフカの「審判」を引いて論じたかったんです。

2007/2/5(月) 午後 6:45 [ aly*nv ]

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ごっち様お久しぶりです。周防監督の過去の作品をご覧になっていればお分かりのとおり、彼は美しい背景と美しい光線を配して人物を美しく撮る才能にあふれていますが、今回はそうした野望を捨て、人の顔にのみレンズを向けます。下手なテレビドラマのキャメラワークと間違えられそうなバストショットとクローズアップで。しかし、そこは流石に周防監督。裸の顔が露呈していて、演技の上手い下手という価値を映画から追放しようという新たな野望に満ちた作品になっています。

2007/2/5(月) 午後 6:52 [ aly*nv ]

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コメントありがとうございました。「それでもボクはやってない」で検索してこちらに伺いましたが、コメントせずに帰ってしまいました。こういう見方もあるのかと映画評のするどさには驚いてしまいました。”川べりでの二人の弁護士の会話”シーンを論じていらっしゃったのには感激しました。私はあの場面がすごく気になっていました・・neco夫

2007/2/5(月) 午後 9:21 neco

neco夫様、ありがとうございます。川べりでの二人の弁護士の会話ですが、優れた映画はどのショットを撮ってみても無駄がありませんね。主人公の閉塞感を、それ以外のショットでも示すために、二人の弁護士も閉塞された空間に置く。馬鹿な監督なら広々とした戸外で撮ってしまって、スクリーンから緊張感を奪い去ってしまうところです。

2007/2/8(木) 午後 4:58 [ aly*nv ]

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