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「犬猫」 井口奈己  -映画監督の才能




綿矢りさについて書いたついでというわけではないが、映画でも「女流」が気になるところである。
女性の映画監督で言えば、傑出しているのは井口奈己。

彼女の「犬猫」。

実はこの三年で私のベスト1なのだ。

昨日CSで放送されていて思い出したのだが、この監督、ただものではない。


そこには成瀬が、小津が、ベルトルッチが、トリュフォーが、キアロスタミが、そして師匠の黒沢清が嘘のように幸福に共存し、しかも思いもかけぬ変奏ぶりで、時にはそうした巨匠たちを軽々と乗り越えさえするのである。

成瀬のように庭の窓から望むスズとヨーコの部屋のショットは、成瀬よりも素晴らしいといえば嘘になるだろうか?

大きなサッシが庭からの室内への視線を可能にし、朝のやわらかい光を浴びたそのベランダには小津のようにスズとヨーコの二人がすわるのだが、そのショットが麦秋の原節子と三宅邦子の海岸に座るショットに比して遜色があるといえるだろうか。

屋根とベランダと部屋に現れる猫が立ち止まり、そして通り過ぎるその様が、キアロスタミが愛されるほどには映画に愛されていないといえるだろうか。

夜の商店街を走るヨーコと土手を疾走するスズの移動撮影は、トリュフォーよりも、レオス・カラックスよりも躍動していると言うのは私だけだろうか?

たどたどしい言葉遣いで、そして美しいはずの肉体を赤いピーコートで隠し、タイツで足を隠し続けることで、少女でありつづけたスズが、挑発するヨーコにワインを引っ掛けることで突如女へと変身し、疾走し、男を殴り倒して家に戻り、終始無言のまま下着姿となってタバコにマッチで火をつけるという一連の生々しい「女の姿」への変化と呼吸とエロティシズムが、小津の「晩春」の原節子の変化に勝るとも劣らぬと思うのは間違いか?

二人がワンピースをめぐる友情のウエストショットはゴダールよりも美しく、ヨーコの指の包帯を変えるスズとヨーコのクローズアップが、溝口健二よりも、ベルトルッチよりも艶かしいと感じた私は反省すべきか?


小さな町でロードムーヴィーを撮るために、車など要らないと彼女は考える。自転車が、あるいは若く美しい女性が、その疾走と停滞の速度をもって物語の速度に調和し、映画を映画たらしめてゆく。

無くてはならない「長い階段を持つ坂道」を筆頭とする勾配の異なる複数の坂道や道路は、その勾配に応じて物語を加速し、あるいは減速させる。小池栄子を空港に送る三人の坂道を登るスローでコミカルな運動は、反転して「下る」場合には突如スズの疾走の契機となって、映画の速度を急変させるのだし、緩やかな坂道には拾い上げられる宿命を負ったコーラの缶が転がり、分かれ道は二人を迷子にさせ、さらに二人乗りの自転車の滑走は事件の契機となるだろう。

「健脚の女二人と自転車があれば、映画はできる。」

ゴダールに教えてやればいい。


さて、井口奈己の映画的才能は、スズとヨーコ二人の住む狭い部屋にあっても揺るがない。その部屋は奇跡のような映画空間に変容する。

風は嘘のようにやわらかく忍び込んでカーテンを揺らし、吊るされたワンピースをして宙を揺蕩わせ、美しいスズの寝顔のそばで風の神となって、その絶妙の手つきで枕元に置かれた辞書のページをめくる。

物が風に美しく揺れる様をどのように撮るべきかを知りたければ、この映画を観ればよい。


一方、室内に運動を持ち込む布団は、柔らかい風とは異なる質量でコミカルな運動装置となって狭い部屋を豊かな映画的細部へと変容させる。

布団は運動を誘発する。
ラストエンペラーに照れ笑いを浮かべながら井口奈己は三人を一つの布団に寝かせ、あるいは怒って帰ったスズを包み込むことで、幸福な寝顔と風の背景となるだろう。

不在の主題は、小津のように常に一人がいない状況を超え、ラストのエロティックなスズの下着姿と宙刷りのワンピースの競演へと結実し、我々に映画的感動をもたらす。

中国の誰それ、コッポラの何がしかという女流監督作品もそれはそれでまあ良しとしよう。

しかし、井口奈己は、違う。

その才能が。

断言しておくが、現在世界最高の女性監督は、日本人、井口奈己なのである。


-了

閉じる コメント(8)

このレビューを読ませてもらい、やはり観なければと反省しております。画像を見ただけでワクワクしてきます!!!!

2007/3/8(木) 午後 11:15 [ - ]

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以前、enokenさんが触れられていた映画ですよね。そうか〜。そこまで凄い監督か〜。女性だからこそ軽やかに無意識に、異性である巨匠、先達の技巧を越えられるのかなあ。あるいは無意識に見せて精緻に計算されつくしているのか。映画を見ていない以上、何とも言えませんが、というか観て判るのかなあ(笑)

2007/3/9(金) 午前 1:30 HADES

ペップさん、是非ご覧ください。数多く映画をご覧になった経験がある人ほど、面白いはずです。ヨーコの包帯を取り替えるスズのカット、そのバストショットのなまめかしさは、ラストエンペラーの溥儀の第一夫人と川島芳子の絡みのショットよりも艶かしい。このショットだけでも必見です!

2007/3/10(土) 午後 6:26 [ aly*nv ]

大王様、女性であるからこそというのはそのとおりです。賢い女性のしなやかな倫理というべきものが横溢しています。マッチョじゃないんですよ。つまり。でも、男の生理を揺るがすあの手つきはすばらしいと言っておきましょう!

2007/3/10(土) 午後 6:28 [ aly*nv ]

わお、書いていただいてありがとうございます。僕も、DVDかいました! それから、先日はご馳走様でした!

2007/3/10(土) 午後 8:40 [ eno**n555 ]

エノケンさん、早くあなたもかいてね!

2007/3/11(日) 午後 7:02 [ aly*nv ]

ようやく観ました。凄く良かったです。包帯のシーンゾクゾクしました。オープニングで揺れるカーテンにやられました。
拙い文章ですがトラバしておきます。

2008/11/4(火) 午後 11:28 [ - ]

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YAZさんへ。
包帯のシーンね。あれ。すごいですよねえ。
逆光で。
あれ、誰も撮れませんよ。
黙って感動してりゃあいいんだなあ、映画って。
と思わせました。
風も、風の速度なんですよねえ。
風って、あんなに無機質な部屋や窓や建物を、カーテンを揺らすだけで変えちゃうでしょう。だからすごいんですよねえ。風が吹きゃいいってもんじゃなく、構図の印象を完璧に変えてしまうからすごいんですよね。
井口監督の場合は、コノテーションも何も無くただ幸福=官能のためだけにカーテンを揺らす。
只者ではないですよね。

2008/11/10(月) 午前 4:31 [ aly*nv ]

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