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再論 トウキョウソナタ




映画史上、既に名匠の一人として稀有な創作能力と実績を持つ映画作家であっても、「トウキョウ」の一語を冠するタイトルを持つ作品を作るとなれば大いなる覚悟が必要である。ましてその作家が日本人であり、かつその新作がホームドラマであるというならば。

映画史上、最も重要な作品を五本挙げてみよ、と問われれば、まともな映画人ならばルノワールやグリフィスの名と作品名に加えて当然のように畏敬をこめて小津の名と傑作「東京物語」を挙げるだろう。

当たり前に呟かれる「トウキョウ」の一語は、映画人にとって別格の一語なのだ。

ましてや、作家は黒沢清。彼のフィルモグラフィーを思い出せば、小津への敬愛の尋常ではない深は自明であるし、その名の重さも彼はわかっているはずだ。
だから、「トウキョウソナタ」という作品名にまずは驚く。しかも小津同様、作品のモチーフは家族であるという。

従って、黒沢清の決意と覚悟は並々ならぬものがあったはずである。そして完成した「トウキョウソナタ」は、予想にたがわず彼の最高傑作となったのである。


オープニングショットで、食卓から新聞がふわりと舞う。
黒沢の映画におけるモチーフのひとつである「廃墟」は、近作では「廃市」へと広がり出している。「叫」においても「回路」においても廃市となった人気(ひとけ)の無い街路には風が吹き荒れ、宙を舞うのは決まって新聞紙だったことを思い出す。
続いて小泉今日子が戸外の風雨を避けようとサッシの窓を閉めるのだが、あろうことか、もう一度サッシを開け放ち、風雨を室内に招き入れる。吹き込む風に大きく揺れる「カーテン」。

こうした導入部は、当然これからその一家に生起するであろう不吉な事件の予兆であり、また、たとえ戸外に暴風雨が吹き荒れていても窓を開け放ちたいほどの家族空間の閉塞と、「外部」の導入による変化の希求を示し、それは後に小泉今日子が呟く「誰か私を引っ張って」という中空への呟きに応じるかのような強盗の侵入と逃避行をお膳立てするのである。
当然、黒沢清が事態の進展と結末においてどのようにカーテンを揺らすだろうかという興味も当然掻き立てられるだろう。

家族の閉塞状況を左右するのは決まって「外部」である。夫が職を失うのはローコストで労働力を提供する中国企業という「国外」からのビジネス提案によるものであり、部屋に「国境線」を引いた長男は真に国境を越え、戦場という「外部」へと逃れ出る。小泉今日子は「母」という役割において家庭という「内部」に括られ、強盗という「外部」の侵入によって「遠く」へと出かけることになる。

小津のモチーフはさまざまに変奏されている。
例えば「視線の等方向性」と「人が並ぶ」という主題は良く知られる。小津にあって駅へ向かう群衆のショットでは皆一方向を向き、その流れに逆らって歩く者はいない。あるいは駅のホームに「並び佇む者たち」は、列車入線の際、一様に列車に目を向ける。バスに乗る者たちは一様にバスの進行方向を向き、三々五々に窓から外を眺めようとはしない。この「不自然」は小津の高らかフィクション宣言であるのだが、一方、黒沢清のモチーフは視線劇の一環として等方向に視線が注がれるというより、その等方向性によって視線を交わすことを忌避しているかに見える。
あるいは視線を交わさぬことと、視線の獲得という視線劇の一環といっても良い。リストラ男達がたむろする公園で男たちは炊き出しの「列に並び」、あるいは職安の階段に「列を成して並び」、また長男さえも傭兵の採用手続きの「列に並ぶ」。この並び立つ男たちが視線を交わすことは無く、むしろ視線を交わさぬ主題の顕揚のためにあえて列をなして並んでいるかのようだ。それは複数の人物たちを常に画面に正対して並ばせるアンゲロプロスの群像のショットとは異なる主題を持つ。トウキョウソナタにおける視線は、見つめられることを忌避するための視線劇の様相を呈してゆくだろう。主人公の一家四人が食事のために食卓に向きあって座っても、彼らが視線を交わしあうことは無い。小泉今日子が「誰か私を連れ出して」と中空に手を差し伸べる素晴らしいショットにあっても、彼女の視線は誰もいないリビングの中空に注がれるだけだ。彼女がやっと安寧の中で視線を獲得するのは、ソファで居眠りをしている最中に夫に覗き込まれる時のみであり、もちろん、彼女は眠りの中にあるから視線を交わすことは無いのである。しかし視線を交わすことが忌避されている時間はこの作品にとって安寧の時間を担保している。

では視線が交わされるとどうなるか?

トウキョウソナタにあって視線を交わすシークエンスは、事件の到来を示すものだ。香川照之が人と視線を交わせば、必ず不幸が待ち受ける。上司からのリストラの告知、家族との諍いの誘発、公園での出会いたくない旧友との邂逅、職安の係官から告げられる厳しい現実、採用面接で投げつけられる侮蔑。そして、ショッピングモールで出会いたくない妻との鉢合わせ。彼にとっての視線の獲得には必ず不幸が待ち受けるのだ。

妻は家庭にあって視線を獲得することは無い。家族の視線は常にあらぬ方向を向き。彼女に視線が向くと決まって難題が押し付けられる。わずかに戸外へでることがあっても、視線を交わす次男の教師から投げつけられるのは冷たい視線と冷たい言葉であり、米国への出発に当たってバスから敬礼とともに投げかけられる長男の視線であり、ショッピングモールで清掃員として働く哀れな夫ととの鉢合わせで獲得する視線であり、白昼の強盗によって物陰から投げつけられる視線である。
幸福な視線を獲得したい小泉今日子の「誰か私を連れ出して」という希求は、強盗によって一時的にはかなえられるものの、彼女は救い出されたわけではなく、逆に強盗を救ってしまう。彼女が視線の先に捕らえたエリック・ロメールの「緑の光線」のような海の彼方の希望の光も、道行きの強盗は見えないと言い放ち、結果、二人の同盟関係は破綻する。

さて、逃避行の末に彼女が海辺を歩くスローの移動ショットにあって、大きな失望感とすがるような彼女の視線は、ついにキャメラに注がれる。
我々が感動するのは、スクリーンから投げかけられる彼女の視線に込められた「連れ出して」という願いが、登場人物に対してではなく、我々観客に向けられるからなのだ。映画の登場人物と観客が視線を交わすこと。この時、映画がスクリーン上の単なるフィクションであることを辞め、小泉今日子と観客が媒介無しに遭遇する瞬間を生むのである。

一方、次男も視線を交わせば事件が勃発する。教師の非行を暴いた際に旧友から獲得する視線、そして、ふと見かけた美しいピアノ教師との出会いの際に交わる視線である。

こうした視線劇を周到に設計した黒沢清は、ラストシーンにこの上なく美しい「幸福な視線の獲得」のシークエンスを用意する。

美しいピアノソナタを奏でる次男は、その会場にいる試験官や父兄たちの賞賛の視線のみならずスクリーンの前で酔いしれる観客の視線を獲得する。
優れた照明によって作り出された光が、あるいは絶妙の速度で揺れるカーテン=風さえもが演奏者を祝福しているかのようだ。

夫と妻が演奏者である息子の手を取って会場を退出するラストカットにあって、聴衆たちは身じろぎもせず彼らを見送る。
ここで次男のみならず父も母も、初めて「敬意に満ちた視線に包まれる」ことによって視線の脅威から解放される。

そう、「誰か私を連れ出して」、という小泉今日子の切ない願いは、幸福に満ちた演奏会場から家族と手を携えて退出することによって叶えられるのである。



この一連のラストのシークエンスを目にしたものは「美しい、美しい」と呟く以外、一体何ができようか。

− to be continued

閉じる コメント(3)

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映画の登場人物の視線が観客側に向けられる際には当然、その人物の対話相手への視線の代替として受け止めているのであり、ダイレクトに観客へ投げているとすれば面白いですね。伊丹監督なんかが冗談半分に遣ってはいたけれど。
近々、これ下高井戸シネマで上映される筈なので時間が許せば観て見たいですのですが…小泉さんが余り好きではないのが問題…(´_`)

2009/1/11(日) 午後 11:09 HADES

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登場人物がいわゆるキャメラ目線になるのは、画面の連鎖の中で別の登場人物に投げかけた視線を受けた登場人物の視線として受け止める場合もあれば、あられもない方向を向いた被写体の視線を受け止めることもあり、あるいはスクリーンの向こうにいる観客に向けるという技法もあります。最後者は難しく、妙なメッセージ映画のようになってしまうのですが、黒沢清の設計は絶妙なんです。このあたりが本当の彼の技量なんですよ。
伊丹監督は下手です。はっきり言って。何本も映画を撮って、後期のほうがひどい(笑)。大江健三郎が「取替え子」で伊丹監督を擁護していますが、大江健三郎に映画が分かるはずが無い(笑)。映画的なイマージュに回収できない小説を書いていることが大江の良さですから・・・と話は脱線してしまいました。
で、今回登場したキョンキョンは大王様のお嫌いなキョンキョンではないと思いますよ。貴女の審美主義は正直エキセントリックなわけですから(爆笑)、キョンキョンを是非、許してやってください(笑)。

2009/1/12(月) 午前 1:51 [ aly*nv ]

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おっしゃるとおり、小津のモチーフは家族の崩壊で、トウキョウソナタはその先の家族の帰着点のひとつを描いていますね。ラストショットは、未だ示されることの無かった、「アカルイミライ」という作品名の韻を踏んでいるかのようなラストシーンです。あまり語られることの無かった映画における音楽がひとつの大きな主題となっていますが、いや、五感を総動員して官能に浸ることのできる稀有な美しさを持つラストです。映画における音楽がこんなに素晴らしいものかを知らされます。オイオイ泣いてしまいました(笑)。貴兄もハンカチ持参で(笑)ご覧ください。

2009/1/14(水) 午前 3:20 [ aly*nv ]

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