甘木聖書バプテスト教会からのお知らせ

福岡県朝倉市にあるバプテスト教会です。牧師のショートメッセージをお届けしています。神様の祝福があなた様の上に豊にありますように。
あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。(マタイ伝5章16節)
 今日、私たちは小郡音楽祭に出演し、3曲の讃美コーラスを歌います。イエス様が、「あかりをつけて、それを枡の下に置く者はありません。燭台の上に置きます。」(マタイ5-15)と語られたように、私たちがいただいた信仰の宝は教会の中だけに閉じ込めておくべきものではありません。イエス様を信じ、「死からいのちに移った」(Ⅰヨハネ3-14)驚くべき経験は、多くの人たちに証されるべきです。
 いつもピアノ伴奏に来てくださるY姉が、御主人の重篤な病状のために集えません。Yご夫妻を励ますためにも、祈りを込めて讃美させていただきましょう。「義人の祈りは働くと、大きな力があります。」(ヤコブ5-16)とあるのですから。
 イエス様は、「わたしたちは、わたしを遣わした方のわざを、昼の間に行なわなければなりません。だれも働くことのできない夜が来ます。」(ヨハネ9-4)と語られましたが、その厳粛な事実を実感します。私たちはいつでも働けるのではありません。いくら働きたくても、働けないときが来るのです。だから、讃美できる今、祈ることのできる今、奉仕できる今を大切にします。「明日しよう」、「来年しよう」ではなく、感謝して今日、神をほめたたえ、イエス様の救いを証しさせていただくのです。
 今月は二つの視覚障害者の集いで「歌のプレゼント」をさせていただくことになっています。イエス様は生まれつきの盲人を癒されるとき、「神のわざがこの人に現われるためです。」(ヨハネ9-3)と語られましたが、今の時代、私たちを用いて、どのような御栄光を現してくださるでしょうか。
 あの癒された盲人は、「私は盲目であったのに、今は見えるということです。」(25)と証ししました。イエス様は私たちをも「滅びの穴から、泥沼から、引き上げ」(詩篇40-2)、神をほめたたえて生きる者としてくださいました。その喜びをもって今日、素直に主を讃美させていただきましょう。

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救いへの「神の招き」

神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。(第一テモテ2章4節)
 先日、知り合いの方々が教会で二十年ぶりの再会を果たすことになりました。長年、会社の同僚として親しくしておられたそうですが、一方の方が失明され、それ以来、お付き合いが途絶えていたそうです。ところが私たちを介して互いの音信が伝わることとなり、今回の涙の再会となりました。この方々が今度は、イエス様のもとへ立ち返ることができるよう祈りましょう。
 先週はイエス様が語られた「ぶどう園の主人の労務者雇用」のたとえ話(マタイ伝20章1〜16節)を学びました。過労の問題などから、「働き方改革」が叫ばれている昨今、朝早くから暑さに耐えて働いた人と、就業間際に雇われ、わずか一時間しか働かなかった人に、同じ賃金が支払われたというのですから、誰もが理解に苦しむところです。しかし、この話は世の雇用についてでなく、神の御国建設の働き人の雇用について語られたものであると知れば、神のあわれみと恵みを感謝せざるを得ません。
 朝早くから雇われるとはクリスチャンホームに生まれたような人達、朝9時とは中高生の頃、昼頃とは青壮年期、午後5時頃とは老年期にさしかかってから救われた人たちと解釈できるでしょう。これらいずれの働きにも一デナリの報酬が支払われました。それはイエス様を信じる者に約束されている「罪の赦し」(エペソ1-7)と「永遠のいのち」(ヨハネ3-16)です。
 そうであるならば、人生の終わり頃、天国へ滑り込んだ方が得だと思う人がいるでしょうか。私は19歳のときイエス様の救いをいただきましたが、「もっと早く聖書を読み、賛美歌を歌い、真の神に祈ることができていたら」と思います。神との親しい交わりの中に生きることは、「なんというしあわせ、なんという楽しさ」(詩篇133-1)でしょうか。教会でイエス様の働きを担わせていただいていることは感謝と喜びでしかありません。
 私たちの周りにも、「だれも雇ってくれないからです。」(マタイ20-7)と嘆きつつ、神の御国の外で佇んでいる人たちがいるはずです。そのような人たちがイエス様の救いをいただいて、神をほめたたえる者とされたら、どんなにすばらしいことでしょうか。喜んで、この尊い神様の招きをお伝えする働きを続けてまいりましょう。

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天国へ通じる道!

イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」(ルカ伝23章43節)
 今日、私たちは一年前、主のみもとへ召された故K兄を思い、記念の礼拝を捧げます。兄がイエス様への信仰を告白したとき作った短歌、「八十歳にて救われし兄はっきりと牧師の後に付きて祈れり(が、そのときの感動を呼び覚ましてくれます。両親の救いを願い、教会へ連れて来られたG姉の祈りは聴かれ、御両親共にイエス様への信仰を告白され、「神の子ども」(ローマ8-14)とされました。いま闘病の中にあるF姉の支え、御葬儀に集われ、キリスト信仰の希望について聞かれた方々の救いのためにも祈らせていただきましょう。
 聖書は、「この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。」(使徒4-12)と伝えています。また、「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」(ローマ1013)とも約束しています。災害への備えも大切ですが、「たましいの救い」(Ⅰペテロ1-9)は更に大切です。
 人はさまざまな動機からイエス様を訪ねることがあります。ある若い役人は「永遠のいのち」を求めてイエス様を訪ねましたが、自分の仲にある罪を認めることができず、悲しんで去ってゆきました。一方、取税人ザーカイは自分の罪に気づき、素直にイエス様を信じ、「大喜びでイエスを迎えた。」(ルカ19-6)とあります。二人の方向は大きくわかれました。ザーカイのたましいは救われ、神をほめたたえる人生となりましたが、役人の歩みは更に深い苦悩へと踏み入ったにちがいありません。
 もちろん、救われたザーカイのその後が何の苦労もない人生であったと言うのではありません。むしろ、ペテロはクリスチャンには「さまざまの試練」(Ⅰペテロ1-6)があることを教えています。きっとザーカイはその試練の中にあっても、救われた喜びを失うことはなく、主の道を歩み通したことでしょう。
 私たちは「神は愛」(Ⅰヨハネ4-8)であることを感謝します。だから、喜んで、主を讃美するのです。聖霊を宿し、「生ける神の宮」(Ⅱコリント6-16)とされた私たちは、残されたこの世の歩みにおいて、主イエス様に心からの礼拝をお捧げしてまいりましょう。
「百万人の福音」2月号 牧師の入選作
 みことばの種蒔き行かば広がれる畑に大豆の豊けき実り
指先でヨブ記味はふ秋の朝

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あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。(エペソ書5章8節)
 祝福の新年、聞こえてくる世界情勢に関するニュースは明るいものではないように感じます。北朝鮮のみならず、韓国との関係も危うくなっていますし、アメリカの政府機関の閉鎖も長引いています。ロシアとの北方領土に関する見解の隔たりも明らかになっていますし、イギリスのEU離脱も混沌としています。中国の海洋進出、キリスト教弾圧も強まっていると聞きます。このような不安の時代にあっても、使徒たちが「私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。」(使徒17-28)と告白したように、教会も堅く立って、福音の真理を証しし続けましょう。
 「機会を十分に生かして用いなさい。悪い時代だからです。」(エペソ5-16)というパウロの勧めが心に響きます。戦争に迷い込んでいってしまった時代のような暗雲の立ち上がりを感じる今、「光の子ども」としての教会の果たす役割は大きいはずです。
 イエス様は弟子たちに向って、「あなたがたは、世界の光です。」(マタイ5-14)と語りかけられました。その呼び掛けは私たちにも為されています。教会で神のみことばが朗読され、福音のメッセージが語られていくとき、人々に救いの道が証されますし、神への讃美が歌われるとき、人々は天に生けるまことの神がおられることに気づかされます。
 また、イエス様は教会を「祈りの家」(マタイ21-13)と呼ばれました。この年、進んで教会に集まり、全能の神の導きを祈りましょう。嘆きも不平も何の解決にもなりません。信じて祷りましょう。私たちは大きな神のみわざを視て、主イエス様の神をほめたたえることができます。
 昨年1月28日、故K兄が召天して一年が経とうとしています。奥様のF姉も弱っておられます。また、M姉も人生の最後の歩みに入っています。「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。」(伝道3-11)とあるように、立派に人生を全うされ、主のみもとへ召され行く魂の平安を祈りましょう。そして、私たちに与えられている健康、能力、財をもって、主イエス様にお仕えしてまいりましょう。

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わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。(ヨハネ伝15章4節)
 今日は朝倉市の成人式で、牧師家のL兄も出席のため帰省しています。彼の成長と教会の歩みは同時進行でしたから、感慨ひとしおです。理想的な信仰者としての歩みができていませんので、親として、牧師として責任を感じますが、「主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。」(詩篇106-1)とある、主のあわれみに信頼しています。これからも、「光の子ども」(エペソ5-8)として歩んで行けますよう、お祈りください。
 「教会はキリストのからだ」(エペソ1-23)と表現されています。それは、イエス様が、この町に住んでいてくださるということです。なんという祝福でしょうか。しかし、ヨハネが、「この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。」(1-11)とあるように、多くの人たちは、その祝福に気づいていません。教会が「罪の赦し」(エペソ1-7)や「永遠のいのち」(ヨハネ3-16)を見い出す場所であるとは考えていないのです。
 そのような人たちに、どのようにして教会が宣べ伝えているイエス・キリストこそが「生ける神」(使徒14-15)であることを知らせたらよいのでしょうか。イエス様は、「御霊がわたしについてあかしします。」(ヨハネ15-26)と約束されました。私たちが礼拝、祈祷会を尊び、聖霊の助けをいただいていくとき、私たちの生活を通して、イエス様が「世の光」(ヨハネ8-12)であることが証されていくのです。
 イエス様は「まことのぶどうの木」で、私たちは枝ですから、「キリストのからだ」である教会に、しっかりと繋がっているならば、豊かに身を結ぶことができます。そうでなく、「キリストのからだ」から離れてしまうならば、イエス様はそのような人に、「枝のように投げ捨てられて、枯れます。(6)と警告を与えています。私たちは皆「豊かに実を結ぶ人生」を望み、「枯れ枝となって棄てられるような人生」は避けたいにちがいありません。
 2019年の新たな歩みが始まりました。みことばは私たちに、「御霊に導かれて、進もうではありませんか。」(ガラテヤ5-25)と語りかけています。主イエス様への礼拝を尊び、聖霊の実を豊かに実らす進行生活を歩んでまいりましょう。

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わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。(詩篇103篇2節)

 今日は2018年の年末感謝礼拝をお捧げします。過ぎし一年を顧みますと、一月にK兄、五月にはI姉を天にお見送りした日を思い起こします。しかし、その悲しみのときはまた、多くの方々にキリスト信仰の希望を証しするときともなりました。それぞれの伴侶は今、療養中にありますので、支えと回復のため、祈らせていただきましょう。
 一方、嬉しいこととしては七月に、新会堂移転後初めてのバプテスマをY姉に授けることができました。その後、就職にも導かれ、弱さと闘いつつ、信仰の歩みを続けておられます。また、フィリピンの農業研修生B姉、C姉が導かれ、聖歌隊にも加えられ、共に主にお仕えできることも、大きな喜びです。姉妹たちを聖霊が守り、導いてくださるよう祈りましょう。
 対外的な「音楽プレゼント」の奉仕も祝されました。温泉、地域、被災仮設、高齢者施設などの門戸が開かれており、多くの人たちとの交流の機会となっています。「あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」(マタイ5-16)という主の励ましを受け、この奉仕をもっても、イエス様の愛を証してまいりましょう。
 また、牧師個人としては、短歌が西日本新聞の年間佳作、俳句が全国視覚障害者協会の文芸コンクール第三位に選ばれるという栄誉にも与りました。いろいろな方々から、「短歌楽しみにしています」という声を聞くことがあり、これもまた、教会と社会との「隔ての壁」(エペソ2-14)を除いていくために、神が授けてくださった道と信じ、歌作、句作にも励んでいきたいと願っています。
 今年も洪水、地震などの自然災害、人間の罪が引き起こした犯罪の、痛ましいニュースを多く耳にしました。そのような危険に曝されている時代の中で、イエス様を信じ、「罪の赦し」(エペソ1-7)「神との平和」(ローマ5-1)をいただいて生きることの幸を実感します。この救いの信仰に堅く立って、来たる2019年へと歩を進めてまいりましょう。

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「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」(ルカ伝2章14節)

 先日は健康福祉館で、「クリスマス 歌のプレゼント」をさせていただきました。初演のベルによるキャロルの演奏も楽しんでいただいたようで、ホッとしました。お客さんの入りもよく、手拍子の協力もあり、皆さん楽しんでくださったようです。地域との触れ合いの場として、更に来年へ向って、良きプログラムを準備してまいりましょう。
 聖霊による受胎を告げられてとまどっているマリヤに、天使は「神にとって不可能なことは一つもありません。」(ルカ1-37)と告げました。私もこの御言葉に励まされてベルの賛美に挑戦してみました。、始めてみれば、もう一曲、もう一曲で、わずかな期間に4曲も演奏できるようになったのです。これもまた、私にとって奇跡的な経験でした。
 また、高齢になって祈りが叶えられ、子を宿したエリサベツは、「主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。」(45)と神をほめたたえましたが、これもまたクリスマスに心に留めたい御言葉です。私たちも約束の御言葉を信じ通し、神の真実をほめたたえる者とさせていただきましょう。
 北朝鮮、イエメン、シリア、チベット、世界各地で人権が踏みにじられています。まさに、「やみの中」、「死の陰の地に住んで」(イザヤ9-2)いる人々が大勢いるのです。この日本においてさえ、肝を潰すようなニュースをしばしば耳にします。そのような苦難の中にある人々に、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ43-4)と語りかける神の愛が伝えられなければなりません。
 今日これから美奈宜の杜、水曜には林田の被災者の皆さんに、キャロルのプレゼントをさせていただきます。私たちは、「いのちの光」(ヨハネ8-12)である救い主イエス様をご紹介する、すばらしい御役目を授かっています。このクリスマス、感謝して、この尊いお役を果たさせていただきましょう。

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やみから光へ!

やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。(イザヤ書9章2節)
 今日はアドベント第一主日で、救い主の誕生を祝うクリスマスを待ち望む季節となりました。皆さんがたどたどしくも鳴らすベルのキャロルも響いて、ワクワクしてきます。今年も水害、台風、猛暑、地震と災害の多い一年でしたが、天使がマリヤに告げた「こわがることはない。」(ルカ1-30)という語りかけは、私たちの心をも希望に向わせてくれます。
 今年のクリスマスの案内には「心に訪れるクリスマス」と記させていただきました。まだまだ朝倉の被災地には痛々しい災害の傷跡が残っています。カリフォルニアの山火事では一万3千軒の家屋が焼失したそうです。災害の脅威は増しています。しかし、すべての人の心には、神の愛が、光が、救いが訪れようとしています。「確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。」(Ⅱコリント6-2)とあるとおりです。
 災害も起こりますし、病むこともあり、別離さえも経験します。しかし、心の状態は私たちが選び取ることができます。救い主を閉め出して、やみの中に座し続けるか、「世の光」(ヨハネ8-12)として来られたイエス様を信じ、「いのちの光」を受けるかは、ひとりひとりの選択に係っています。神はすべての人が、「ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つ」(ヨハネ3-16)ことを望んでおられるのです。
 たどたどしく、しかし、楽しく始まったベルクワイヤ、クリスマスまでに、どんな仕上がりを見せるでしょうか。東方の博士たちがイエス様に、「黄金、乳香、没薬」(マタイ2-11)を捧げたように、私たちも救い主イエス様に、きよらなベルの賛美をお捧げしましょう。
 これから温泉、仮設住宅、老人ホームなどでのクリスマス「歌のプレゼント」が計画されています。飼葉おけに眠るイエス様を拝した羊飼いたちが賛美しながら、良き訪れの知らせを語り歩いたように、私たちも、神の愛を証しするため出かけて行きましょう。

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私は切なる思いで主を待ち望んだ。主は、私のほうに身を傾け、私の叫びをお聞きになり、私を滅びの穴から、泥沼から、引き上げてくださった。(詩篇40篇1、2節)
 先日、林田の仮設集会所にゴスペルフォークの神山みささん、ゴスペルロックバンドのサルーキが来てくださり、支援コンサートが開かれました。参加された11名の住民の皆さんは音楽と交流を大いに楽しまれ、にこやかに帰ってゆかれました。来月19日(水)にはクリスマスコンサートも予定しています。
 熊本地震、朝倉の水害の支援に入ってくださったTご夫妻は今、北海道の震災支援に加わっておられるとのことです。「主がお入用なのです。」(マタイ21-3)という呼びかけに応えての行動だったのでしょう。お二人の今後の働きのため、お祈りさせていただきましょう。
 さて、今週の暗唱聖句に、「この苦しみのときに、彼らが主に向かって叫ぶと」とあります。苦しみに直面しても、助けを信じて叫ぶことのできる人は幸いです。逆に、助けようと手を差し伸べておられる方に気づかず、滅んでしまう人がいることは残念なことです。私たちは「天にいます私たちの父よ。」(マタイ6-9)とお呼びすることのできる全能の神が、天から見守っていてくださることを知っています。日々、そのお方に助けを呼び求めましょう。
 福音書には、イエス様に呼び求めて苦悩の中から救われた多くの人たちの信仰の証しが書かれています。今の時代においても主は、「あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。」(マタイ18-19)と約束しておられます。イエス様は私たちの抱える問題の只中に来てくださり、「やみを光に、でこぼこの地を平らに」(イザヤ42-16)に変えてくださる救い主です。
 日本を代表する企業が戦後の賠償を要求されたり、トップが逮捕されたりという事態が相次いで報道されています。災害の多発、人手不足の中でのオリンピックの開催、日本を取り巻く状況に、多くの不安材料が表出しています。このような時代に、「まことの神、永遠のいのち」(Ⅰヨハネ5-20)である主イエス様を証しする教会として立たせていただきましょう。

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このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。(マタイ伝5章16節)

 先主日にミュージックベルの初練習をし、皆さん楽しく「きよしこの夜」の調べを奏でました。それぞれが二つの音を担当しましたが、教会について書かれている、「あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。」(Ⅰコリント12-27)という御言葉を実感したのではないでしょうか。それぞれが担当の音をしっかり出さないと、音楽が止まってしまいます。逆に、それぞれが役割をしっかり果たせば、美しい音楽が湧き出てきます。老若問わず、振ればきれいな音が出ますから、全員で挑戦してみましょう。
 また先日、お世話になっているボランティアグループの朗読会があったので、聴かせていただきました。音楽をバックに、詩や物語を朗読されるのですが、それぞれに個性が滲み出ていて、味わいがありました。それを聴きながら、教会でも、聖書の朗読会をしてみてはどうかと思いました。有名な詩篇を読むのもいいでしょうし、旧訳の人物や出来事から選んで、流す音楽を選び、読むのです。文語で読んだり、英語で読んだりする人がいてもいいでしょう。
 詩篇は祝福された人を、「まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。」(1-2)と紹介しています。この聖書朗読の練習を通しても、私たちは「水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。」(1-3)と表現されているような、瑞々しい信仰へと進むことができるのではないでしょうか。
 かつて、その朗読グループの中心メンバーとして活躍されたのが故K姉でした。召天から三年が経ち、先日、御自宅で記念会が開かれました。イエス様は、「ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」(マタイ18-20)と語られましたが、「永遠のいのち」の希望の御言葉が語られ、再会を待望する聖歌が歌われました。これからも、御一家の上に主の見守りが豊かにありますよう、お祈りさせていただきましょう。
 今年のクリスマスのテーマは「心に訪れるクリスマス」とさせていただきました。朝倉の災害から一年が過ぎ、今年も各地に自然災害が起こりました。通りをイルミネーションで飾るのもいいですが、心にイエス様の「いのちの光」(ヨハネ8-12)を灯す人たちが起こされるよう願います。クリスマスは救いのときですから、周辺に案内も配布し、喜びの知らせを伝える天使の役を果たす教会とさせていただきましょう。

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