甘木聖書バプテスト教会からのお知らせ

福岡県朝倉市にあるバプテスト教会です。牧師のショートメッセージをお届けしています。神様の祝福があなた様の上に豊にありますように。
わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。(ヨハネ伝15章4節)
 今日は朝倉市の成人式で、牧師家のL兄も出席のため帰省しています。彼の成長と教会の歩みは同時進行でしたから、感慨ひとしおです。理想的な信仰者としての歩みができていませんので、親として、牧師として責任を感じますが、「主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。」(詩篇106-1)とある、主のあわれみに信頼しています。これからも、「光の子ども」(エペソ5-8)として歩んで行けますよう、お祈りください。
 「教会はキリストのからだ」(エペソ1-23)と表現されています。それは、イエス様が、この町に住んでいてくださるということです。なんという祝福でしょうか。しかし、ヨハネが、「この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。」(1-11)とあるように、多くの人たちは、その祝福に気づいていません。教会が「罪の赦し」(エペソ1-7)や「永遠のいのち」(ヨハネ3-16)を見い出す場所であるとは考えていないのです。
 そのような人たちに、どのようにして教会が宣べ伝えているイエス・キリストこそが「生ける神」(使徒14-15)であることを知らせたらよいのでしょうか。イエス様は、「御霊がわたしについてあかしします。」(ヨハネ15-26)と約束されました。私たちが礼拝、祈祷会を尊び、聖霊の助けをいただいていくとき、私たちの生活を通して、イエス様が「世の光」(ヨハネ8-12)であることが証されていくのです。
 イエス様は「まことのぶどうの木」で、私たちは枝ですから、「キリストのからだ」である教会に、しっかりと繋がっているならば、豊かに身を結ぶことができます。そうでなく、「キリストのからだ」から離れてしまうならば、イエス様はそのような人に、「枝のように投げ捨てられて、枯れます。(6)と警告を与えています。私たちは皆「豊かに実を結ぶ人生」を望み、「枯れ枝となって棄てられるような人生」は避けたいにちがいありません。
 2019年の新たな歩みが始まりました。みことばは私たちに、「御霊に導かれて、進もうではありませんか。」(ガラテヤ5-25)と語りかけています。主イエス様への礼拝を尊び、聖霊の実を豊かに実らす進行生活を歩んでまいりましょう。

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わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。(詩篇103篇2節)

 今日は2018年の年末感謝礼拝をお捧げします。過ぎし一年を顧みますと、一月にK兄、五月にはI姉を天にお見送りした日を思い起こします。しかし、その悲しみのときはまた、多くの方々にキリスト信仰の希望を証しするときともなりました。それぞれの伴侶は今、療養中にありますので、支えと回復のため、祈らせていただきましょう。
 一方、嬉しいこととしては七月に、新会堂移転後初めてのバプテスマをY姉に授けることができました。その後、就職にも導かれ、弱さと闘いつつ、信仰の歩みを続けておられます。また、フィリピンの農業研修生B姉、C姉が導かれ、聖歌隊にも加えられ、共に主にお仕えできることも、大きな喜びです。姉妹たちを聖霊が守り、導いてくださるよう祈りましょう。
 対外的な「音楽プレゼント」の奉仕も祝されました。温泉、地域、被災仮設、高齢者施設などの門戸が開かれており、多くの人たちとの交流の機会となっています。「あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」(マタイ5-16)という主の励ましを受け、この奉仕をもっても、イエス様の愛を証してまいりましょう。
 また、牧師個人としては、短歌が西日本新聞の年間佳作、俳句が全国視覚障害者協会の文芸コンクール第三位に選ばれるという栄誉にも与りました。いろいろな方々から、「短歌楽しみにしています」という声を聞くことがあり、これもまた、教会と社会との「隔ての壁」(エペソ2-14)を除いていくために、神が授けてくださった道と信じ、歌作、句作にも励んでいきたいと願っています。
 今年も洪水、地震などの自然災害、人間の罪が引き起こした犯罪の、痛ましいニュースを多く耳にしました。そのような危険に曝されている時代の中で、イエス様を信じ、「罪の赦し」(エペソ1-7)「神との平和」(ローマ5-1)をいただいて生きることの幸を実感します。この救いの信仰に堅く立って、来たる2019年へと歩を進めてまいりましょう。

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「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」(ルカ伝2章14節)

 先日は健康福祉館で、「クリスマス 歌のプレゼント」をさせていただきました。初演のベルによるキャロルの演奏も楽しんでいただいたようで、ホッとしました。お客さんの入りもよく、手拍子の協力もあり、皆さん楽しんでくださったようです。地域との触れ合いの場として、更に来年へ向って、良きプログラムを準備してまいりましょう。
 聖霊による受胎を告げられてとまどっているマリヤに、天使は「神にとって不可能なことは一つもありません。」(ルカ1-37)と告げました。私もこの御言葉に励まされてベルの賛美に挑戦してみました。、始めてみれば、もう一曲、もう一曲で、わずかな期間に4曲も演奏できるようになったのです。これもまた、私にとって奇跡的な経験でした。
 また、高齢になって祈りが叶えられ、子を宿したエリサベツは、「主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。」(45)と神をほめたたえましたが、これもまたクリスマスに心に留めたい御言葉です。私たちも約束の御言葉を信じ通し、神の真実をほめたたえる者とさせていただきましょう。
 北朝鮮、イエメン、シリア、チベット、世界各地で人権が踏みにじられています。まさに、「やみの中」、「死の陰の地に住んで」(イザヤ9-2)いる人々が大勢いるのです。この日本においてさえ、肝を潰すようなニュースをしばしば耳にします。そのような苦難の中にある人々に、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ43-4)と語りかける神の愛が伝えられなければなりません。
 今日これから美奈宜の杜、水曜には林田の被災者の皆さんに、キャロルのプレゼントをさせていただきます。私たちは、「いのちの光」(ヨハネ8-12)である救い主イエス様をご紹介する、すばらしい御役目を授かっています。このクリスマス、感謝して、この尊いお役を果たさせていただきましょう。

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やみから光へ!

やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。(イザヤ書9章2節)
 今日はアドベント第一主日で、救い主の誕生を祝うクリスマスを待ち望む季節となりました。皆さんがたどたどしくも鳴らすベルのキャロルも響いて、ワクワクしてきます。今年も水害、台風、猛暑、地震と災害の多い一年でしたが、天使がマリヤに告げた「こわがることはない。」(ルカ1-30)という語りかけは、私たちの心をも希望に向わせてくれます。
 今年のクリスマスの案内には「心に訪れるクリスマス」と記させていただきました。まだまだ朝倉の被災地には痛々しい災害の傷跡が残っています。カリフォルニアの山火事では一万3千軒の家屋が焼失したそうです。災害の脅威は増しています。しかし、すべての人の心には、神の愛が、光が、救いが訪れようとしています。「確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。」(Ⅱコリント6-2)とあるとおりです。
 災害も起こりますし、病むこともあり、別離さえも経験します。しかし、心の状態は私たちが選び取ることができます。救い主を閉め出して、やみの中に座し続けるか、「世の光」(ヨハネ8-12)として来られたイエス様を信じ、「いのちの光」を受けるかは、ひとりひとりの選択に係っています。神はすべての人が、「ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つ」(ヨハネ3-16)ことを望んでおられるのです。
 たどたどしく、しかし、楽しく始まったベルクワイヤ、クリスマスまでに、どんな仕上がりを見せるでしょうか。東方の博士たちがイエス様に、「黄金、乳香、没薬」(マタイ2-11)を捧げたように、私たちも救い主イエス様に、きよらなベルの賛美をお捧げしましょう。
 これから温泉、仮設住宅、老人ホームなどでのクリスマス「歌のプレゼント」が計画されています。飼葉おけに眠るイエス様を拝した羊飼いたちが賛美しながら、良き訪れの知らせを語り歩いたように、私たちも、神の愛を証しするため出かけて行きましょう。

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私は切なる思いで主を待ち望んだ。主は、私のほうに身を傾け、私の叫びをお聞きになり、私を滅びの穴から、泥沼から、引き上げてくださった。(詩篇40篇1、2節)
 先日、林田の仮設集会所にゴスペルフォークの神山みささん、ゴスペルロックバンドのサルーキが来てくださり、支援コンサートが開かれました。参加された11名の住民の皆さんは音楽と交流を大いに楽しまれ、にこやかに帰ってゆかれました。来月19日(水)にはクリスマスコンサートも予定しています。
 熊本地震、朝倉の水害の支援に入ってくださったTご夫妻は今、北海道の震災支援に加わっておられるとのことです。「主がお入用なのです。」(マタイ21-3)という呼びかけに応えての行動だったのでしょう。お二人の今後の働きのため、お祈りさせていただきましょう。
 さて、今週の暗唱聖句に、「この苦しみのときに、彼らが主に向かって叫ぶと」とあります。苦しみに直面しても、助けを信じて叫ぶことのできる人は幸いです。逆に、助けようと手を差し伸べておられる方に気づかず、滅んでしまう人がいることは残念なことです。私たちは「天にいます私たちの父よ。」(マタイ6-9)とお呼びすることのできる全能の神が、天から見守っていてくださることを知っています。日々、そのお方に助けを呼び求めましょう。
 福音書には、イエス様に呼び求めて苦悩の中から救われた多くの人たちの信仰の証しが書かれています。今の時代においても主は、「あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。」(マタイ18-19)と約束しておられます。イエス様は私たちの抱える問題の只中に来てくださり、「やみを光に、でこぼこの地を平らに」(イザヤ42-16)に変えてくださる救い主です。
 日本を代表する企業が戦後の賠償を要求されたり、トップが逮捕されたりという事態が相次いで報道されています。災害の多発、人手不足の中でのオリンピックの開催、日本を取り巻く状況に、多くの不安材料が表出しています。このような時代に、「まことの神、永遠のいのち」(Ⅰヨハネ5-20)である主イエス様を証しする教会として立たせていただきましょう。

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このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。(マタイ伝5章16節)

 先主日にミュージックベルの初練習をし、皆さん楽しく「きよしこの夜」の調べを奏でました。それぞれが二つの音を担当しましたが、教会について書かれている、「あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。」(Ⅰコリント12-27)という御言葉を実感したのではないでしょうか。それぞれが担当の音をしっかり出さないと、音楽が止まってしまいます。逆に、それぞれが役割をしっかり果たせば、美しい音楽が湧き出てきます。老若問わず、振ればきれいな音が出ますから、全員で挑戦してみましょう。
 また先日、お世話になっているボランティアグループの朗読会があったので、聴かせていただきました。音楽をバックに、詩や物語を朗読されるのですが、それぞれに個性が滲み出ていて、味わいがありました。それを聴きながら、教会でも、聖書の朗読会をしてみてはどうかと思いました。有名な詩篇を読むのもいいでしょうし、旧訳の人物や出来事から選んで、流す音楽を選び、読むのです。文語で読んだり、英語で読んだりする人がいてもいいでしょう。
 詩篇は祝福された人を、「まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。」(1-2)と紹介しています。この聖書朗読の練習を通しても、私たちは「水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。」(1-3)と表現されているような、瑞々しい信仰へと進むことができるのではないでしょうか。
 かつて、その朗読グループの中心メンバーとして活躍されたのが故K姉でした。召天から三年が経ち、先日、御自宅で記念会が開かれました。イエス様は、「ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」(マタイ18-20)と語られましたが、「永遠のいのち」の希望の御言葉が語られ、再会を待望する聖歌が歌われました。これからも、御一家の上に主の見守りが豊かにありますよう、お祈りさせていただきましょう。
 今年のクリスマスのテーマは「心に訪れるクリスマス」とさせていただきました。朝倉の災害から一年が過ぎ、今年も各地に自然災害が起こりました。通りをイルミネーションで飾るのもいいですが、心にイエス様の「いのちの光」(ヨハネ8-12)を灯す人たちが起こされるよう願います。クリスマスは救いのときですから、周辺に案内も配布し、喜びの知らせを伝える天使の役を果たす教会とさせていただきましょう。

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あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。(エペソ書5章8節)
 あさくら音楽祭では、2名の新メンバーも加わって、ジョイフルクワイヤが三曲の賛美コーラスを歌いました。帰り際に全体合唱の指揮をされた先生が、「良く響いていましたよ。」と誉めてくれました。「わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。」(イザヤ55-11)とあるように、聴かれた皆さんの心に、何かの気づきが残ることを期待します。
 もう少し音楽による証しの幅を拡げようと思い、ミュージックベルを注文しました。考えるときは過ぎ、いざ挑戦!手元にあれば、いつかできるようになるものです。皆さんで一音一音に緊張しながら、美しいベルの賛美を奏でてみましょう。詩篇にも、「タンバリンを打ち鳴らせ。六弦の琴に合わせて、良い音の立琴をかき鳴らせ。」(81-2)とあるように、礼拝にふさわしい音楽の捧げ物は、主イエス様に栄光を帰す奉仕です。
 主は私たちに、「あなたがたは、世界の光です。」(マタイ5-14)と語っておられます。冒頭のみことばにあるように、「以前は暗やみ」の中をさまよっていた者でしたが、イエス様の十字架の救いにより、「いのちの光」(ヨハネ8-12)を宿す者とされました。私たちが発光体となったというのでなく、イエス様の御霊が私たちのうちにあって輝いていてくださるのです。
 次はクリスマスです。最善の準備をもって、救い主の御降誕をお祝いしましょう。既に美奈宜の杜、卑弥呼の湯での「クリスマスコンサート」、教会のクリスマスなどが予定されています。28日の礼拝からアドベントに入りますので、クリスマスのキャロルを歌い始めます。ベルによる「きよしこの夜」の賛美にも挑戦してみましょう。
 フェイスブックに「あさくら音楽祭」で賛美しているジョイフルクワイヤの写真をアップしたところ、たくさんの皆さんが共感してくれました。ホームページには録音した賛美をアップしましたので、聴いてくださった方も多いことでしょう。主がそれらを用いて、悩みの中にある人、救いを求めておられる方を教会へ導いてくださるよう祈りましょう。私たちがイエス様に用いていただけるとは、なんと光栄なことでしょうか。

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父がわたしにお与えになる者はみな、わたしのところに来ます。そしてわたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません。(ヨハネ伝6章37節)
 今日は礼拝後、ジョイフルクワイヤが「あさくら音楽祭」に出演して、三曲の賛美コーラスをします。二人の姉妹たちは初参加ですから、緊張しているのではないでしょうか。既に十数年、この音楽祭に出演することにより、地域の皆さんに教会を知っていただき、賛美歌のすばらしさを証してくることができました。「多くの者は見、そして恐れ、主に信頼しよう。」(詩篇40-3)とあるように、聴かれる皆さんの心に何かの「気づき」が残ることを期待します。
 先週、私たちは「干からびた骨よ。主のことばを聞け。」(エゼキエル37-4)という預言について学びました。神の御言葉を聴くのは生きている人ですから、この語りかけを不思議に感じます。しかし、御歳をめされた人たちに「歌とトークのプレゼント」をするとき、反応の乏しい人が、ある質問に答えたり、ある歌になると歌いだしたりするのを見て、「見よ。わたしがおまえたちの中に息を吹き入れるので、おまえたちは生き返る。」(5)という御言葉の片鱗を感じることがあります。
 人に運ばれ、物乞いをするしかなかった男に向ってペテロが、「イエス・キリストの名によって、歩きなさい。」(使徒3-6)と命じられると、彼は立ち上がって、「歩いたり、はねたりしながら、神を賛美」(8)しました。これもまた「干からびた骨」に「いのちの息」が吹き込まれた実例です。
 私たちが愛唱する賛美の歌の中にも、イエス様の福音によって生かされたクリスチャンたちの感謝の証しが多く歌われています。また、私たち自身もかつては、「「干からびた骨」のような者たちでしたが、イエス様を信じ、たましいの生まれ変わりをいただきました。
 最近の調査によれば、小中学生の不登校が十三万人を越え、増え続けているとのことです。そうした引き籠り現象は全世代に見られる減少かもしれません。本人はもとより、ご家族の心労もいかばかりでしょう。こうした弱ったたましいが、イエス様の「永遠のいのちのことば」(ヨハネ6-68)を聴くことができたなら、どんなに幸いなことでしょうか。
 紛争によって生じた難民を寛容の精神で受け入れ続けたドイツのメルケル首相は支持を失い、差別や迫害を逃れてアメリカを目ざし行進を続けている人々が入国を拒否されています。安住の地を持たない人々が増えているのです。そんな時代にイエス様は、「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11-28)と招いておられます。イエス・キリスト様の「永遠のいのち」の救いに目を向ける方々が起こされるよう祈り、証しを続けてまいりましょう。

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私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。(第一ヨハネ4章16節)
 先日、市長とボランティアの懇談会があり、参加しました。というのは、昨年の豪雨災害の直後から杷木に入って、援助活動を続けてくださった九キ災の働きについて報告する責任を感じたからです。イエス様が、「おおわれているもので、現わされないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはありません。」(マタイ10-26)と語られたように、隠れたところで黙々と為された、彼らの「愛の労苦」(Ⅰテサロニケ1-3)について、新市長にも知ってほしかったからです。
 終わってから、市長が来られ、「知りませんでした。これからも、よろしくお願いします。」と握手してくださいました。災害多発の時代、広域的な援助が必要とされますが、その良き例の一つとして、彼らの真摯な奉仕について、行政の長に報告できたことを感謝します。
 さて、今日は教会の創立32周年感謝礼拝をお捧げします。過日、少年の頃に教会に来たことのある大学生が、聖書の授業が あるということで相談があったので、教会にあった聖書をプレゼントしました。地域に教会があることが覚えられているのです。近々、「甘木聖書バプテスト教会ジョイフルクワイヤ」として、音楽祭で賛美歌コーラスを聴いていただく機会もあります。少しづつではありますが、教会の門が地域に開かれつつあることを感謝します。
 イエス様は、「人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」(ヨハネ3-3)と語られましたが、人が救い主を信じ、生まれ変わる場所は教会です。そしてまた、「みことばの乳」(Ⅰペテロ2-2)によって養われ、信仰者として成長していくのも教会です。誰でも罪人のまま、弱いなら弱いなりのまま来ることができます。しかし、そこで、罪を示され、心の向きを変えてイエス様を信じ、新しい歩みを始めていくのです。
 「まことのぶどうの木」(ヨハネ15-1)であるイエス様にとどまる人は「多くの実を結びます。」(5)と約束されています。聖霊の実である「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」(ガラテヤ5-22 23)といった美徳が備わるようになります。これからも、この地域の人たちに、「信じる者が、ひとりとして滅びること」(ヨハネ3-16)のないように、私たちの罪を負うために来てくださった救い主、イエス・キリスト様を証してまいりましょう。

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教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。(エペソ書1章23節)
 先ごろ、「北九州シロアム会」の50周年記念修養会があり、メッセージの御用をさせていただきました。視覚障害者にイエス様の光を届けようとのビジョンで始められた会が、50年続けられてきたとは、主の導きであり、発起人のAご夫妻の忠実な信仰によるものにちがいありません。協力者の兄姉の献身的な奉仕もあって、祝された会となりました。これを機に、私どもも、できることをもって、応援協力させていただければ感謝です。
 さて、次週、私たちは甘木教会の32周年感謝礼拝をお捧げしようとしています。では、この教会を支える土台は何なのでしょうか。それは、イエス様が弟子たちに、「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」(マタイ16-15)と問われたとき、ペテロが応えた、「あなたは、生ける神の御子キリストです。」(16)という信仰の告白です。
 神の御子イエス様が人となって来てくださり、私たちの罪を負って十字架の苦難を受けてくださり、信じる者を罪の縄目から解放してくださいました。私たちはペテロやトマスと同様に、イエス様を「私の主。私の神。」(ヨハネ20-28)と告白し、その救いの福音を宣べ伝えます。
 おそらく、すべての人に共通する願いは「幸せになりたい」ということでしょう。では、「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、」(ローマ3-23)と言われている人間は、どうしたら幸せになれるのでしょうか。罪人のままで幸せになることはできません。イエス様の権威によって、「あなたの罪は赦された。」(マタイ9-2)と宣告していただく必要があるのです。
 主イエス様は「バプテスマ」と「主の晩餐」によって、この「罪の赦し」を宣告する権威を教会にお与えになりました。1人でも多くの人が罪を悔い改め、バプテスマを受け、主の晩餐に与ることができるよう、教会に委ねられた「イエス様の救いの道」を証してまいりましょう。

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