武蔵村山市議会議員 あまめいし要一郎の活動報告

すっかり、ブログの更新を怠ってました。精力的に情報公開請求など相変わらず追及してます。

台湾・中国

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 李登輝元総統の講演録その4です。

 日本の技術力へ期待する事から、補助金頼みの台湾企業や日本の地方公共団体への苦言が語られます。
 

 今のあの、いわゆるエナジーの問題。いっぱいドイツみたいにソーラーエナジーを使うとか、ソーラーエナジーは今ね、ドイツみたいな所はね、雪が降るとソーラーエナジーは、もう継続しないのよ。だから今、アフリカにね。サハラ砂漠、サハラ砂漠にね、巨大な投資をやっているんだよ。後でどう運搬するか知らないけど、その連中が。非常に変わった事を一生懸命やってるんだ。
 こういうような中で、結局は、私がいわんとするのは 市場の発展というのは非常に多方面にわたっていて、ただ中国市場だけ、中国市場は人間が多いのよ。 ところが一人当たりの国民所得が1000ドルちょっとしかない。そんなにたくさん物を買えやしないのよ。政府は非常に大きなホラを吹いている。例えばね、自動車。2010年における大陸の自動車の必要量は 2000万台だそうだ。 2000万台に達しますと言うんだ。これは世界で一番大きい。本当ですかって。だれが、この2000万台の自動車、どんなエナジーを持って運転しますか。問題が出てきますよね。ところがね、さかんにこれやって、煽り立てている。
 中国への台湾企業からの投資がどうかしています。中国に出資した台湾企業に対する、中国側の優遇策は政治的意図からの一種の補助金、補助金漬けである。それをたよりにしては、国からの補助金、交付金だのみの日本の公共団体のように、結局台湾は次第に弱体化する。一番ひどいのは沖縄ね。沖縄が一番たくさんもらってる。それで田舎いくとね、だから私、「そんな事やめなさいよ。」、そして結局ね、48県、日本は48県ある。「48県を8州、8州に分けなさい。」って、大きくして自分の好きなように、予算も充分にもらえる。大きな仕事も人材の不足も解消できる。こういうことをやれと。 国からの補助金でたっていってる。これが一番ひどいのは沖縄、沖縄なんだけれどね。そういうところに、結局 経済が撤退。
 台湾というのは大陸からどんどん、あのいわゆる旅行者が来る。旅行団が来る。旅行団というのは自分の金払って旅行に来るんじゃないのよ。省政府でね、台湾にね、何々省、浙江省、江蘇省、河南省、各省にお前は二千人の台湾旅行者、台湾旅行の団体を作れ、そして一人当たり何万元提供すると、ところが中国ではね、そういう各田舎行くと、上海とかいろんなところを除いては、貧乏な人が多いからね。台湾に旅行に来てもお金を使わないでね。ケチな旅館に泊まってケチなもの食べてお金を持って帰るんですよ。そういうような事をやってるとね、実を言うと、口だけで台湾自体が良くなったかと言うと良くならないんですよ。今回、あんたがた台湾に旅行に来たから聞いてごらんなさいよ。そんな状態だからね。経済の競争力が長期に失われてしまう。やはり、ここで問われるのは台湾のアイデンティティですよ。

・・・李登輝講演録 その5に続く・・・・

巨大中国を前にして、台湾の活路は開ける事はないでしょう。もし、我々はそういう態度を取らなければ。台湾の目指すべきは中国市場だけを相手にするのではない。グローバルな市場で競争力を持つ産業を発展させることです。台湾のあらたなグローバルな政治モデルを確立する事により、逆に中国市場において台湾の国家のとしての立場も強いものになると思います。例えば今、台湾の産業として、一番こう進んできたのは結局、電子産業、電子産業の次には結局石油化学工業とかそれから、いろんな伝統産業、それがたくさんある。そのうちでも電子産業は今の状態では世界第4位という地位を占めているが、これ変えなきゃ落ちますよ。
 高雄港、昔の高雄の港、世界第4位の大きな港だった。それが全然、いわゆる港の整備というもの、今の港というのは何かということ。つまり、今の船というのはコンテナとバラバラの品物と、コンテナという船は何かと言うと、一つの船に乗せたコンテナというのはいろんな国にいかなきゃならない。だから、結局、海運の中心を設けてコンテナの船が来て、そこを中心にしてまた分配してゆく。日本、コリア、中国、香港、フィリピンとこういうように持って行かれるような組織をつくらなくちゃいけない。海運の発展はまずここからやり始めなくてはならないんだ。
 ○○○○、こういうところに結局台湾の行く方向というのは例えば、今の電子産業、IC,半導体、今の半導体で間に合うかどうか?半導体のメモリーはこれで足りるかどうか?値段も大きすぎやしないか。もう少し低い値段を基礎にしてメモリーの高い、SOCというシステムでやらなきゃいけないんだ。これぐらいの事は総理大臣になったら頭の中において、結局、これでね金を出して会社を集めて研究をやらせるんだよ。日本は世界的には知識産業はナンバーワンにある。そういう日本ならすぐにできるんですよ。 今、日本はね、実際にやっていないことが一つある。非常に大事になってくる。結局日本は原子爆弾の攻撃を受けたために、核の研究は絶対やっちゃいけないということだ。核の研究と同時に今の原子発電。ところが今の原子発電は、核と核の衝突から出来てくる。なんで核の融合。ね。いわゆる核の融合に基づいた、安全な、そしてね、廃棄物、それからいろんな放射能とか、こんなのを受けないような発電を何故やらないのか?怖いんだ。アメリカが。外国が。日本が絶対に原子核の研究をやっちゃいけないんだ。
 ところが、今、そういうことをやらない限りは。また、例えば、いわゆる皆さんもご存知の、水素ガスを使ってのね発電、これがもし出来たらね、考えてごらんなさいよ。全世界の石油がもう要らないんだよ。もう自然に、空気の中からの水素で、水素を集めて、水から水素を作れば良いんだよ。こういうようなことがね日本ではやっている教授もいっぱいおるけどね、政府はいわゆるこういう事にたいして重要視しないから、彼らとしては日本でやれない外国に逃げたほうが良いという風に考えるのが多い。こういう状態はね、日本にとっては本当にもう大きな損失。これは世界のCO2問題を無くす、環境の保護、全ての面において、日本の大変大きな仕事なんだよ。こういう仕事日本人出来るんだよ。
 私がこういう事言うのおかしいけど、ソ連で水素の核の融合をやった男がおった。世界で2,3人しかいない。殺されたよ。何で殺されたか。彼が成功したらおそらくアメリカのね大金持ちとそれからユダヤ系と中東の石油を持っているこの連中たちはもう駄目なんだ。ソ連もそうなんだ。ソ連は天然ガスを売ってヨーロッパをコントロールしている。こういう状態の中で自分で研究をやってね。日本ぐらいの産業・知識を持っている国は少ない。こういう、協力的にやるべきなんだ。これ、一つの例、半導体を作る。

 ・・・・・・・講演録その4に続く・・・・・

 1月25日の李登輝元総統の講演録の続きです。

 台湾の主体性、日本と台湾は、どのように中国と付き合うべきかを示唆されています。


 台湾の主体性を語るとき中国との関係を避けて通る事は出来ません。私は中国について旧姓高等学校時代に徹底的に教えられました。私が高等学校1年生の時には、中国史というのがありまして、中国史の先生、非常にね真面目な中国史の先生でした。帰られてから亡くなったそうです。この先生から中国史を学んだ。中国の歴史5000年の歴史の中、いわゆる4000年、4500年の歴史は1時間で終えたんです。だいたい皇帝制度だから、これ、1時間で話ができる。法統制という形で結局、皇帝がどうやって治めてゆくかと。自分の個人の財産と地位と勢力をかためるため。それ以外何もやっていない。こういうような事で私は大学に入ったとき、中国はいったい5000年の歴史、中国人一人当たりの所得はいくらなのか?手を入れて研究してみましたが100ドルにならなかった。100ドルになってない。今、1000何ドルで世界の1000何ドル近くなっているけど、これはそのうちまた私はプログレス、デプレッシャスと言ってね。 発展・退歩 発展、退歩する。体制が変えなければ退歩する。それが結局5000年の歴史だった。私が習った中国史というのはアヘン戦争以降の100何年と言う小さな歴史だから、それによって中国の基本的な問題はどこにあるかという事を教えられた。5000年に及ぶ中国の歴史は単に皇帝の名前・王朝の名前が変わっているに過ぎません。この王朝の歴史を法統と彼らは言い、悪政を行った皇帝を倒し、新たな皇帝が統治を行いましたが、それを託古改正、信託の託ね。いにしえの託古改正、託古。黒板が無いから29階には黒板があるからね。すぐ書きますよ。皆さん人が少ないから、その教室を使っていない。託古改正といいます。託古改正とは、本来あるべき姿にもどるという事を言います。私に言わせれば、中国の歴史は託古不改正の連続に過ぎません。実は変えてないんだよ。託古不改正だよ。 これについては魯迅が詳しく語っています。魯迅ね。魯迅、日本留学のお医者さんで、途中で、中国に帰ってね、いわゆるその阿Q世伝という、本を書いたのは魯迅でしょ。これは目に見えない、目に見えない壁に幽閉された中で、何度も繰り返し上映されている芝居である。国の中でらせん状に前身しているつまらない芝居である。全然国は進歩していない。らせん状でそこでぐるぐる回っている。進歩したかと思ったら退歩、退歩したかと思ったら進歩、こういう形で回っている。そして法律的には結局いわゆる法統という形で、これは目に見えない。見えない壁、時間と空間、それすべてが一つの壁になってしまっている。人間はその中でね、時間も無ければ空間も無い。これ面白いね。哲学的に皆さん考えてください。時間と空間の壁に幽閉された中で何度も繰り返し上演されている芝居です。中国の歴史は芝居ですよ。ね。幻の思想、幻の思想 中華思想に囲まれてその中をぐるぐる回っているのに過ぎないのです。ですから中国人には私は誰だと言う問いも無ければ、誰か分かってもいません。言い換えれば、自らの精神の確信が無い。だからお金を儲ければ良い。人は騙しても良いという発想になってしまいます。
 だから、孔子が、孔子が曰くでしょ。生を知らずしてなんで死を知るか。仏教においては、我々に人は人間は死ぬことが一番大事だとね、仏教ではね生きる上に何をすべきかじゃなくて、「早く死ぬことを考えろ。」というのがいわゆる仏教なんだね。中国は儒教の思想を宣伝しますが、実は余り役にたってはいないのです。また中国を研究する日本人の学者の論文がたくさんありますが、正直な研究者が多くて、中国文化の本質をみていないように思います。私は日本の教育を受け、そして中国社会で生きてきましたからそれが良く分かるのです。
 私が総統になったころ、認識台湾という中学校の教科書が出版され、台湾の歴史が国史として初めて位置づけられました。それまで、台湾は中国の法統に支配され、託古改正が息づかれていましたが、その束縛から脱して、台湾は主体性のある民主国家に転換したのです。つまり、託古改新、いにしえを脱して新たに変えてゆく託古改新の台湾アイデンティティを確立したのです。これが、私の12年間における民主化、いわゆる血をながさずして、あの独裁的な体制から自由と民主的な社会に持ってゆく。あの、東京外国語大学の井尻教授はこれを名づけて、台湾経験と。
 もう一つは台湾という国の法的地位が無い上で外国とあちこちと外交をやってく。正常な形じゃないの。台湾というのは非常にこういう、非常に正常化した中に置かれていない。だから、台湾の政治の正常化、正常化は我々の努力してやらなきゃいけない仕事だと思っております。
 台湾は、あとで、また申し上げますが、「台湾をいかにして変えてゆくか。」というその努力というのは人に頼るのではなくて内部でやらなくてはならない。明治維新と同じだ。近年、大陸中国の急速な経済発展を眼前にして、台湾の人の自信がゆらいでいるように見えます。もうお金儲けするなら上海に行くべきだ。もの食べるなら上海が一番いいと。こういう考え方で非常にゆらいでいる。台湾の指導者はどこに向かっているのかという座標軸を打ちたて、その中で中台関係を位置づけるべきなのですが、それをやっていない。
 武者小路の「君は君、我は我なり。されど仲良き」という言葉が想起されます。「君は君、我は我。」という姿勢でけじめをつけて中国と付き合うことが現実です。そのためにあらためて台湾と言う我を問い直し、自分達の運命は自分達で決めてゆく心構えと備えが必要でしょう。
 だから私も日本の政府に対して、民主党政府、結局、中国とどういう関係に持ってゆくか。「日本は日本。中国は中国。」そこには結局けじめのある関係を作らなくっちゃいけない。はっきりしない。日本の政府の政治は、今の台湾の政治と似通っている。はっきりしていない。
 私がいつもね、皆さんに対してこういう事いうのはおかしいけどね。最近、日本銀行はいけない。あれだけ人民を苦しめている。今でもまだ改革しようとしない。・・の比率、お金は全部タンスにいれて持ち出せない。そして財政的な面で大きな計画を立て、どうやっていくかと言う事をかんがえていない。
 1985年プラザ合意によって日本円のいわゆる、この上昇があった。「250円から150円に上げろ。」そういう命令を受けた時に考えがはっきりしなかった。インフレーションになるという事しらなかった。日本円これだけ上げてます。外国株どっさりと、どっさりとお金が入ってくる。お金が入ってくるとお金をどう処分するか。日本銀行は考えなかったよ。だからもう、日本の紙幣をどんどん発行して、日本紙幣を発行して急にバブルに、インフレーションになった。そして土地も上がる。家も上がる。株も上がる。もう銀行はもう大変だな。もう大インフレのもとで、もう金を貸しっぱなしにして、結局不良債権が増えてゆく。1991年にはもうバブルで埋まってしまった。銀行はもう動けなくなっていしまった。 この状態を今も考えている。今、違うんだ。今、逆の方向の状態にあるんだよ。ね。不景気、不景気でね。その状態の中で今でもまだ、利率がゼロでインフレーションになるのが怖くて、今、インフレーションになるの問題じゃないんだよ。デフレで困っているんだ。日本は。今、物価は下がり、失業者は増える。こういう状態の中に日本銀行は何をしているのかな。私もおかしいと思う。
 総理大臣は銀行に対し総裁をいつでも早く代えるべきじゃないかと私は思うんだ。日本はね、あんたがたみたいな若い世界的に有名な学者がいっぱいおるんだよ。そういう人達にね、話を言わせるんだ。例えば今、いわゆるロンドンスクールだとかケンブリッジにおるだとかね、アメリカにたくさん有名な日本の学者がおる。私も知っている良い友達とたくさんつきあっておる。そういう人を日本は使わないんだよ。「おかしいなあ。」と私ね、どうしてくだらない人を政府の役人にしたり総理大臣にしてね。坊ちゃんの総理大臣じゃね、人民の苦しいの分からないのよ。ね。人民がどういう苦しい生活してるか分からないのよ。これが結局、私の言ういわゆる明治維新の平成維新を日本はやらなくちゃもうやっていけないんだよ。
 ね。年取った人を・・にしていい福利をあげて、そして彼らの持っているお金をね、ちゃんと高い利息で、あの銀行に持ち出して、そして日本であるいは世界でいろんなところで投資をやって、こういう事をやらないと困るじゃないかと。
 これが私、昨年の9月5日、日比谷公園で講演した話、これなんですよ。つまり、あのいわゆる竜馬の船中八策に基づいた、私の若い皆さんにお話したいこと。こういうテーマでお話したわけよ。結局、八か条、船中八策ですよ。それに基づいて今どうすべきか!それはものすごい条件が変わっているよ。あの坂本龍馬時代と今の日本と全然、経済・外交ね。それから国防からすべて変わっているんですよ。変わっているからこそ、非常に有能な人が出てきて指導しなくてはならないんだ。その時期に入ってきている。だから、私その時こんな事を言ったのですよ。武者小路の「君は君。我は我なり。されど仲良き。」という言葉が想起されます。「君は君。我は我。」という姿勢、けじめをつけて中国とつきあう事が現実的です。民主党は協和体、東アジア共同体という理論を出して誰のためにこれをやっているのか!私、分からないんですよ。中国人のためになる。中国人笑っておる。日本は・・な事やってるなあと笑ってるんですよ。そのためにはあらためて台湾と言う我を問い質し、台湾というのは何だ自分達の運命は自分達で決めているという心構えと備えが必要でしょう。囲碁で例えれば、意志の無い単なる駒にならず、意志のある指し手になるという姿勢が無ければ、巨大中国を前にして台湾の活路は開ける事は無いでしょう。
 呉清源が日本に行って15.6歳ごろ、日本に行って日本のいわゆる碁の先生と歩いた。呉清源というのは台湾のね、あの時おった天才だな。15.6歳で日本ではもう5,6段ぐらいの段を持っていた。日本では9段の何とかという有名な先生と碁をやった。15.6歳の子供のくせに彼は、彼はもちろん黒を持って、先生は白を持つ。じゃあ黒を持ったから、彼の一目は天目に置いた。天目に。大先生怒り出した。なんだ!この小僧め!天目に。いわゆるその駒を置くことだよね。石を置くと。彼はね呉清源は意思をもっておる。これ、天下を決めるんだよ。中心に置けばね、相手はね、こっちの意志どこにあるかわからないから、碁というのは。後で日本の碁が近代碁に移り変わってゆくのは、この碁によって現代の、近代碁が出来上がった訳です。打つ駒、一つ一つに、目的、指名を持たせる。意志を持たせる。非常に大切な事だ。ね。
 小沢一郎は七段を持っているからこれをやったから政権を握ったよ。ところがこれが日本のためでなく自分のため、日本のために打てば偉いと私は思うが、はたしてそういう風にやるかしら。
 
・・・・講演録その3に続く・・・

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 1月25日に、日本李登輝友の会 地方議員会員 訪台団と李登輝元総統との会見が行われました。李登輝元総統は、私たちのために、わざわざ講演の原稿まで作られて待って下さっていました。
 会見から1ヶ月近くかかりましたが、ようやく、講演録が出来ました。

 できるだけ、李登輝先生の話された事を一言一句書きとめようとしましたが、良く聞き取れなかったところがありますが、ほぼ、忠実に書き起こせたのではと思います。
 ところどころ「・・・・・」となっているのは聞き取れなかった部分です。

 李登輝元総統の口癖の「○○なんだよ。」など、お話をうかがった事のある方は李登輝総統の語り口を思い浮かべながら読んでみてください。
 原稿はあるのですが、話が脱線していろんな方向に話が広がっていきます。
 
 私は、そんな雑談のような話の中に、李登輝元総統の人柄がうかがえると思います。

 貴重なお話ですので、是非、ご一読ください。
 

  1月25日 李登輝 懇談会 講演録

李 今日はわざわざいらっしゃいまして、あの、皆さんから何かお話ありませんか?

・・・訪問団、恐縮している。

李 私忙しくないのよ。日本から友達が若い人が来るのをいつも待っているのよ。

李 今までは団長さんだけに、お土産をあげておった。今度は団長だけお土産もらって一緒に来た団員、あの、空っぽで帰るのはちょっとおかしいじゃないかと。皆さんには小さいけどもちゃんとお土産を持たせるという事に決めました。片木さん(李登輝友の会 事務局次長)、そうでしょ。今までそうだった訳よ。今度はね、団員さんみんなにね。全部ね、あげようと、気持ちがそう、違うじゃないかと。

 今日は皆さんに話をしたいというのはね。結局この、台湾人の対日感情とね、日台関係についてのお話をしようと、するとね半分ぐらいの時間、あとは皆さんから意見を出してもらってお話をしましょう。準備した資料がありますから。
 日本李登輝友の会地方議員訪台団、団長野田先生、副団長宮川先生はじめ団員の皆さん良くいらっしゃいました。色々考えまして、台湾と日本、皆さんにね、毎日変わるこの世界情勢を日本と台湾における情勢と、いわゆる台湾の一般的な対日感情とそれから台湾の政府の歴史、今まで私が今日考えておったのはね。台湾と日本100年来の歴史、およびその後の関係という話をしようと思ったんですけどね。最近における対日感情というのは非常に大事だと。台湾の戦後史も入れて、皆さんに何か教え、申し上げたいと。
 それから最近における、交流協会の前の所長である池田先生、今、顧問をやっておられますがね。この人が今一生懸命なってね。結局2010年。昨年からはじまったようですけど、2010年の日台文化交流というのが、台湾と日本の間における経済関係や交流、当地の政治的な面はね、非常に牽制を受けてあのなかなか進んでいないようですけどね、ただ、この文化交流を進める事によって、人民と人民の間の関係を広げるという話になっていますね。こういう機会を利用しまして、皆さんにも報告しようと考えております。対日感情と台湾のの戦後史についてお話しますと、これからの日本と台湾の未来を考える上に、台湾人の対日感情を知っていただきたいと思います。台湾人というのは日本に対する感情は何か?同じように、あの、いわゆる韓国も日本の領土だったんですが、この韓国人の日本に対する感情とまた台湾人の日本に対する感情、あるいは、中国人の日本に対する感情とはそれは全然違うということをね。私は結論付けて話します。
 これは台湾の戦後史に依拠している。台湾の戦後史、第2次世界大戦後、終了後、一年ほどしてから台湾では228事件という暴動が起きました。この暴動はこれは地方的な問題ではなくて台湾全体、北から南まで、東は西まで全部、結局この暴動に入ったわけです。戦後まもなく日本統治が終わった台湾では、役人・軍人など公務員の汚職が汚職が横行し、経済は大変な局面に入っていました。失業者はものすごい増える、産業は発展しないと、物価は上がるしね、結局、中国大陸の内部の影響もありまして、台湾が大変な経済混迷の中に入っていったんです。
 国民党政府は台湾は祖国に復帰したと言って、盛んに台湾人をして、台湾人は中国人だ。台湾は祖国に復帰したとこう言っておりますが、台湾人民には日本統治時代よりも、いわゆる祖国に戻った台湾は酷いじゃないかと思っておったわけです。
 というのは、ここで私の言う228事件というのは何かと言いますと、228事件とは文明の衝突、50年間にわたる日本の植民地統治というのは台湾をして近代化させました。その代わり中国はおそらくずーと清朝終わりからいわゆる国民党共産党の内戦によって、ほとんど退化の一方、ほとんど近代化に入っていけない。この台湾が近代化している状態の中に結局遅れていた中国が、蒋介石政権が連れてきたあのわらじを履いた兵隊さんと、傘と鍋を下げた兵隊さん、これだけでも大変ですよ。1947年2月28日台湾全島に暴動が起こりました。暴動の中心には日本の軍隊から復員し日本統治時代と余りにも異なる惨状に怒りを覚えた人達がたくさんいました。当時、蒋介石は中国本土にいましたが、時間稼ぎのために各大都市に調整委員会を作り教育を受けた有能な人々を集めました。だいたい皆さんのようにね、市長・議員とかね県の委員とかがね結局この調整委員会に集まるんだ。
 私はちょうど大学4年生、私も毎日中山路に行って、公会堂に行って、その調整委員会の話を聞いておったよ。私は日本の軍隊から復員して台湾大学の4年生に在籍しておりました。皆さんご存知と思いますが、帝国陸軍少尉李登輝ですよ。岩里政夫というのはね私の昔のね。帝国陸軍から復員したばかりの学生ですよ。それが台湾に戻って再編入し、4年生に在籍しておりました。毎日、台北の調整委員会に出かけ会議所のドアの外から何が話し合われているのかを聞いていました。その時、私は、「これは大変な事だ。委員会は軍隊を送り込むまでの時間稼ぎをしているにすぎない」と感じました。つまり大陸からの台湾における警察・軍隊は国民の暴動によって、台湾の人々によって占領されているね。そんな時にどうするかというと、大陸から大量の軍隊を送り込む以外に道がないのです。そのための時間稼ぎとして、いわゆる、その調整委員会をつくり、台湾の地方における有能者いわゆる指導者になるべき人間を集め、ここで討論をやっておった。で、私が4年生で、学校の休みはのこのこと公会堂へ話を聞きに行きます。聞いてますと、これは大変です。時間稼ぎですよ。中国の軍隊が来るまであれやこれやと言ってね。半分はあの、いわゆる、その許して良い話だけして、ここで安心させて時間ばかりをおしゃべりですごして、時間が来るのを待っておる。果たして3月4日頃、中国本土から大規模の軍隊が台湾に侵攻し、台湾人を大量に殺すなど大きな傷を残しました。その時殺されたのはほとんどあの時のエリート、非常に有名な弁護士から大学の先生からね、いろんな高い地位の人間、その時ほとんど殺された。
 台湾がいわゆる台湾が非常に断続した形になったのはその時なんだ。それ以後台湾は何も出来ない。李登輝はあの時台湾大学4年生の学生でしょ。兵隊から帰ってきたばっかり。それが結局、ある時が来るまで台湾は結局何も出来なかった。台湾人を大量に殺すなど大きな傷を残しました。以後、蒋介石国民党政府は徹底した排日教育を行いました。蒋介石総統は中国・日本に対して、「恨みに恩を持ってす。」と日本から何も賠償金をとらないなどと、日本人は盛んに手を叩いてね。ことに右翼の日本人はこれを非常に賛美しておった。
 学校教育では、偉大な中国の歴史が教え始められました。この、偉大な中国の歴史と言ったら5000年の歴史、あとで時間があったら皆さんに言いますけど、5000年の歴史というのは皇帝統治、皇帝が統治していた歴史です。その歴史というのは、いわゆる法統、法律の統制、法律、法統ね。みなさん中国社会は日本と違って、日本の江戸時代は、いわゆるその、王権の分裂した藩で治めておった。中国では皇帝がずっと統治していた。その統治に対しては法統という法律と組織というのが存在している。皇帝型統治、大中華帝国というのは、その時、大中華帝国ね、名前が変わっても、朝廷が変わっても同じことやらんといけない。清朝は前のいわゆる明の状態に従わなくてはいけない。明はその前のいわゆる、いわゆる元の時代に沿わないといけない。元は、宋の時代、こういう制度は変わらない。人が替わっている、皇帝がかわる。なぜかと言うと、結局腐敗している。人民が起きて革命が起きても易姓革命、名前だけが変わる革命、これが皇帝型統治、これがね、中国の歴史。
 日本の新聞も台湾もどうしてこういう所を・・・・・。一生懸命付け込んで、中国を学べ日本語を言ったら処罰される。日本語を言ってはいけない。日本の新聞も雑誌も見られないし、映画も見られない。すごい排日教育が徹底的に行われた。その時同時に、38年間という戒厳令がひかれる。そして、この言論の自由も無い。いわゆる結社の自由も無い。すべてが取られた。そのため日本統治時代に生まれ育ち徹底した日本びいきである70代以上とは対照的に、50代60代はもう反日的になってしまっている。反日的になってしまったこの連中たちが、いわゆる私が総統を辞めた後の連中たちなんだ。つまり、2000年以降のこの総統とこの連中たちというのは、あの時にこういう反日的な、すごい酷い教育を受けた人間達ですよ。その間に私が総統になった12年間の間に、つまり新たに歴史教育からいろんな教育の自由を始めた。この連中たちというのはずーっと40歳以下になりますね。また彼らの世代の者が台湾総統になると、民主主義に逆行し、自分が皇帝にでもなったかのように振舞うのはそのためである。それが今と前とね。民進党と言って皆さんはこれは台湾独立党だ台湾人のためだと考えるが、昔の皇帝型統治だよ。皇帝だ中国教育受けたんだよ。
 だからいいかね。教育が非常に大事だと言う事が分かる。戦後における日本の教育、結局日本における教育、あのいわゆる日教組による強制、アメリカ式の強制、それが日本としては一生懸命変えなくっちゃいけない。安倍総理によって結局教育改革論を取り出しても中々、そういうように持ってゆけないという、そういう状態。台湾のアイデンティティ、台湾人は断言しているか?大変ですよ。
 私は1988年に中華民国総統に就任しました。わたしみたいな人間が総統になったというのはおそらく神様以外だれも知らないんだ。本当に偶然だよ。偶然な機会というのは神様以外、誰も作ってくれない。李登輝が中華民国の総統になったから、台湾人とは何かという問題を私は取り出した。台湾人って何だ?つまり台湾人の主体性というのは常に中心にあるテーマですから、台湾の主体性をどういう風に置くか?そこに司馬遼太郎さんと話をして出てきたのは、台湾紀行にも書いてありますけれどね。台湾人に生まれた悲哀、結局、悲哀その問題をその時初めて言い出した。1993年、もう私が総統になって叩かれてもね、結局ね、あの沈まない。結局ね、たたかれてもね、落伍しない。いわゆるそういうような状態になったものですから、この1993年に司馬遼太郎さんにお会いした時テーマになりました。そのテーマというのがつまり、台湾人に生まれた悲哀、台湾人は歴史をおそらく何千年も持っている。文字があるこの歴史は400年近くなりますけど、自分の政府を持った事ない。ね。日本時代、台湾を植民地として台湾を一瞬のうちに近代社会に作り上げたけど、台湾人はこの自分の政権を持っていなかった。ここらへんに旧日本の結局残したものは何かというと、結局教育だけ、そして台湾の近代化、これが日本のね、台湾に残したもんだ。

 ・・・・・・講演録その2に続く・・・

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 いよいよ、帰国の日になりました。飛行機は2時の便ですので、午前中,台湾総統府、戦前の総督府を見学しました。私は2.28記念館と2ヶ所見学出来ると思っていたのですが、時間的に総統府だけでいっぱいいっぱいとの事。おまけに、外省人の馬英九政権になり、2.28記念館は2月いっぱいで一時閉鎖との事。昨日、基隆に行っている場合ではなかったとちょっと、後悔。

 台湾総統府ですが、数年前の李登輝学校で一度見学をした事があります。その時は、日本統治時代の歴代総督の事もきちんと展示されて説明されていました。李登輝総統とダライラマ14世が会談した写真なども展示してありました。一応、憲法上、チベットは中華民国の領土と主張しているのに問題ないのかと思った記憶があります。「台湾は中華民国ではない!台湾は台湾だ!」という意味を含んでいての事ではありましょう。

 さて、馬英九政権になって、総統府の展示内容が変わったと聞いていましたが、これほどとは!

 渋谷生まれだけど、すぐに台湾に帰ってきたので日本の思い出は無いんですというガイドさんに、総統府の建物の歴史などを丁寧に説明していただきました。その説明に、李登輝友の会の片木さんが詳細な解説を加えてもらいながら館内を見学していました。
 ガイドさんが、パスしたがった展示室に、ちょっと見たいのでと入ってみると、日本軍が清国人と戦って今にも切り殺さんという巨大な錦絵! その前で、怒り狂わんばかりに解説しているガイド(多分、外省人なんでしょう)。

 なんじゃこりゃ! です。

 写真を撮りたいのですが、撮影禁止! 

 展示物に自信があるなら、馬英九は堂々と撮影許可を出すべきです!

 ガイドさんが、悲しそうな顔していたので、私たちは日本李登輝友の会の会員である事。台湾好きゆえに、馬英九政権は支持していない事などを話したら、ポツリポツリと話をしてくれました。

 立場もあり、おおっぴらに意見を言えないようでした。

 「台湾人は、みんな日本が好きなんですよ。特に、南の方の人は本当に日本が好きなんです!」

 遠まわしながら、ガイドさんの言いたい事が伝わってきました。

 馬英九は香港生まれの台北育ちの外省人。アメリカ留学時代に白色テロを行っていた国民党政権のスパイをしていました。

 馬英九政権になって、再び、蒋介石国民党、白色テロの時代にじわりじわりと戻りつつあるかのようでした。

 日本も、言論弾圧の鳩山一郎の孫、鳩山由紀夫が総理をつとめ、小沢一郎幹事長には絶対服従の民主党政権。

 東アジア地域から、台湾の国民党政権と言い、日本の民主党政権と言い、自由にものを言える空気が薄れつつあるように思います。

 総統府見学を終えたのち、帰国のため飛行場へと向かいました。


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