|
(後編) ■ 翼って? しかし今、はたと思う。 翼とは、何なのだろうか? たしかに、僕の命や人生や生活の第一義に、富や名誉は上ってこない。 しかし、富や名誉が「いらない」とさえ思えるほどの、翼。 何だろう。 現実生活では残念ながら、翼は死ぬまで生えない。 レッド=ブルを飲む以外には。 じゃあ翼というのは、「虎に翼を与えるようなもの(from三国志)」みたいな比喩と考えていいだろう。 僕にとっての翼は、いったい何なんだ?? 愛? 子供? 自由?(←これはけっこう近い。でも定義は難しい) アルコール?(←おいおい) ニコチン?(おいおいおい) 万馬券?(←それ富) 宝くじ一等(←それ富くじ) (※当人生ではギャンブルはほぼ一切扱っておりません。念のため。) 仕事上のスキル・ノウハウ?(んー。それは富や名誉を得る手段なのでゎ) 心から理解しあえる仲間?(これも近い。だが得るのは非常に難しい。ワンピースかよ) 元赤い鳥のメンバーである、紙ふうせんのお二人が、阪神大震災の被災者慰労で各所を歌い廻る中で、『「翼をください」の本当の意味が分かってきた』として、こう言っていた。 「この歌は、死後の世界を歌った歌、<慰霊・鎮魂>の歌なんだ」 僕は即座に「違う」と思った。 歌の感想は受け取り手の自由だから、その結論に行き着くのは勿論「アリ」だ。 でも、僕の中では違う。 僕なんかよりずっとずっと長く、この歌に関わってきた二人だ。 そしてあの重く苦々しい阪神間の季節を、この歌と共にずっと励ましてきたお二人の達観だ。 そもそもこの歌に命を吹き込んだ、まさに<創造神>の領域の人々だ。 本来なら、圧倒的絶対的な解釈だ。 でも違うものは違う。 その翼で、天上(あるいはお浄土あるいは天国)に召された人々に「飛んで会いに行きたい!」と思う事もある、よく分かる。その「言えない気持ち」を代弁したカタルシスにもなる。これは確かだ。 だがそのリンケージは、「後追い何とやら」を簡単に想起してしまう。 心配限りなく、危険極まりない。 逆に、歌の主人公がすでに逝去された人ならば、たしかに地下の冥府に彷徨うていても、翼の授かりし時、必ずや成仏なされることだろう。生者にも滅者にも「南無阿弥陀仏」「極楽往生」と同じ意味だ。 そこまでいくと、すでに娑婆世界の「富」も「名誉」も隔絶した次元だから、省略歌詞を歌うとかえって著しく野暮になってしまう。 が、そこまで重箱の隅をつつこうとは思わない。 ともかくも、いろんな状況の人に、寄り添える歌ではあるだろう。 でも、人間の死に焦点を絞った「千の風になって」のような歌とは、違う。 敢えて言うならば、まったく逆、 今を生きる人、一人ひとりが、生きていくための歌、 に他ならないと僕は思っている。 で、僕にとって翼は、何なのだろうか。 “生活の糧”だろうか。 生きるための“武器”なのだろうか。 努力苦心の末にやっと手に入れた「翼」? それとも、神様みたいなのが魔法で与えてくれる「翼」? それに頼って生を謳歌したいという自分もまた、 その翼を次の瞬間失って地団太踏んでる自分と、同じ生き物かもしれない。 今翼が無いと思い込んでいる自分と、同じ生き物かもしれない。 では、翼というものは永遠に授けられず、 また授けられても永遠に意味の無いものなのだろうか。 違う。絶対に、ある。 さもなくば、 この歌が作られたことも、この歌を歌う事も、まるで意味が無くなってしまう。 無いものねだりでもなく、 空想の千丈余の翼でもなく、 現実に確固として存在しうる、 僕が否定しようの無い翼―― とは。 つまるところ、もうすでに、与えられていた。 ここにあった。 自分が翼なのだ。 自分ではばたかねばならない。 エンジンはずっと鼓動を続けている。 はばたかねばならない。 想像の範囲では、すでに幾光年を羽ばたいて、愉しみ方を識っている。 この歌を歌っている時だけは、ね。 現実は、歌いながら飯・風呂・洗濯・寝る、で、傷だらけの翼をなんとか休め… …たフリでもしておく程度が、関の山なんだけどさ。 まあ、それもまた良し、だ。
この翼は、大事にしてやらんとな。 僕にとっては、絶世唯一の翼だから。 |

- >
- エンターテインメント
- >
- 音楽
- >
- J-POP






