アンビシャス MIYAMA

渋川市赤城町や深山などに関わる話題を気ままに書き留めます。

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大事なところに間違いがありましたので、はじめにお詫びしなければなりません。
本来は「角田無幻」と書くべき所を、「角田夢幻」としていたところがありました。
(タイトルまで!)一応なおしましたが、恥ずかしいですね。
でも、いろんな本や資料でも結構間違いがありますね。それも大事なところで
あったりもします。

最近気になっているのは、新選組関係のホームページによく「群馬国人記」という本から
引用されている部分があるのですが、「群馬人国記」(歴史図書社)の間違いだと思います。

その「群馬人国記」の萩原賢和の項目には、賢和と師匠の親和が吉原に遊んだ折の
エピソードに続いて、岸大洞先生が次のように紹介しています。

「得意の篆書は一家を成し、筆力雄渾である。当時有名だったのは、江戸虎の門鬼門除けの額。
信濃の諏訪明神、越後柏崎の鎮守社の幟篆書であった。中年で郷里へ帰り、人材を買われて
幕府から東入り二十三ヶ村(片品、利根村)の取締役を命ぜられた。嘉永元年(1848年)
三月、米寿を祝う書画会が開かれ、その年八月永眠した。
無欲恬淡、村外から教えを受けに来る者、書を乞う者も多かったが、謝礼は受けず書を与え、
軸物、襖、また庚申塔、道祖神の碑など多くの筆跡を残した。」

上の写真は、国道十七号の上白井小学校(子持地区)への入り口に立ついしぶみです。
似た書体のものが赤城町溝呂木の信号近くにもあります。下の掛け軸は、「八十八翁」と
書いてあるのでしょうか?もしかすると、米寿のお祝いの時のものかもしれません。
こうして、地域にたくさんのいしぶみや書があるのは人国記で紹介されている賢和さんの
人柄や沼田街道などによる利根郡と勢多郡の交流などによるのではないでしょうか。
無幻さんと共通する所もあるように思います。

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