あめちゃん夢想

素敵な人々がたくさんいた、温故知新です。

琉球王国

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琉球3

1850年代    アメリカ、フランス、オランダ各国との

          条約締結(じょうやくていけつ)で東アジアの

          独立国(どくりつこく)として認知されていた。

1860年代    異国船の来航

          文替わり(もんがわり)レートの変動により

          経済・財政危機(けいざい・ざいせいきき)におちいる。

1870年代    日清両国との両属関係(りょうぞくかんけい)を維持する事が困難          になった。

1872年明治5年 琉球王国を琉球藩にし、国王を藩王とした。

1875年明治8年 琉球藩を日本専属とげんめいし、清国との通交関係の停止を要求

1880年明治13年 「琉球処分条約」を妥結(だけつ)

          「廃琉置県」(はいりゅうちけん)布告。

           県庁学務内に標準語通訳養成のための会話伝習所を開設。

           小学校   18校開設。15年には53校にたっした。

1881年明治14年 第二県令に任命された 上杉茂憲(うえすぎもちのり)着任。

           税制改革 祖税軽減

           帰下服従(きかふくじゅう)

           租税を緩めて民財をゆたかにし、教育を普及させ県民の『帰化服           従』を目標にあげた。

           

1883年明治16年 上杉解任。

           在任中に東京へ派遣した県費留学生3名が10年後に新世代の改           革者として 登場する。


           
           岩村道俊いわむらみちとしが県令に就任。


    世替わり

     政界、財界、教育界、経済界まで内地人に占領される。
  
  「内地人がいばるありさまは、ちょうど欧米人の日本に来ていばるのと同じ

  つりあいにて,利のある仕事は、すべて内地人の手に入り、引き合わざる役廻りは

   常に土人に帰し,内地人は殿様にて土人は下僕なり」琉球見聞雑記

1893年明治26年 沖縄初の新聞「琉球新報」創刊。
 
           県費留学生の活躍はじまる。

人口の8割をしめる農民層は置県後も

          住     かやぶきのほったて小屋

          衣     粗末な芭蕉布(ばしょうふ)

          食     甘藷かんしょ・そてつ

         納税のためあけくれていた。

          砂糖生産  貢糖・買上糖制度  政府に買い叩かれる。

                手持ちの砂糖も寄留商人に買い叩かれる。
  
   滞納者の負担も村全体の連帯責任で納税することになっていたので

   共同負債が累積していった。

   15歳から50歳まで男女(正頭しょうず)に課税する人頭税が温存する地域もあ   った。

   地方役人などが徴収した租税を私的に流用する状況も各地に現出した。

   1894年明治27年 日清戦争はじまる。

   1895年明治28年 日本の勝利でおわる。

同化教育   皇民化教育(こうみんかきょういく)


    断髪、沖縄語の排除

1898年明治31年 沖縄・小笠原にも徴兵令が施行された。

1899年明治32年 土地整理事業5年かけて実施された。

      近代的所有権の確立  土地売買の自由

      家族・経営が納税の基礎単位になる。

      徴兵制の完全施行


1901年明治34年 4年制義務教育制度を発足

               同化・皇民教育を徹底させる。

1903年明治36年 大阪の博覧会会場周辺の『人類館』で

               中国人、韓国人、アイヌなどと共に

               琉球人が見世物として展示された。

1906年明治39年 就学率が90%をこえた。

1907年明治40年 義務教育期間6年に延長。

琉球2

琉球王国(りゅうきゅうおうこく)

1372年     明王朝は明が冊封した国に限り、朝貢貿易を認める朝貢冊封体制を

          しいた。 

          明朝へ朝貢冊封体制への参入によって琉球社会は 急速に国際的、

          国内的条件をととのえていった。


          
1404年     武蔵の国むつらに琉球船が漂流。

          中国に名づけられた「琉球」呼称は琉球人自身のものとなり

          日本に対しても琉球人を名乗っていた。

1427年     第一尚氏の王城は首里城を建立。

1470年     第二尚氏 尚円が王位につく。18代まで400年以上続く。


1471年     幕府から琉球への渡海船につき、幕府の印判のないものの取り締ま

          りを命ぜられた

          薩摩島津氏は監視を強めた。

1591年     豊臣政権への服従をせまり、軍役をふたんさせた。

          琉球側はこれ以上の軍役ふたんは困難と拒絶して

          豊臣政権への全面的にのみこまれないように一定の距離をおいていた。

1609年     薩摩藩島津氏は琉球攻略へ

          その後、琉球は幕藩制国家の支配下の従属国となる

          薩摩藩は年貢の徴収権

          琉球の対外貿易権

尚豊政権      対中国関係と対日関係の両者のバランスをとることを

          国是とした。


1832年     江戸上り 琉球使行列

          異国風の衣装に身を包み どら・太鼓・ラッパなど演奏しながら


          行列するので珍しく、瓦版、錦絵、読本がうりだされ

 「椿説弓張月」      作   ベストセラー作家の滝沢馬琴(たきざわばきん)

             挿絵            葛飾北斎

主人公   鎮西八郎為朝(ちんぜいはちろうためもと)は保元(ほうげん)の乱に

      やぶれ、伊豆半島にながされたのち、島を脱出して琉球に漂着する。

      そこで妖僧矇雲(ようそうぼううん)と戦い、寧王女(ねいわんにょ)を

      たすけて、国内の内乱を平定し、結婚。ふたりの間に生まれた「舜天丸」

      (しゅんてんまる)がやがて琉球王になる。

              琉球ブームになる。

琉球

琉球王国

1816年 イギリス軍艦来航

1844年 フランス軍艦来航宣教師フォカードと中国人伝道士オーギュスタン=コウをのこして出航

1846年 イギリス人宣教師ベッテルハイム

1851年 ジョン万次郎ら米船で来琉

1851年 米国商船・石垣島で座礁

1853年 ペリー、首里城強行訪問

1854年 ロシア軍艦来航 琉米修交条約締結

1857年 島津斉彬の密命(オランダ、フランスと貿易開始)市来四郎(斉彬の腹心)
      蒸気船購入

1858年 市来四郎、軍艦購入の交渉中 斉彬急死により破棄

1859年 琉蘭修好条約締結

1866年 イギリス商船、竹富沖で座礁

1868年 明治改元の太政官令、沖縄に到達

1854年琉米修好条約

1. 琉球にきたアメリカ人の厚遇(こうぐう)

2. 燃料や水の供給

3. 難破した船員の救助

4. 船乗員の尾行(びこう)、および監視(かんし)の禁止

5. 泊の墓地(米人の墓)の保護

6. 水先案内人の任命

7. 薪・水の値段についての取り決め

通常の王府組織には存在しない臨時職、いわばダミーまで使い対応させます。

ペリーの強硬〔きょうこう〕姿勢におされ条約を締結します。

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