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三浦・道寸祭〜後編

おはようございます。

梅雨入り後、最初の週末を迎えたアメジストです。

これからネタ切れは必至。いかにして撮ってきた写真を有効に活用するかにかかってきます。

下手したらあと1ヶ月以上写真が撮れないわけで…。戦々恐々としております。


イメージ 1

そんなわけで、2回シリーズでやめるところを強引に3回シリーズに引き伸ばし、前回ちょっと顰蹙を

買った可能性がある道寸祭の最終回です(汗)


イメージ 2

通常の流鏑馬は、あくまでも奉納する「神事」ということで、進行方向尾向かって左側にしか、標的が

ありませんが、笠懸の場合、流鏑馬より実践的なものなので、バラエティに富んだ内容となっています。


イメージ 3

今回の道寸祭では、一旦2つの的を狙った射手が、今度は折り返し逆走して、左下にある標的を狙います。

ということで、ひたすらカメラを構えていたわけなんですが、なかなか標的を射抜いたシーンに出食わし

ませんでした。


イメージ 4

実際射抜いても、相当レベルの高いカメラでないと、連写にも限界があり、ドンピシャのタイミングで

撮れるもんじゃありません。

偶然に写るのを期待するのみです。


イメージ 5

そうじゃなくても動いているので、被写体ブレ、そして、手ブレも激しく、標的を射抜いた写真で、

マトモなのはこの2枚くらいでしょうか…。残念!


イメージ 6

最後は、一番射抜いた射手を表彰し、笠懸は終了となります。

ちょっと近すぎて、全員をフレームに入れられませんでした(汗)

というか、報道陣を差し置いてこんなかぶりつきのところに居ちゃいかんでしょう(激汗)

射抜かれた的は「あたり標」という縁起物として販売されますが、あっという間に長蛇の列となっていました。

我が家には7年前のものが神棚に飾ってあるから、今回はパス…。

ただ、このお祭り、来年もあるのかなぁ…。

三浦一族の信奉者としては何が何でも続けて欲しいのですけどね…。


<横向きの写真はクリックすると微妙に大きくなったりします。ちなみに縦向きの写真はそのまま…(汗)>

三浦・道寸祭〜中編

おはようございます。

今朝起きたら素晴らしい青空だったので、ガッカリしているアメジストです。

実は今日は法事で写真を撮りに行けないのです。なんだかなぁ…。

さて今日は、毎年5月の最終日曜日に三浦市油壺の新井浜で行われる道寸祭の続編です。


イメージ 1

三浦義同(よしあつ)は、平安時代から続いた地元の豪族、三浦氏の最後の当主です。

もともとは扇谷上杉定正の兄・高救の子でしたが、相模守護・三浦時高に養子に迎えられて、その後継者と

目されていました。

しかし、晩年の時高に実子・高教が生まれたために時高と不和になりました。よくあるお話です…。

そして時高が義同を排斥しようとしたため、母方の祖父である小田原城主・大森藤頼の支援を受けて

1494(明応3)年に、三浦市の新井城に居た時高・高教父子を討って三浦氏の名跡を強奪し、

相模守護となりました。一族の内紛ですね…。


イメージ 2

その後、実子の義意(荒次郎)に家督を譲って新井城に据え、自分は平塚市の岡崎城に移り、そこで

相模守護としての実力を発揮していました。

しかしその頃、駿河今川氏の軍師・伊勢新九郎(後の北条早雲)が、大森藤頼から小田原城を騙して奪う

という事件がありました。

義同は、当然扇谷上杉氏と対立していた伊勢新九郎を攻め、小田原城まで追い詰めましたが、伊勢新九郎は

扇谷上杉氏と和睦する外交手段にて窮地を脱しました。

こうなると攻める口実はなくなるわけで、義同は兵を引き上げざるを得ませんでした。

結果的に三浦氏はこれが命取りとなりました。


イメージ 3

伊勢新九郎は体勢を立て直し、義同が守る岡崎城を急襲し、落城してしまいました。

さらに配下の藤沢市の大庭城も伊勢勢の手に落ち、義同は、弟・三浦道香が守る逗子市の住吉城に逃れ

抵抗しました。

住吉城も天然の要害であった為すぐには落ちませんでしたが、伊勢新九郎は、三浦氏と扇谷上杉氏の経路を

絶つ為に大船に玉縄城をつくるなどしたため、ついには道香が戦死し、住吉城も落城しました。

義同はさらに新井城へ退却し、扇谷上杉家へ援軍を要請しました。

しかし、援軍に向かった太田道灌の子で道寸の娘婿である太田資康も伊勢勢に迎撃されて討ち死にしました。


イメージ 4

義同・荒次郎父子は新井城に籠城し、伊勢軍がこれを包囲したものの、三浦父子は北条軍の攻撃をなんと

3年間に渡って抑えていたが、1516(永正13)年、ついに落城し、家臣ともども討ち死にしました。

なおこの落城の際、討ち死にした三浦一族、そして家臣たちの遺体の血が、新井城の横の湾の海面を染め、

まるで油を流したような様になったことから、ここが「油壺」と名付けられたそうなのです。

今は風光明媚なだけに、ちょっと信じられませんが…。


イメージ 5

と、今回は思いっきり歴史の1ページを紹介させていただきました。

でも、三浦父子について、どうしても書きたかったんだもん…。

ちなみに写真ですが、2枚目は諸役の方が、的をセットしているところ。

3枚目は、この方が扇を返すことで、馬を走らせる合図となっています。

4枚目は、女性射手です。なかなか凛々しいじゃないですか!

そして最後が…。

ここでやめるなよ!と突っ込まれそうな雰囲気で、更に次回まで引っ張ることになりました。

非難の声が聞こえるのは気のせいでしょうか(汗)


<横向きの写真はクリックすると微妙に大きくなったりします。ちなみに縦向きの写真はそのまま…(汗)>

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三浦・道寸祭〜前編

おはようございます。

昨日はすっかり日焼けして、顔や腕が赤いアメジストです。

決して酔っているわけではありません(汗)

さて日焼けの原因は、昨日三浦市油壺にある新井浜海岸で行われた、道寸(どうすん)祭に行ったからです。

道寸祭の最大の呼び物は、何と言っても「笠懸(かさがけ)」です。


イメージ 1

笠懸は、流鏑馬(やぶさめ)、犬追物(いぬおいもの)と並んで「騎射三物」と言われますが、まぁ流鏑馬の

兄弟みたいなものでしょうか。


イメージ 2

流鏑馬が「神事」であるのに対し、笠懸はより実戦的で標的が複数種類と、多彩なので、流鏑馬に比べ、

技術的な難易度が高いのです。

しかし道寸祭は、笠懸といえど、ちゃんと神事も執り行われていました。


イメージ 3

奉行、諸役、そして射手のみなさんが、馬場を練り歩きます。

さて「道寸祭」とは、平安時代から続いた豪族・相模三浦氏の事実上の最後の当主、三浦義同(道寸)と

嫡男である荒次郎父子を追悼する鎮魂祭なのです。

しかし、みなさんのお目当てはやはり笠懸で、特にアマチュアカメラマンが終結するのです。


イメージ 4

馬を試走させています。この方は女性の射手ですね。カッコイイです。

さて、並居るアマチュアカメラマンとの場所取り合戦に勝利すべく、午後1時から始まるところ、なんと

朝10時から現地に居たんです。そりゃ焼けますわな…。

しかも予報では曇りか、下手すれば雨、ということだったので、ちょっと油断しました。


イメージ 5

そんなわけですっかり日焼けしてしまったわけなんです。

で…肝心の笠懸の様子はどうなんだ!というツッコミが聞こえてきそうな展開で、続編に続きます(汗)

しかし動きモノは、難しいです…と最初に言い訳をしておきます(爆)


<横向きの写真はクリックすると微妙に大きくなったりします。>

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