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「一服の 裸眼に滲む 後の月」 マチルダ 季語「後の月」のちのつき 俳句では単に「月」といえば、「秋の季語」になります。 「月」には非常にたくさんの意味合いを持った季語があります。 少し羅列してみますと・・・ 初秋の季語 「盆の月」 仲秋の季語 「初月」「二日月」「三日月」「名月」「良夜」「弓張月」「無月」「雨月」 「十六夜」「宵闇」「二十三夜」「有明月」「居待月」「臥待月」「更待月」 晩秋の季語 「十三夜」「姥月」「名残の月」「豆名月」「栗名月」 三秋の季語 「月白」「上り月」「降り月」 ↑(3つの秋を通して使うという意味です) ざっと思い出してもこれぐらいあります。1つの季語に対して意味は同じでも言い方が違うのを含めるとこの倍以上になるでしょう。 一つ一つにきちんとした意味合いがあるので、きちんと調べて使いたいですね! ちなみに今回のワタシの句の季語「後の月」は、晩秋の季語で 陰暦9月13日の夜の月を指します。十五夜ほど美しくはありません。 秋が深まって、華やかさのない月を楽しむときに使います。 日本人ってすごいですね!こういう感覚! 背景と自句自解 仕事をしていたわけですよ、遅い時間まで・・・。 ふっと「疲れ」を感じて一休み(一服ですね)にベランダへ出て月を見上げたりします。 仕事中は眼鏡をかけているので、ひと休みついでに外しましたところ、月が滲んで見えた、という句です。 ここでのポイントは(またまた偉そうにすみません)古びた自分への愛おしさです。 1.「裸眼」という言葉で「眼鏡をかけていた→外した」を導いていること。 2.「後の月」でわが身の華やかさ、体力・視力の衰えを感じながらも 「そんな自分を楽しんで過ごしている」ということ。 というところでしょうか。 そして 今日のお勉強「同じ季節でも3つに分かれた季語がある」 先に記したように、秋は「初秋」「仲秋」「晩秋」に分かれてそれぞれに季語があり、また秋全般を通して使える「三秋」という季語もあります。歳時記を見るとたいていこの4つに分類して編集されています。 「春」「夏」「冬」も同様です。さらに季節として冬に含まれますが「新年」というのがあります。年始は行事も多いですし、日本人にとっては特別なもので、季語もたくさんあるからでしょう。 また、ちょっと重要なお勉強として・・・ 単に「月」といえば「秋」の季語なので、 ■他の季節で「月」を使う場合は、 春であれば・・・「春の月」、「春月」(しゅんげつ) 夏であれば・・・「夏の月」、「月涼し」 冬であれば・・・「冬の月」、「寒月」(かんげつ) ・・・・などという季語になります。 ■「雪月花」とは、 冬の雪、秋の月、春の花(俳句で花とは桜を指します)で、 俳句では季節をあらわす「大きな季語」といわれています。 単に「花」と使う場合、他の季語がなければそれは「桜」だと見なされます。注意!! 日本人がいかに「桜」に思い入れがあるか、わかりますね! 季語に関しては、歳時記や季寄せによって掲載が違ったり、解説が違ったりするので、自分がこれ!感じるものをよく見て探したほうがよいと思います。(書ききれないです。ありすぎて・・・) また、例句がいくつか載っていると季語がイメージしやすいので、解説と例句の充実したものを1冊は持っておきたいですね。 歳時記は日本人の風土・風情の宝庫、バイブルです。見ているだけでもあきません。 今回はこんな感じで。季語は深いですよ! ではまた次回♪
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俳句
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こんなヲタクなワタシですが、俳句なるものをやっております。
季語とともに紹介してまいります。ここだけはマジメにいきましょうか!
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「解体や色なき風の散歩道」 マチルダ 季語「色なき風」 去来の句に「秋風やしらきの弓に弦(つる)はらん」があります。 このように、秋の風は白いイメージを持って詠まれることが多いです。 もともとは『古今和歌六帖』の紀友則が 「吹き来れば身にもしみける秋風を色なきものと思ひけるかな」 と詠んだことから出来た季語だと、いわれているそうです。 同じ使い方としては、「風の色」「素風」(そふう)などがあります。 背景と自句自解 ワタシは犬の散歩で毎日いろんな道を歩きます。 普通に住宅街を歩いていると、古い木で出来たたたずまいの家は本当に貴重で、見ているとほっとするのですが、最近、すぐに壊されてコンクリートの高い建物ができるようになりました。 住む人もいずれいなくなりますから、洋風な家に建て替えられらり、商業施設などになってしまうのはしょうがないことなんですが、ワタシにとってはとても寂しいことです。 散歩でそれを見つけてしまい、「またか〜」という気持ちが、なんとなく「秋という季節」「日本の文化や古き良きものが失われていく白っぽい感覚」と共鳴してできた句でした。 ここでのポイントは(またえらそうにスミマセン)環境の変化の寂しさです。 1.解体現場を見てショックを受けたこと。 2.ちょっと肌寒い秋の風に吹かれながら散歩していること。 3.様変わりする町並みに寂しさを感じていること。 「解体や」極端な省略ですが、下5(しもご)の「散歩道」で何か今まであった建物が壊されていることを読み手に導いているつもりです。 そして 今日のお勉強「季語は自分のものにしてから使う」 抽象的な季語は自分のものにしてから使うことは大切です。 歳時記などで季語の成り立ちなどをよく調べましょう。わかりやすい季語はある程度使いやすいですが、よく調べると自分の心情にぴたり!と合うものもあって感動しますよ! また今回は、 極端な省略をしてもどこかに読み手を導くことのできるような言葉を入れること もうひとつ 切れ字「や」の位置です。 「や」は普通、季語の後に持ってくるのが定説ですが、今回は「解体」に深い感慨があったので、敢えてこの位置において強調しました。「また解体かあ〜」という感嘆の気持ちです。 「や」のおき場所ひとつでも、感情の強弱が表せたりする俳句ってすごいですよね。 いかがでしょう?みなさんも作ってみたくなりません? 何もすることがないとき、待ち時間などに辺りを見回して季節を堪能しませんか? ではまた次回♪
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「鉦叩 ぬるめの風呂と なりにけり」 マチルダ 季語「鉦叩」 皆さんは鉦叩(かねたたき)をご存知でしょうか?コオロギ科の小さな虫です。 メスには翅(はね)がありません。オスにもありますがとても短いものです。 小さいので、非常に見つけにくいのですが、チン、チン、チン・・と鉦(かね)を叩くような音で鳴きます。秋が深まると、家の中に入ってきて鳴くようになります。 背景と自句自解 実家でお風呂に入っていると、とても近くで、チンチンチン・・・と音が聞こえました。 本当に金属を叩いているような音なので、最初は虫の音だと気づかなかったんです。 一緒に連れてきていた都会育ちのうちの子♀も、その音に吠えていました(笑)。 自分の家では、虫の音が風呂で聞こえることはまずないので、何事かとびっくりしましたが母が「鉦叩が風呂場に入ってるんでしょ」とあっさり答えてくれました。 「これが鉦叩かあ〜・・」と、ずっとその音を聞いているうちに、熱かったお風呂の湯もぬるくなってしまった、というところで出来た句なのです。 ここでのポイント(偉そうでごめんなさい)は、虫に対する愛情と、秋の深まりの実感です。 1.秋が深まったので、鉦叩が家の中まで入って来ていたこと。 2.鉦を叩く音に風情を感じて長湯してしまったこと。 3.お風呂の湯がぬるくなった、と感じるほど夜の気温が下がっていたこと。 たった17文字で、コレだけのことを言い表したかったわけです。 そこで、 今日のお勉強「俳句の切れは省略を表す」 ワタシの句、文節的に見ると「鉦叩」と「ぬるめの風呂となりにけり」の二つにわかれています。 いわゆる「切れ」が使われていて, 「上5(かみご)で切れている」 という言い方をします。 この「鉦叩」と「ぬるめの風呂となりにけり」の間に省略されている言葉をいれると次のように。 「鉦叩」がいたのでその虫の音を聞いているうちに「ぬるめの風呂となりにけり」 このように、言いたいことをこらえて(省略して)読み手に任せるやり方が俳句なのです。 俳句は作って世に出した時点で、自分の手を離れ、読む人・鑑賞する人によってひとり歩きする詩歌なのです。読む人がどう解釈しようが勝手、とまで言われています。作者がそういう意味で作っていなくても、違った解釈で感動をさせることが出来たなら、その句は秀句として後の世まで語り継がれていくのです。面白いですね♪ また、「切れ」は必ず句の中に一つ入れるのが常といわれています。 全体を引き締めるためです。 二つ使うと「三段切れ」といい、句が散漫になり、あまりいい句とは言われません。 「切れ字」は簡単にいうと、全体を強く引き締めるためにあります。 「●●や」の「や」、「●●かな」の「かな」がそうで、切れてさらに強調する時に使います。 →注意としては、「や」「かな」は二つ一緒には使いません。 しかし、名詞で止めたり、動詞の終止形を用いても「切れ」になります。 ただし、「切れ字」を用いるよりも軽い感じになります。 対象となるものへの自分の気持ち・感情によって使い分けます。 「切れ字」はここぞ!というときに使うのがいいでしょう♪ 難しいでしょうか?でも、ワタシもはじめはチンプンカンプンでした。 詠んでいるうちに、見えてくるものなのです。 「いっぱい作って、いっぱい捨てる!」がワタシの俳句の師の言葉です。 皆さんも作ってマチルダに教えてもらえませんか? たくさんの句を鑑賞することも、作る上では大切なことなのです♪ お待ちしています^^ ではまた次回♪
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「またひとつ 山粧ひて 迫りくる」 マチルダ ワタシの俳句歴はもうおよそ10年になります。 都会の中に暮らしていると荒みがちなので、自然に触れて心を豊かにしたいという気持ちから始めたのですが、結構いえいえ相当奥が深いのです。 いろんな俳句がありますが、ワタシが詠むのは写生俳句といって、自然のものに自分の気持ちを投影させて詠み込んでいくものです。 俳句は陰暦で季語(季節の言葉)が決まっていて、その季節に合った季語を一つだけ入れて詠んでいきます。二つとか入ってもいいんですが、主がなくならない程度に、といわれています。 陰暦ということは、暦の上で、「立秋」が来ると、どんなに暑くても秋なのです。 また、「立冬」「立春」「立夏」、この区切りで春夏秋冬を決めていますから、少しズレが生じたりしますよね。 そのための季語も用意されています。たとえば秋の季語にも「残暑」「冬隣」「秋惜しむ」などなど。 気持ちの上の季語、天文学的な季語、生活の季語、自然の中の季語、俳人の忌日を季語としたもの、など何千(何万?)あるのです。その辞典は「歳時記」「季寄せ」などという本となっています。 その中から、今の自分の気持ちに合った季語を選び、5・7・5で表します。 俳人によって、旧仮名遣いの方、新仮名遣いの方に分かれています。ワタシは文語で旧仮名を使います。 今日の季語「山粧ふ」・・やまよそほふ(読みはヤマヨソオウ) 紅葉した山の姿を表したもので、他にも「山彩る」「粧ふ山」とも使います。 春には「山笑ふ」、冬には「山眠る」、という季語があります。 秋は紅葉して、山がお化粧して装うようにみえるからこの季語なのでしょう。 自句自解 また一つの山が美しく紅葉して、自分に迫ってくるように感じた、という句です。 いつもはどっしりと見守ってくれている山も、一年に一度ぐらいは自分をアピールするんですね♪ 山に感謝と愛情をこめた一句でした。 ではまた次回♪
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