ここから本文です
エイミスピリット
10年間ありがとうございました

書庫全体表示

芸術の範疇

 
芸術と言う言葉を目や耳にしたときに我々はどうしても造形芸術である絵画・彫刻などを芸術の典型として考えてしまいがちだ。

美術・文芸・音楽・演劇・映画。

これらがいわゆる芸術と呼ばれるものの概ねのラインナップだ。

ちょっと意識すれば誰もがこれらすべてが芸術の範疇にあるということはわかっているはずである。

にもかかわらず、日常の意識では暗黙に芸術の範疇から除外されてしまいがちなものがある。

具体例としてYahooブログのカテゴリを見てみればいい(LoL)。

それらの一つ目は音楽だ。

音楽が芸術の範疇から除外されてしまう理由はまず、その娯楽性にある。

さらにこの音楽という言葉の外延にも類似の事情がある。

今では音楽とは暗黙に大衆音楽を指す言葉になっている。

バッハやマイルス・デイヴィスを聴くよりか乃木坂46や三代目ジェイ・ソウル・ブラザーズを聴く人のほうが多いのだ。

今どきバッハはドイツ人でも聴かない(LoL)。

限定することもなしに音楽という呼称で通用させてよい音楽ジャンルは近代には無かったはずだが現代では大衆音楽を単に「音楽」と呼ぶ傾向にある。

先月に放映された番組『音楽の日』で演奏されたものは全て大衆音楽であった。

大衆音楽は昭和的文脈では慎ましくポピュラーや歌謡曲などと呼ばれることが多いが現代ではそのような限定的語句で呼ばれることが少なくなった。

大衆音楽が暗黙に単に音楽と呼ばれるようになったのは、音楽という概念空間における日本人の認識的成長が対他から即自への退行する現象なのか対他から対自への進展なのか、興味深い疑問である。


さて、芸術の範疇から除外されがちな二つ目の分野は文芸である。

これも音楽と同じく娯楽性の故にであるが、それとは別の理由もある。

それは「芸術」という言葉が西周によって考案される前からの伝統の重さにあるのだ。

文芸が明治以降、外来の訳語である「芸術」の範疇に括られる以前に日本では文芸が独立した分野として成熟していたからである。


さらに、これらの芸術分野が芸術の範疇から除外される理由はそうした事情からだけではない。

音楽や文芸が芸術として認識される意識の希薄さはこれらの芸術が確固とした技法を以て創造されるという認識の希薄さにあるのである。

油絵を描く・能を演ずる・彫刻を制作する、などが芸術的行為として感じられる度合に比べると、ピアノを弾く・作曲する・小説を書くなどの行為はそのように感じられる度合が低い。

これら前者の芸術を創作する上で高度な技法や経験が必要だということが門外漢の者達にもおおよその察しがつくのに対して、後者のような行為に必要となる技法を習得することがいかに大変かを想像することが出来ないからである。

ピアノはバイエルやツェルニーでも習えばいい、作曲はメロディーを思いつけばいい、小説はちょっと筋書きを書いてみればいい。

その程度の認識しかないから、これらの行為を芸術として認識することが出来ていないのである。

実際のところ、ちょっと売れっ子になったタレントが片手間に小説を書いてしまえて、噴飯ものにもそれら小説もどき程度のモノが小説として流通してしまうことにそうした認識の未熟さが現れている。

小説というモノの創造は、渡部直己の書いた小説技法の本を読み、バフチンの著作を読めば、それがいかに難しい芸術的創作行為であるかをわかろうと言うものだ。

いや、殆どの者達はそうした技法を身に着けたり、理解することすら及ばない。

音楽の演奏は教則本やエチュードをさらえば出来るというものではない。

ツェルニー習得の完了は演奏技法を本格的に習得する入門の前段階である。

作曲は高度な和声法と対位法を習得することが前提となる。

そうした実務的な過程を経ることに関する不認識が音楽や文芸を芸術として意識的に認識されていないことの本来の大きな原因なのである。


芸術の起源らしきものは古代ギリシャのテクネーにある。

テクネー(技術)はポイエーシス(制作)の技能であり、エピステーメ(学術)より低いものと見なされた。

テクネーはラテン語ではアートとして転用されて以降も制作上の技能を意味するものとして位置づけられてきた。

芸術=アートに付加価値的な意味が加えられて単に技術以上のもの、系統的に学べる以上の価値が見出されたのは近代になってからである。


芸術の範疇に関する論としてはコリングウッドの説く擬似芸術が興味深い。

彼は本来的な芸術ではないものを擬似芸術として批判し、さらにそれらを魔術芸術と娯楽芸術に分類した。

魔術芸術とは芸術がもたらす刺激によって人間を特定の政治や宗教に向かわせるものであって、大きな例としては西洋の教会美術がある。

娯楽芸術はそれとは対照的に外部に特定の目的を持たず、作品を楽しむためだけのものである。

コリングウッドはこれらのどちらでもない芸術を本来の芸術として規定したのだが、現実に価値あるものとして流通している芸術の大半がコリングウッドの否定した擬似芸術の領域に収まっている。

これも芸術の範疇を考える上で面白い試論であろう。



イメージ 1


 

 
以上

アバター
エイミ
女性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

過去の記事一覧

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

検索 検索

よしもとブログランキング

もっと見る
本文はここまでですこのページの先頭へ

[PR]お得情報

数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!
ふるさと納税サイト≪さとふる≫
実質2000円で好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!

その他のキャンペーン

みんなの更新記事