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諸事物の断片(249)
平和の像 板橋区役所庁舎には北村西望の最後の作品「平和を祈る」が置かれてある。 肉感的な男性として具現されたこの銅像は長崎の『平和祈念像』を手のポーズはそのままで立ち上がらせたかのような立像である。 言わずもがな、この長崎の有名な像と作者は同じであるが大きさは等身大に近い。 穏やかに制止するような左手と天空を愛撫するかのような右手のポーズの妙は天も地も鎮めようとしているかのようだ。 たくましい肉体と長髪はサムソンのようにも見える。 私は仲宿商店街に行くたびに、あるいは都営地下鉄三田線に乗るたびにこの像を眺めるのである。 トマト 私の家では家庭菜園でトマトを育てている。 去年まではミニトマトだったが今年初めてふつうの品種のトマトが実った。 そのことを私は最近まで知らなかった。 菜園は母と祖母がやっていて私は手伝い程度である。 私の知らぬ間に母達は近所の人々にもぎたてのトマトをおすそ分けし、興味をもった通りすがりの子供たちにも分け与えていた。 もうあらかた収穫は済んでしまい最後の一房をこうして私に持ってきてくれたのである。 かじってみるとちょうどいい具合に青臭さが残っていて東京の家庭菜園にしては上々であった。 アビー・ロード 昨日8月8日はザ・ビートルズの最後の作品『Abbey Road』のアルバムジャケットの撮影50周年を祝い、ファンがアビー・ロードに集結したと云う。 このフォトセッションはビートルズがレコーディングに使用していたEMIスタジオの前にある横断歩道で行われたものだ。 通りの名前に過ぎないアビー・ロードがビートルズのアルバム作品の名前になり、この作品以来、EMIスタジオに代わりアビー・ロードスタジオと呼ばれるようになった。
撮影のきっかけはポール・マッカートニーの提案からである。
最初は新作のアルバムのジャケットをエベレスト山頂で撮影しようというプランに嫌気をさしたポールが「面倒くさいから下に降りて撮ろうや」と言ったのである。 彼らが横断歩道を渡っている様を前方から来る車目線で撮っただけのシンプルなものであるがとても斬新である。 四人の足取りが綺麗に揃っていて美しい。 ポールだけが裸足で歩いているジョークがポール・マッカートニー死亡説のファクターの一つになったのは有名な話である。 神父のジョン、葬儀屋のリンゴ、墓堀人夫のジョージが死者を埋葬するという図柄だ。 ポールが死んだというのは彼の才能が枯渇したという比喩として解釈もされよう。 死亡説が流れたのはジョージやジョンのヒットとは対照的にマッカートニーの作品がセールス的に振るわなかったことに起因するのではないかと推測出来る。 不吉にもその呪いはレノンに飛び火してしまった。 今日の「Nスタ」でこの件につき報道局解説室長の牧嶋氏がユー・ネヴァー・ギヴ・ミー・ユア・マネーなど収録曲を鼻歌でやりだしたのは微笑ましかった。 「この曲からはメドレーになるんです」みたいなことを言いながら一人で盛り上がっている牧嶋氏がちょっと可愛かった(LoL)。 うちの母と同じ世代の彼女もビートルズファンなのだろう。 暴走気味の彼女への井上クンのリアクションも面白かったので私はお料理をこしらえながらケラケラと笑ってしまった。 |

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