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エイミスピリット
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諸事物の断片(250)


モラハラ

harcèlement moral(仏)、moral harassment(英)を原語とするモラルハラスメントの略である。

ウィキペディアでは、「モラル(道徳)による精神的な暴力、嫌がらせのこと」とあるが、これはちょっと余計な言葉が足されていて、説明としては今一つだ。

モラルとあるから道徳的にという意味を付加しなければならないと考えたのであろうが、この語句の場合、原語の moral は、「道徳に関する」という意味ではなく単に「精神的な」という意味で解するべきである。

結果としてはモラハラの行為は道徳の欠如になるのだろうがハラスメントという単語に対して限定したいのはそれが精神的なものであるからだ。

単にハラスメントでは目に見える動作しか意味しないから moral で修飾しているわけである。

広い意味ではセクハラやパワハラもモラハラの要素を含んでいると言えるが通常のモラハラは夫婦間のような社会とクローズされた家庭空間で問題とされるケースで使われるものでDVの一種として位置付けられている。

それにしても、現代社会はハラスメントへの言及がなぜこうも頻繁に起きるのか私はつくづく不思議なのである。

みんな、○○ハラが好きなんだねぇ、なんて私はつい思ってしまうのだ。

こんな言葉をつくって社会現象として扱わなければならない程、人間関係を当事者どうしで解決できないこと自体をなぜ問題視しないのだろうか?

これは白人社会の悪しき合理主義の名残であって日本社会はこの欧米からの真似ごとを無批判に取り入れているように思えるのである。

たしかに相手を苦しめたり嫌がらせをしたりする人間が悪いには決まっているが、そうした人間(あるいは環境)と縁の切れない人、そうした人間をパートナーに選んでしまった人のほうをも私は信用できかねるのである。




経済と交換

モノとモノの交換を経済と云うならば最初の経済は相手を殺すことであった。

人の歴史は人殺しの歴史である。

強奪するには相手も必死だから殺さなければならない。

イルカの雄は交尾したくなった雌に雄や子供がいる場合には相手の雄や子供を殺してから雌を手に入れる。

雌に家族がいなくなれば寂しくなって自分を受け入れてくれると雄は考えるからである。

雄は自分が逆に相手の雄に殺される危険もある。

これが交換の原初である。

もちろん、不等価交換だ。

こんなことが経済的行為だろうかと思う人もいるだろうが最初の交換は常に命がけである。

いつも命がけでは命がいくつあっても足りないから互いに殺さずに済むような形でモノとモノを交換するようになった。

強盗やテロリストはいつまでも原初の経済を維持する道を選んだと言える。

盗人猛々しいとどこかの国の大統領が言っていたが、泥棒の神も経済の神も同根である。

それはギリシア神話のトリックスター、ヘルメスだ。

しかし等価交換なんて本当にあるのだろうか?

いや、それは有るという前提でないと経済が回らないから有ることにしているのである。

もちろん社会はそのような交換だけをしていればいいわけではない。

交換価値では還元できない真価も流通させねばならない。

カントの定言命法「自分や他人を単に手段として扱ってはならず、常に同時に目的自体として扱わねばならない」の実践も必要だ。

社会において、そうした実践に努め、真価をつくりだしている度合は企業家によってピンからキリまでの差がある。

持ち帰り弁当店「ほっともっと」の店舗の一部が閉店に追い込まれた。

安くて美味しいのり弁を初めとして丁寧な作り方が定評の企業である。

常連客から評価されていた店舗も閉店となった。

人件費などのコストの問題で経営が立ち行かなくなったと言われているが原因はそれだけなのだろうか。

どうも怪しい。

美味しい白身魚のフライを安価で提供する店が不振となる一方で、白身魚を薄くスライスして粉で水増ししたようなフライを弁当に入れているような企業がコンビニ業界でトップであるという事態は、資本主義としては正しいあり方であっても、真価を流通させねばならない現代経済としては褒められたものではない。


 以上

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