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パンが無ければお菓子をたべればいいじゃない マリー・アントワネットが言ったとされる、あまりにも有名なこの言葉がこの悲劇のフランス王妃の言葉ではないということは既に暗黙の常識である。 この言葉の原典とされるのはルソーの『告白』である。 ある日ルソーがワインを失敬して飲もうとしたがいっしょに食べるパンがなくて困っているときに、ある身分の高い婦人が言ったとされる話を思い出した。 それが「パンが無ければお菓子をたべればいいじゃない」であった。 しかしルソーがこれを執筆した当時マリー・アントワネットはまだ小さな子供であったので、この「身分の高い婦人」が彼女であるはずはない。 現在ではこの言葉がマリー・アントワネットの口から出た言葉であったとあえて主張する人はいない。 単に、いかにもマリー・アントワネットが言った言葉であるとしたほうが似つかわしいという間違った風潮があるから今でもそのように流布されているだけである。 日本で未だにマリー・アントワネットがこの言葉を言ったのだと信じている者がいるとすれば、それは本国フランスとは異なり、いまだに日本で古い革命史観が植え付けられていることが背景にあるのである。 この言葉をマリー・アントワネットに結びつけたのはフランス革命後のフランスにおいて長くの間、マリー・アントワネットを亡国の悪人に仕立て上げた風潮である。 革命前のフランスの財政難をすべて彼女の浪費のせいにしようとする陰謀が背景にあったと考えられるのだ。 こうした傾向は明治維新後の世の中で徳川に関連するすべてのことを悪く言ったとされる新政府の作為と同種のものだ。 現在のフランスでは、1970年以来、歴史修正主義が主流となっている。 革命が行き過ぎたものであり、王政から共和制に移行するにあたり、あまりにも犠牲が多過ぎたのであり、革命勢力ではなくむしろルイ16世自らが国家の再建を図っていたことが隠蔽されていたことも認識されるようになっている。 国王夫婦を始めとする多くの人々が断頭台に送られ、虐殺されたにもかかわらず、実は社会の構造はなにも変わっていなかったということに現在のフランス国民は気づいているということだ。 過去の言葉を誰が言ったのか、その絶対的真偽を追及しても意味はない。 肝要なのはこの言葉が王妃の言葉であるかのように広まった歴史意識である。 さて、「パンが無ければお菓子をたべればいいじゃない」がフランス王妃の言葉であったとする安易な俗説を未だに信じている知識人を二人挙げねばならない。 それは小谷野敦と小島毅である。 小谷野は『日本人のための世界史入門』で、小島は『靖国史観』で、マリー・アントワネットが「パンが無ければお菓子をたべればいいじゃない」と言ったという趣旨のことを書いている。 このご両人はその真偽を吟味する余地に言及することもなしに、史実であるかの如くこの俗説をとりあげているのだ。 もちろん、こんな誤りは本来ならばご愛敬というものである。 私はめったに実名をあげてまで些細なミスを指摘することはしない。 誰にでも間違いはあるのだし、私は何の理由もなしに他人の誤りをあげつらい、重箱の隅をつつくような真似をしようというわけではない。 私がここであえて名指しでこんな小事を指摘しているのは、このお二人が平生から些細な末節にこだわり続け、ちょうど今私がわざわざ指摘しているようなことを他人に対してしているからなのである。 こういう細かい事実の集積がとても大事だということを小谷野がツイッターでも再三書いている。 常に他人の末節や些細なほころびをあげつらうような発言もしている。 小島は若い人間達の認識不足を前述の本の中で口やかましく言っているのだ。 そんなお二人がこうした基本的なちょんぼをしでかしているのであえて私はこうして書いたのである。
以上
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