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アジアの涼風
「大倭穴友会」改め「アジアの涼風」:日本国内やアジアの国々の歴史・文化を尋ねる旅。

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漢の武帝が建てた長城、騎馬民族匈奴の侵入を防ぐためのものだ。BC121年、酒泉郡が設けられた後に漢の武帝は、令居(今の永登)以西に「亭」「障」「塞」を建設した。「亭」「障」は烽火台で、「塞」が長城のことである。
 
長城は砂と葦、あるいは胡柳を交互に層にして固めて造られており、2000年以上の時が経ても尚、葦の形が残っていたのには驚愕した
 
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  • 立派な長城を造りながらも、この地域の気候の厳しさで崩れ果ててしまった姿からは、長い長い歴史を感じさせますね。

    大納言兼加賀守

    2014/7/6(日) 午後 5:09

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    砂と植物の茎で造った構造物が2000年以上の時を経た現在でも、見ることができるのは、乾燥地帯であったからこそと思います。高温多湿の日本では、雨で崩れて、湿気で腐って、おそらく数百年ももたず、跡形も無く消えてしまったと思います。

    よく見ていただくと分かりますが、葦の形がそのまま残っているのは本当に驚きました。

    近年の気候変動で、敦煌など砂漠地帯で雨が降るようになってきたとのこと、こうした乾燥地帯の遺跡や、莫高窟をはじめとする、壁画がどんどん劣化してしまうことを危惧しています。

    あなもりや

    2014/7/6(日) 午後 5:25

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